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双竜  作者: 乙黒
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後編

 蒼弥と貞宗において、違いは幾つかある。

 まだ若者である蒼弥のほうが体力は高い。身長もあるからリーチも長いのだ。力も当然ながら強い。単純な総合能力だけで言えば、おそらく蒼弥が高いだろう。

 何故なら貞宗はもう人として枯れている。筋肉は全盛期と比べると削ぎ落ちて、骨は長年の酷使に軋んでいる。反射速度は怠慢であるし、動きのキレもとうの昔に死んでいる。また戦闘本能は穏やかになって、酒と女よりも茶や平穏を望むようになった。

 だが、貞宗は、そんな自分を取り戻すように戦っている。

 それはある意味、戦い新たな変化を生んだ。

 敵の肩、足、呼吸、表情などから長年の経験を経て動きを読むのは未来予知にも近く、冷静に、それでいて十全に対処できる貞宗は、既に剣の山頂に近い場所に立っているだろう。

 ならばどちらが強いかと問われれば、おそらく二人にも答えは出なかった。


「来ないのかのう?」


 貞宗は嗤った。

 蒼弥は動かなかった。否、動けない。

 感じたことのない重圧を貞宗から感じていたのだ。

 それは、これまでに戦ったどの戦士よりも強かった。

 鬼のように見えた。

 一生を戦いに生きてきた貞宗の剣は、正道ではない。誰かを守るためでもなければ、何かをなすための道具でもない。敵を殺すだけの剣なのだ。剣術という観点から見れば邪道とも言える。貞宗は武士ではない。騎士でもない。只の剣士だ。戦士だ。積み重ねられた歴史の上に立つ剣ではなく、人の屍の上に立っている剣だ。

 もちろん、そんな貞宗に神などついていない。剣の神は貞宗に何も与えなかった。

 与えたのは――いくさの神だ。

 ――そんな蒼弥を見かねて、貞宗は、動いた。

 両足を滑らすように距離を詰める。必要以上に詰める。左の小太刀でついてきた。肝臓を掬い上げるように下から刺して、上から打刀で蒼弥の顔面を刺そうとする。

 蒼弥は刹那、貞宗の気迫に押されたが、横に大きく避けた。

 距離を取る。


「かっ!」


 蒼弥は臍の下三寸にある丹田に力を入れて、裂帛の声を上げた。

 両先の剣を細かく震わせる。

 敵の殺気に負けぬためだ。


「はっ!」


 蒼弥はもう一度気合を入れると、貞宗に走り近づく。

 右の打刀で袈裟斬り。

 貞宗は後ろに避けた。

 蒼弥はもう一歩踏み込んで、右の打刀を斬り上げた。

 貞宗はまた後ろに避ける。

 蒼弥は変化が欲しかった。

 攻めるのを止めて立ち止まった。

 蒼弥は左に持っている小太刀を遊ばせて、逆手持ちへ。しかしながら右手の打刀は順手持ちのままだ。

 そして左足を大きく引いて、両手を左腰まで持っていく。その様子はさながら居合い抜きのようであったが、剣は鞘に収まっていない。だが、身体の影で剣を貞宗から隠す。

 蒼弥はその状態のままで貞宗へと迫った。

 右の剣で斬撃を横に放った。

 貞宗は避けた。

 蒼弥はもう一歩、その状態から更に左足を踏み込んで、体を回転させた。左手の小太刀を貞宗の首を掻っ切るように振り抜いた。

 貞宗はそれを打刀で防いで、横からフックの要領で身体が半身になっている蒼弥の胸を貫こうとするが、それよりも前に蒼弥の右蹴りが貞宗を襲った。蒼弥の刀を弾いて、打刀の鞘で防ぐが、体が浮くが、同時に貞宗は反射的に後ろへと飛んで蒼弥の追撃を防ぐ。

 体勢をすぐに立てなおした蒼弥は、また愚直なまでに右の袈裟斬り。

 貞宗は大きく距離を取った。


「ふむ、今のは肝が冷えたぞい」


 貞宗はすこしばかり汗をかいてきた。

 だが、それは同時に貞宗を歴戦の戦士へと鍛え上げた証拠だ。

 貞宗にとっては、この少しばかりの疲労でやっと体が温まって来たのだ。ほどよい熱が、体の錆びついた歯車を円滑に動かす。体力的に言えばそれでも全盛期には程遠いが、それを補うほどの見切りを備えている。

 戦士の勘だろうか。

 貞宗は人生で一番景色が鮮明に見えた。

 睨み合っている蒼弥を中止しているが、其れ以外の情報も頭に入る。

 ゆっくりと動く雲。見え隠れする月によって生まれる影。草木の揺れ。

 貞宗は――剣士として達していた。


「なら次は血を冷たくしてやる」


 だが、その一方で奇襲が通じなかった蒼弥は内心焦っていた。

 先ほどの剣の動きは貞宗の前では一度も起こしたことがない行動だったが、一撃も当たらなかったのだ。

 蒼弥はまだ、剣士として貞宗に劣っていることを自覚していた。

 力では勝っている。早さも勝っている。技のキレだってそうだ。

 それなのに、勝てない。

 それは蒼弥に焦りを生む。


「そうか。そうか」


 貞宗は蒼弥の焦る心を聞いても、笑うだけだった。


「何がおかしいんだ?」


「いや、のう。そろそろこの楽しい時間も終わるかと思うと、残念じゃと思うてな」


「そうか――」


「決闘が数十分も続くことなどそうない。あっても数分じゃ。それで、どちらかの命が終わる。儂達もおそらくそうじゃ。蒼弥、最後の試練じゃ。――儂に斬られろ」


「あんたが斬るのかよ」


 蒼弥はげっそりとした声を出した。


「ふむ。お前に剣を与えて、ここまで育ったのはいいが、よくよく考えると、儂も死ぬのは惜しい。まだ余生を楽しみたいと今になって欲が出たようじゃ」


「だからと言って、決闘をやめる気もなければ、あんたを殺さない選択肢も無いぜ、俺には――」


「それでも問題はないのう。儂が勝てばいいんじゃから――」


 蒼弥と貞宗は互いに睨み合って、円を描くようにゆっくりと足を進めた。互いに一定距離を保ったまま、横に滑るように綺麗な正円を描く。だが、その円は次第に小さくなっていった。

 両者とも既に構えはない。

 両腕をだらんと垂らす。

 攻撃に余力を全て尽くすつもりなのだ。

 円は小さくなる。

 二人の間が七尺(約二メートル)までに迫った。一歩踏み込んで、剣を伸ばせば十分に届く範囲だ。

 だが、二人はまだ動かなかった。

 そして、五尺(約一メートル五十センチ)まで近づくと両者は動いた。

 まず、貞宗が動いた右の剣を振るう。横からの斬撃だった。

 蒼弥はそれを小太刀で受けて強引に体を押し込んだ。

 貞宗の体が少しだけ動かされた。そこに出来た空間に右の刀を入れて、蒼弥はまた体ごと押しこむように斬る。

 貞宗はそれを横にいなして、足を回して蒼弥の後ろまで回って、背中を小太刀で斬りつけた。

 浅い。

 蒼弥がもう一歩、奥へ足を伸ばしたからだ。

 蒼弥は振り返りざまに右の刀を振るった。

 既に距離を詰めていた貞宗の胸を横に浅く斬った。

 貞宗はもう一歩蒼弥へと迫って、小太刀を振るう。蒼弥はそれを横にいなして、切り返すように逆回転。左の小太刀を振るった。貞宗はもう防がない。最も近い右の剣で蒼弥を斬った。至近距離だったため、スピードが乗らない。左の肘で止められる。鮮血が溢れた。蒼弥も剣を振るう。頭上から落とした。貞宗は首を横に逸らして、肩で止めて、蒼弥の腹に剣を叩き込んで、動きを止める。蒼弥が苦し紛れに貞宗を蹴って、体を押し込んだ。そこへまた貞宗の斬撃が蒼弥の顔面へ。左肩を上げて防ぐが、肉がえぐれて小太刀を落とした。それは貞宗も同じだ。既に打刀は持っていない。右肩がもう動かないのだ。

 お互いに片手にしか剣がない状態で、無心に振るった。

 もう両者とも相手を切りつけることしか頭になかった。

 両者は幾つも剣を振るうのだ。

 振るう度に、血が流れる。

 それは長年の経験か、勘か。

 急所は避けていた。

 お互いが掠るように剣を振って、辺りに赤い花を咲かせる。

 そして――蒼弥が下がった。

 貞宗は左手の小太刀を顔の前へ。

 蒼弥が最後に選んだのは、片手での正眼からの振り下ろしだった。何度もお世話になり、蒼弥が最も振った回数が多い技だ。愚直にして、最速での振りを乱打。

 逆に貞宗は突き。左手を大きく伸ばした。武芸者の本能で、早さよりも最短距離を選んだ。

 二人の剣は当たるが、横を掠めて、滑るように相手へと急いた。蒼弥の剣は貞宗の胸を切り裂いて、貞宗の剣は蒼弥の横を斬った。

 立っていたのは――蒼弥だった。

 貞宗の剣より、蒼弥の剣が深かったのだ。

 蒼弥はすぐに貞宗の元へ駆け寄って、大声で叫んだ。


「師匠!」


 貞宗は血を吐きながら言った。


「免許皆伝じゃ……。儂の生涯からみても……見事な……剣じゃった…………」


「はい……」


 蒼弥は貞宗から褒められても、目に涙が溢れていた。

 決して、嬉しさからではない。悲しみからだ。

 師を斬るというのは昔から分かっていたことだが、やはり実際に切ってみると心に来るものがあった。

 もう会えないのだ。

 貞宗の見事な剣を見ることもなければ、温かい声を聞くことももない。そう思うと、自然と目の涙は止まらない。

だが、一つだけ、貞宗に聞きたい疑問があるとすれば、なぜ先ほど、師に勝ったのかだ。

 剣では劣っていたはずの自分が、勝ったわけが分からないのだ。

 ただ、昔に貞宗が話していたことを思い出していた。

 ――儂は剣の境地を『相打ち』じゃと思う。

 その時に貞宗が話していた内容では、『相打ち』とは「皮を切らせて肉を断つ。肉を切らせて骨を断つ。骨を斬らせて髄を断つといった具合に、互いを斬らせて、相手より僅かに深くきって生き残ること」だと言っていたのだ。

 蒼弥は今の状況にそれが近いと思った。

 だが、そんなことに意識を沈めておく暇はなかった。

 貞宗が震えながら唇を動かしたのだ。


「後は……好きに……生きろ…………」


 貞宗は血を吐きながら口を小さく開けて話したので、蒼弥には内容が分からなかった。だから何度も聞き返すように叫んだ。

 だが、その言葉を最後に貞宗が喋ることも無ければ、目を閉じて、二度と開けることもなかった。

 しかし、表情は朗らかだった。

 安らぎに満ち溢れていた。

 蒼弥は師の前に正座で座って、静かに、ゆっくりと頭を下げた。

 ずっと、ずっと、ずっと、下げていた。



 ◆◆◆



 それから数日が経った。

 蒼弥は小さな木製の家の中で、ボサボサの黒髪を適当に水で整え、麻柄の古びた着物を少し着崩していたのを脱いで、さらしは腹に巻きつけた。体にはまだ多くの傷が残っている。特に首と左肩は今は見えないが、傷は酷く、二度と傷跡は消えないだろうと思うほどだった。

 それでいいと思っていた。

 蒼弥は薬草の匂いに包まれて、緑色に染まった包帯を変えると、今度は新品の朝の着物を着て、帯をしっかりと締める。絶対にほぐれないように。黒漆塗りの鞘に入った八十センチはあろうかと思う打刀と、もう一つ外見は同じだが長さが五十センチほどの打刀を腰へつけて。また、机の上に置いた動物の革で作った手作りの鞄を背負う。それは片方の肩にかける仕組みとなっており、中には旅の必需品が沢山入っていた。それから玄関へと向かい、そこに置いてあった一つの草鞋わらじを履く。

 蒼弥はそれから、一つの場所に向かった。

 そこには、一つの大きな石が土の上に置かれており、その前に蒼弥の持っている太刀と似たような物が二本刺さっていた。また、置かれた岩にはこう掘られている。

 ――双刀貞宗、眠る、と。

 昨日、やっと墓が完成したのだ。またこれからどうしようかと悩んでいると、貞宗が家の中に隠していた遺言によって、旅の用意と新しい着物、それにこれまで使っていたような剣ではなく、名刀を二本頂いた。

 また手紙の中にはこう書き残されていた。

 ――そなたは儂の生きた証じゃ。その剣を正義のために使おうと、悪行の限りを尽くそうと、もしくは一生を剣から離れるのも自由じゃ。好きに生きるが良い。

と、云われても、今まではずっと貞宗と暮らしてきたのだ。早々、簡単に、新しい人生が見つかるわけでもなく、まずは恩しかない師父の墓を作ることから始めたのである。そして完成してから一日悩んで、これからどうしていいかを決めてこの場に着てから、ずっと墓の前で自分が名前を刻んだ墓石を見ていた。


「……師匠、不肖な弟子だが、感謝しているぜ」


 蒼弥はぽつりと呟いた。

 本当に蒼弥は師である貞宗に、恩しか感じていなかった。今はもう、子供の頃の何も知らない頃とは違う。貞宗に奴隷の身から救ってくれたことも、また生涯をかけて貞宗が身に付けた武芸十八般からなる兵法を叩きこまれたことも、またこれまで面倒を親のように見てくれたことも感謝していた。

 蒼弥にとって、貞宗はもう一人の父親だった。


「……ま、何て言ったらいいか分からねえが、俺は山を降りようと思う。じいちゃんの言うとおり、好きに生きてみようとも、な」


 いつまでもここにいたい気持ちが蒼弥には募ってくる。

 だが、それももう終わりにしようと思っていた。

 蒼弥の知っている師匠は、そういう甘ったれた者が嫌いなのだ。


「――じゃあな」


 蒼弥は師匠が眠っている墓石に背を向けた。

 蒼弥は、下界へと降りていった。

 これから、目的無しの風来坊のような生活が始まるのだ。

 心のどこかで、蒼弥は未だ見ぬ世界を楽しみにしていた。

 

 ――そして数年後、天下に龍が轟いた。


これで終わりです。

続編はおそらくありません。

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