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"金の王子は言った。「姫よ、銀の王子は死んだのだ!」
だが、姫はいやよいやよと首を振る。
「そんなの信じないわ! 彼はきっと生きて私のところに来てくれるもの!」
「諦めて俺のところに来るんだ姫!」
「駄目。それに私は姫なんかじゃないわ、ずっと自分の父親の事なんて知らずに母と二人きりで花を売って暮らしていた、普通の女の子だったのよ!」
姫は魔法で開かない扉から逃げることを諦め、窓に手を掛けた。全てを覚悟して身を投げ出す。
「危ない!」
身を投げ出した少女を救ったのは、空を飛び銀の長い髪を宙に躍らせた王子だった。
「銀の王子!」
「ああ、間に合ってよかった、僕の姫。さあ、僕達の家へと帰りましょう。もう城には二度ときません」
「ああ、愛しているわ銀の王子!」
こうして森の奥の小さな家へと姫を連れ帰った銀の王子は、その夜ベッドに座らせた姫をそっと押し倒し、その服の下に手を"
「だーーーーーーーーーーっ!!」
思わず読んでいた本を意味不明な声を上げながら枕に吹っ飛ばし、さらに枕の下に埋め、布団を被る。
なんなんだこの小説は! いろいろすっ飛ばしてやいないか!
おねえさまお薦めの本と、もう一冊少し前に貴族の少女達の間で人気だったという小説を借りてきて、人気だという本を先に読んだのだが。
その内容は貧しいながら必死に暮らしていた一人の少女が、実は父親が隣国の王で、住んでいた国の王子兄弟に見初められ三角関係に……というある意味王道モノだ。
だがしかし、中身はその辺りの重要なところがあっさりさらっとつるっと流され、姫の心を射止めた次男王子が王位を捨て森でその姫とひっそりと暮らし……というところまででそこまで厚くはない本の半分程を終えてしまう。
もうその後はお察しだ。なんでひたすらいちゃこらしてるんだ、長男王子がかわいそうじゃないか! 次男王子、手を出すのが速すぎないか? っていうかこれ18禁小説ですよね!?
そんなことを脳内で愚痴りながら、ごろごろと布団を被って転がってみる。なんかこう、「もだもだ」する! 変な言葉の自覚はあるが、もだもだするのだ。あ、そういえばこの国の成人は前世よりずっと早いんだから、そもそも18禁ってないのか。早いと成人前に結婚が決まっている子もいるし……と考えつつも納得いかない。
半分以上が決してさらっと読み流すことができない内容の小説を枕の下から取り出し机に置いて、私ははあとため息をつきつつ寝返りをしてもう一冊を手に取った。
おねえさまお薦めの本は、あんな読むのに奇声が必要な本じゃないといいのだけど。さっきのじゃ、まったく参考にならないじゃないか。
いや、もちろん需要はあるだろうが、私が今回知りたかったのは決して大人な知識ではないのだ、うん。
そんな事を考えつつ本のページを捲った私は、そのまま外が明るくなり始めるまで気づく事なく没頭し、慌てて寝ようとしたのに続きが気になって仕方なくて、結局最後まで読んでしまった。
「おねえさま! この本、すごい素敵でした!」
その日の午後、いつもの特殊科の部屋で窓際におねえさまを見つけた私は体当たりに近い状態でおねえさまに飛び込み、受け止めてくれたおねえさまは穏やかな声で「よかった」と言った後、目を大きく見開いた。
「アイラ、目が真っ赤よ。あなた何時まで読んでましたの?」
「つい、気になって仕方なくて朝方に……い、一応かなり寝坊になりましたけど少しは寝ましたよ!?」
「まったく、駄目ですわアイラ。いくら気になっても、せっかくの素敵なお話を読んだせいで身体を壊したらどうするの? お肌にも悪いわ」
むっと眉を寄せて怒るおねえさまに、すみませんと謝りつつ、へらりと笑う。怒ったおねえさまも素敵です! じゃなくて、今後は気をつけます。
だけど、本当に素敵なお話だったのだ。内容は、王子と庶民という身分違いの恋のものだったのだけど、健気な主人公と優しいけれど不器用な王子様の甘く切ないストーリーに思わず惹きこまれた。
どうやら続き物だったらしく、結局私が読んだ本ではラストに涙ながらにお忍びでやってきた王子にさよならを主人公が告げたところで終わっているのが非常に辛いが、この一冊に恋とはどういうものかが詰まっていた気がする。
結論を言うならば、私が想像していたものと恋というのはずいぶんと違うようだ。
好きな人ができるって、毎日が楽しくて、その人を見る事ができただけでも幸せ、なんて日々を過ごすのかなと思っていたのだけど、どちらかというと重くて苦しそうな印象を受けた。
だがそれでも、王子が想いを告げるシーンでは主人公と一緒に泣きそうになるくらい感動したし、それでも周囲の状況から二人が想い合っていても実らず最後の別れのシーンではこちらまで辛さに涙があふれそうになった。
「どうだったかしら? 読んでみて、恋はしたくなった?」
「うーん。どうでしょう、今のところ悲恋ですよね、これ」
ふと、どうしてこれを勧めたのかと気になり疑問を口にすれば、おねえさまは一度苦笑したあと答えをくれた。
「大抵の恋は悲恋だと思うわ。だってこんなにたくさんの人たちが生活しているのに、好きになるのは一人だけだと……想い合う確率って、すごく低くなると思わない?」
もちろん人生で出会う人の数というのは全体の数に遠く及ばないし、それぞれ事情もあるし、距離感も違うだろうけれど、とおねえさまは付け加えながら、窓の外を見る。
今日は雨だ。しとしとと空から降ってくる雨は激しくはないが、止む気配もない。
「悲恋や辛い恋を知ってて、初めて本当の恋を知るんじゃないかしら?」
そう言われて、少しどきりとした。つらい、恋を知って初めて……。
それなら私は知っているのだろうか。ちらつく何年も前に終えた恋への想いを誤魔化すように、おねえさまさすがです、と呟くと、こつんと頭におねえさまの手の甲が当たる。
「だから、あいつも知るべきだわ。簡単に諦められるものじゃないって。気づいているくせに無視しているのだから」
「え? 何の話ですか?」
おねえさま、と続けて顔を見ようとしたところで、がちゃりと扉が開く。王子とフォル、ルセナが一緒に部屋にやってきたのだ。
これでいつもの特殊科のメンバーが部屋にそろう。休みの日であるというのに、皆この屋敷が好きらしい。
食事を取って、それぞれが好きな事を始める。私は恋愛小説は一度置いておいて、今日は普通に資料とにらめっこしながら勉強だ。
風邪薬の調合に必要な薬草や分量を細かくメモしていると、隣で同じように調べ物をしていたおねえさまが「緑のエルフィだとやっぱり植物は詳しいのかしら」と尋ねてきた。
「そうですね、詳しいと思います。ちょっとずるいですよね、医療科の試験もとても有利でした」
「あら、有利ではなくて、いくらエルフィでも幼い頃からの努力の賜物でしょう? ごめんなさい、言い方が悪かったわね」
少ししょんぼりした様子で謝るおねえさまに慌てて首を振る。確かに試験中に精霊に答えを聞いてずるをした、とかそんなことはしたことはないが、おねえさまの言葉は少し気持ちが軽くなる言葉で、嬉しくて笑う。
そんな和やかな時間を過ごしていた時、扉がノックされる音。
「どうした」
外の気配から自分の護衛だと気づいたらしい王子が声をかけると、外からお客様です、と返される。
「ローザリア・ルレアス殿がこちらに見えられましたので、外でお待ちいただいてます」
騎士の言葉に、顔を上げたのはフォルだ。だが、少し眉を寄せている。
王子はすぐに「フォル、おまえじゃないのか」と声をかけたが、フォルは何か渋っているような様子を見せつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「あらあら」
おねえさまも、なんだか微妙な表情だ。どうしたのですか、と小さく口にすると、おねえさまは微笑むばかりで少し困った様子だったので、それ以上聞けずになんとなく扉に向かって歩き出すフォルを見つめる。
だが、フォルが扉に手を掛けようとしたとき、扉は勝手に外側から開く。出てきたのは、王子の護衛だった。
「許可なくなぜに連れて来た!」
王子が厳しい声を出す。扉を開けた若い騎士が、ひっと息を飲んだ。
「も、申し訳ございません。お約束だと伺ったもので!」
「それは連れて来ていい理由にはならない」
見ると、先に来て来客を告げていた騎士とローザリア様をここに連れてきてしまった騎士は別だったようだ。屈強な身体の騎士が腰を曲げて王子に謝罪する後ろで、困った顔で微笑むローザリア様が見えた。
「デューク様申し訳ございませんわ。お約束はもう少し後の時間だったのですけれど、用事が出来てしまって急いでおりましたの」
「お前も、ここは特殊科以外立ち入り禁止だ、大人しく外で待て」
「はい、申し訳ございません」
王子が怒っているのに対し、ローザリア様は申し訳なさそうにしつつも微笑みを崩さない。そしてここで用事を済ませようと思っているのか、出て行く様子もなかった。
この屋敷の防御魔法のしくみというのは詳しく聞いたことがないが、今は誰でも通れるようになっているらしい。
もちろん外に王子の護衛が立っているからこそで、そうでない時は王子が特殊科以外は侵入できないようにしている、と聞いた。
つまりこの屋敷の防衛の一翼を担っているのであるから、王子が怒るのも無理はないだろう。
だが私はそれより、いつもならこの状況でフォローに入り、騎士を助けてあげているだろうフォルが表情を消したまま何もしない事の方が気にかかる。
どうしたのだろうと、つい名前を呼び掛けたが、先にフォルを呼んだのは私ではなかった。
「フォルセ様。父と、フォルセ様のお父様も、今日の夕食会にほんの少しだけ仕事で遅れそうだと言っておりましたの」
「……そう」
漸く顔を上げたフォルがローザリア様を見る。なんだか微妙な雰囲気に、私達は何も言えずに部屋の入口を見る。
楽しそうにしているのは、ローザリア様のみ。
フォルにしては珍しいけれど、何か喧嘩でもしたのだろうかとおろおろしていると、おねえさまも少し困惑した表情をしていて同時に目が合った。二人で首を傾げつつも、入口に視線を戻す。
「楽しみですわ。はやく婚約のお話が纏まるとよいのですけれど」
「……そう」
え、と耳を疑った。婚約? フォルが?
驚きで目が話せなくて入口を見ているとき、ローザリア様と目が合った。彼女は私ににこりと微笑んだけれど、私は笑みを返せただろうか。
そっか……婚約。
この世界では私達より幼い子でも婚約が決まっている事があるのだから、別に珍しくはない。うん、珍しくなんてないんだ。
……そっか、私もしかして、なんて、考えて馬鹿みたいだな。きっと、大事な友達、とか思ってもらえてるのかも。それなら、嬉しいな。
なんか恥ずかしい。
うん、そうだそうだ、と頷きながら俯いていた私は、その時フォルがこちらを見ていた事なんてもちろん気づく筈もなく。
ただ、横にいるおねえさまが私の手を握っているのだけが視界に入っていた。
五月は忙しくてもしかしたら毎日ではなく稀に一日空いたりとかするかもしれません。
二日以上空かないように頑張ります!




