一・銃士と剣士と魔法使い 10
「カナタ、やめろ!」
イチの後ろで、ロイヒテンが声を上げた。私は言った。
「義理のお父さんは殺せても、妹さんは無理なの?」
「…………」
「大丈夫、わかるよ。そういうことってあると思う。その気持ちを貫こうとして何人死のうが、ロイヒテンには関係ないものね。何をするにも力で捻じ伏せた方が勝ち。奴隷なんて身分があるくらいだもの。世の中ってそういうものに違いないわ」
そして私は強く地を蹴った。イチの魔法で身体能力を強化されている今、襲い来る炎の渦は、私が軽やかなステップを踏む為の豪快な演出に過ぎない。口元に流れてきた血が煩わしくて舐め取ると、鉄の味がした。
……ロイヒテンが本気で私を止めたいなら、スラッグ弾ではなく散弾で私を吹き飛ばすくらいの気概がないと駄目だ。もう彼には、私を撃ち殺すことなんてできやしない。
私はリーゼロッテの息の根を止めるべく、両の短剣を振り翳した。
「どうするの、ロイヒテン? カナタを撃つなら今よ」
イチの不穏な台詞が聞こえた。直後、一発の銃声が鳴り響いた。
「……っ!」
私の刃が届く前にリーゼロッテの胸から血が噴き出し、彼女の笑みが凍り付いた。左胸をじわじわと赤く染めながら、リーゼロッテの体が傾いていく。
「ロイヒテン……?」
振り返るとロイヒテンが僅かに唇を噛み、地面へ倒れたリーゼロッテを見つめていた。辺りを覆っていた炎が消えて、焼け野原と焦げた臭いが残った。
「……すまん、迷惑かけた」
ロイヒテンはぼそりと呟くと、それきり黙って目を伏せた。
そんな彼を横目にしながらイチがふわりと両手を振ると、彼女達を守っていた氷の盾と、私を包んでいた水のドレスがすぅっと消えていった。
「カナタ、ほっぺ大丈夫?」
「うん」
「そんなわけないでしょ。傷が残ったらどうするの。ほら、見せて」
イチは半ば強引に私の腕を取って引き寄せると、頬の傷に光魔法〈ヒーリング〉をかけてくれた。みるみるうちに引いていく痛みと光の心地良さに深く息を吐きながら、私は視線をロイヒテンに移した。彼は私達の方には顔を向けようとせず、死体となったリーゼロッテをただ黙って見つめていた。
「はい、治療終わり!」
イチはニッコリ笑うと、服の袖でグリグリと頬の血を拭ってくれた。
「さっきロイヒテンに言われたこと、気にしちゃ駄目よ?」
「えっ……」
「『誰にも信頼を寄せていないし、寄せられることもない』――あれってどちらかと言えば、ロイヒテンの自己紹介だから」
イチの言う意味がわからず首を傾げると、急にロイヒテンがドスの効いた声を出した。
「――おい、おまえら」
それはなぜか怒りのような響きを孕んでいた。驚いて振り返ると、ロイヒテンが私達のことを強く睨んでいた。
「おまえら、メイヴスの人間だったのか」
「メイヴス……?」
聞き慣れない単語に思わず眉を寄せたが、記憶の隅に何となく覚えがあるような気がする。ロイヒテンは私達を睨んだまま地面を指差した。
「あ」
そこには焼け焦げてほとんど原型を留めていない鞄と、中に入っていた不燃物が無残に散らばっていた。
焼け残っている物の中にはイチに返しそびれていた銀の髪飾りもあって、どうやらロイヒテンはそれを示しているようだ。
「三日月と剣のモチーフは、メイヴス教徒の証のはずだ。なぜメイヴスがこんなところにいる」
メイヴス……メイヴス教?
頭の中でその単語を噛み砕きながら記憶の糸を辿り、ようやく思い出した。確かメイヴスとは、とんでもない邪教の名称だったはずだ。
人の命を糧に術者へ力を授けるという、古の竜の姿をした邪神メイヴス。かつてメイヴスを信仰していた国の民は女子どもを虐殺し、メイヴスに生贄として捧げていたという。その隣国で人攫いの被害を受けていたローズガルドがそれを滅ぼし、今はその国土を吸収する形で治めている。以来、メイヴス教の信仰は固く禁じられた。……もう何百年と昔の話だ。
奴隷の命が羽よりも軽いローズガルドで流行りそうな宗教ではあるが、信仰が禁じられている上に名前もうろ覚えになるほど廃れていることを考えると、そうなった理由には、私の知らない何らかの事情があるに違いない。
でも……あの髪飾りがメイヴス教徒の証だとしたら、どうしてイチがそんな物を持っていたのだろう。
すると、イチがロイヒテンの様子を窺うように言った。
「ふーん。ロイヒテンはメイヴスのこと、知ってるんだね」
「俺は腐っても貴族だからな」
自称するようなものではないはずだが、ロイヒテンは自分からそう言って、蔑むようにふんと鼻を鳴らした。イチは灰になった草を踏んで、荷物の残骸の中から髪飾りを拾い上げた。
「これ、カナタが拾ってくれたの?」
「え……うん。ごめん、ずっと返しそびれてて」
「気にしないで。ありがとう、カナタ」
イチは私に向けて小さく微笑むと、軽く息を吹きかけて、髪飾りに付いていた灰を払った。
「ロイヒテン、そんなに警戒しないで。私はメイヴス教徒じゃないし、カナタなんてメイヴスが何かもわかってないだろうから。間違っても弱っちい君を殺して供物になんてしないから大丈夫。私が強いのは生まれつきだし?」
イチがそう言って、メイヴス教徒がなぜ忌み嫌われているのかを悟った。メイヴス教徒が供物に捧げるのは、恐らく奴隷だけに限らないのだ。例えば由緒ある血筋の者であるとか、力のある者の方が生贄として好まれるような……そんな宗教なのだろう。奴隷の命ならともかく、貴族の女子どもを狙って虐殺するなら、それは忌み嫌われて当然だ。
「じゃぁ、どうしてそんな物持ってるんだ」
ロイヒテンはあわよくば銃を構える気満々の様子で、眉間に皺を寄せた。
イチは私に視線を戻すと、少し困ったように首を傾げた。
「カナタにも言ってなかったことだけど、隠していたわけじゃないの。怒らないでね?」
そう前置きしてから、イチは静かに語り始めた。