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「まっしろ……」
あたりを見回すと、どこもかしこも真っ白だった。
大きく伸びた木も、背の低い木も、その下の地面も、空も白。
見事な銀世界だな、と周囲を見回す。でも私、なんでこんなところにいるんだっけ?
ぴょんぴょんと、足元をウサギが跳ねていた。いや、よく見ると違う。これは……サシャの作ったお菓子?
昔家でカーネリアンとベルマカロンの経営についての話をしながら食べた冷たいお菓子。思い出してつい口元が緩むが、ふと、なんでこの銀世界に彼女の作ったお菓子が飛び跳ねているのかと疑問に思う。
でもいいか、綺麗だし、可愛いし。
そんな風に自分が思って一面銀世界であるここを歩き始めた事にも、頭のどこかでほんの少し疑問を感じつついると、白い葉をつけた木の陰に誰かがいる事に気がついた。
「アイラ」
名前を呼ばれてびっくりする。見覚えのある金色の髪、優しげな瞳に心が温かくなる表情。
「サフィルにいさま!」
なんで彼がここに、という疑問は一瞬で、私は大喜びして彼に飛びついた。
いつもの暖かい手のひらが私の頭をゆっくりと撫でてくれて、その胸元に顔を押し付ける。顔がしまりがなくなってしまっているのは自覚しているが、この際そんなことはどうでもいい。
でも。
あれ……にいさまはもう少し大きかった筈じゃ?
その疑問はすぐに、大きなものとなった。彼は私より年上の筈なのに同年代にも見えるのだ。彼は私の知ってるサフィルにいさま。そう、いなくなってしまう、直前の……
「え……?」
どうしてサフィルにいさまがいるのだ。思わず離れて顔を見ようとしたのに、にいさまの腕が私の背に回ってぎゅっと抱き寄せてくれたせいで身体が動かない。
「あの」
にいさま、と声をかけようとしたとき、耳元に顔を寄せられて甘い声で囁かれる。
「今度少し二人で話す時間あるかな」
耳の傍で空気が揺れて、くすぐったくて身をよじる。
でもぎゅっと抱き寄せるその腕は力強くて、苦しくはないけど動けない。なのに、ふと、その腕の中が暖かくない事に気がついた。
「冷えきっています、にいさま、家に」
戻りましょう、という言葉は続かなかった。腕の中でなんとか顔を上げた時、私の目に映ったのは甘い蜂蜜を溶かしたような金色ではなく、この雪景色に光るような銀色で。
「あれ……フォル?」
そういえば、前にも彼に言われた気がする。いつだったっけ、だいぶ、前のような。
――今度少し二人で話す時間あるかな。
言われた。確かに言われた。でも、あれ? その後話をした記憶がない。あれ……あれ?
「アイラ」
さっきと同じように名前を呼ばれた。にいさまだと思ったあの声だ。
でも、……あれはフォルの声ではなかったか? サフィルにいさま、だった?
紫苑色が混じる銀の瞳が私を見下ろす。薄くひかれた綺麗な唇が、どうしたの、と囁くように言った。
「また、マシュマロみたいだと思ってるの?」
くすくすと笑う声。思わず、顔が熱くなって、違うともがいて彼の腕の中から逃れた時、私の右足がずぶりと何かに沈んだ。
「えっ!?」
みれば、雪が覆っていると思っていた地面に右足が沈んでいく。足が沈んでいる周囲の雪が、一緒に引っ張られて地面にめり込んでいる。いや違う、これ、雪じゃない。
ふわふわでやわらかくて、白く表面がすべらかなこれは。
「マシュマロ!?」
叫んだとたん、身体を支えていた左足までずぶりと沈んだ。体勢を崩した私の体の上にフォルが倒れこんでくる。思わず受け止めようとしたが、フォルはやたらとふわふわやわらかかった。
「んむう!」
マシュマロで合ってるよ、と囁くフォルの唇が近づき、私の唇に覚えのある柔らかい感触と、甘さが広がる。違う、これフォルじゃない、マシュマロだ!
なんだ、何が起きているんだ、木の上にあった白も、空の白も、全部マシュマロじゃないか!
「助けっ……!」
暴れた私の上にあるフォルマシュマロが触れているところからとろりと解け、身体に張り付いてとうとう私は地面のマシュマロに沈んだ。なんてことだ、マシュマロの逆襲か!? いや、私何もしてないよね!?
とにかく、この柔らかさはやばい、窒息する、助け……っ
「いやーーーー!!」
ばっとマシュマロの中から身体を起こした、その時。
「ふにゃあっ!!」
「あれ」
私が縋るように握り締めていたのは、両手両足を最大限にぴしりと伸ばし爪を先から覗かせ、驚愕の表情で悲鳴をあげるアルくんと、ふわふわのいつもの柔らかい布団。
「あら?」
きょろりと周りを見渡す。自分の身体の下にあるのは、真っ白ないつもレミリアが整えてくれているベッドシーツだ。多少身体が沈んではいるが、弾力があるマットレスに私の身体が埋もれるわけもなくて。
「あれれ?」
見覚えのある木の机、本棚、お気に入りの可愛らしいテーブルセットにソファ。どう見てもここは自分の部屋だ。
「にゃあっ、にゃああ!」
手の中で暴れているアルくんに、あ、ごめんと声をかけて慌てて手を離す。そこで、漸く気づいた。
「夢オチ……っ!」
なんっつー夢を見てるんだ私は!
「はあ」
思わず零れたため息に、さらにため息をつきたくなる。
朝から非常に疲れた。いや、起きてからはいつも通り身支度をしていつも通り朝食をとっているわけだけれども、起きるまでに疲れた。
今日は午前中の授業が休みである。つまり午後の特殊科の授業のみ出席すればいいのだが、午前はどうやら王都に用事があって来ているらしいカーネリアンとサシャに呼ばれているので、学園敷地内のベルマカロン店舗に行く予定がある。
新作のお披露目かな、と楽しみにしていたのであるが、あの恐ろしく疲れた夢のせいか身体が重い。まだどっかにマシュマロがくっついてるんじゃなかろうか。
「どうしたのですか、お嬢様」
レイシスが心配そうに私を見ていたので、大丈夫と笑って野菜スープを飲む。優しいが塩気がある味のスープに、甘さは少なくてどこかほっとして、私らしくないなと苦笑がもれた。
「朝から疲れてるな」
王子がからかうように笑う。ちょっと夢見が悪くて、とつい口を滑らせてしまい、当然ながら「へえ、どんな夢だったんだ」と聞かれてしまった。
焦ってフォルを見てしまった私はさらに墓穴を掘ったようで、フォルまで笑顔で「僕が出ていたの? どんな、夢?」と聞いてくる。
どんな夢って? サシャのお菓子がぴょんぴょんしてる(マシュマロの)銀世界にサフィルにいさまがいたと思ったらフォルマシュマロで、それが倒れてきて沈む夢だ。誰がどう聞いても夢で、そしておかしい。
なんでもない、そんな覚えてないと誤魔化してみても、表情にそれが嘘だと出てしまっている自覚がある私をさらに王子がにやにやと追い詰める。王子め、マシュマロを口の中に詰めるぞ!
しかし狙いを定めた王子から逃れられる筈もなく、じゃあ当ててやるかとフォルが出てきた私の夢の予想をいい始めた辺りで私は白旗を揚げる。勝手にフォルを押し倒した夢か? とか言わないでくれ、正確にはフォルマシュマロに押しつぶされた夢である!
なんとなくにいさまの部分を省いて、銀世界にいたと思ったら出てきたフォルも雪も全部マシュマロで、沈んで大変だったと言うと、ぽかんとして聞いていたフォルがふっと笑ったのを皮切りに、一緒にご飯を食べていた皆に笑いが伝染していく。
むっとしてしまうが、私の顔が恐らく赤いであろうことはわかっているのでそれを隠すように俯いた。
「マシュマロの世界で迷子になる夢か、アイラの夢はずいぶんと甘そうだな! 色気も迷子だったようだ」
「いいんですーっ、いつか巨大マシュマロ作ってデューク様を埋めてやる!」
「それは困るな!」
けらけらとくだらないであろう事で笑いながら食事を終えた私達は、それぞれまったりと椅子に背を預けたり本を開いたりとくつろぎ始めた。
私は同じく午前休みのガイアスとレイシスの二人と共に、ベルマカロンの店舗に行こうとしていたのだが、そこでフォルに今日はどこにいくの、と声をかけられた。
ベルマカロンに呼ばれていると話をすれば、傍でそれを聞いていたルセナが僕も行きたい、と手を上げた。それに続いてフォルも、おねえさまも、王子まで行きたいと言い出して、用事があるというフリップ先輩と、猫会議があると張り切ってでかけたアルくん以外の七人で部屋を出る。
「お、お前らどこかにいくのか? 今日午前休みだろ」
眠そうにしながらも部屋で食べたらしい朝食の食器をさげていた先生が、少し離れた位置から私達を呼ぶ。
先生はここ一ヶ月程早起きだ。というのも、塞ぎこんでいるカゼロさんの息子、アドリくんの面倒を、先生が見ているのである。
正式に手続きをして引き取るのかどうかは聞いていないが、あの日より前にこの屋敷での寮生活がスタートした私達と同様に教師である先生もここに住んでいるので、必然的にアドリくんも先生と一緒にここで暮らしているのである。が、彼は部屋の外にまったく出てきてくれなくて、あの日から私達は顔を合わせていない。
「ベルマカロンの新作か何かの試食会みたいで、家の者に呼ばれているんです」
そう私が返事を返すと、ぴたりと止まった先生ははっとした表情で、ちょっと待ってくれと叫んだ。
「おい、それ、俺とアドリも連れてってくれ!」
「え? ……いいですけど、あの」
アドリくん出てきてくれるかな? とつい心配になって先生が出てきた部屋の方をみると、ちょっと待ってろと先生は食器を慌てて片付け、部屋に飛び込んだ。
時間がかかるかな、といつもの部屋に戻った私達であったが、そこで待つこと数十分、待ってる間にとはじめたカードゲームの勝者がルセナと決まった時点で、部屋に防寒具をしっかり身につけた先生が飛び込んできて、その後ろから俯きながらもしっかりと先生のコートの裾を掴んだアドリくんが見えた。
「悪い、待たせたか」
「いいえ大丈夫です」
つい嬉しくて皆が笑みを浮かべ、アドリくんを迎え入れる。だが、久しぶりに見た彼は、もこもこの防寒具を羽織っているというのに随分と痩せて見えた。やつれているといってもいい。あまり食べれていないのかもしれない。
なるほど、先生はこれで心配しているんだなと思いつつ、急に人がいっぱい集まったらびっくりするかな、と皆様子を見ながら接していたが、俯いたままであったもののアドリくんに一緒にお菓子を食べに行こうと言うと、彼は小さく頷いてくれた。
外に出ると、雪が降っていた。一瞬にやりと笑った王子がこちらを見たので、ふんと顔を背けつつすっかり冬の空気となった外をぞろぞろと歩く。
ふと、隣に並ぶフォルをみて、夢を思い出した私は「そうだ」と小さな声でフォルを呼ぶ。
「ねえフォル。夏ごろだったと思うんだけど、色の事で何か話したいって言っていたでしょう? ごめんなさい、だいぶ遅くなってしまったけど」
「ああ、うん。いや、いろいろあったから……うん、でももう、大丈夫だから」
少し驚いた表情をした後、しばらく考えるような動作をしたフォルは、一度首を振ると笑顔を向けてくれたのだが、なんだか少し気になって「ほんと?」と尋ねる。
「うん。……大丈夫」
視線をふわふわと降ってくる雪に向けた彼に、なんとなく話しかけづらい。私も視線を外して、雪を見ながら「そっか」と呟く。
「何かあったら、また言って」
「うん」
短く会話を交わして、皆が話していたベルマカロンの新作予想の話題へと加わる。
学園敷地内の店舗に向かったので、到着はすぐだった。
フォルが話をしたいといっていたのは81話の最後辺りです。




