三・羊と孤独と魔法陣 2
「イチ、あれって……」
「止めないとまずい! 多分、魔法の加減が全く効かなくなってるんだと思う。あのままじゃ死んじゃうかもしれない」
「死ぬって、魔法を使って死ぬなんてことあるの!?」
「魔法だって万能じゃない。使い方を間違えれば、全部自分に跳ね返ってくるわ」
イチは顔を歪めて低く唸った。彼女の生み出している光の膜には、ヒビが入っていた。
「あの子の力、強すぎて……止められない。何であいつら、平気な顔してるのよ」
イチほどの魔法使いでも苦戦しているというのに、確かに兵士達はまるで涼しい顔をしていた。
「あの兵士長、怪しすぎってヤツでしょ……!」
「とにかくベルノルトを止めなきゃ!」
「待ってカナタ! 生身でこの吹雪は――」
イチの制止を振り切って飛び出そうとしたその時、一発の銃声が鳴り響いた。途端に、辺りを覆っていた吹雪が勢いを弱め、終息していった。
「ベルノルト……?」
少年の身体はゆっくりと傾ぎ、凍った床の上に倒れた。氷は静かに溶け消えて、少年の胸元が血に染まった。
「嘘……」
絶句した私に、兵士長らしき男は笑った。
「何、まだ死んだわけじゃない。そいつにはメイヴスどものことを喋ってもらわないとな。……連れて行け」
男の指示に従い、一人の兵士がベルノルトを無造作に抱き上げた。兵士の顔に感情らしき表情は無く、恐らく彼は道端の小石を拾うのと同じように、傷を負ったベルノルトを抱いているのだということがわかった。
「あぁ、それから――おまえも一緒に来てもらおうか。情報を聞き出しがてら、俺の奴隷にするのにちょうどいい」
男の視線がイチを捉え、彼の口元に下卑た笑みが浮かんだ。イチは少し驚いたように眉を上げた後、余裕の笑みを口元に刻んだ。
「私に触ると火傷しちゃうよ?」
「その時は公子殿の首をはねるまで。おまえ達、私に何かあれば構わずロイヒテンを殺せ。私の為にメイヴスを世に放つわけにはいかない」
「はっ」
男の言葉に兵士達は頷き、イチは眉を寄せて長い溜め息を吐いた。彼女の両脇を兵士が固め、イチは両手を上げた格好で男の傍へ連れて行かれた。
「イチ!」
声を上げた私に、イチは「だーいじょーぶ。ね?」と呑気に首を傾げる。すると男はおかしそうに体を揺らして笑った。
「余裕だな。言ったはずだぞ、情報を聞き出しがてら、と。……まずは、そうだな。奴隷の捕虜にそんな大層な服はいらんだろう。ここで脱げ」
「なっ……!?」
これにはさすがのイチも目を見開いたが、彼女以上に驚愕の声を漏らしたのは風花だった。紅は険しい顔で眉間に皺を寄せている。
「冗談でしょ!? いくらなんでもそんなの――」
「できないなら、兵達に命じて無理矢理でも構わんが?」
当たり前の尊厳を奪い、心を叩き折り、考えることを放棄させ、従属させる。この男にどんな汚い下心があったとしても、ヒトをそれ以下のものにするのには有効な第一歩だ。
でも……どうしてイチがそんな目に? そうやって惨めに暴かれ、羞恥と屈辱の辛酸を舐めるのは、かつて私の――
ドクンと心臓が震えた。昔の私は人形のように扱われ、骨が砕けるほどに殴られ、欲望の捌け口になる為だけに息をしていた。もしイチがあそこに引きずり落とされたとしたら……私の力ではきっと、助けられない。
「嫌――」
恐怖に追い立てられながら呟いた時、イチの呑気な声が私の緊張を破った。
「しょーがないなぁ。それじゃ、出血大サービスしちゃおう」
そう言ったイチの手が、震えもせずに服の留め具を外した。そのまま躊躇いもせずに着ていた服を次々と足元に落とし、イチはあっと言う間に下着姿になってしまった。曝された滑らかな肌と美しい身体に兵士達の無遠慮な視線が集まる中、イチは最後の一枚をするりと脱ぎ捨てた。
「貴女、何で……」
顔を歪める風花に、イチはおかしそうに笑った。
「私、これでも自分の言葉には責任を持つタイプなのよ? カナタと違って、エスメロードの状況は知ってて来たしね。……それより君、さっきは散々私の悪口叩いてたくせに、なんて顔してるわけ? 心配してくれてるの?」
イチが軽やかにそう言った時、男の太い指が無遠慮にイチの顎を掴んだ。
「はは、面白い。城に行ったら壊れるまで可愛がってやろう」
「ホント、貴方って素敵な趣味してるのね。ところであそこのボロい外套なら、身に纏うことをお許し頂けるのかしら?」
イチが壁にかけられた外套を示すと、男はフンと鼻で笑って、兵士にそれを取るように命じた。
「ありがとう」
兵士から受け取った外套をふわりと羽織ったイチは、こんな屈辱を受けて尚、堂々として美しかった。
「俺は城へ戻る。他は全員殺して構わん。首を刎ねて通りに晒してやれ」
男はそう言って、ロイヒテンとベルノルト、それからイチを人質に、数名の兵士達とともに踵を返した。