二・公子と少女と竜殺し 13
「お嬢」
念を押すように紅が語気を強め、風花が溜め息を吐く。
「わかったわよ。貴方、いつも大体のことは許してくれるものね。そうじゃないってことは、よっぽどなんだわ」
「理解を得られて幸いだ。それから――」
「まだあるの?」
うんざりしたような風花の台詞の直後、辺りの雰囲気が僅かにピリリと張り詰めた。紅に敵意を向けられたのだと気付いた時には、既に彼が目の前に立っていた。
「お嬢はこの鼠にも、警戒心が足りない」
「……っ!」
突き刺すような紅の冷たい眼を見上げ、私は息を飲んだ。
「何の用だ?」
「えっ……と」
一瞬言い淀んだが、私はすぐに息を吸い込んで、紅を見据えた。
「イチがどうかしたの? 私、貴方達に警戒されるようなことはしていないはずなんだけど」
「悪いが、奴隷と交わす言葉は持ち合わせていない」
「私は奴隷じゃない。確かに考えは浅はかだったかもしれないけれど、私は自分の意思でここにいる」
きっぱりと言い返すと、紅は片眉を上げながら私を睨んだ。
「イチ・ドラールはメイヴスを崇拝している。いくつもの邪悪な儀式に手を染め、恐らく貴女のことも、今に儀式の糧とするだろう。微かだが、貴女からは竜の臭いがする。恐らく既に儀式に取り込まれ始めているんだ。無惨な姿になりたくなかったら、彼女から離れて元の身分に戻ることだ」
「イチがそんなことするわけない。イチも私も、メイヴスのせいで大切な人を失ったんだもの」
「貴女を取り込む為の餌だ。彼女の口車に乗るな。俺だって何の根拠も無しに、イチ・ドラールがメイヴスの一員だと言っているわけじゃない。メイヴスの儀式による犠牲者との関係者を辿っていくと、必ず彼女が線上に浮かび上がってくるんだ。イチ・ドラールはかなり力の強い、いわゆる幹部クラスの信者の可能性がある」
「……イチを侮辱しないで」
睨み返した瞳が、紅の漆黒の双眸と絡んだ。紅の唇が何か言いたげにほんの少し動いて、すぐに閉じた。じっと紅の眼を睨んでいたら、彼の瞳は冷たい色を浮かべながらも真っ直ぐな光を宿していた。睨み合っている最中におかしな話だが、何となく、彼は実直で優しい人なのだろうと思った。
「ねぇ。どこの誰だか知らないけど、カナタを苛めないでくれるかな?」
その時ふわりと風が吹いて、すらりとした綺麗な腕が、私の身体を後ろへ引き寄せた。そのまま頭が柔らかな胸元に受け止められて、見上げると、イチが怖い顔で紅を睨み付けていた。
「君、無粋なナンパなら他所でやってくれない?」
「貴女がイチ・ドラールか。なるほど、この町はただでさえ竜の臭いが漂っているというのに、貴女からは一際だ」
「あら、私って有名人?」
イチは笑って、風花に視線を移した。
「私の噂みたいだったから、ちょーっと立ち聞きしてたんだけどね。私がメイヴス信者だって、本気で言ってる? 隣のお兄さんはお嬢さんと違って鼻が利くみたいだけど――もし私から竜の臭いがするなら、原因はコレよ」
イチが取り出して二人に見せたのは、三日月と剣を模った、メイヴスの髪飾りだった。風花と紅はギョッとしたように目を見開くと、たちまち眉間に皺を寄せた。そんな二人に、イチはゆっくりと髪飾りを左右に振りながら言った。
「そんなに怖い顔しないでよ。これは何も知らずにメイヴスの犠牲になった友達の形見。……少し前までカナタが持っていたから、カナタにも臭いは移ったかもしれないわね」
イチは私の頭をポンと撫でると、突然真顔になって、髪飾りをポケットにしまった。
「そういうわけで、私の弾劾はひとまず後にしてくれるかな。竜殺しさん達の力、借りたいのよね」
紅は風花を庇うように彼女の前に立つと、喉の奥で低く唸った。
「メイヴス信者を目の前にして、俺達が引き下がるわけがないだろう」
紅が言った、その時だった。
「アルノルト、ベルノルト兄弟! ここを開けるんだ!」
家の表側から、乱暴に扉を叩く音と男の声が聞こえてきた。てっきり私達がここに隠れているのが見つかったのかと思ったが、どうやらそうではないようだった。
「おまえ達にはメイヴスの儀式に手を染めた嫌疑がかかっている!」
男がそう言うと同時に、家の中から絶叫が上がった。
「うわああああ――――――っ!」
アルノルトの声だった。
「竜殺しさん、力を貸して!」
言いながら、イチは誰よりも早く反応した。手近の窓に触れたイチの手が氷の魔法陣を描いたかと思うと、窓はあっという間に砕け散り、イチはそこから室内に飛び込んだ。