プロローグ「彼の物語」
空に満月が浮かんでいる……。
ここはこの国でも五本の指に入る程、賑っている街だ。
かつて起こった戦争で多大な被害を被ったこの土地だが、今ではそんなことが起こったとは思えないほど栄えていた。
そんな街の中の、数ある家々の内の1つ、たいして他と変わらないその家で、男の子が一人退屈そうに窓の外を眺めていた。
彼は少年と呼ぶにはまだ幼く、赤ん坊と呼ぶにはもう大きすぎる年頃、3~4歳といったところだろうか。
おそらく、物心ついてからまだ間もないだろう。
そんな男の子に、
「まだ寝ないのかい?」
人並みの体の男が声をかけた。男の子の祖父だ。
この男、その年齢は外見で判断するなら50前半……もしくは40後半といったところに見える。
だが、彼の目は、外見の年齢とは不釣り合いな程の経験をしてきたかのような疲れた、それでいて尚、迫力がある、そんな目をしていた。
そう、まるで何百年も生きてきたかのような……そんな目を。
「あっ。おじいちゃん!あのね、ぼく、ねむくないの!」
男の子はそう言った。
「そうか……。でも、もう寝る時間だぞ……?」
「おはなし、きかせて?」
困っている祖父に男の子が言った。
「お話?」
「うん。いつもきかせてくれるようなたのしいおはなし!!きかせてくれたらねむれるとおもうの。」
男の子は他人の話が好きだった。
いつも大人が聞かせてくれるからである。
大人達はいつも自分達の体験をまるで誰か他の人の話であるかのように三人称視点で話してくれるのだ。
それが、男の子にとってはとても面白かったのだ。
男の子には、大人達の話には色んな夢や希望、そして未来が詰まっているように思えた
「そうか……分かった。どんなお話がいいかな?お父さんが生まれた時の話?お父さんがお母さんを連れてきたときの話とか?」
祖父は男の子にそうたずねた。
「うーん……えっとね。おとーさんがいってたの。おじーちゃんはむかしいろんなところをまわってたんだって。たから、いろんなことをしってるんだって。ぼく、おじーちゃんのおはなしがききたいな♪」
男の子は嬉しそうにそう言った。
父親も、毎回お話をせがんでくる息子に正直話の種が尽きかけていたのだろう。だからといって自分に振ってくるとは……。祖父は困りながらも、男の子に答えた。
「私の話……か。確かに私はたくさんの経験をしてきた。嬉しいこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、不思議なこと、恐ろしいこと……それはもう数え切ることが出来ないほどに……な。しかし、余りにも昔のことだ。今の時代を生きるお前にとって、必要なことではないかもしれないぞ?」
祖父の言葉に男の子は興味を持った。正直、父や母のなれそめを聞いたところで幼い男の子には何のことやら分からなかったのだ。それに比べて、祖父の話は、難しいながらも、とても面白いことのように少年には思えた。
「おもしろそう!それにおとーさんがいってたの。いま、じぶんにとってひつよーじゃないことでも、もしかしたら、あとでひつよーになることも、あるかもしれないから、どんなことでも、おはなしは、たいせつに、しなさいって。そのひとの、けいけんがたくさんつまってるからって。」
男の子は同じ年頃の他の子達に比べて語彙力も理解力も高いようだ。言葉こそたどたどしいが、ここまで話すことのできる子どもはそういないだろう。
「そうか……。でも、このお話はお前にとって、吃驚するような、有り得ないと思うようなことばかりかもしれない。それでも、最後まで聞いてくれるかい?」
祖父は言った。
「どうして……?」
男の子は不思議に思った。これからする話はさっき祖父の言葉からするに、祖父の実体験のはずだ。それなのに、どうして有り得ないと思えるようなことばかりなのだろうか?
「私は、他の人と比べても、不思議な体験ばかりしてきたからね。」
疑問に答えるように祖父が言った。
「そーなの?」
「ああ。お前がけして経験することの無いような、経験を、ね。だから、お前には少し難しすぎるかもしれない。まあ、だからこそ、話としては面白いかもしれないけどね」
祖父は少し面白そうな、それでいてどこか少し悲しそうな顔で若干目線を下げながらそう言った。
「そーなんだ……。でも、いーよ!ぼく……、がんばって……おじいちゃんのおはなし、りかいするか、ら……ふあぁぁぁ……。」
男の子は、可愛らしく小さな欠伸をした。
「ハハハッ。そうか。ありがとう。でも、もう眠たそうだね?じゃあ、明日また話してあげるよ。だから、今日はゆっくりお休み?」
「……うん。……あしたおきたらすぐきかせて……ね?やくそく……だよ?」
「分かった。お休み。」
「おやすみ……なさい……すー………。すー……。」
男の子は寝息をたて始めた。
「もう寝たのか……。フッ。寝るのが早いな……。」
祖父はそう呟いて男の子を起こさないようにそーっと部屋から出たのであった。
次の日の朝、男の子は起きるや否やすぐに祖父のもとへ向かった。
「やれやれ……そんなに聞きたいのか。じゃあ、始めるよ。『昔々……あるところに……』」
祖父は少し呆れながらも聞かせ始めたのであった。
自分自身の、自分でさえ、もう忘れかけそうな昔々の物語を……。