序章・奴隷と銀の髪飾り
Amebaのグルッぽ(「夢漫画、夢小説、イラスト好き」)で、オリキャラ募集の企画小説を立てさせて頂きました。
参加してくださった方々のオリキャラを使わせて頂いておりますので、以下に各キャラクターの原案者様をご紹介させて頂きます。
カナタ:漣都様
ロイヒテン・ケーラー:エア様
イチ・ドラール:すなみち様
風花:大貝考助様
紅正義:yamaki様
ダーク・ロゥ・ハウィン:じょおかー様
キャラクターを提供してくださった皆様、ありがとうございました!
シオウ様の朝は、早い。
「あ、シオウ様。おはようございます」
「うわっ!?」
だから夜が明ける少し前には起き出して、彼よりも先に修練場へ向かう。油断しきった大きな欠伸とともに修練場に姿を現した彼が目を見開くのを、ニヤリと笑って迎える。
「随分早起きだな」
苦笑を浮かべるシオウ様と並んで剣を振って、他のみんなが起き出してくる頃には、修練場から退散する。食堂の隅で朝食を摂り、短剣と弁当と書物を持って狩りに出る。鹿や猪を追いかけて午前中を過ごしたら、午後は木陰で勉学に励み、夕飯時に城へ戻る。そしてまた食堂の隅で夕食を摂り、みんなが寝静まる頃にもう一度修練場へ行って剣を振る。
シオウ様は私のそういう生活をあまりよく思っていないようで、私が集団に入れるように色々と策を尽くしてくれている。それに応えられないのは私の不甲斐なさが原因なのだが、だからと言ってシオウ様は私に何かを強制したり、怒ったりするようなことは一切なかった。
「ア・ベ・セ・デ・ウー・エフ……だから、これは……」
だからある日の昼下がり、木陰で辞書を引きながら他国の書物を読んでいたところへやってきたのは、間違いなく珍客だった。
「カナタ」
鋭い声に名前を呼ばれて顔を上げると、黒髪の美女が腕を組んで仁王立ちしていた。何やら険しい表情で私のことを睨んでいる。確か同じ部隊にいるイチ・ドラールだ。十五歳の私よりも四つ年上で、兵士として武器を振るうよりも、雑誌の表紙を飾っている方がよほど似合うくらい、綺麗な人。
「……何?」
本を閉じて尋ねると、彼女はすらりとした眉を不快そうに歪めた。
「こんなところで何してるの? 部隊のみんなは鍛錬に励んでいるのに」
「あぁ……これ、読んでた」
「何それ」
私は黙って、本の表紙をイチの方へ向けた。
「ロミオとジュリエット?」
「そう」
「何でわざわざ異国語なのよ」
「同じ本を色んな国の言葉で読んでるの。異国の言語を勉強するのに、内容を知っている本の方がわかりやすいから」
「……。君、恋愛小説って柄に見えないけど」
「それはどうも」
私は肩を竦め、本を置いて立ち上がった。
「それで、何? 私を連れ戻しに来たの? シオウ様の命令なら戻るけど」
「別にシオウ様の命令ってわけじゃない」
「そう。だったら帰って」
「帰るわよ。帰るけど――」
イチはギュッと目を細めると、殊更強く私を睨み付けた。
「いい加減、嫌になるのよね。君のせいで私達の部隊はグチャグチャ。シオウ様は間違いなく出世頭だったのに、こんな辺境の地の警護に飛ばされて。それなのに君はフラフラ城の外に出歩いている上に、年上に対する言葉遣いもなってない」
「鍛錬はしてる。必要があれば働くわ」
「……そういう問題じゃないの」
イチは眉を寄せると、澄んだ翡翠の双眸に軽蔑の色を浮かべた。
「君はシオウ様の優しさにぶら下がっているだけの甘ったれだわ」
私はイチに構わず、その場に腰を下ろして本を広げた。
「何とでも言って」
そう言い捨ててから紙面に並ぶ文字列に視線を落とすと、不意にビリッと空気が張り詰め、シャァンッと甲高い音が耳に届いた。
「――っ!」
驚いてその場を飛び退くと、イチがどこからともなく抜き放った剣が、先刻まで私のいた場所を容赦なく薙ぎ払っていた。
彼女の腰に鞘は無いのに、一体どこから出したんだろう。
「何のつもり?」
「奴隷が一人死んでも、誰も困らない。シオウ様はちょっとくらい悲しむかもしれないけど、これ以上、君にあの人の足を引っ張らせるわけにはいかない」
「それって……私を殺しにかかってるってこと?」
イチは返事の代わりに、銀色の剣を閃かせた。私はそれを躱しながら、腰に差していた二本の短剣を抜いた。
「殺し合いなら、わかりやすくていい」
私は呟いて、両手に短剣を構えてイチの懐に潜り込んだ。速さで攻める短剣の二刀流が、私の戦い方だ。
「なっ……!?」
「こういうの何て言うんだっけ」
驚愕に目を見開いたイチの下顎を肘ですくい上げ、伸び上がる勢いで彼女に天を仰がせ、そのまま腕を振り下げた。ぐるんとイチの両足が振り上がり、代わりに頭が地へと落ちていく。その様を見下ろしながら、私は短剣の切っ先を彼女に向けた。
「確か、油断大敵ってやつ」
地面に仰向けに引っくり返ったイチが、愕然とした表情で私を見上げている。その瞳をしばらく見つめた後、私は突き付けていた短剣を鞘に収めた。
「私の勝ち。わかったらもう帰って。私は本を読むんだから」
「……何で」
仰向けのまま呟いたイチ。私は肩を竦めて、木陰へ戻ろうと踵を返した。そんな私の背に、イチが声を荒げた。
「君なんか大嫌い!」
言い捨てて、彼女は苛立った様子で去って行った。奴隷上がりの私に負けただなんて、きっと今頃最悪な気分だろう。
私は溜め息を吐いて、本の続きを指でなぞった。
――あぁロミオ、貴方はなぜロミオなの?
「知らないよ」
小さく呟くと、地面に三日月と剣を模った銀色の髪飾りが落ちていることに気付いた。恐らくイチの物だろう。
私は髪飾りを拾い上げ、本と一緒に鞄にしまった。今日はもう集中できそうにない。
「あぁーっ、もう!」
地面に寝転び、木漏れ日を透かして天を仰いだ。そよそよと穏やかな風が通り過ぎ、草のこすれ合う音が心地良く耳に響いた。葉の隙間から零れ落ちてくるキラキラした光に手を翳し、そのままバッタリと、腕を大地に投げ出した。
「…………」
身分差別が当たり前のこの国で、私は少し前まで奴隷の身分だった。多少容姿の整った生命力の強い子ども、というちょっとした特徴以外の何かを持たずに産まれてきてしまった私は、奴隷の中でも最下層の位置にいた。性と暴力の捌け口になる他に私の存在価値は無く、服の一枚すら纏うことは許されていなかった。おかげで処女なんてものは、その言葉を知る前に喪失してしまった。
そんな私を拾ってくれたのは、当時まだ二十歳そこそこの貴族騎士だった。彼は名をシオウと言って、どこか不思議な雰囲気を持つ男だった。
シオウ様は私に奴隷としての働きを求めないどころか、自分の部下に一兵として私を加えてくれた。しかしそのせいでシオウ様は本国の騎士隊から外され、この僻地の砦へ左遷されてしまった。奴隷を自分達と同列に扱おうという彼の行為は、他の貴族達への侮辱に他ならなかった。
彼に付いてきた部下は元々の半数以下。例え友人達に白い目を向けられ家族に勘当されても、なぜか彼は私を手元に置いてくれている。その理由としてシオウ様は「君は特別だ」と言ってくれたけれど、私の何が特別なのか、正直さっぱりわからない。
しかし、とにかく私の命はシオウ様の物。彼の為なら、私は何だってしようと思う。
「あーっ!」
胸の中に溜まったもやもやを吐き出したくて、声を出した。胸の奥の方に絡まっている鉛のようなものが重たくて、ズキズキする。私の大声に驚いたのか、木の上で鳥が羽ばたいて飛んでいった。
不貞寝でもしようと目を閉じ、うとうとしかけたところで――爆音を聞いた。
「何!?」
飛び起きて辺りを見回すと、そう遠くない場所で真っ黒な煙が上がっていた。シオウ様のいる砦の方角だ。
「シオウ様!」
私は叫び、砦に向かって走った。大地を蹴る足が震えて、心臓がギシギシと軋んだ。
「嘘でしょ……こんな辺境の地に敵襲?」
砦に戻った私を迎えたのは、横たわる真っ黒な死体の群と血の海だった。敵影は一つも見当たらない。
何が起きたのか、わからなかった。