三・羊と孤独と魔法陣 5
「ジェイク、探したぞ」
「エルフリーデ様」
ジェイクと呼ばれた男が振り返った先には、ロイヒテンにそっくりな金髪の女がいた。上品な濃緑のドレスに身を包んだ彼女を視界に捉えるなり、ロイヒテンは苦々しげに顔を歪めた。
「これはこれは。母上、こんなところに何の用です? 息子の顔が恋しくなりました?」
「これは減らず口だけは達者だな」
エルフリーデはロイヒテン以上に顔を歪めると、牢屋の中にツイと人差し指を向けた。その先端に小さな魔法陣が浮かび、急速に水色の光が集まり始める。
「っ、イチ!」
「きゃっ!?」
ロイヒテンは咄嗟に勢い良く身体を振って、イチと上下を入れ替えた。直後にロイヒテンから苦鳴が漏れ、イチの肩の上にポタポタと血が落ちてきた。
「ロイヒテン!?」
「大丈夫だ」
ロイヒテンは呻くように応じたが、彼の肩には氷の刃が深々と突き刺さっていた。
「何これ……嘘でしょ!?」
「だから大丈夫だって。あとであんたが舐めてくれれば治るよ」
ロイヒテンは痛みに身を震わせながらもそう言ったが、イチは首を横に振った。
「ロイヒテンの心配じゃなくて!」
「えっ……」
絶句したロイヒテンだったが、続いたイチの言葉に、彼は大きく目を見開いた。
「この魔力、ベルノルトのものよ!」
「おや、そっちの女はわかるのか? 素晴らしい魔力だろう? どんな氷も自由自在に操れて、傷もほら……あっという間だ。子どもの魔力とは到底思えん」
言いながら、エルフリーデはロイヒテンの肩に再度指を向けた。突き刺さっていた氷が消えて、傷はたちまち跡形もなく消えた。それは本来エルフリーデが持つ力ではなく、氷魔法に長けたベルノルトの力と、光魔法に長けたアルノルトの力に違いなかった。
「……ふざけるな! あんた、メイヴスに手を出すことがどういうことかわかってるのか!?」
「ふふ、力の強大化を恐れて、ローズガルドがメイヴスの存在を伏せたことにも納得だな。もうすぐあの人も私の元へ帰って来る……――おまえはその後で、生まれてきたことを後悔するほどいたぶってから殺してやろう」
「エルフリーデ様……」
遠慮がちにエルフリーデに声をかけたジェイクに、エルフリーデは満足気に笑った。
「心配するな、ジェイク。儀式の方法を伝えてくれたおまえには感謝している。そこの女はおまえのものだ。殺しはせん」
「ありがたきご配慮、痛み入ります」
ジェイクは深々と頭を下げて、彼を見上げるイチにニヤニヤとした笑みを向けた。イチは黙ってジェイクとエルフリーデを睨んでいた。ロイヒテンは縄が食い込むのも構わず、身を捩りながら叫んだ。
「何言ってんだよあんた。メイヴスの存在が伏せられてきた理由を一番わかっているのは、他でもない俺達だろう! あの人って――あんた、一体何をしようとしてるんだ!?」
「おまえが殺したあの人さ。愛しいあの人が戻るなら、私はどんな犠牲も厭わない」
「馬鹿な、死んだ奴が生き返るわけ――」
「生き返るとも」
ロイヒテンの言葉を遮って、ジェイクが強い口調で言った。エルフリーデは踵を返し、僅かにロイヒテンを振り返って首を傾げた。
「精々、自分が生きていることを悔いるんだな。食い込む縄の痛みに喘ぎ、互いの糞便に塗れながら芋虫のように弱り果てるがいい」
エルフリーデはそう言い残すと、ジェイクを連れて去っていった。
残された薄闇の中、イチはロイヒテンの下で小刻みに身を震わせながら、沈黙していた。そんなイチに、ロイヒテンは軽い口調で言った。
「どうしたんだよ、今まであんなに余裕で威勢が良かったのに。メイヴスを潰すんだか何だか知らないけど……後悔してるんだろ。まぁ、あんたは殺されないらしいし? 精々あの変態に飽きられないように尽くすしかねーな」
「…………」
しかし、イチは応えない。顔も背けている彼女の表情は、ロイヒテンからは見えなかった。ロイヒテンはしばらくイチの様子を窺っていたが、何も言わない彼女に、やがて辛そうに目を伏せた。
「悪いな、イチ。父上が生きていた頃は、母上もあんな人じゃなかったんだ……」
ロイヒテンが疲れたように呟くと、黙っていたイチが静かに口を開いた。
「……ねぇ。ロイヒテンはどうして、妹さんだけをお城から連れ出したの?」
「んー?」
ロイヒテンは間延びした声で応じた後、誤魔化すように小さく笑った。
「どうしてだろうな?」
しかしそう言ったロイヒテンは少しの間沈黙すると、縛られている自分達の姿を見下ろした。そもそもイチがこんな責め苦に遭っているのは、自分の母親のせいなのだ。そう思って、彼は諦めたような溜め息を吐いた。
「昔は、母上も尊敬できる人だったんだ。父上と結婚して俺を産んで、三人でこの土地を支えてきた。メイヴスなんてものが、二度と世に出ないように。それでも信者の血を引く者達が、飢えずに生きていけるように。……だけど父上が病気で死んで、母上は少しおかしくなった。そこへ現れたのが遠縁だった継父で、彼はあの手この手で母上を慰めた。そこまではよかったんだ」
イチは黙って聞きながら、小さく身じろぎした。ロイヒテンは続けた。
「継父は母上と結婚した。だが途端に、他の女との噂が絶えなくなった。あいつは領主としての権力さえ手に入れば、母上のことなんてどうでもよかったんだ。だけど母上は多分、それで狂っちまったんだろうな。継父に愛されることだけが全てになって、継父が自分を見ない理由は、別の男の子どもである俺がいるからだって思うようになったみたいだ。実際、継承権のある俺はかなり疎まれていたしね」
ロイヒテンは笑ったが、身体は微かに震えていた。