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「じゃあこれは預かっていく」
そういって王子が私たち医療科がまとめたノートと参考の薬草を持って部屋を出て行くのを見て、小さくため息を吐いた。
やっぱりアニーはまだ出てこれないのか。……まあ、ノートは持っていってくれてるし、王子は大丈夫だって言ってるけど。
だけど王子。さすがに私もこの状態で「アニーは大丈夫」はいつまでも信じてはいられませんよ? 落ち着いて考えれば、話を聞くだけで城に留め置く意味はないのだから。
そう考えながら閉まる扉を見届けて、私はいつもの部屋でソファに身体を預け考えを巡らせる。丁度その時、おねえさまも部屋を出て行くのが見えた。また、自室で忙しく調べ物などに取り組むのだろうけれど、明日にでもおねえさまの体調も診察したほうがいいかもしれない。
さて、とここ数日を思い返す。
アニーが未だ戻らない。……可能性としては、私達に言えば心配するような危険な怪我か何かがあった、とか。
これは正直あまりない、と思う。あの時点で私、おねえさま、フォルもアニーを見ているし、アニー本人もかなりの医療知識を持つのだ。そこまで危険なサインを見逃す可能性は低いと思う。というより、考えにくい。
では、他は?
例えば……城の施設から出しては危険な程、アニーがまだルブラに狙われている場合、か。
だが、これに関して理由が思い当たらない。確かに誘拐されはしたが、誘拐事態はアニーがリドットに関わっているかルブラが尋ね、そうでなくても姿を見られたからついでに誘拐しといた、という感じらしいのだ。ハルバート先輩の説明曰く。
敵はレディマリア様にアニーが何を協力した可能性があると疑ったのか、一体何を聞きたかったのか。
それが知りたくても、アニー本人がわからなければどうしようもない。レディマリア様は知っているのかもしれないけれど、聞けないし……とそこまで考えて、脱線している事に気づいて慌てて思考を戻しながら、読んでいる振りにしかなっていない本を一ページ捲った。
なんにせよ、もし狙われているのなら、会えないのは寂しいが安全が確保できるまでこのまま城にいる方がいいかもしれない。私達の住む屋敷はともかく、アニーが住んでいるのは一般寮だ。
もちろんこの学園において寮の危機管理がなってないとか安全面に不安があるわけではないが、レディマリア様だって学園からさらわれているし油断大敵だ。
そういえば、レディマリア様が誘拐されたのは寮を出た直後だったらしい。水魔法を被せ氷魔法で足場を冷やし、というものだったが、そういえばトルド様があの日寮の前がつるつるだったと憤っていたのを思い出す。なるほど危険な筈だ、魔法で作り出された氷だったのだから。
そんなことを考えてまた脱線しているのに気づいた私はため息を吐いた。本当は一番初めに疑って、そして信じたくないひとつの可能性に思い当たっているから。
アニーが、まだ疑われていて解放されていないのではないか。
それはある意味最悪だ。アニーがなんらかの犯罪に関わっているとは思えないが、そうだとすれば本人の心労ははかりしれないものがあるだろう。一人きりで城の医療施設に疑われて留まるようにと言われていると気づけば、どれほどつらい時間を過ごすことになるだろうか。
それに、と顔を上げて、部屋にガイアスの姿がない事に気づく。
ガイアスも、王子に言われるがままアニーには会っていない。
明確な言葉を聞いたわけではないが、ガイアスはアニーに好意を持っている筈。それはおそらくアニーもではないかと、思う。たぶん、きっと。私だって鈍くない、はず。おそらく二人は両思い……だよね? 気持ちを伝え合っているかはわからないけど。
王子だってきっとわかっているはずだし、王子がアニーを疑っているとは思えない……思いたくない。きっと、大丈夫。頭でそう自分に言い聞かせていると、ふと視線を落としていた本が翳る。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「わっ、レイシス、びっくりした」
すみません、と謝りながらもレイシスが微妙な表情で視線を落とした先を追って、少しして「あ」と間抜けな声が出た。
「お嬢様」
「いい、言わないでレイシス、わかってるから」
私が持っていた本、逆さまだ。しかもまったく内容が目に入っていなかったのか、見ていたのはまさかのアドリくんが置き忘れたらしい絵本。可愛らしい白い兎が雪の中で雪の精霊に話しかけているという場面で、逆さま。
「……考え事ですか?」
「うん、まあそうなんだけどね」
パタンと絵本を閉じて、アドリくんがいつも本を置いている場所にそれを戻す。
最近アーチボルド先生がいない時間が多いせいかアドリくんは皆もいるこの部屋でアルくんと遊んでいる事が多いのだけど、今日は眠たがっていたからきっと早々に休んでしまったのだろう。
立ち上がって、この部屋にいるのが自分とレイシスだけだったことに漸く気づいた。
「あれ……皆は?」
「ルセナとガイアスはさっき戻りました。フォルは食後すぐに部屋に戻ったみたいですけど……ラチナもフォルもあまり休憩を取っているように見えませんね」
「だよ、ね」
ふう、とため息を吐くと、レイシスが立ち上がる。
「お嬢様、ガイアスがこの後話があると言ってたのですけど、よければ俺の部屋にお嬢様も来ませんか? ルセナも来るそうです」
「そうなの?」
なんだろう、と考えつつ、もしかしてアニーのことかな、と眉を寄せる。
不安が顔に出たのか、レイシスはにこりと笑みを見せてくれた。
「あまり深く考えないでください。ガイアスは大丈夫そうでしたし、あ、レミリアからおいしい茶葉をもらったので、皆で部屋で飲むかって位ですから」
「うん……」
頷きながら、レイシスとこうして話せることにほっとする。わかった、と頷けば嬉しそうに微笑むレイシスの表情は幼い頃からあまり変わらなくて、ついつられて笑みを浮かべた。
「ガイアス達は一度部屋に戻ってから来るそうですけど、お嬢様はどうします?」
「うーん、特に用事はないから、いいかな。すぐ来るんでしょう?」
「はい。では行きましょうか」
レイシスと穏やかな会話をしながら部屋の明かりを消し、階段を上る。
どうやらガイアスとレイシスが以前から気に入っていたらしいお茶を、地元からレミリアが取り寄せてくれていたらしい。私は実家にいた頃お気に入りの茶葉のお茶ばかりではなく、好奇心からいろいろ試していたせいで名前を言われてもぱっと味を思い出せないが、ほのかに甘みもあって香りもいいのだと聞いて楽しみになってくる。
「お邪魔します」
「どうぞ」
久しぶりに足を踏み入れたレイシスの部屋は彼らしく綺麗に整頓されていた。扉を閉めようとしたとき、どこかの部屋でバタンと扉を閉める音がした気がして顔を出したが、廊下は誰もおらずしんと静まっている。
「お嬢様?」
「ううん。ガイアスたちが来たのかと思ったんだけど……あ」
丁度ガイアスが出てきたのが見えて手招きすると、ルセナもすぐに自室から姿を見せた。
四人集まったところでレイシスがお茶を淹れるために席を立ったのに続き準備を手伝い茶葉をチェック。お、確かに見たことあるかも。そういえば王都ではあまり見かけない茶葉だ。
うちの領地周辺で取れる茶葉なのか、原料の植物はなんだろう、効能は、と真剣に見つめていると、レイシスが隣でくすくすと笑う。
「医者の顔になってます。茶葉で」
「えっそうかな……職業病?」
「将来仕事中毒になってそうですね。絶対身体を休める時間は作らないとだめですよ? 身体を壊しては元も子もないですから」
「それ、今はデューク様とおねえさまとフォルに言うべきだと思う」
そんな会話をレイシスとしていると、後ろからガイアスが大きく「それだよ!」と指をさして叫んだ。
「今日集まってもらったのは他でもない」
「何、ガイアスその口調、誰かの真似?」
普段とは違い真剣な様子で口を開いたガイアスがルセナに突っ込まれて、ガイアスは笑いながら最後まで言わせろとルセナの肩を軽く叩く。軽口を言い合う様子を見て、よかった、大丈夫そうと一緒に笑う。
「ちょっとさ、あの三人今無理しすぎだと思うんだよねー。あれじゃぶっ倒れるって」
「あ、それ本当にまずいかもしれないの。今日フォル体調悪そうだったし」
「まじで? 医療科の期待の星が過労で倒れたら笑えねーぞ」
ガイアスと話しながらレイシスとお茶を配り終え、席についた私はうんうんと同意しながらさっそくお茶に息を吹きかけ、冷ましながら香りを楽しむ。うん、落ち着く、いい香りだ。確かに飲んだことあるかも。
「何かできるかな?」
「できるかできないかじゃなくて、やらないとまずくないか?」
「確かに。最近のデュークは働きすぎだし……何より確かに、フォルもまずそうだ。今日食事中に珍しく眠りそうになっているのを見た」
レイシスの言葉に思わず「え」と顔を上げる。
「食べながら寝るなんてフォル器用……じゃなくて、確かにまずいね」
フォルがまずい状態なのは私だって昼間赤い瞳を見てよくわかっている。本人は大丈夫だと言っていたけれど、やっぱり不安になってきた。
そうして私達は作戦会議を開始。会議は夜遅くまで続き、一人部屋にいればいらないことを考えてしまいそうだった私は満足な時間を過ごしてその日ベッドに入り込んだのだった。作戦決行は明日からだ。