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「とにかく一番安全なのは屋敷だ。屋敷の正面前の大通りにあいつがいるから、裏を回ろう」
「なら林を抜けていこう。こっちが近い」
ぱたぱたと早足に進みながら、前を歩くガイアスに続いてフォルとレイシスに挟まれるように歩き、後ろに先生とルセナがつく。
「おねえさまは?」
「もう屋敷に戻っている筈だ」
ほっとして、周囲をさり気なく警戒しながら大通りからわき道に逸れようとして……足を止めた。
「アイラ?」
「駄目だ。大通りから行こう。じゃないとデューク様が危ない」
「は?」
怪訝な表情をするガイアスを見上げる。彼は、どうやってここにきたのだろう。
「ガイアス、私たちを探してくるって言ってデューク様と先輩から離れたんじゃないの? 先輩がもし青目の……あのエルフィだったら、ガイアスは精霊につけられていた可能性がない? 今不審な行動したら……」
「……おいまて、それならまずい。それどころじゃないぞ。もしさっきの会話を既に精霊に聞かれていたら俺たちが疑っているのはすぐ伝わる」
しまった。
私が懸念する事よりも前に、私達はもう致命的なミスを侵していたらしい。
わき道にそれて疑われるよりも、先にガイアスが私に逃げろと言っているのを伝えられたら。
青褪めた私たちが走り出そうとしたが、やたらと落ち着いた声が後ろからかかり、それを止められた。
「大丈夫ですよ、落ち着きなさい」
「おねえちゃん、ごめん、ガイアスが走ってきた時点で僕が声を漏らさないように防御結界張ってた、今も」
「……ルセナ、ナイス!! 悪い、俺のせいだほんとごめん!」
状況を飲み込んだのか、青褪めていたガイアスが頭を掻き毟る。よくよく目を凝らしてみれば、確かに私たちの周りに極薄い魔力の膜が見えた。さすが、ルセナ。随分と精度の高い魔法を使う。
「それにしてもそれなら、やはり裏道を通るのは得策ではありませんね。いいでしょう、必ず全員屋敷に戻す時間を稼ぎますから、正々堂々真正面から向かいましょう、いいですね?」
先生の声に、頷く。どうやら先生はやはり、相手がエルフィである事を理解し警戒していたらしい。
第一部隊隊長ともなれば、かなり場慣れもしている筈。信じて手を握り、ゆったりと歩き出す。知らず緊張で手を握りこみそうになるのをなんとか堪え、いつも通りの道が長くすら感じながら、前を見て歩く。
アルくんにもジェダイにも絶対に外に出るなと念を押し、少しして。
「いましたね」
フェルナンド先生と私達が見つめる先に、やはり覚えのある姿が王子と話しているのが見えた。穏やかな笑みで、それはとてもいつも通りで。
目立つだろう私たちにすぐに気づいた彼が、私たちの後ろにいる先生に驚いたのだろう。僅かに身体を硬くした。たったそれだけの行動ですら怪しく見えてしまうのだから、今までの付き合いは一体なんだったのだろう、と悲しくなる。
「アイラ」
恐らく表情に出すなという意味だろう、フォルが隣で私に囁くのに、なんでもない振りをして「うん」と答え、前を見据える。
アーチボルド先生が、屋敷へいけと目配せする。……どうやって。ここで走り出すなんて怪しすぎる。
そっとレイシスを見上げると、彼は表情を変えないまま「難しいですね」と言う。その瞬間、遠くから声がかかった。
「アイラ殿!」
ああ、もう駄目だ。とりあえず話を聞かなければ。いや、まだ完全に怪しいわけではないのだから、そんなに緊張しなくてもいいかもしれない。
じっとりと手のひらが汗ばみ、笑みを作るものの返事は出来ず微笑みだけ返す。淑女たるもの大声を出さず……! と普段じゃありえない言い訳を考えていると、ふと視界に笑みを浮かべたフォルが見えた。
「大丈夫だよ」
その一言ですとんと落ち着き、頷く。そうだ、皆いるんだから。
「先輩、お久しぶりです」
「大会の日以来だね、久しぶり、アイラさん」
やわらかい笑みを浮かべ私に近づく彼を、誰もが止めず、しかし視線を外さずに見つめている。
しかし彼はやはり立場のせいか、まず先に私たちの後ろにいたフェルナンド先生に挨拶した。
当たり障りなく私たちの教師を務めていて屋敷まで送りにきたのだと答える先生にお疲れ様ですと敬礼するカルミア先輩の様子に、おかしなところは特に見られない。
「今日は丁度地元から王都に戻ってきたから顔を出してみたんだけど……その様子だともしかして、もう聞いてる?」
先生との短い会話を終えた後突然話題を振られ、意味がわからず硬直する。何の話だ、と見上げた私の視線を受け止めて彼は苦笑した。「やっぱり」と。
まさか、自分が疑われていたのに気づいていたのかと全身が冷えたが、彼は気にしないでほしいと首を振って笑う。
「もともと難しいなとは思っていたんだ。一度しっかり振られていたし……ご実家から確認でもあったのかな」
「あ、その」
思わず目を見開く。な、なんだ。実家に来てた婚約話のことだったのか。……いやいやこれはこれで気まずい! そもそも私の婚約者(仮)は既に隣にいるのだ。
しかし、「そっちか!」という態度を思わず取らなくてよかった。少しだけ目線を下げて申し訳ないといった様子を見せながら、必死に思考を巡らせる。それだけ? その為だけに来た? 何か裏がある?
「……アイラ、お前今日が締め切りの依頼があるだろう、急げよ?」
天の助けと言わんばかりにアーチボルド先生が投げてくれた言葉に「そうでした!」と頷いて見せれば、フォルがさり気なくそういえばそうだね、急ごうかと促してくれる。それでは失礼しますとなんとか挨拶を口にして場所を離れようとしたのだが。
「アイラさん」
呼び止められて振り返る。向けられた青い瞳を見て、ぞくり、と背筋が冷えた。……おかしい。夏に見たとき彼の瞳は、こんな濁った青だっただろうか。
「残念だな。それじゃあ、また」
はい、という言葉が僅かに掠れた。すかさずガイアスが間に入り、先輩に向かって笑う。たぶん、「やだな先輩、マナー違反ですよ」と言っていた気がする。そうだ、私は縁談を断っているのだから、こうして直接伺いに来るのも本来ならばおかしい。……友人という立場で来ているのだろうけど。
「それは残念」
笑う先輩の声が異常に感じた。
はやく、いかなければ。私達が立ち去った後、恐らく先生が彼を上手くいって逃しはしない筈だ。彼には極秘だろうとなんだろうと、連行しろと指示が出されている筈なのだから。
背を向ける。レイシスとフォルに挟まれて、王子とルセナが後に続いて、最後にガイアスがそれではと先輩に挨拶を返してこちらに来た。
道が大通りからはずれ、屋敷が見えてくる。走り出したい気持ちを抑えるが、ばくばくと心臓が煩く鳴った。そこに、窓からこちらを見るグラエム先輩の姿を見つける。
先輩、出てきては駄目です。そう思ったのに、先輩はなぜか目を見開き、窓を開け放った。
「おい嬢ちゃん! 屈め!」
「えっ」
慌ててその場に座り込む。膝を僅かに擦ったが、それどころではなかった。風がびゅうびゅうと私たちの周囲を煽り、くそ、と叫んだ先輩が私達の元に駆けつける。
「カルミア、てめぇ!」
「先輩にその口調、良くないよグラエム君」
気づけばすぐ後ろで聞こえる声にぎょっとして振り返る。……アーチボルド先生と、フェルナンド先生の姿がない。まさか、あの二人が先輩を逃すようなことが何かおきたのか。
「先輩!?」
「もう、わかってるよね? ねぇ、君を連れて帰りたいんだ、アイラさん。君が必要で、君が邪魔なんだよ」
意味がわからず、だが緊急事態だとグリモワを手にする。ガイアスと王子が剣を抜き、フォルが氷の花で私を囲う。ルセナがさらに厚い防御を重ねるが、私は混乱の中蹲っていた。
君が必要で、君が邪魔。
相反する言葉だが、彼は何を言おうとしているのか。
先輩は笑っている。口元には変わらぬ優しげな笑みが浮かんでいるのに、目はとても濁っていた。……ああ、彼だ。彼がやはり、あの青目なのだ。
ベリア様を殺した、あの。
「どうして!!」
「どうして? アイラさん、俺、最初は一目惚れだったんです。でも見るたびに素敵な女性だなって思ってたらどうしても我慢できなくて。勇気出して告白したけど実らず、すごい苦しんだんですよ?」
ふるふると首を振る。そんな話をしていたわけではないじゃないか。笑う彼の表情にぞっとして、背中を嫌な汗が流れ落ちる。
「貴女なら、きっと俺を救い出してくれると思ったんです。初めて存在を知ったのは、あなたが学園に入学した以降のことでした。ただ可愛いなと思っていただけなんですが、貴女は馬鹿なことをしたティエリーたちに負けず、諌めた。鮮やかでした。最後の回復魔法には感嘆したものだ。躾がなっていなくて申し訳ないくらいだ」
何を言っているのかわからず必死に考え、ふと入学当初今名前が挙がった二人に絡まれたことを思い出す。そしてその二人の現在の立ち居地に、ぞっとした。彼らはいい印象がない。ルブラを疑われているではないか。
「調べてみれば、新入生が来る前に研究と実験で放ったグーラーはその年に入学した男女三人組に全て殺されたというじゃないか。その後もずっと、こちらの手駒を駄目にするのは君達だ。気にするなというほうが無理だろう? 調べても調べてもたいした情報を得られないなんて、逆に気になるのが人間だ」
「カルミア・ノースポール。その発言、一連の事件の犯人だととっていいのか」
王子の鋭い声が飛ぶ。先輩は、笑った。
「ふふ、ははは、ははははははっ! あんなにヒントをあげたじゃないですか、わざわざ接触して。ねぇ、アイラさん」
その声音は、あの日、私の耳元で囁いた声と同じで。
――ここまでですね。せっかく与えた情報、上手く使ってくださいね。
「ベリア様を……殺したのは……」
ぽつりと言葉が零れたが、それはグラエム先輩の嘆く声にかき消されて。
先輩はそれを見て、壊れたように笑っていたのだ。




