二・公子と少女と竜殺し 10
紅と呼ばれた男は人差し指を唇の前に立て、困ったように首を傾げた。
「あまり騒ぎ立てないでくれ。面倒はお嬢だけで充分だ」
「どういう意味よ」
ムッとしたように眉を寄せた風花。紅は苦笑して、牢の鍵穴に細い針金を差し入れた。
「お嬢は先走り過ぎだ。族長の娘なら、もっと慎重に動いてくれ」
針金をカチャカチャと動かしながらそう言った紅に、風花は小さく舌打ちをした。
「先走ったつもりはないわ。紅がちゃんと付いてこないのが悪いんでしょ」
「……そういうことにしておこう」
軽い音とともに鍵が外れて、牢の扉がゆっくりと開いた。続いてロイヒテンの牢の鍵に手をかけた紅に、風花が言った。
「そっちは別にいいわよ。放って置いても罰は当たらない」
「そういうわけにもいかない」
紅は言って、手を動かしながら風花の方を振り返った。
「だからお嬢は考えが足りないと言ったんだ」
「……それ、まだ言われてなかったわよ?」
不機嫌そうに目を細めた風花に、紅はおかしそうに笑った。
「風花、誰なの? お嬢って風花のことだよね?」
尋ねると、風花は「あぁ」と頷いて肩を竦めた。
「紅正義。私の従者よ」
「お嬢の世話役兼、護衛役の紅だ。お嬢が色々と迷惑をかけてすまなかった」
――ということは、どうやら彼は風花と同じく竜殺しの一族のようだ。しかし着物姿の風花と違って、紅はネクタイをきっちりと絞めた白いワイシャツの上に黒のベストを羽織り、下はタイトな黒のパンツ姿だった。頭には、黒いフェルト帽まで被っている。風花の印象から、竜殺しの一族は名前のニュアンスと服装が特徴の一つなのかと思ったが、意外と自由のようだ。
「初めまして、私はカナタ。そこで寝てるのがロイヒテンなんだけど――彼を知ってるの?」
「……あぁ。少しな」
カシャンッと音がして、ロイヒテンの牢の鍵が外れた。そこでようやくロイヒテンが「ふがっ」と変な声を漏らして目を醒まし、紅の姿に驚いた様子で目を見開いた。
「あんたは……!?」
「紅という。心配しなくていい、助けに来た」
紅はベストを脱いでロイヒテンの肩にかけると、ゆっくりと彼を助け起こした。
「えーっと……」
正直なところ、ベスト如きでは何も隠れていない。全くの無意味なのではないかと思ったが、紅の好意だろうと思い、黙っておいた。
「風花の仲間ってことは、おまえも竜殺しか」
「相手が君子だと話が速くて助かる。お嬢にも見習って欲しいものだ」
「はぁ? それがわかったくらいで、どうしてそのクズが君子なのよ。見習う要素が壊滅的に無いわ」
腕を組んで眉を寄せた風花に、紅は小さく溜め息を吐く。
「お嬢、彼は――」
「はいはい、そんなことよりさっさと逃げようぜ? 俺は怪我人で思うように動けないから、みんな俺のことをしっかり守ってくれたまえ」
紅に支えられながら偉そうにそう言ったロイヒテンに、紅は少し驚いたように目を丸くした。
「……なるほど、そういうことか」
そして一人で納得したように呟く。なぜか笑いを堪えるような顔をしながら、彼はロイヒテンを牢から連れ出した。
「さて、辛いだろうが少し急ぐぞ」
紅はそう言って歩き出しかけたが、ふと動きを止めて、ロイヒテンの格好を見下ろした。裸にベストを羽織っているロイヒテンの姿は、怪我人相手にこんな表現で申し訳ないが、どう見てもただの変態だった。
「……。ロイヒテン殿、俺が悪かった」
「ようやく気付いたか! ツッコミ待ちだったのに、誰も何も言わないから!」
ロイヒテン自身は自分の格好の珍妙さが最初からわかっていたようで、彼はブツブツ言いながら紅にベストを返した。
「しかしそうすると……むぅ」
紅は名残惜しそうな顔をしてフェルト帽に手をかけ、それをロイヒテンに差し出した。
「あー。カナタと風花が構わないなら、俺は別にこのままでも平気だぞ?」
「何でもいいからさっさと隠してちょうだい」
きっぱりと言い放った風花に、ロイヒテンは帽子を受け取りながら頷いた。
「紅、そのうち高級フェルトの帽子を返すよ」
「いや、気にしないでくれ」
二人のそんなやり取りに呆れながらも、私達は無事にエスメロード城を脱出した。