三・羊と孤独と魔法陣 3
「イチ……!」
声を上げた私に、イチは艶やかに微笑んだ。
「大丈夫よ、カナタ。……それより今が何時か気になるわ。エスメロードの夕焼けは大層綺麗なんでしょう? 是非見てみたいのよね」
そんな悠長な言葉を残して、彼女の背は扉の向こうに消えた。途端、後に残った八人の兵士達が私達に銃を向けた。うち一人は、私が魔法を使うのを警戒してか、既に私に向けて闇魔法の黒い光を生み出している。
「蜂の巣にしてや――」
しかし兵士の言葉は、最後まで続かなかった。
ボフンッ!
突如真っ白な煙が辺りに立ち込め、視界はあっという間に閉ざされた。
「なっ!?」
「ぎゃっ!?」
「がはっ!?」
煙で視界が悪い中、連続した鈍い音と共に、次々と兵士達の悲鳴が上がった。
「お嬢、ここは俺が引き受ける。後の判断は任せた」
「私はカナタとイチに付くけど、いいのね?」
「反対だな。さっきイチ・ドラールがやったこと――あれはロイヒテン殿の力になりたいだとか、単なる優しさや責任感の類のものではない。彼女はこれまで、信仰対象が示すとされる目的の達成の為に、どんな犠牲も喜んで捧げるよう刷り込まれて生きてきたはずだ。だからこその賜物だろう」
「心に留めておくわ。文句があるなら、この場を切り抜けて追い付いてきなさい」
「了解だ」
淡々としたやり取りが早口に交わされた後、細い手が私の手を掴んだ。
「カナタ、行くわよ!」
「う、うん!」
私は風花に引かれるまま、裏手の窓から兄弟の家を飛び出した。
「それで? どこへ向かう?」
尋ねられて、私は目を見開いた。咄嗟に応えられなかった私に風花は眉を寄せ、首を傾げた。
「イチがあんな大胆な一手を投じたのに、貴方にはアテが無いわけ?」
「えっ……と」
「いいから、ハッキリしなさい」
棘のある口調で睨まれて、私は少しだけ怯みながら思考を巡らせた。
「さっき、イチが変なこと言ってたの覚えてる? 『今が何時か気になる』、『エスメロードの夕焼けは大層綺麗』って」
「そういえば……――。そうよ、時計塔! 確かあれ、四時だか五時だかで止まってたわ!」
ハッとしたように声を上げた風花に、私は大きく頷いた。
「ロイヒテンのことはひとまずイチに任せて、私は時計塔に行ってみようと思う。もしかしたらイチ、私達と別行動している間に何か掴んだのかもしれない」
「そうと決まれば、急いだ方がいいわね」
風花が言った時、不意に後ろから銃声が聞こえた。ハッとして振り返った私に、風花は口の端を上げて鼻を鳴らした。
「紅なら大丈夫よ。あいつは殺したって死なないもの」
「でも――」
「心配いらないわ。彼が私の味方をしてくれなかったことなんて、今まで一度だって無いんだから。力になってくれるわよ」
サラリとそう言った風花に、私は思わず目を見開いて――ちょっぴり、顔が熱くなった。
「ごちそうさま」
言うと、風花は怪訝そうな顔をした後、心外というように私を睨んだ。
「何を勘違いしたのか知らないけど、紅とは別に何でもないわよ。私にはちゃんと婚約者がいるんだから」
「そうなの?」
「えぇ。あんな口うるさい恋人なんて、死んでもご免よ。信頼はしているけどね」
「ふぅん……」
「興味があるなら、今度聞かせてあげるわ。紅がどれだけ面倒な男かっていうことをね」
「そっち? 婚約者のことなら聞きたいけど……それはいいや」
苦笑して、私は町の真ん中に佇んでいる時計塔を見上げた。はやる心に足は自然と速くなって、私達はくすんだ裏路地を駆け抜けた。