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双竜  作者: 乙黒
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前編

 その日の朧月は泣いていた。

 広い草原の上に小雨がちらはらと振る。

 だが、風は暖かく、草木はまだ青い。

 最近野山に帰ってきた鳥達は日中に元気にしゃべっていたが、丑三つ刻にもなる今となってはすっかり影を潜めている。

 辺りを彩るのは風邪で草木が軽やかに踊る音のみだった。

 そんな場所に二人の男が立っていた。

 二人とも、剣を持っていた。

 一本ではない。

 二本だ。

 両者とも二刀流なのだ。

 両者が持っている剣には、どちらもほぼ同じシロモノであった。

 右手に持っている剣は片刃で、少し反っていて、直刀は言い難い。打刀であろう。刃紋は直刃。柄は木と、刀としての遊びは全くなかった。まるで人を切るためだけに造られた人切包丁のようでもあった。刃長は二尺三寸(約七十センチ)ほどで一級品なのか、その刃は空に輝く月によって、僅かに銀色へと煌めいていた。

 もう一本は、小太刀。刃長はほぼ二尺(約六十センチ)。こちらも僅かながらに反っていた。だがお世辞にも打刀と比べると一級品とは言い難い。両者とも刃が少しばかり欠けていて、刃の銀は少し曇っている。これまでにこの小太刀をナタのように便利扱いしたからだろう。それでも使用に問題がないのか、左手に持って、刃先を大地へと向けている。

 二人とも同門であるがゆえに、その構えは一緒だった。右手に持った打刀は中段に置いて刃先を相手に向けて、左手に持った小太刀には力を殆ど入れず腕を垂れ下げるように下段に構えているのだ。

 一人は、真剣な顔をした青年であった。

 まだ若く、二十歳を超えたばかりであろう。身長は高い。六尺(約百八十センチ)ほどだろうか。ボサボサの黒髪を適当に整え、麻柄の古びた着物を少し着崩している。上半身ははだけるように脱いで、腰の帯だけで止めていたのだ。当然ながら腹には晒を巻いていた。腹部を斬られた時に腸がはみ出ないようにするためだ。足には草鞋を。刀が入っていただろう鞘は草の上に投げており、できるだけ身軽にしている。

 目に憎しみは、無い。

 これから目に写る人物を斬ろう、としているのにだ。

 もう一人は、雲のようにふわふわとにこにこしている老人だ。

 青年と比べると、身長は低い。五尺六寸(約百七十センチ)しかない。

 顔には多くのシワがあり、優しい顔つきをしているがどこか表情は険しいようにも見える。目は片方がなく、潰れたのか、閉じ、右目だけを開けてもう一人の青年を観察するように見た。これから殺し合いをするからだろうか。着物をこちらも着崩しており、その肌には幾年月もかけて作られた金剛石のような肉体が垣間見え、陽炎のような、もしくは空を掴むように、剣を構えていた。

 二人はつい、この間まで共に暮らし、共に生きてきた家族のような間柄だった。

 しかし、師弟という関係もあった。

 だからだろう。

 剣を境にして絆を深めた二人は、師である老人の意向で、修行の最終段階として、弟子である青年に立ち会いを求めた。

 それ即ち、殺し合いであった。

 ――人を斬らねば、剣は完成しない。だからこそ、いつか儂を斬れ。

 老人はそう言ったのだ。

 それは青年に剣を教えた時に初めて言って、そして先刻、同じ言葉を青年に言った。


「覚悟は出来たか、蒼弥?」


 老人――双刀貞宗ふたがたな さだむねはいつもの口調で言った。


「ジジイ、誠に残念ながら、その覚悟はとっくに済ましている。いつでも斬りかかってこいよ」


 蒼弥と呼ばれた青年は平坦としていた。

 蒼弥は、生まれはただの農民であったが、ふとした縁で親元から離れて師である貞宗と二人きりの生活を送っていた。元より幼き頃よりの仲ではあるが、貞宗の意向である師斬りは幼き頃から口を酸っぱくして言い聞かされてきたことだ。

 今更、斬ることに疑問を抱かない。

 ならば師を斬ることではなく、人を斬ることに疑問を抱かないのかと蒼弥は聞かれると、こちらも残念ながら全く抱かない、と彼は答えるだろう。何故なら蒼弥は既に人を何人も切っている。

 盗賊然り、役人然り。

 それは貞宗の決めた育成計画に組み込まれていたわけではない。

 ただ単にその土地が荒れていたから、斬るしかなかったのだ。


「いや、先手は譲ってやるぞい?」


 貞宗は動かない。


「そうか――」


 蒼弥もまだ動かなかった。

 この殺し合いに始まりの合図をしてくれる人などいなければ、する必要がない。

 剣士が剣を抜いて、二人も向かい合った。

 ともすれば、始まるのは剣と剣のぶつかり合いしかなかった。

 ――最初に動いたのは、蒼弥だった。



 ◆◆◆



 蒼弥が貞宗から受け継いだ武術の名を、双天流そうてんりゅうと呼ぶ。

 もちろん、由緒正しき武術ではない。

 開祖が貞宗で、それは武術というよりも兵法に近い。

 剣においては、技よりも思想に近かった。

 もちろん、剣においての通常の技術は蒼弥も習った。

 基本の走法であるナンバ走りから始まって、まずは二刀流ではなく、剣を一本持った状態での基本的な技を習う。唐竹割りから始まって、左右の袈裟斬り、左右の横文字斬り、左右の逆袈裟斬り、突きなどの技術は叩き込まれている。

 一介の剣士としては外に出てもおかしくないぐらいには、徹底的に剣を振った。もちろん、それらの基本的な動作の訓練は今でも怠っていない。

 その後、身体の骨が伸びて、肉が付き始めると蒼弥は貞宗から二刀を持つことが許された。二刀を持ってもすることは変わらない。単純な剣の振り方を。もちろん両手に剣を持っているので、することは前の倍だ。そしてそれが一段落つくと、今度は小枝のように細い木刀を持って師との打ち合い。防具なんてあるわけがなく、一撃を喰らえばいかに細い木刀でも痛かった。だが、それでも貞宗は泣き言を許さず、訓練を続けた。

 だが、貞宗から双天流の秘技はというと、蒼弥は習ったことがなかった。

 それは貞宗の経歴にあった。

 貞宗は過去に正式に剣術を修めたことがないのだ。貞宗がまだ若かった当時は荒れていたこともあって、僅か十六の時に貞宗は軍に入った。それから必死で千もの戦いを生き残って、数々の剣を目にし、己の中で練り上げた剣を双天流と呼んだのだ。

 それはやはり、武というよりも、哲学に近い。

 剣を二本も持つのは貞宗の簡単な考えである一本よりも二本のほうが強い、から来ている。戦場においては多対多だ。そんな場において剣は一本では足りないという貞宗の経験則からだった。

 また相手の剣は基本的に受けないというのも貞宗の考えだった。

 秘技がないというのも、戦場においてはそんな特殊な技よりも、ただ袈裟斬りなどのように剣を当てるほうが強いと貞宗は考えたのだ。特殊な技は特殊な場面でしか使えない。それよりもあらゆる状況であらゆる基本系な技を使ったほうが、生き残る可能性が高いと貞宗は肌で感じたのだ。

 そして他流派の剣を教え込まれた。その時に貞宗の知っている秘技を習ったが、あくまで対処のために覚えたのであって実践において使うことは少ないだろうと貞宗は言っていた。

 そして何よりも、二本の剣は盾ではなく、攻撃のための刃だと云われた。

 詰めて、斬る。

 避けて、当てる。

 避けず、先に斬る。

 そこを念頭に置いた。

 その使い方を、蒼弥は身体で叩きこまれた。


「はっ!」


 だから蒼弥は先に動いた。

 戦いにおいて出遅れることは死を意味する、と貞宗が言ったからだ。

 蒼弥は草鞋の履いた足を滑らせて、貞宗まで距離を詰める。

 そして右の太刀で袈裟斬り。

 貞宗は一歩下がって、剣を避けた。右も左も剣先を下げた。下段に構えたのだ。

 剣において下段は土の構えとも云われており、防御を主体としているが、こと真剣においての貞宗は違うと蒼弥は知っていた。

 太腿への太い血管を狙って相手を差すか、もしくは腹、そうでもないなら脛斬りだろうか。

 どちらにしても恐ろしい技だ。

 蒼弥はそれを感じながらも、間髪をいれず距離を詰める。最速での打刀での突き。貞宗の喉元を狙う。

 貞宗は体を捻って躱して、蒼弥の横を通り過ぎる時に右の打刀を滑らせて脛を斬ろうとするが、それを予測していた蒼弥は剣を払った。

 咄嗟に出た貞宗の小太刀とぶつかった。

 瞬間、両者は引いた。

 だが、すぐに地面を蹴って、相手へと近づく。

 次に動いたのは貞宗が早かった。脇を大きく開けてからの蒼弥への横一文字。蒼弥は躱すことも出来たが、あえてせず、左の小太刀で受けて、距離を保ったまま貞宗の頭上へ打刀を振り下ろした。貞宗もこれを小太刀で受けて、蒼弥の腹を蹴って退かせる。攻撃が目的ではなかった。距離を測ったのだ。

 貞宗は体を倒すように見を深く沈めて、超低空で胸の前で腕を折りたたんでからまるで鳥が翼を広げるかのように両太刀での薙ぎ払い。蒼弥の左右の脛が狙いだった。

 流石に蒼弥はこの攻撃を避けるしかなかった。後ろへ下がるように大きく飛んだ。

 そこが、貞宗の狙いだった。


「しっ――!」


 攻撃を避ける場所がない空中にいる蒼弥へ、貞宗は剣を切り返して右の打刀で蒼弥を斬りつけた。

 蒼弥は地面に足がついていないのでふんばりが効かないが、右手を大きく伸ばしてこちらも斬りつける。

 貞宗の剣と当たった。

 両者の剣は弾かれて、特に空中で無理矢理体を捻った蒼弥は左肩から地面へと落ちた。

 貞宗は咄嗟に左の小太刀をまな板の鯉かのように斬りつけるが、蒼弥は草原の上を転がるかのように避けた。

 いや、貞宗が“逃した”のだ。

 必殺のためだった。

 貞宗は右足を逃げた愛弟子へと大きく伸ばして、首へ打刀を振り下ろした。

 かん、と小気味のよい音がなった。

 蒼弥が小太刀で防いだのだ。

 貞宗の動きを読んでいた。


「やるのう――」


 久々に血が滾っていた貞宗はつぶやいた。

 蒼弥は無言で右の剣を払って貞宗を引かせると、すぐに立ち上がって冷や汗をかいた体で告げる。


「死ぬかと思ったぜ」


「まだ、免許皆伝は早かったかのう」


 余裕がある貞宗に対して、一撃一撃に必死で食らいついていた蒼弥は既に肩で息をしている状態だ。

 長年の勘の差だろうか。

 蒼弥よりも貞宗のほうが反応はいいのだ。

 それは反射というよりも、予測に近い。


「いや、斬るぜ――」


 蒼弥は唇をきゅっと結んで、またいつもの構えに戻した。


「威勢だけはいいがのう――」


 一方の貞宗はやっと体が温まってきた。

 長年の隠居生活で冷えた体が。

 蒼弥と出会ってからだが、貞宗は軍場に出たことがない。真剣での斬り合いは何度かあったが、相手は剣士というよりもならず者に近かった。そんな相手を何人も斬った所で、貞宗には蝿を払うのと同意だった。

 何故なら、覇気がない。

 敵を喰い殺さんとする獣のような殺気がない。

 上官によって士気が高められ、法螺貝ほらがいの音に高揚させられ、誰もが報奨金や名誉のために戦っていた戦士とは、何もかもが違った。

 そんなところに、久々に骨のある剣士と戦っている。

 全身が生まれ変わるように、徐々に、徐々に、剣に適する身体になっていった。


「――うるせえよ、ジジイ」


 また、蒼弥も初めて見る師の獰猛な獣のような形相に打ち負けることはなく、むしろ、気概が上がっていた。

 両者は師と弟子という温かい間柄ではなく、一人の剣士と剣士という関係に変わって行く。



後編は八月二十六日0時公開予定

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