三・羊と孤独と魔法陣 1
おぞましさを感じるほどに禍々しい、赤の光。それはまるで伝い落ちる血のように、アルノルトの身体から溢れ出していた。
「あああああああ……!」
血走った眼を極限まで見開いて、アルノルトは唸るような苦しみの悲鳴を上げる。
「アルノルト! ベルノルト! しっかりしろ!」
悲痛な声で兄弟の名を叫ぶロイヒテンの腕の中には、光の消えた瞳で虚空を見つめているベルノルトの姿があった。その目は瞬きすることもなく、唇は言葉を紡ぎかけたように開いたまま、ピクリとも動かない。
「ロイ様……あ、ぁ……!」
アルノルトは床に爪を立て、光の赤とは別の、比喩などではない真っ赤な血を吐き出した。そのアルノルトの瞳が、動かなくなったベルノルトを捉えた。途端、絶望が彼を満たしたのがわかった。
「そんな、ベル……――」
バシャンッ……!
生々しい水音と共に、アルノルトの身体は赤黒い液体と化して床の上に飛び散った。指の一本も髪の一筋も残らなかった。
「何なの、どういうこと!?」
「メイヴスの魂喰いの儀式だ!」
風花の混乱の声に紅が答え、彼は低く呻いた。
「こんな子どもが何故……!」
そうしているうちに表玄関の扉が暴かれ、入ってきた兵士達の前に、彼らの無残な姿が晒された。
「なっ……これは一体何だ!?」
床一面に飛び散った赤黒い液体と、少年を抱えて震えているロイヒテン。立ち尽くす私達の視線を集める中、ロイヒテンに抱かれていたベルノルトの双眸に、不意に光が宿った。
「ロイヒテン様……?」
瞬きをしたベルノルトが不思議そうに呟き、体を起こそうとしたのか床に手を付いて、ピタリと動きを止めた。
「何……これ……」
悲痛に顔を歪めて震えているロイヒテンと、手のひらをべっとりと濡らす真っ赤な液体――ぼんやりとしていたベルノルトの眼が大きく見開かれ、直後、ゾクリと私の背中に悪寒が走った。
「え……?」
体感温度が急激に下がり、吐き出した息が白く染まったことに気付いた。次の瞬間だった。
「うあああああああああああ――――――っ!」
キィィイイインッ!
金属を穿つような甲高い音が響いたかと思うと、青白い光がパッと辺りを照らし出し、巨大な水色の魔法陣が空中に出現した。途端、リビングが一瞬にして真っ白に凍り付き、狭い室内に猛烈な豪雪が吹き荒れた。鋭い氷が凄まじい勢いで私達の全身を切り裂くが、噴き出した血すらあっという間に凍り付いていく。
「カナタ!」
私の前に躍り出たイチが、素早く描いた魔法陣で光の膜を張った。すると私達の周りだけ、その吹雪がいくらか和らいだ。
「ロイヒテンは!?」
見れば、ベルノルトの一番近くにいたロイヒテンは兵士達の方へと吹き飛ばされており、イチと同じく魔法で身を守っている彼らに拘束され、剣を首元に押し当てられていた。
「動くなよ。公子様とは言え、メイヴス教徒となれば話は別だ」
「ロイヒテン!」
呼びかけたが、反応がない。どうやら気を失っているらしい。兵士長らしき男が風花を睨み付けて言った。
「竜殺しの花嫁殿だったか。おまえは町の者達に、この兄弟はメイヴスとは無関係だと言ったらしいな」
「無関係よ! 彼らはメイヴスなんかじゃない!」
風花は叫んだが、男は厳しい表情で声を荒げた。
「ではこの様は何だというのだ! ……信じたくは無かったが、ロイヒテン様がメイヴス教に溺れメイヴスの復活を目論んでいるという話は本当だったようだな。おまえ達もメイヴス教徒なんだろう。竜殺しの一族を名乗って民を欺いた罪は重いぞ」
「はぁ? 私と紅にはその子の魔法が効いていないのがわからないの? 私達は本物の竜殺しよ」
「なるほど。だとしたら竜殺しの一族も堕ちたものだな。メイヴス教に走る裏切り者を排出するとは」
風花は大きく目を見開き、途端に紅が歯を剥き出しにする勢いで声を荒げた。
「貴様、お嬢を愚弄する気か!」
「愚弄も何も、事実だろう。その少年の異常な魔力がメイヴスの儀式の結果でなくて、一体何だというのだ」
未だ魔力を放出し続けているベルノルトに、最早意識は無いように思えた。彼の瞳は真っ暗に濁ったまま宙を彷徨っており、浮かんだ魔法陣から猛烈な吹雪を生み出し続けている。