二・公子と少女と竜殺し 4
* * *
エスメロードの城下町にはどこか陰鬱な雰囲気が漂い、町らしい活気は一切感じられなかった。活気が無いだけならともかく、家々の壁にはところどころ血が飛び散った跡があり、地面にも赤黒い染みが残ったままになっている。時計塔の針は動きを止めて、昼間だというのに朝焼けか夕暮れの時刻を差していた。
それにも関わらず、空を見上げれば色とりどりの旗が飾られた陽気なロープがあちこちに張り巡らされていて、上だけ見ていればまるで祭りの最中だ。それがまた異様だった。
一体ここで何があったのだろう。私がそれを尋ねる前に、ロイヒテンが口を開いた。
「魔族が暴走して、この町でも例に漏れず殺し合いが起こったんだ。何人かの力の強い魔族は、イチみたいに理性を保っていたけど……戦々恐々とした人族に追い立てられて、姿を眩ませたよ。今はどこにいるのかもわからん」
彼は外套のフードを目深に被り直すと、小さく溜め息を吐いた。
「それって……」
「イチが心配している通り、魔女狩りが起こったのさ」
「そう。……あの場違いな旗飾りは何?」
「祭りの時にはいつも掲げるんだ。おおかた、祭りを開いて城下を覆う陰鬱な空気を吹き飛ばそうとしたものの失敗して、そのままになってるんだろ」
ロイヒテンは言って、淡々と歩を進めた。私はイチと顔を見合わせ、彼の後を追った。
閑散とした通りを進んで行くと、パン屋の前で生垣を作って誰かを囲んでいる人々の姿を見つけた。何やら険悪な雰囲気だが、ロイヒテンは見向きもせずに脇を通り過ぎて行く。
「ジョシュの両親が死んだのはおまえらのせいだ!」
「メイヴスの狗め! 町から消えろ!」
「何を企んでやがるんだ!」
怒鳴り声に驚いてそちらに視線を向けると、人垣の中で幼い兄弟が二人、身を寄せ合うように蹲っていた。
「カナタ」
イチに小突かれて、私は慌てて視線を前に戻す。そういえばロイヒテンとの約束があったのを忘れていた。
「ロイヒテン、あれは……」
「メイヴス信者の孫か、曾孫世代かな。別に彼らはメイヴスを信仰しているわけじゃない。エスメロードにはそういう連中もいる。一年前までは、それでもうまくやってた」
「助けられない?」
尋ねた声が小さく呟くようなものになってしまったのは、どうしてなんだろう。シオウ様は、迷わず私に手を差し伸べてくれたのに。
「助けるって、どうやって? 魔族に殺された連中を生き返らせますって言うのか? それとも、〝この子達に罪は無い〟っていう、事実でありながら綺麗事に過ぎない言葉で納得してもらえるとでも?」
「でも……」
「余計なことをして目立つな。一年前の魔族の暴走のせいで激化したとはいえ、あれはここの日常だ」
ロイヒテンにピシャリと言われ、私は口ごもる。
「なるほど、あの子達は町の均衡を辛うじて保つためのスケープゴートってわけね」
呟いたイチを見上げると、彼女は僅かに眉間に皺を寄せ、自分の首をトントンと指差した。
「気付いた? あの子達を囲んでいる人の何人かに、首輪が付いてた。私達の日常で虐げられてきた奴隷が、自分より更に下の立場を嬉々として虐めてるの。それだけの話」
「そういうことだ。この土地の一番下は奴隷じゃなくてメイヴスの子孫だっていうだけ」
ロイヒテンが頷いた。その時だった。
ガッ、と鈍い音が聞こえ、人垣の喧騒が一瞬静まり返った。
「あー……痛い」
振り返ると、赤い着物姿の少女が、生垣の中でゆらりと立ち上がった。さっきまではいなかったはずだ。
「こんなに大きい石を子どもに投げるなんて馬鹿じゃないの? 下手したら死ぬわよ?」
彼女は言って、強い光の宿った瞳で人々を睨み付けた。その額はザックリと切れて、血が滴り落ちている。
人々は彼女の見慣れない姿と迫力に気圧されたようだが、すぐにその中の一人が吠えた。
「何だおまえは! おまえもメイヴスの一員なのか!」
「……失礼ね」
彼女は怒ったように眉間に皺を寄せると、突然スッと私達の方を指差した。
「私はそこ行く公子ロイヒテン・ケーラーの花嫁であり、竜殺しの一族、族長が娘の風花。一族の血に誓って、この子達と悪しきメイヴスの竜は無関係よ」
「!?」
唐突な花嫁宣言に私とイチは目を丸くして振り返り、ロイヒテンはバッと音がしそうな勢いで彼女を振り返った。人々の視線も一斉にこちらへ集まって、ロイヒテンがたじろいだように後ずさる。
「ロイヒテン、お嫁さんいたの?」
「いやいやいや、俺は知らんぞ」
ロイヒテンは全力で首を横に振ったが、風花と名乗った少女は確かにこちらを指差している。