二・公子と少女と竜殺し 12
「紅、風花。ロイヒテンを焚き付けてこの町に戻らせたのは私とイチなの。私達の力をアテにすれば大丈夫、何とかなるからって……」
言うと、紅が僅かに驚いたように目を見開いて、私を凝視した。
「ここのことをよく知っているロイヒテンがいれば大丈夫だと思って、この町について何の知識もないまま来てしまって――紅が助けてくれなかったら危なかったかもしれない。ごめんなさい」
すると紅は見開いていた眼を細め、眉を寄せた。
「イチとは?」
「あ、えーと……イチは私と一緒に旅をしていて、魔族なのに理性を保ち続けている上に、凄い魔力を持ってるの。メイヴスのことが知りたくてここへ来たけど、色々あっていつの間にかいなくなっちゃって」
まさか、どうも風花のことが苦手らしくて姿を眩ませたなどと言えるはずもなく、私は言葉を濁した。
「失礼だが、貴女はメイヴスとどんな関係が?」
「……私の大切な人が死んでしまった理由が、メイヴスの儀式だったの」
「なるほど、復讐に焦ったか。よほどの考え無しだったとみえる」
チクリと言われて、私は目を伏せた。確かに、行けば何かがある、何とかなるという気持ちでここへ来たのは確かだ。
「おいおい、あんまり奴隷ちゃんを虐めるなよ」
するとロイヒテンがおどけた口調でそう言って、意地の悪い笑みを浮かべた。
「こんな目に遭ったのは俺の誤算だ。何より全てはイチにかかっていたし、風花の言った通り、まさか公子の俺がいきなり捕まって拷問されるなんて思ってなかったからさ。奴隷ちゃんのせいじゃない。そもそも、奴隷ちゃんのことはハナからアテにしてないよ」
「奴隷……」
紅は呟いて、眉間に皺を寄せた。
「そういうことなら、立場を弁えることだな」
「紅、私は……!」
「できるだけお嬢にも近付かないでもらおう。お嬢は一族の長の娘だ。ロイヒテン殿もお嬢も、おまえのような身分の者が寝食を共にするお人達ではない」
私はムッとして眉を寄せたが、私が何か言うよりも先に、風花が紅を睨み付けた。
「紅? 貴方は奴隷だとか貴族だとか、そんなことを気にして生きているわけ?」
「気にしない方がおかしいだろう。お嬢、貴女には目付役として少し話がある」
「いいわ、ここで話しなさい」
「いや、二人でだ」
風花は鼻を鳴らし、寄りかかっていた壁から離れた。
「カナタ、うちの馬鹿が悪いわね。気にすることないわ」
「……うん」
風花は紅を睨みながら彼の傍らを通り過ぎると、不機嫌そうに部屋を出て行った。
「とにかく、お嬢には近付くな」
紅は私にそう念押しして、風花に続いて部屋を出て行った。
「ははは、嫌われたな」
ロイヒテンが面白がるようにニヤニヤと笑う。
「そうみたいね」
私は頷いて、小さく息を吐いた。本当に、イチはどこにいるんだろう。
そんな気持ちを察されたのか、ロイヒテンが言った。
「ご主人が恋しいのか?」
「……奴隷が主人の心配なんてすると思う?」
声音は、思った以上に冷たくなった。ロイヒテンは鼻を鳴らして笑った。
「そう思うってことは、おまえ、愛されてなかったんだな」
「そうね」
適当に頷いて、私は部屋を出ようとドアを開いた。
「怪我人の俺を放って、どこへ行くんだ?」
「もう治したでしょ。……イチを探してくる」
「おいおい、外に出て兵士に見つかっても、助けないぞ?」
「そんな失敗、しない」
淡々と言い返して、しかし少しの苛立ちを感じながら、私は彼に背を向けた。
「ま、精々気を付けろよなー」
間伸びしたロイヒテンの忠告を聞き流しながら、後ろ手に扉を閉める。リビングに紅と風花の姿はなく、恐らく夕飯の支度をしているらしい兄弟が、美味しそうな匂いのする鍋をかき混ぜていた。
「カナタ様、どこに行くんですか?」
「ちょっと、町の様子を見に。外套を借りてもいい?」
言うと、二人は少しだけ不安そうな顔をしたが、すぐに頷いた。私は壁にかけてあった外套を羽織った。
「気を付けてくださいね」
「ありがとう」
フードを深く被って、私は町へ出た。街路はにわかに騒がしく、あちこちに兵士達の姿がある。ロイヒテンを探しているのだろう。
兄弟の家が見つかるのは、恐らく時間の問題だ。あの二人の話が本当なら、ロイヒテンがメイヴス教徒の子孫達から慕われているのは周知の事実だろうし、探されればあっという間だろう。
路地裏へまわろうと思い家の裏手に行くと、微かに紅と風花の声が聞こえてきた。私は思わず足を止め、聞き耳を立てた。
「……何それ、冗談でしょ?」
「本当に何も感じなかったのか?」
「感じなかったわ。名前が同じだけの別人じゃない?」
「用心しておくに越したことはない。迂闊にイチに気を許すような真似は絶対にするな」
不意に出てきたイチの名前に、私は思わず目を見開いた。それに対し、風花は無言だった。