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「ぶは! 王都の魔法学園に入りたい!?」
私の発言に、お茶を噴出しそうな勢いでガイアスが突っ込んだ。いや、むしろ噴出した。向かいに座っているレイシスが若干寒い空気を撒き散らしながらハンカチで顔を拭いている。ああ、ガイアス後で大変だろうな……下手にここは突っ込むまい。
「そうよ、お父様とも話したんだけどそれがいいかなと思って。私は医者になりたいの。困っている人を助けるのよ!」
「それは……わかるけど、アイラちゃん。王都の魔法学園っていったら、もっぱら貴族ばっかりの学園だよ?」
レイシスが眉を寄せて言う。今回の件もそうだが、私達の中で貴族の株は大暴落だ。
「だからこそよ。……私はより知識の深い専属医を独り占めしている貴族は許せない。だから……私がすごい医者になって、いつか貴族に復讐してやるわ!」
サシャは首を傾げただけだったが、ガイアスとレイシスは少しばかり表情を凍らせたようだ。
「聞いたよ。専属医がどうしても診てくれなかった原因」
「なんで、それ!」
意味を理解したガイアスが、ばん、とテーブルを叩いて立ち上がる。お茶はなんとか零れずにすんだが、サシャが驚いて涙目になったので慌ててレイシスが宥める。
サシャがいる手前それ以上いう事ができなくなったのか、ガイアスはぐっと堪えるように手を握って椅子に座りなおした。
ガイアスとレイシスの二人が、父親になぜ医者を連れてきてくれなかったのかと詰め寄っていたのは知っていた。悔しそうに口を閉ざした父親に聞けずに、その専属医の家に押しかけたのも、知ってる。
なぜなら私も、あの日メイドが「いくらお金をつまれても医者が見ようとしなかった」という言葉が引っかかっていて、二人の後をこっそりと追ったのだから。
そして知った真実に、私は子爵への激しい怒りと共に、ここしばらく情報を探っていたのだ。
得たのは今回の件で街やメイド達の噂話として持ち上がる話はほとんどが……この領地の領主、マグヴェル子爵への不満だった。
もともとあまりいい評判はなかったようだが、視察と称してうちに来る時はいつも好意的に見えていたので気付かなかった。当たり前だ、うちは、お金持ちの部類に入るのだ。蓋を開けてみれば、子爵は領民から巻き上げた金を王都でギャンブルに使い果たしているだとか、気に入らない使用人をすぐ解雇にするだとかいい噂などまったくなかった。
うちに雇われている使用人は、元は子爵家使用人だったものも多いらしい。どうりで、職にあぶれている者が多かったわけだ。
「ちょっと待ってくれ。わかってると思うけど魔法学園に入るには、それ相応の能力を持っていると判断されたやつだけ、そこの領主に推薦されて行く事になっている筈だ」
「そうね」
頷く。領主の推薦があって初めて、国が支援するのだ。
「……無理だよ、アイラちゃん。あの領主は、お兄ちゃんの話を蹴ったんだ」
「……お父様から聞いたわ」
そう……父と話した時、教えてくれたのだ。実はサフィルにいさまに学園側のアプローチがあったと。それを、マグヴェル子爵が適当な理由をつけて蹴ったらしい、と。
父は何も言わなかったが、恐らく……うちにこれ以上力がつく事を危惧したんじゃないかと思う。ただでさえうちは事業を成功させ、評判がいい。うちがもし爵位を賜る事があれば、子爵家の領地から外れるだろう。そうなれば、私達は子爵に税金を払うことがなくなるのだ。
「入れっこないじゃんか、王都の学園なんて……」
「もう一つ方法があるじゃない」
ガイアスの言葉を遮った私に、え、と全員の視線が向く。
一呼吸おいて、私は口を開いた。
「うちを貴族にする」
まったく同じ顔、同じ体勢で、唖然とした表情を浮かべて固まる二人と、きょとんと首を傾げたサシャをまるまる一分間たっぷりと見つめる。
そして意味を理解した二人は、さすが双子というべきか、同時に叫んだ。
「えええええ!?」
「お父様が男爵位を賜ればすべて解決だわ。ガイアスやレイシスだってうちで推薦できるし」
「でも、でも爵位を賜るって相当儲かってないとだめだって聞いたぞ!?」
「でも、うちはそうなるんじゃないかって噂がある位だもの。きっと大丈夫よ、お父様だって『爵位を賜ることができればお前達は難なく学ぶことができるのに』って言っていたし」
悔しさが滲んだ苦笑を漏らしながら父が言っていたのを思い出す。たぶん、父はサフィルの道を子爵に潰されてしまった事に怒りを覚えているようだった。
幸いうちは優秀な使用人、優秀な職人と、人材の宝庫だと思う。父が爵位を賜ったとしても、やっていけるからこその発言だろう。……いや、あの父の顔を見るに、恐らく爵位をうちに、という話を子爵家が潰しているのかもしれない。あくまで推測の域だけれど、父は商売に貪欲だが貴族になりたがるタイプではない。きっと爵位をほしがる何かがあるのだ。
「でも、どうやって……」
「それでね、これなんだけど」
私はテーブルに載せられた二種類のお菓子を指差した。
テーブルには、私達が普段よく食べる『テケット』と呼ばれる丸く平べったい菓子……ビスケットのような菓子と、サイズはそれと変わらないが、明らかに見た目が違う、もう一種類。
「ああ、これ、気になってたんだけどなんだ? ん……パンか?」
ガイアスが首を傾げつつ手に取って、その感触に思いついたのかパンだと言ったそれ。
「立派なお菓子よ。ホットケーキ」
「ほっとけーき?」
私の言葉をサシャが繰り返す。
そう、テーブルにあるのは、テケットと同じサイズで焼いたホットケーキだ。大きく焼かなかったのはただ単に試作で作ったため生地の量が少なく、全員にいきわたるようにと思ったら小さくなっただけなのであるが。
私はそこで本の後ろに隠していた蜂蜜の小瓶を取り出す。これは、父が以前お土産でくれたものだ。外国でしか生産されていないらしく、この国ではあまり普及されていないらしい。こんなにおいしいのに、もったいない事だ。どうもこの国は少しばかり閉鎖的らしい。
「蜂蜜よ。これかけて、食べてみて?」
つんつんと指でつついたり持ち上げてみたりしていた三人が、恐る恐る、不思議そうにその小瓶を傾けちょっとだけホットケーキに乗せると、ゆっくりと口に含む。
「……なんだこれ! うま!」
まず最初に歓喜の声をあげたのはガイアスだ。サシャもそんな兄を見て口に入れ、おいしい! と嬉しそうに声を上げた。
「はちみつ、ってのも美味しいけど、ほっとけーきっていうのもすごいね。パンよりやわらかくて甘くて、すぐに口からなくなっちゃうけどとてもおいしいや」
「うん。次によく食べるこれだけど」
テケット、と呼ばれるお菓子を私は口に入れた。
確かにほんのり甘い。だが、口の中の水分を持っていかれるようなそれは……うん、それしかないとわかれば食べるのだが、あまりおいしいというものではないのだ。
「僕、今までこれが一番美味しいお菓子だと思ってたよ」
感心したようにレイシスが言う。この国のテケット以外のお菓子といえば、甘い花の蜜を直接吸ったり(小さな頃サルビア等の花の蜜を吸った事のある人は私の世界にもいたはずだ。虫もいるしオススメはしない)、果物だったり、よくて果物を焼いたり、だ。
なぜ、なぜこの国の人はお菓子を極めようとしないのか!
甘いお菓子は乙女のみではなく、人類に必要なモノである! とろりとまるで宝石が雫になったような蜂蜜をたっぷりかけた甘いホットケーキだけじゃない。ふわふわの白くてやわらかな生クリームと、それこそ真っ赤な宝石と見間違うようなイチゴでデコレーションしたケーキ、ほのかな苦味で大人もおいしい、お菓子といえばなこれ、チョコレート。ちょっと甘いものが辛いときには塩気が聞いたおせんべいでもいいし、屋台で見かけるようなふわっふわなわたあめでもいい。あ、屋台はりんごよりいちご飴派! とにかく、お菓子は人を幸せにするのである!
……この世界に生まれて、お菓子が少ないことに不満を抱いていたのが今爆発しました。失礼しました。
「なぜお菓子ってこれだけだと思う?」
「王都の貴族は、テケットに切った果物を載せて、二つ隣の国から仕入れている変わったミルクに砂糖を混ぜたものをかけてナイフとフォークで食べると聞いた事があるよ」
「変わったミルク?」
レイシスからもたらされた情報を、用意していた紙にメモを取りながら思案する。
私がほしいのは、生クリームだ。さすがに作り方知らないしとても自力で作ろうと思ってできそうにないんだけど……
これでも、前世ではお菓子作りが好きだったりしたのだ。なぜって、身体が弱かったからスポーツなんかは不向きだったからね……まぁ最大の趣味といえばゲームや漫画だったりしたんだけど。あ、そういえばネットで手に入れた好きなキャラの同人本ってどうなったんだ……? 私が死んだ後一体誰があの部屋の片づけを!? 私の大佐どうなった!
さーっと顔から血の気が引いた気がしたが、そもそも確認のしようがないので考えないようにするしかない! くっ……よりによってあの本が……
「ごめん、僕も詳しくなくて。父上なら詳しいと思うんだけど」
「あ、ああ、そうなんだ、ごめんありがとう」
慌てて頷いて、紙に「要確認」と追記。
ふむ。生クリームであることを祈る。他にほしいものといえばチョコレートだったりするんだけど……この世界は食べ物がほとんど似通っていると思うんだけど、カカオ豆ってあるんだろうか。正直見てもわからん、チョコレートの形で私の目の前にひょいっと現れてくれないものか。
「で、これが?」
ガイアスが自分のホットケーキを食べ終わり、じっと私の皿に視線を向けているのでそっと押しやりながら返事をする。
「もちろん、売る」
かくて、秘密の? 作戦会議を終えた私達はそれぞれ動き出す。
ガイアスが親が出かけるのに合わせて街に行き、父にホットケーキを一枚渡した代わりに受け取った軍資金で材料を買い集め。
サシャは調理人である母親に台所を使えるように打診しに行き。
レイシスは私が提案するお菓子を簡単にメモしていき、二人で意見交換をする。
狙うのは、一般市民……民衆だ。いくら美味しくて珍しいお菓子だったとしても貴族が簡単に買うわけがないのだから。
最初は屋敷で販売する。まるでケーキ屋さんのように、一人が売り子となり私とサシャが手伝ってリミおばさんと作り上げたお菓子を店頭に出すのだ。それで成功するならば、父に本格的に商品として扱ってもらえるように打診する。
ただし、うちの商会が取引しているのは民衆が扱うもの全般ではあるが、調理された食品はない。一番多いのは服飾品なのだ。その為各地に店舗は多いのだが、一緒に販売はできないだろうから別に店を構えてもらう必要があるだろう。そうなればお菓子を作る職人さんも必要だ。そもそも大きくするならば私達だけではどうにもならない。
そんな問題点を紙にメモしていく。最初から簡単にいくとは思っていないが、私の前世の知識はこの世界にはないもので斬新であるはずだ。そしてそれは、ホットケーキを食べた周りの反応を見る限り悪くない。あとは父の力を借りる事を惜しむ事はしない。私に起業の知識はない、というよりまだ子供すぎるのだ。立っている者は親でも使えである。彼は、根っからの商人である。使えると判断してもらえばいいのだ。そこから諦めているようでは、復讐などできるはずがないのだから。
ホットケーキを食べたリミおばさんはその味にいたく感動したらしく、元気になって頑張る私達に嬉しそうに協力を申し出てくれ。
父にはそれらしく紙に案を纏め、企画書よろしく提出してある。一応子供っぽくただ商品名と特徴を書き綴っただけの、本来であれば企画書とも言えないものではあるが、一応覚えて間もないこちらの世界の文字でなんとか書き綴った。
一ヵ月後、父に試食会を提案した私達は日々奔走したのである。ただし、主にその間試食に精を出したガイアスにとっては幸せな期間であったと思われるが。