259.フォルセ・ジェントリー
少し長めです。
「あ、アイラ? 何、どうしたのそんな状態で……ちょっと待って、今タオル冷やして持ってくるから」
真っ赤で少し腫れた目を見て慌てて部屋にとって返した瞬間、ばたんと扉を閉じる音と同時に背を引っ張られる。
「……え?」
「フォル、フォルごめんなさい……!」
どうやら俺の服を引っ張って顔を俯けているらしいアイラが、しきりに謝ってくる。何の話だそれよりどうしてこんなことにと混乱した頭が理解する前に、彼女は涙声で謝りながら話を続ける。
「私も、いたのに。ベリア様のこと全部、ぜんぶフォルにやってもらっちゃって、私だって医療科なのに何もできなくて……!」
涙を堪えた上ずった声でそう話す彼女の言葉を脳内で整理して、漸く意味を理解する。
つまり彼女は、昨日の事を悔いているのだ。
何か事件が起き死者が出た場合、医師もしくは騎士の中でも医療を学んだものが、確認とその後の検分を任される。医療科の二年ともなればかなりの医療知識の得ていると判断され緊急時はその場を任される事になるが、昨日のアイラはとてもそれができるような状態ではなかった。
真っ青な顔でがたがたと震え、亡くなった見知った少女を見つめるアイラに、その少女の死亡宣告をしろとは言えず。それでもまだ見習いの俺は、アイラの名前と連名でそれを代わって宣言した。
その後騎士立会いで死亡原因等をざっと調べたのも俺だった。死亡原因は毒。魔力分解の毒で魔力を絶たれ、腕、そして特に深い喉の傷から血が流れすぎた事による失血が恐らく原因。アイラは猫の姿に戻っていたアルをひたすら震える腕で、まるで逃がさないと言わんばかりに抱き、魔力を不安定にさせていた為にガイアスとレイシスがベリアの遺体から強制的に離したのだ。
身内であるグラエム先輩の前で泣くのを耐えようとしたのだろう。唇が切れるまで涙を耐えひたすら震える身体に抗っていたアイラのその唇の怪我を治療したのも俺だったが、真面目なアイラがそれを気にしない筈がなかったのだと気づいて先に配慮してやればよかったと自身の失敗に眉を寄せる。
「つらいこと、全部任せちゃってごめんなさい……!」
とん、と背中に頭が押し付けられた感覚と同時に、服を掴む力が強くなったようだ。肌を押す布の力がきつくなったが、苦しいわけではないのでそのまま黙ってその場で足を止める。
小さく息を飲む音が断続的に聞こえる。たぶん、泣いているのだろう。泣いたほうがいい。昨日の彼女の様子はあまりにもおかしかった。たぶん、勝手な推測だが、過去と重ねたのだろう。今ここにいる彼女が、昨日と同じように猫を抱いたまま離せないでいるのではないことにほっとする。
できればそのまま振り返って抱きしめてしまいたいと思ったけれど、それは堪えてそのまま待つ。普段は割りと強気な彼女の俺の服を握る力の強さからいって、きっと見られたいわけではないと思うから。
しばらくして漸く少し呼吸が落ち着いてきたところで、そっと一歩足を踏み出せば、ゆっくりと彼女の手は力が抜けていった。そのまま後ろを見ずに待っててと声をかけてタオルを暖かい湯で濡らし、なるべく顔は見ないようにそっとそのまま彼女の目を覆った。
「アイラ。僕は大丈夫だから」
「っく、で、でもね」
何かを言おうとしたアイラは俯いたまま、タオルに手を当ててぱくぱくと口を動かしている。また切れてしまったらしい唇の赤い色を無意識に見つめていることに気づき、はっとして視線を逸らした。場所が悪すぎる。
俺はあまり関わる事はなかったが、アイラはたまにラチナとベリアの三人でお茶をしていたようだから、見知った人間が亡くなってつらいのは当然だ。
俺の調べだが、ベリアは死後数時間はたっていた。本当にあの男はわざと取引の為にあそこに遺体を置いたままだったのだろうと思うと、俺ですら強い怒りが沸くのだ。アイラが耐えられなくても仕方がない。まだ俺らは医師じゃない。そこに甘えればいいのに、彼女はきっと許せないのだろう。
「アイラ……」
何とか彼女を落ち着かせようと声をかけようとしたが、上ずった声のまま俺の名を呼んだアイラはタオルをぼたりとそのまま落とし、今度は俺の肩口に手を伸ばすとぐっと握り、すがるように俺を引き寄せた。
「でも、私、あの時男を逃がしてしまったの!」
「え? 待ってアイラ。アイラはよくやった。ハルのせいってわけでもないけれど一度捕まえたのに逃がしたのはアイラじゃな……」
「私気づいてた! ハルバート先輩の糸じゃ、あいつの相手は厳しいって気づいてたの。どう、どうしよう。あいつを逃がしたから、今度はきっとグラエム先輩も、ヴィルジール先輩だって、ど、どうしようフォル、私のせいでまた、ベリア様みたいに……!」
「落ち着いて! グラエム先輩だってヴィルジール先輩だってそんな簡単にやられるような人たちじゃない」
「でも……っ! あいつの相手は、私がするべきだったってわかってたのに……!」
「違う!」
混乱しているらしいアイラを思わず抱き寄せる。その背に手を回せば、ぐっと小さく感じる身体はやはり震えていた。
なぜ先輩達まで殺されるような話になるのかわからないけれど、とそこまで考えて、昨日彼女が王子に報告していた内容がおかしかったことを思い出した。
「……敵の狙いはパストンだったの?」
「ち、ちがっ……」
何かを言いかけたようだが、アイラはそのまま口を閉ざしてしまう。
どうしたものかと背を撫で、一度身体を離してその切れてしまった唇に治癒魔法をかける。欲に忠実な俺の一部分が、空気も読めずその唇の血を舐めとりたいなんて思いに馬鹿なことを起こす前に。
「とりあえず、落ち着こうアイラ。待ってて、お茶でも淹れるから」
今この状態のアイラに何かしたいと思うわけではない。むしろ牙は引っ込み逆に俺の身体は落ち着いたようだが、この状態が続いていれば危ういと思ってしまうのを多少情けなく思いつつ、アイラを椅子に促す。
俺に抱きついて泣いたとなれば、正気に戻った彼女は別なことで今度は悩むのではないだろうか。
ふっと息を吐きかけた時、またしてもノックの音が部屋に響く。
……彼女を探しにきたガイアスかレイシスだったら怒られるな。というか、レイシスだったら気まずい。いや、ライバルや兄代わりに会えないようなやましいことはしてない、筈。
誤解だ、泣かせたわけじゃない……いや俺が泣かせたのか? とどうやら俺もアイラの涙で混乱しているらしく一人そんなことを考え、一度鏡を見て目が赤くなっていないことを確認してほっとしつつもその扉越しに声をかけると。
「俺だ」
「……デューク?」
聞こえた声に驚いて扉を開けると、中を覗き込んだデュークが苦笑し、勝手に部屋の中に入って、扉を閉めた。
「泣かせたのか」
「泣かせてない!」
「そうか」
あっさりとそう返すとデュークは俺の横を苦笑したまま通り過ぎてアイラの元へとまっすぐ向かう。
アイラはデュークを見ると真っ赤な目を丸くしてびくりと肩を震わせ、そのまま勢いよく立ち上がるとまたすみませんでしたと頭を下げる。
「アイラ、落ち着け大丈夫だ」
デュークはそう言うとアイラを再び椅子に座らせ、自身もその隣の椅子を引く。
どうやらデュークはアイラが泣いている原因を知っているらしいと気づく。やはり昨日何か聞いているのだ。
「パストン家は必ず守る」
「……は?」
思わずその言葉に反応してしまう。狙われたのはやはりパストンだった? いや、アイラはさっきそれを否定した。
じっとデュークを見つめると、ちらりと俺に視線を投げたデュークが空いている椅子を指し、仕方なく急いで中途半端にしていたお茶を人数分淹れ、座る。
「今これから王太子として二人に話す内容は他言無用」
そう言って顔を上げたデュークを驚いて見つめる。アイラも涙を止め目を丸くしているが、ぐっと手を握り締め王子を見つめた。
「現在極秘とされている情報をジェントリー公爵家次期当主、フォルセ・ジェントリーにも開示する。フォル、覚悟はあるな?」
「了承した」
デュークの覚悟が伝わって、こちらも覚悟を決める。元よりデュークと共にこの国の膿を排除する約束をしたあの時から、全ては一蓮托生だ。
「アイラが持ち帰った話によると、本来敵がこちらに接触を図り、得ようとした情報は……こちらのエルフィの存在についてだ」
「……え?」
それは、つまり。
「こっちの仲間にいるエルフィが誰か知りたかった……ってこと?」
「そうなるな。恐らくこちらの情報の強さから、エルフィがいる可能性に思い当たった。そしてそれを敵は、俺らに聞く前に理解した」
「まさかアイラ……!?」
思わず立ち上がりかけ、怒りに沸騰しかけた脳内がまるで差し水でも加えられたように急速に冷えた。アイラが危ない、と思ったのは一瞬だった。
すべての疑問が可能性に代わり繋がって、一つの結論を導き出す。
「……パストンはエルフィの一族か……」
「察しがいいな、パストンは風だ。敵は恐らく、纏わりついて邪魔だったベリアを殺す際に風の抵抗に遭った。敵も同様に風のエルフィであった為にその僅かな抵抗の意味を悟ってしまった。そうだな? アイラ」
「……そう、言ってました。でも、いいんですか……?」
ちらりとアイラの視線がこちらに向けられて、俺も不思議に思ってデュークを見る。
王家はエルフィの血筋を他人に知らせない。アイラが知ったのは不可抗力であろうが……。
「パストン当主と話をした。こちらでついていながらパストンの姫を守れなかったことは償わなければならない。王家は、種族を守る為に動く場合のみ当主に掛け合って協力を他者に依頼する」
手に持っていたらしい書類を机の上でまとめながら、デュークは静かな声でたんたんと説明をしていく。
揺らぎはないが、静かな怒りを感じた。ああ、デュークは本気だ。
「ジェントリー公爵家の次期当主は既に暗部の一部を動かしているな? ハヤサ班を俺に貸して欲しい」
「……成程ね」
俺に話したのは、パストンを護衛する為に力を貸して欲しいから、ということか。パストンの許可も得ていると。
敵はパストンが風のエルフィの血筋であると知って、そして逃げた。つまりパストン家が狙われる可能性が高い。……だからアイラがあれほどグラエム先輩やヴィルジール先輩を心配していたのか。
それも、敵が知りたかったエルフィというのは、恐らくアイラのことだ。アイラのことだから、自分の身代わりにパストンがエルフィであると知られてしまった、と考える可能性は高い。事実は違うが、結局敵はパストンに納得して引き下がった。
そっとアイラを見ると、真っ赤な目のまま唇を引き結んでじっとデュークの話に聞き入っている。……無茶しないように後で釘を刺したほうがいいかもしれない。
「それで、これだが」
ぱさりと先ほどまでデュークが弄っていた書類が机に広げられる。覗き込んで、ああ、と理解した。
ここ最近でアイラたちと一緒に作った、貴族リストだ。怪しい動きのある貴族と味方と考えられる貴族など派閥ごとに分けてあるそれは、どうやらもうデュークの手に渡っていたらしい。
「ここと……こいつらだな。こいつらは黒で間違いない。ルブラのつながりどうこうではなく、リドットの協力者だ。裏でも悪事を働いているからな、証拠を揃えて騎士団長に渡したい」
「わかった。ハヤサ班をパストンの方に出すのなら、ダカ班をその調査に回す。他の班は今動かせないが、一月……いやこことここなら二週間」
しばらくそうして書類を睨みながらデュークと調査範囲を絞っていく。途中アイラが困惑したような表情をしているのに気づいた。彼女は暗部の事はあまり知らないから、居心地が悪いのかもしれない。
「よし、フォルはこれを任せた。で、アイラ」
「え、あ、はい!」
「アイラにはこのリストにある貴族と商人を調べてもらいたい。できるか?」
デュークの言葉で真剣な表情でリストに目を通したアイラが、徐々に表情を険しくし、次の瞬間「あ」と声をあげる。
「大丈夫です。すべてベルマカロンの取引の範囲ですね。あ、ここと、この商家はカーネリアンから既に禁止植物売買の証拠書類を回収してあります。これで引っ張って余罪吐かせられませんか」
「……はぁ?」
デュークがぎょっとして目を見開いている。俺は俺で、今さらっと言われた内容に驚いてアイラを見つめてしまったが。
「えっと。リストを作ってる時にカーネリアンが昔妙な取引先だって言ってたのに気づいて、精霊に調べてもらってたんです。この地域の土壌じゃ育たない植物の名前が特産の陰にあっておかしいなと思ったら、案の定育成禁止指定植物のカモフラージュでした。で、カーネリアンと連絡を取り合って証拠押さえたんですけど」
この領地で育成して、この商家が販売してますね、闇ルートです。とさらさらと説明するアイラに絶句する。真剣になっているせいか涙は止まったようだが、裏で何をしていたんだ。危ないからやめてくれとどこかで願うのは、口にはしないから許して欲しい。
「……仕事がはやいことだ。カーネリアンが入学するのが益々楽しみになった」
若干呆れたような返事だったが、デュークはそれをメモすると頷き、あとは任せろとアイラにいつもの笑みを浮かべる。
「わかりやすい罪を皮切りにして裏を探る。パストンの話は伏せて双子に協力を頼むのは自由だ、アイラ。いいな? 一人で無理するな」
「……わかりました」
「ルブラの存在が掴めない以上しらみつぶしになるが、これ以上被害を増やせない。地道だろうがなんだろうがやれることをすべてやる。……アイラ、その証拠書類、今持ってこれるか?」
「あ、はい。すぐに用意します!」
立ち上がってぱたぱたと部屋を出て行くのを見届けると、デュークがすっと表情を変えた。
「フォル、お前にはアイラの護衛を秘密裏に頼む」
「……僕? いいけど、というか言われなくても。でもガイアスとレイシスの立場だって」
「わかってる。だがお前も気を配れってこと。もちろんお前も無理はするなよ、加減はできるやつだとは思うが。……表向きお前ら二人にはグラエムの護衛を任せる。グラエムをこの屋敷に移動させることに決定した。それにアイラはかなり責任を感じてるようだし。あいつの性格を考えると、グラエムを守る為となると双子だけでは抑えられないかもしれん」
「ああ、成程ね……パストンはなんて言ってるの?」
「一応、グラエムはともかくベリアは俺たちとは無関係なところで一人動いてのことだからな。怒りの矛先はもちろん敵にしか向いてはいない。だが、アイラの心中はそうはいかないだろう。パストン家としては全力で敵に抗うようだが」
「そう……わかった」
少しだけよかった、と安堵するのは仕方ないことだろう。王家に怒りを向けていない、そしてグラエムはともかくというデュークの口ぶりからして、パストンは王家に協力的な家だったのだろう。侯爵の位を断り続けている辺境伯というのが印象的だが、心強い味方だったようだ。それだけに、ベリアの死は非常に許されがたい事だ。
王家とのその関係がねじれたわけではないことにほっとする。確かパストンは次期当主は長男が継ぐ予定だったか。温厚な青年だったと記憶しているが、妹を殺されたとなれば怒りも強いだろう。デュークの立場からしてそちらのフォローを全面的に支えたほうがいいか。
明日の朝ロランにハヤサ班に連絡を取りたい旨を伝えなければ、と考えつつ書類を見ていると、視線を感じて顔を上げる。
「……何?」
「お前、アイラとはどうなってるんだ?」
「は?」
不躾な質問に思わず眉を寄せると、デュークは真剣な表情を崩さないまま、はあと目を閉じて大きなため息を吐いた。
「アイラは、現時点でもレイシスを兄弟のように想っていると思うが」
「だからと言って僕とどうこうなるわけじゃないだろう……」
少しの期待を押さえつけてそう答えると、デュークはあっさりと「まあそうだが」と言う。だからなんなのだ。期待させたいのか打ちのめしたいのかどっちなんだ。
「仕方ないだろ。これでも親友の幸せを願ってるんだ。レイシスだって大切な仲間だがな」
「……ありがとう」
「なんだろうな、お前に素直にありがとうといわれると裏がありそうで」
「デューク、喧嘩売ってる?」
微笑んでやれば引きつった笑みが返ってくる。うん、軽口を言う程度には、デュークはまだ感情を制御できているらしい。
「敵はしばらく手を出さないとか言ってたらしいが、そんなの信用してられないからな。……アイラを頼む」
「わかってるよ。デュークはちゃんと婚約者を守ってやってね? ……あ、アイラが来たみたい」
「センサーでもついてるのか、お前は」
「違うよ、足音したって」
やいやいと言い合っていると、扉がノックされアイラが書類を持って飛び込んでくる。分厚い。これをあの短期間で用意したのか、ベルティーニ子爵家の姉弟は。
さすがだ、とアイラを褒めたデュークは、それを受け取ってすぐぱらぱらと確認すると早々に立ち上がる。
「俺はこれで失礼させてもらうよ。アイラ、フォルを頼んだ」
「え? 頼む? デューク様、それ逆……」
アイラが言い終わる前ににやりと笑って出て行ってしまったデュークを、アイラが呆然と見つめる。……デュークめ。
それでも、すっかり落ち着いたのか涙を引っ込めた彼女を見て、ほっと息を吐くのだった。
偶数日更新に変更します。明日一度お休み頂きまして次回は2/4に更新予定。
なお人物紹介は明日中に更新します。




