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え、何が起きた。なんで私はこんなお嬢様方に囲まれてるんだと我に返って、明らかに私より爵位の高いであろうお嬢様を前に座ってるのもおかしいと慌てて立ち上がる。この世界の過剰な身分制度は好きではないが、目上の人や初対面の人に対する礼儀は忘れてはいけません。
どうすべきかと思案しつつとりあえず母に習った通りにスカートの両端をつまみ少し腰を落とすと、ふふっと小さな笑い声が聞こえた。
「随分素敵なお召し物ですけれど、お顔を拝見した事がありませんわ。どこからいらした方かしら?」
集団の先頭に立つ少しクセのある青灰色の髪の少女が挨拶をすっ飛ばして、可愛らしい甘い声で、だが少しばかり高圧的な態度で質問を投げかけてきた。見た感じ私より若く見えるのだが、纏う空気は人の上に立つことに慣れているものだ。
少女の言葉に、周りの取り巻きらしき少女たちがくすくすと笑う。中には私より何歳か年上に見える少女も混じっているが、おそらく身分がこの先頭の少女より下なのだろう。学園は入学時の年齢が決まっていないので、ここに集まっているメンバーは全員十代ではあると思われるが、年齢はばらばらのようだ。
恐らく見たこともない私が、着ているものが上等だから気になったのだろう。当然だ、私はこの国で今や一二を争う服飾品を扱うベルティーニの娘だ。庶民が着る物の方が多く扱ってはいるが、マグヴェル子爵の独り占めがなくなった最近では貴族向けの衣服もうちの物が流行の兆しを見せている。ネットなんぞないこの世界で私達ベルティーニの一族と社員、使用人は歩く広告塔になる。質の悪いものなんて着るはずがないのだ。
どこかの田舎娘が少し上等な服を着ているので、精一杯のおめかしでもして来たと思いからかいにでも来たのだろうか。この服は少し特殊な加工がしてあるので、頑張れば手が届く範囲の値段では実はないのだが、まぁ普段物の価値を考えずに生活している貴族にはわからないだろう。
「お初にお目にかかりますわ。私はアイラ・ベルティーニと申します」
わざわざ最近貴族になりました、なんて付け加えるのもおかしいので聞かれた事にだけ簡潔に答えると、一瞬何かを考えるような素振りをした少女たちであったが、すぐに先頭の少女が「ああ」と納得のいった声を出した。
「我が国の誇る服飾品を作り出すベルティーニの。それでそのような素敵なお召し物でしたのね。そういえばベルティーニは少し前に子爵位を王から賜ったのでしたわね」
「はい」
相手が名乗ってくれないせいで身分がわからないが、まぁとりあえず無視する選択肢はないので返事をすると、明らかに後ろにいる少女達の反応が変わった。
珍しいものでも見るように私を眺める者、あからさまに顔を顰める者、何かに耐えるように唇をかみ締めるもの、あざ笑う者……つまりまぁ、どれも不快ではある。それを顔に出すことはしないが。
「まぁ! あのベルティーニ子爵家の! アニー様、どうりであなたよりよいお召し物の筈ですわね?」
「……っ、わ、わたくしは」
集団の後ろにいたアニーと呼ばれた女の子が、先頭の少女のすぐ後ろにいた薔薇の様に赤い髪の少し私より年上に見える女性に言われた言葉に顔を真っ赤に染め上げる。
なんだろう、仲間割れ? 結構大きな声で言われた為に、室内の視線がこちらに集まり始めているんだけど逃げてもいいんだろうか。
私はまだ貴族になって日が浅いだけではなく、社交界デビューするような年齢でもないので顔を見ても誰が誰だかさっぱりわからない。せめてフルネームで名前を言ってくれれば貴族なら爵位がわかるのに。
目上の人間にこちらから名を尋ねるのは無礼だと母に教えられているのでそれもできずにこの状況をどうすべきか思案していると、私の正面にいた青灰色の髪の少女がほんの少し後ろに身体を向け、扇子で口元を隠した。
「皆様おちついて? 試験前で緊張していらっしゃるのかしら」
この少女の言葉で、集まっていた少女たちは皆「いえ」とか「申し訳ございません」とか言いながら静まっていく。
やっぱりこの子が一番身分が上だ、とちらりと見たとき、相手が視線を私に戻した為に目が合った。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。わたくし、ローザリア・ルレアスと申しますわ。アイラ様も医療の道を?」
「え、あ、はい! 幼い頃からの夢で……」
つい彼女の名に驚きを隠せずにしどろもどろに挨拶を返す。ルレアス……身分高いだろうなと思ったけれど、彼女ルレアス公爵家の令嬢だったか! この国で高位も高位、領地の広さが一番の公爵家だ。確か私より一つ下で、とても聡明な娘がいると噂では聞いた事があるけれど……まさか医療科の試験会場にいるとは。
ルレアス公爵家の評判は国の中でとても高い。ここの領地は子供の学力向上に力を入れていて、貧しくてもしっかりとした教育を受ける事ができるし、孤児院にも教師がついているのだ。前世であれば義務教育で子供が勉強をする権利があったが、この国では比較的学問に力を入れてはいるものの孤児などは生活の為に学校に通えず仕事に出る事も多い。うちの領地でも前領主がまったく見向きもしなかった為に、父が孤児院の立て直しに苦戦していたはずで、ルレアスのようにしたいと言っていたのを思い出す。
「幼い頃からの……そうですの」
ふふ、と笑みを浮かべるローザリアは、同性の目から見ても可愛らしく守ってあげたくなるタイプだ。
しかし、噂の聡明な少女が……この態度というのは、やはり貴族ということか、と少しばかり残念に思っていると、私の言葉を確かめるように繰り返した彼女は、最初の高圧的な態度が嘘のように柔らかな笑みを浮かべた。
予想外の態度に怪訝に思う間も無く、ローザリアはそろそろ時間ですわねと言って後ろの少女達を促し、私に丁寧に「失礼いたしましたわ。お互い頑張りましょう」と声をかけると、集団はその場を去っていった。
ほ、と思わず息を吐いた。いったい、なんだったんだ。
最後にローザリアに連れられて離れるとき、ほとんどが既に私から関心をなくして見向きもせずに離れたのに、何人かの少女が確実に私に敵意むき出しの視線を送り、小さく「成り上がりが」と吐き捨てるのが聞こえた。
まぁ事実だ、だから別にいいのだけど、貴族の令嬢から吐き出される悪意ある言葉に唖然とする。それでいいのかお嬢様。
この一連の状況のせいか、傍で同じように壁に寄っていた何人かがそそくさと私から離れていく。傍にいたのはたぶん貴族ではない人達だったのだが、貴族、しかも成り上がりと呼ばれた私に関わらない方がいいと判断したのかもしれない。まさかのいきなりの洗礼に呆れればいいのか悲しめばいいのか、私ははぁとため息を吐くしかなかった。
試験は、呼び出されて部屋に入ると傷ついたり病気になっている植物を治療する試験だった。ただ回復魔法をかけるだけの簡単なお仕事でした。
確かにあの人数分実際に人が怪我をしていたのだったら大変なので、適切な試験だったのだろうが、緑のエルフィである私は普段からやり慣れた植物の治療だった為に見た瞬間笑みが零れてしまった。ずるいくらいの得意分野である。
最後に少しだけ面接をして終わり。既に入学は決定されているのだから、こんなものなのだろう。
寮に戻ると、既に兵科の試験を終えていたガイアスとレイシスが扉を開けた私の前に飛び込んできた。
「どうだった!?」
「お嬢様はもちろん大丈夫だったに決まっているだろう! お嬢様、お疲れではございませんか、お茶の用意をしております」
「あ、ありがとうレイシス。ガイアス、大丈夫、試験なら自信あるわ」
私の言葉にほっとした様子を見せた二人が、さぁさぁと部屋に私を引っ張っていく。
テーブルについて、いつものように二人にも声をかけ着席させると、笑顔で私を待っていた侍女のレミリアがお茶を入れて部屋を出る。彼女はこれから私達の夕飯を取りに食堂に行くのだ。大きな食堂はあるが、部屋か食堂かどちらで食べるかは生徒の自由だ。
ちなみに寮の部屋だが、私達三人はそれぞれ別室が与えられているが、玄関が同じだ。寮の部屋は完全個室、二人部屋、玄関は一つだが何室か部屋が分かれている所など種類がある。私たちは三室生徒の部屋がある場所を父が手配してくれていたようだ。ちなみに使用人部屋も一室あるので、全部で四室だ。使用人部屋は二人部屋だが、レミリア一人が使っているのでずいぶんと広く感じるらしい。
こんな風に聞くと豪華に思えるが、私たちの部屋はそれぞれがそこまで広いわけではないので決して寮の中では贅沢なわけではない。風呂トイレが各部屋完備なのは十分なのかもしれないが、一番すごいのは私たちの部屋三つ分がすべて入るほど広い使用人部屋付きの個室らしい。そんなところ誰が入るんだ……高位貴族は王都にある屋敷から通う子が多いらしいのに。
お茶を飲みつつ、ガイアス達の試験の様子を聞けば、兵科では二人組になっての手合わせだったらしい。ガイアスとレイシスは数人と戦いすべて勝ったらしいが、ちらほらと見えたかなり強そうな人とはまったく当たらなかったらしく結果はわからないと苦笑していた。
まぁ、二人ならもしかしたら騎士科になれるんじゃないかなぁと思いつつ、医療科で試験の後に言われた事をガイアスとレイシスに知らせる。
「なんかね、今年は医療科の希望者がすごい多かったみたいで、試験の結果によっては適正による振り分けや学習内容の変更だけじゃなくて、強制的に淑女科への移動がかなりあるかもしれないって言われた」
「ええ? 医療科希望なのに?」
「つまり成績悪いとそこから振り落とされるってことか」
「そうみたい。確かにすごい人だったよ、っていうかかなり貴族のお嬢様がいた。今年はお医者さんになるのが令嬢の流行なのかな」
引きつった顔でガイアスがお嬢様の考える事はわからんとため息を吐く。
確かに毎年数人医者希望でも適正が錬金術のほうだったりすると学園が本人に移動を提案したりする程度はあるとは聞いていたが、淑女科に強制移動では、本当に医療を学びたい人には辛いかもしれない。
そんなことを話しつつ筆記試験の答え合わせ等も一緒に行って、次の日は一日特に予定もないので学園内を見て回る約束をし、その日はご飯を食べて各自部屋に引きこもった。
次の日は特に問題なく過ごし、試験から二日たった日、この日の夕方からは新入生の顔合わせの夕食会となる。
入学式とは打って変わって皆綺麗に着飾るらしい今日は、朝からレミリアがとても楽しそうに私にあれこれと服を薦めてきて一緒に選びながら穏やかな時間を過ごす。
午後になり、さぁ準備をしようかというときに、部屋の呼び鈴が鳴りレミリアが玄関に応対に出ると、三通の封筒を手に戻ってくる。
「皆様に学園から試験結果の通知だそうです」
「え!」
ちょうど部屋に来ていたガイアスとレイシスが結果はこんなに早いのかと驚いて封筒を受け取る。まず最初に躊躇いもなく開けたガイアスが、内容を見て叫んだ。
「あー!! 希望通り兵科だって! なぁこれって騎士科には選ばれなかったってことか?」
「そういうことなのかな……あ、ガイアス、俺も兵科って書いてある」
二人がそう言って落ち込むので、ぽんぽんと二人の頭に触れる。
「大丈夫よ、騎士科は二年目からの生徒が多いって聞くし」
「……お嬢様の為にも来年には必ず」
「それよりアイラはどうだったんだ!」
はっとしたガイアスに急かされて、どきどきと自分の名の書かれた封筒を開く。
「……医療科だ」
「やったな!」
わっと自分のことのように喜んでくれる二人に、笑みを零す。よかった、頑張ろう。そう誓い合ったところで、レミリアに時間を指摘され慌てて準備に戻りつつ、ほっと安堵の息を吐いた。
「アイラー行くぞー!」
「はーい!」
薄いグリーンのたっぷりのレースを使用した、母の今年一押しのドレスに身を包んで、長い桜色の髪は軽く一部だけ結わえ同じレースの髪留めで留めた、レミリア大絶賛の装いで玄関へ向かうと、少し驚いたような顔をした双子二人がすぐにぱっと笑みを見せてくれる。
「アイラ、すっごい似合ってるじゃん」
「お嬢様、とてもお似合いです」
「ありがとう! 二人もすごい素敵だわ」
ガイアスとレイシスの二人は、ぴしりと黒地の燕尾服に身を包んでいた。裾に少しだけ銀糸で刺繍が施されていて、少し大人な雰囲気がかっこいい。ガイアスは首もとの白いタイを少し窮屈そうにいじっていたが、レイシスに「正装なんだから我慢しろ」と窘められていてつい笑みが浮かぶ。
そもそも二人はちょっとお目にかかれないくらいの美少年だ。もしかしたらこんなに素敵な姿で夕食会に行ったら大変なことになっちゃうかもな、なんて考えながら三人で部屋を出る。
さぁ行くか、と笑みを浮かべあっていたのはそこまでだった。
「……あーら! これはこれは、アイラ・ベルティーニ様ではございませんこと?」
声をかけられて、えっと後ろを振り返ると、二人の着飾った少女。そしてその後ろにそれぞれ一人ずつ侍女らしき使用人と、護衛らしき男を連れている。
誰だっけ、と着飾った少女二人を見て、片方が試験会場で同じグループの子にきつい言葉を言われて顔を真っ赤にしていたアニーと呼ばれていた人だと気づく。しかし、私を呼んだのはもう片方の、とても高圧的な少女のようだ。
「……えっと」
「わたくし、フローラ・イムスと申しますわ。あなた、医療科は受かりまして?」
「はぁ、受かりましたけれど」
フローラ・イムス。イムスは確か、東に領地がある子爵家だ。鉱山を所有する領地で、その地を生かして宝石の加工を主に特産にしていたはず。成程、後ろの侍女も護衛も護身用の小刀や剣を留めるベルトに無駄に宝石があしらわれている。こちらも歩く広告塔らしい。
うちは服飾品全般を扱うから、言うなれば商売敵、になるのかもしれない。
それで少し喧嘩腰なのかな、と理解して身体をそちらに向け正面からその険悪な視線を受けて立つ。
「そうですの。さすが、ベルティーニの方は違いますわね、兵科の方かしら? もう男性を侍らせて。商売も分をわきまえない上に娘も手が早い事」
「……この二人は確かに兵科の生徒ですが幼い頃から私の護衛ですわ、何を勘違いされているのやら」
相手の台詞に、私の後ろにいる二人の殺気が膨れ上がった事に気がついて慌てて手で制しながら、冷静に言葉を返す。どうやらこのご令嬢、やる気満々らしい。
しかし後ろにいる護衛は、ガイアスとレイシスの二人の殺気に恐怖したのか足を半歩後ろに下げてしまったのは見逃さなかった。高圧的なのはフローラとその侍女だけで、アニーとその使用人二人は既に顔を青ざめさせてこちらを見ている。
と、その時私たちの横の扉が開き、レミリアの焦ったような「お嬢様!」という声が聞こえた。
「お忘れ物ですわ、イヤリングを片方玄関に落とされて……」
慌てて出てきたレミリアが私の正面にいた少女に気づいて、はっとして下がりかけたその時。
にやりと笑ったフローラが、侍女に何か呟いた、と思った時には、ぱっと何かが散った。
「きゃぁ!?」
驚いたレミリアがその場に座り込む。はらはらと散ったのは、ほんの一束ではあるが、ちゃんと結い上げていた筈のレミリアの長い金の髪の毛だった。
そして小刀をレミリアの眼前に突きつけ、得意げに微笑むのは、フローラの侍女。
「あーら。今時、護身術の一つもできない侍女を傍に置いておくだなんて、ベルティーニは領地経営が難しくて財政難かしらぁ?」
満足げにくすくすと笑い、フローラが青ざめたアニーたちを促して私達の横を通り過ぎる。私は、後ろにいる二人を制するのが精一杯で、横を通り過ぎるのを黙って許してしまう。
「あいつ……っ!」
怒りの滲む声でガイアスが後ろから飛びかかろうとしたのを引っ張り上げ、私は静かに前に出た。
「……フローラ・イムス様」
「何かしら、急がないと……きゃあああ!?」
彼女が振り向いた途端、彼女の顔の左右は私の腕が突き出した物に挟まれる形となる。
「あーら。今時、こんな簡単に"落ちやすい"留め具に大事な武器を預けるなんて。宝飾品が多いと実用には向きませんわよ?」
彼女の顔の両脇に突き出されているのは、彼女の侍女と護衛の腰にあった筈の小刀と剣だ。もちろん鞘に収まったままだが、あんな繊細な細工を留め具にした剣帯など、少し風の魔法で鋭利な刃を作り出せば簡単に取り外せる。
にっこりと笑って、告げる。
「ご自慢の護衛の"落し物"ですわフローラ様、お受け取りくださいませ」




