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ルセナの守りは相変わらずすごい。
突如気配なく現れた敵にルブラの男が攻撃された瞬間現れた守りの壁の中で、私は私の視界を塞いだ腕が離れたその瞬間見た光景に絶句した。
「追跡しろ!」
聞こえてくる騎士の声で現実に引き戻される感覚にはっとして、慌てて周囲を探る。
まずい。アルくんもジェダイも今は動けない……動かせない。こんな夜じゃ、しかもこんな街中じゃ、植物の精霊なんてほとんど寝てる。魔石の精霊は……いたとしても今の私には見えない。駄目元で今ポケットにいれてあるラビリス先生の作った防御石に触れてみるが、そこに精霊の気配を感じるも答えてはくれない。
愕然として周囲を見つめ、王子と目が合う。王子は私の様子を見ていたようで、ゆるく首を振った。もういい、と。
「追跡はするな! ここで待機だ!」
王子の一言で、騎士達の動きが止まる。気配はやはり、探れない。
「逃げられたな……」
ぽつりと悔しげに呟く王子の手が、薄闇の中で青白く浮き上がって見えた。
男は間違いなく死んでいる。あの一瞬の攻撃であっさりと死んでしまったルブラの男を見て感じるのは恐怖だ。さすがに私もフォルもおねえさまも、胸になければならない臓器がなければ治療なんてできない。
それが一目でわかる状態を見せるべきか悩んだであろう腕が、一度塞いだ私の視界を解放してくれたのは、私を信じると約束してくれたからか。
「レイシス……敵は」
「一瞬姿が見えました、が……」
そのあと言葉を発しないレイシスの声が妙に低く震えていて、それ以上聞くことができず一歩足を踏み出せば、額に暖かな魔力が触れる。私達を一瞬で守ってくれたルセナの防御壁。
レイシスが見逃したということは、恐らく敵はもうここにはいない。
ぐっと唇を噛み、周囲を見回す。
おねえさまとアニー、王子は無事。ファレンジ先輩とレディマリア様も、私と同じく辺りを警戒しているフォルにも問題はなさそうだ。ガイアスもルセナを支えてはいるが怪我はなくて……支えて?
「ルセナ! 大丈夫!?」
「……おねえちゃん。大丈夫、ちょっと使いすぎた」
へへ、と力なく笑うルセナに慌てて魔力を分け与えながら、ポーチを探る。そこに目当ての薬がないのを思い出し眉を寄せると、横から小瓶がルセナに手渡された。
「アイラ、グラエム先輩に使った後補充の時間なかったでしょう」
フォルが自分の魔力回復薬を渡してくれたらしい。ほっとしてルセナに魔力を流し込んでいた手を止め、もう一度防御壁の外を見つめる。
自分が拘束していた筈の敵だった男を見下ろすハルバート先輩の表情は見えない。が、僅かに手が震えていた。
慌ただしく走り回る騎士は、どうして、と呟いている。経験豊富な騎士にとっても想定外の出来事だったというのか。それほどまでに、相手に気配がなかったか。
「……逃げた男はたぶんうちで追ってる」
ぽつりと零されたフォルの言葉に、一斉に防御壁の中にいた面々の視線が向けられた。騎士は外にいて動き回っていて、恐らく聞こえてはいないだろう。
「うちって、暗部が動いたのか」
声を落とし話すファレンジ先輩の言葉から、彼もフォルの家の裏の部分は知っているのだろうと気づく。
フォルは向けられた視線の中、頷きながらも眉を寄せた。
「こっちの男はうちで追ってたんだ。ここに来なかった筈がない。……デューク。悪いが報告は後になる。父に聞いてくるよ」
「いや。家屋の中にいたからこちらの戦闘は見られてないと思うが、今このときよりここにいる全員の個人行動を禁止する。……いいか、危険だ。絶対に一人になるな。フォル、公爵には俺が話を直接聞きに行く」
騎士を含めて王子が指示を出すと、追うことを諦めた騎士達も悔しげに頷いた。
とりあえずここは街中だ。一本通りを抜けると、待機していた騎士数名とアーチボルド先生が事情を聞き驚愕した後、悔しげに雪を踏みつけた。
「なんで、何度も捕らえているのにこうも情報が集まらないんだ……っ!」
震える苛立ちの篭った言葉は騎士達から漏れたもので、彼らが対ルブラを見越して集まった面々だったのだと頭の片隅で考えながら、後のことは騎士達に任せて私達は学園へと戻る為に風の魔法を使い走り出す。
馬車を手配すると言われたが、目立つ上に遅いので断った。粗方治療は終えているとはいえ、レディマリア様もアニーも早く戻って治療をしなければ。私達が駄目なのならばせめて医師に診て貰いたい。
急ぎ戻った私達に、「リドット侯爵が遺体で見つかった」と報告が入ったのは、夜が明ける前のことだった。
「やられたな……」
屋敷のいつもの部屋。授業が急遽なくなり、城にいる王子を除いた皆が真昼間からそこに集まっていたのだが、無言だった空気を破るようにぽつりと呟いたのは、ガイアスだった。
「悪い。俺がやられなかったら……くそっ」
悔しげに座っていた椅子を叩いたのは、ここにいるのが珍しいグラエム先輩だ。気を失っていた先輩に何かあったら私達で治療できるようにと屋敷に連れ込んだのだが、もちろん彼は今絶対安静でいるべきで、慌ててその手を止める。
「先輩! 不必要に怪我するようなことしたらベッドに突っ込みますよ!」
「もう治ってる!」
「その治してくれた相手の話は聞くべきだと思いますよ、先輩。実際アイラの解毒は完璧だったけれど、魔力が減りすぎたんです。しばらく安静にしないと氷漬けにします」
荒っぽく言い返してきたグラエム先輩。だがにこやかに見つめたフォルがさらりと告げた言葉で先輩はぐっと言葉に詰まり、小さく「その方が危険じゃねぇか」と呟いたのが聞こえた。先輩、フォルは怒らせたらいけないんです。それにフォルの氷魔法には敵捕獲用もあるので死にはしません。たぶん。
おとなしくなった先輩に注意を配りながら、冷め切ったカップを持ってため息を吐く。
私達はあの後学園に戻っても屋敷には帰らず、そのまま通り抜けてまっすぐ城の敷地内に向かった。
レディマリアとアニーは連れ去られた事もあって、学園ではなく城の厳重な警備の中で治療をする、とのことで、途中まで運んだのだ。
もちろん城の医師たちは優秀で、そしてある意味一番安全とも言える城の中。それでも二人から離れる事に若干の不安があったのは事実だが、私達が押しかけるわけにも行かない。
そうして二人は引き渡したものの、その時点ではどちらの意識も回復していなかった。王子が意識が回復したら知らせてくれると言っていたが、まだ連絡はない。レディマリア様は重症だ。恐らくアニーが先に目が覚めると思うのだが、昼を過ぎた今も連絡がないことに不安が募る。
そして同じく気を失っていたグラエム先輩だが、こちらは逆に王子の配慮で屋敷へと連れ帰ることになったのだ。グラエム先輩が動いていたのは極秘で、治療は既に終わっているからと王子が判断し連れ帰ったのである。
空が白み始めたころ目を覚ました先輩は最初生きていた事に驚いたようだった。しかし事情を聞く前にすぐ届いた訃報に、私達全員が続いて驚いたことだろう。
リドット侯爵が遺体で見つかった。
その報告を受けたときグラエム先輩は、悔しげに頭を抱えていた。
先輩は、その危険性を察知していたそうだ。
レディマリアとアニーを追って、敵がそれに気づいていたからこそ先輩は襲われた。だが先輩ははじめ、娘のほうではなく父親、リドット侯爵の行方を捜していたらしい。
難航していた中あっさりとわかりやすくレディマリアとアニーの居場所にたどり着いた先輩は、レディマリアが攫われた当初から扱いが雑である事に気づいていた。助けるつもりで騎士の前から攫ったにしてはおかしい。つまりこちらを捜索するのは罠なのではないかと疑ったのだ。
娘を囮に父親が逃げたか。そう考えた先輩は急いで父親の方の捜索に戻ろうとしたが、襲われた。
先輩は生き延びて逃げたが、瀕死の状態で肝心の「リドット侯爵を探す」という行動をとることができず、誰かに伝える事もできなかった。その時はじめて可能性の一つとして「もしやリドット侯爵自身も娘と同様の扱いを受けているのでは」と考えたらしいが、そこで気を失ってしまったらしい。
どうしてそんなことになったのが疑問も多いが、わかるのは侯爵の捜索までの間に娘を使って時間稼ぎをされたのではないかという疑惑。父親と娘が別々の場所にいたせいで私達は片方を救うことができなかった。これが事実だ。リドットとルブラは繋がっていたのだとしても、だからといって仲間ではなかったのかもしれない。これは盲点だった。
そしてアニーが連れ去られた理由もよくわかっていない。本人がまだ目を覚まさないのだ。ひどく疲労しているらしい。
先ほどから、ガイアスが一番心ここにあらずな状態なのが見てわかり、悔しく思う。
きっとアニーが目が覚めても、お見舞いに行ってと言ってもガイアスは行かない。
私が一緒に動けば行ってくれるだろうが、私とおねえさま、そしてフォルが外出禁止を王子に言い渡されている。
敵に踊らされている気がする。そう呟いたのは、誰だったか。ひどく重く響くその言葉に、私達はレミリアが用意してくれたお茶に手をつけることもできず、ただいつもより遅く感じる時の流れを待った。
「おいおい、昼飯はちゃんと食ったのか、お前ら」
突如ノックと共に扉から顔を覗かせたファレンジ先輩に、ぼんやりとしていた全員がはっとして顔を上げる。
もう普段であればとっくに午後の授業が始まっている時間だが、食欲があまりなかったのか皆出されたものに手はつけていたものの手元に残っている人の方が多くて、ファレンジ先輩の質問に対して答える人間はいない。
「……えっと、先輩、何かありましたか」
おずおずと声をかけたのはルセナだ。するとファレンジ先輩の後ろから顔を覗かせたハルバート先輩が、すぐに「ええ」と頷いて見せる。
「レディマリアとアニー、二人とも目を覚ましました」
「本当ですか!? 二人とも無事ですの!?」
おねえさまが慌てて立ち上がり駆け出そうとして、テーブルにぶつかったのかガチャンと音を立て、はっとして固まる。
「落ち着けってラチナ嬢ちゃん。アニー・ラモンは無事だ、今話を聞いているから戻れないが」
「そうですの……え?」
疑問を浮かべたおねえさまに続いて、まさかと立ち上がった私も眉を寄せる。
「アニーはって……レディマリア様は」
「……レディマリア嬢は芳しくない」
そこまで言って言葉を切ってしまったファレンジ先輩に代わり、私達を見つめたハルバート先輩が眉を寄せた。
「レディマリア・リドットは声を出せません。……自分に何があったかも、自分の事も何も……わかっていないようです」




