二・公子と少女と竜殺し 5
「ロイヒテン様……?」
「公子様が戻られたのか……?」
人々はざわめき立ち、それは少しずつ人垣を越えて通りに広がった。
「ロイヒテン様が竜殺し一族の花嫁を連れて戻られた!」
最終的には歓声となった人々の声に、ロイヒテンは頭を抱えて項垂れた。
「あらー……ロイヒテンって人気者だったの。意外だわ」
イチはニヤニヤしながら、「どうするの?」とロイヒテンの反応を窺った。すると頭を抱えるロイヒテンに構わず、風花が静かな声で人々に言い放った。
「この子達と私の血、貴方達には違うものに見えるの?」
「で、でもこいつらはメイヴスの……」
「彼らがメイヴスの信者なら、なぜメイヴスは彼らを助けないの? 他でもない、彼らがただこの地に生きる子ども達であるからでしょう?」
風花は口ごもった人々を睨み付けると、二人の子どもの傍らに膝を着いた。
「大丈夫。この竜殺しの花嫁が、きっとみんなを守ってみせるから」
強い力を宿した瞳が優しく微笑み、彼女は立ち上がってこちらに近付いてきた。
「城に案内してくれるかしら? ロイヒテン様?」
「え……と。あんたは一体……?」
戸惑った様子のロイヒテンに、風花はニッコリと微笑んで首を傾げた。
「嫌ですわ。ご自分の嫁の顔をお忘れになるなんて」
「だから俺には嫁なんて……」
言いかけたロイヒテンの耳元に、彼女は笑顔のまま囁いた。
「いいからさっさと案内しろって言ってるのよ、この愚図」
「…………」
風花の目は見事なまでに笑っていない。それどころか完全に苛ついている。ロイヒテンは恐怖なのか驚愕なのかわからないが、とにかくギョッとしたように目を見開いた後、イチの顔色を窺ってから、小さく頷いた。
「わかった、案内しよう」
「ありがとう」
風花はにこやかに微笑んだ。私とイチはひっそりと顔を見合わせた。
「イチ、竜殺しの一族って何?」
「そこの二人、コソコソ話さなくても、聞いてくれれば答えるわよ」
突き放すようなきつい口調で言われて、イチは「あらあら」と苦笑を浮かべた。
「随分気の強いお嬢さんね。さすが竜殺しの族長の娘ってところかしら。――それが本当ならね」
「別に嘘をつく理由は無いけど」
「えー、でもロイヒテンに嫁ぐっていうのは正気の沙汰と思えないんだけど」
冗談めかしたような間延びした喋り方をしつつ、イチは僅かばかり意地の悪い笑みを浮かべている。しかしそれに動じることなく、風花は頷いた。
「でしょうね。自領の民を庇いもしない領主なんてクズよ、クズ」
反復してクズを強調した風花に、ロイヒテンはムッとしたように口を曲げて呟いた。
「何が花嫁だ。こんなつんけんした女、お断りだ」
「聞こえてるわよ」
鋭い声音で釘を刺されて、ロイヒテンは慌てた様子で口を噤んだ。一方イチは私にちらりと目配せすると、小さく肩を竦めた。表情から察するに、多分苦手なタイプなのだろう。
「それで……そこの貴女」
風花が私の方を振り向き、小さく首を傾げた。
「名前は?」
「私? ……カナタ」
「そう。カナタは竜殺しの一族のこと、全く聞いたことがないのかしら?」
「初めて聞いたけど、有名なの?」
風花は首を横に振った。
「どちらかと言えば無名ね。でもメイヴスを知る者であれば、私達のことも等しく知っていて当然。恐らくこの土地の人々にとって、私達竜殺しの一族の名は英雄的呼称になっていると思うわ」
確かに先刻の町の人々は、ロイヒテンの花嫁が竜殺しの一族だと聞いて歓喜の声を上げていた。しかし目の前の少女が「英雄」と呼べるほどの力を持つとは到底思えないし、立ち居振る舞いも至って普通だ。
すると私の思考を汲み取ってか、風花が小さく頷いた。
「納得できない気持ちはわかるわ。フツーだって言いたいんでしょ?」
「まぁ……」
曖昧に同意した時、ふと、私の隣から人の気配が消えていることに気付いた。
「あれ、イチは?」
ついさっきまで隣にいたはずなのに、イチの姿が見えない。立ち止まって辺りを見回してみたが、さびれた町並みの中に彼女の姿を見つけることはできなかった。