一・銃士と剣士と魔法使い 1
――一年前。シオウ様がいなくなったあの日以来、世界が少しだけ変わった。
「消えろっ!」
振り下ろした両手の短剣をシャドウ二体の脳天に一本ずつ突き立て、私は後方へ宙返りしながらそれを引き抜いた。黒い煙を残して消えていくシャドウを見送り、短剣を腰に提げた鞘へと収める。
「相変わらずお見事ね」
頭上から楽しそうな声が降ってきて、私は抗議のつもりでじっとりとそれを見上げた。太い木の枝に腰かけて足をぶらぶらさせている美女が、しれっとした顔でニッコリと笑った。
「少しは手伝ってよ」
「嫌よ、面倒くさい」
「私だって面倒くさい」
「私はもっーと面倒なの」
ニコニコとした腹の立つ笑顔は崩さないまま、言い返すにはあまりに不毛な台詞を口にした彼女。ヒラリと木の上から飛び降りると、艶やかな黒髪をふわりと手で払い、満足気に辺りを見回した。
「うんうん、さっぱりしたね」
イチ・ドラール――漆黒の長髪に翡翠色の双眸を持つ、美しい魔法使い。シオウ様が亡くなってからずっと行動を共にしているけれど、多分友達ではない、と思う。
魔族の血を引いている彼女は、その凄まじい魔力を駆使して様々な魔法を展開し、武器すら自在に造形する能力を持つ。それなのにひどいサボり症で、戦闘になるといつもふわふわと間合いの外へ逃げ、いつも私一人に全ての敵を押し付ける。いつぞや、鍛錬しろと私に説教したくせに。
……頼りにする気は無いから、別にいいけど。
私は小さく溜め息を吐いて、鞄から取り出した水筒の中身をちびちびと飲んだ。目的地が見えてくる気配は、まだ無い。
そよそよと草原を通り過ぎていく風に、イチは気持ち良さそうに目を細めた。
「それにしても、どこまで行っても草しかないね」
「そうね」
困ったように笑うイチに頷いた後、ふと思い当たって彼女を振り返った。
「ねぇ、そういえばずっとイチがコンパス見てたけど、方向はこっちで合ってるの?」
「え? あー、多分ね。大体合ってると思うんだけど」
「大体って」
私は眉を寄せ、自分のコンパスを取り出した。向かう方角は北東。現在の進行方向も北東。確かに間違いは無い。
私達の行き先は、大きな町から随分離れた場所にある村だ。地図上で見ると、広がる草原の隅にポツリと丸が描かれているのみで、周囲には何もない。
とにかく歩くしかないらしい。私は文句を言うのを諦めて、歩を進めることにした。
「それにしてもこんな辺鄙な場所にある村……もしかしたらとっくにシャドウに潰されちゃってるかもね」
「そんな縁起の悪いこと言わないでよ。やっと掴んだ手がかりなのに」
シオウ様の守っていた砦に黒煙が上がったその日から、各地で二つの異変が起こった。一つは、あちこちに奇妙な影の化け物が沸いたこと。その影達のことをシャドウと呼ぶのだが、彼らは一様にのっぺりとした関節の無い人型をしていて、そのくせ個体によって多種多様な攻撃を仕掛けてくる。体の一部を刃物のように硬化させて突き刺してくるシャドウもいれば、生み出した獄炎を浴びせかけてくるシャドウもいる。彼らは人に対して敵意を持っているようで、見つかると一勢にこちらへ向かってくるのでとても厄介だ。
シャドウが現れて以来小さな村や集落はほとんど孤立状態となり、次々と廃村と化している。残った村や町も固く門を閉ざし、街道はすっかり寂れてしまった。
「おっと、あれは?」
不意にイチが怪訝そうな声を出し、足を止めて前方に目を見張る。白いコートを着た若い男が、シャドウと戦っているのが見えた。シャドウの数が多く、苦戦しているようだ。
「大変! あのままじゃやられちゃうかも! カナタ、助けに行かなきゃ寝覚めが悪いよ」
「わざとらしい……。助けに行くって言っても、イチはどうせ何もしないでしょ」
「嫌だなぁ、ちゃんとカナタの応援してるよ」
何の感慨も無い人に応援されたって、力になるわけがない。
……とは言えず、私はイチの腹立たしいまでの笑顔を無視して、シャドウとの戦闘に飛び込んだ。
「はぁっ!」
男に向かっていたシャドウを後ろから短剣で斬り付け、目を見開いた彼の背中側へと回り込む。男と背中合わせになる形でシャドウ達と対峙しながら、私は彼に話しかけた。
「怪我はない?」
「助かった。いささか数が多くてな」
彼は手にしたショットガンをシャドウに向けて次々とぶちかましながら苦笑した。
「でも危ないから、俺が前衛を努めさせてもらうよ? 散弾を使っているから、くれぐれも俺より前には出ないように。君は後ろで俺の援護をしてくれたまえ」
「無理。私、短剣だから」
「えっ……」
彼は愕然とした表情をしながらも銃身を振り翳し、右腕を剣に変えて襲い掛かってきたシャドウを弾き返した。シャドウが体勢を崩したところへすかさず銃口を向け、次の瞬間には破裂音と共に黒い影が飛散する。
「背中はお願い。どうせ囲まれているんだもの。……撃たれたくないし、こっち向かないでね」
「あぁ……えっと、ハイ」
間の抜けた男の返事を聞きながら、私は飛来してきた氷の刃を短剣で叩き落とした。別方向から振り下ろされたシャドウの爪は身を捻って躱し、重心を前方へ動かしながら走り抜けて懐へ潜り込む。前進の勢いで下方から一気に突き上げた短剣でシャドウを切り裂き、振り上げたそれを今度は別のシャドウに突き下ろす。飛散する影が血飛沫のように弾け、視界が僅かに黒く霞んだ。