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「おい」
授業が終わり、アニーとトルド様と別れて医療科の校舎を出る直前に突如声をかけられて、目の前に黒い何かが降ってきた。咄嗟に防御魔法を作り出しかけ、ぎょっとして足を止めたが、落ちてきたと思われたのは……
「え、グラエム先輩?」
落ちてきた黒い塊はグラエム先輩で。私とおねえさまを守るように前に立ち手を伸ばしていたフォルも驚いたように先輩を見て、しかしすぐ表情を険しいものに変えた。
「先輩、何か」
「何もしねーよジェントリーの坊ちゃん。ったく、お前ら余計な事に首突っ込みやがって」
面倒くさそうな表情をしているが、先輩はちらりと周囲を気にすると静かな声で告げる。その言葉を理解してすぐ、もしかしてビティスのことだろうかと先輩を見つめた。
「例の件でお前らが掴んでいる詳しい話が聞きたい。そっちの屋敷に俺を入れろ。ただし誰にも見つからないように、だ」
「誰にも?」
「俺にも立場があんだよ。協力はそれが条件だ」
その言葉に私とフォルが顔を見合わせると、おねえさまが一人「何の話ですの……?」と不安そうに呟く。
……そうだ! おねえさまはまだ、聞いていないのか。ハルバート先輩達がグラエム先輩の協力を仰ごうと話していたのを、あの場にいなかったのだから知るはずがない。
自分で伝えたいという王子の言葉を思い出し少し慌てると、グラエム先輩はちらりとおねえさまの顔を見たが特に何も言うことなく私とフォルに視線を戻す。
「……わかった。手配します。夜でもいいですか? 夕方から依頼でいないので」
「伝言は三年の特殊科の連中に頼め。ちっ、今もあいつらがいればこっちに来なかったものをどこに行ってやがる」
先輩はやはり警戒したように辺りを見渡すと、すぐに私達に背を向けいなくなってしまった。
「相変わらず神出鬼没な……」
思わず呟くが、不安そうなおねえさまの姿に私はこっそりと息を漏らす。どうしよう。
「おねえさま、とりあえず行きましょう」
「え、ええ……」
まったく。王子、早く来てくれ! という願いが通じたのか、校舎を出たところで迎えに来てくれた騎士科組と合流する。すぐにフォルが王子のところに話に行ったので、事情はわかってくれるだろう。
そっと様子を伺っていると、私のそばにやってきたのはガイアスだ。
「アイラ、ちょっと」
小声で囁かれて視線を上げると、ガイアスは困ったような表情で私に囁く。
「レイシスの様子、おかしいんだ。アイラもだけど……あいつが模擬試合で立て続けにミスするなんてありえない。何か知ってるか?」
「え」
思わず目を見開き固まってしまった私を、ガイアスが探るように覗き込んでくる。
まさか、あの夜の二人の会話を聞きましたとは言えない。私はまだどうしたらいいのか、わかっていない。でも……話は、しないと。
というか、レイシスがミスって。
「あの、レイシスは大丈夫なの?」
「まあ、怪我はないけど」
フォルの言葉を思い出しつつ戸惑う私をじっと見つめていたガイアスは、はあとため息を吐く。
「話せるようになったら話してくれると嬉しい」
見つめられて、思わず頷く。そんな私を困ったように見つめるガイアスはどこか悲しそうで、知らず身体に力が入った。
喧嘩はしてない。だけど……。
「あの、ガイアス。あとで時間が欲し……」
「あ、我が女神! こちらにいらっしゃったのですね!」
突如空気、雰囲気、思考そして緊張などが壊れるような声が響き渡り、思わずがくりと落ちかけた頭をなんとか耐え、声がした方を見る。
「ピエール……どうしたの?」
笑顔全開で駆け寄ってきた見知った姿に思わず勝手に身体が防御体勢をとってしまうのは日ごろの彼の行いのせいだ。
しかし彼はそばまで来ると急に怒ったような表情に変わり、握りこぶしをぶんぶんと振り回しだす。
「それが、聞いてください。ご存知ですか? また『マリア』はベルマカロンのお菓子の真似をしていて! まったく、同じ舞台で戦うのならせめてアイディアくらい出せばいいとは思いませんか。一ベルマカロンファンとしてもう我慢なりません!」
「マリア?」
憤慨した様子のピエールの言葉にいつの間にか全員が注目し、おねえさまが首を傾げる。しかし私はその名前は知っているからこそ、僅かに眉を寄せる。
「マリアはお菓子屋さんですわ、おねえさま。王都にもあります、できたのは極最近ですけれど」
「まあ、でしたらベルマカロンのライバル店ですのね?」
おねえさまの言葉に強く反応したのはピエールだ。「あんなのライバルではありません!」と怒るピエールに、苦笑してありがとうと伝える。
「あれだな、リドット侯爵家のお嬢様が企画したっていう」
「あまり評判はよくなかったと思うけれど」
ガイアスとレイシスの情報を聞くに、二人もさりげなく調べてくれていたらしい。
私は、いつだったかベルマカロンに買い物に出た時に直接レディマリア様から宣戦布告を貰っていたのでもちろん調査済みだけど。
レディマリア・リドット嬢が企画して立ち上がった菓子店、マリアはどちらかと言えば高級菓子店だ。庶民向けにはじめたベルマカロンとは少し違う。
が、こうしてピエールが憤慨している通り……
「たしか、おねーちゃんのお店の真似ばかりしてるって聞いた……」
どうやらルセナの耳にも入っていたらしいが、そうなのである。うちが果物を推した菓子を売り出せば同じ果物の菓子を並べ、うちが包装に新しいものを取り入れるとマリアでも同じような包装にしてくる。
もちろんそのせいかこうした悪評もあるが、『高級である』ことを売りにしているので貴族の自尊心を満たすのは確か。そこそこ売り上げはあるらしいと聞いている。いつだったか自信満々に宣戦布告してきたレディマリア様を思い出し、少しため息を吐く。
うーん、と首を傾げると、ピエールはそれまで憤慨していた様子を見せていたのにはっと目を見開くと顔を青ざめる。
「も、申し訳ございません。こんな告げ口のような形ではなくて、……少し言い過ぎました」
まるで今まで振り回していた尻尾が垂れてしまった犬のような様子に思わず目を丸くし、笑う。ピエール、やはり基本的にはいい人のようだ。
「ううん。ありがとう。お客様を不安にさせてしまったようでごめんなさい」
カーネリアンは静観しているだけではないようだが、これは一度きちんと話したほうがいいかもしれない。もちろん私が宣戦布告されたこともあるし、話題に出たことはあるが、特に問題視はされなかったのだけど。
「それで、今度は何の真似なんだ?」
王子がピエールに話しかけると、また尻尾をぴんと張り詰めさせたような様子でピエールはぐっと拳を握る。
「今回は栗ですよ。秋の味覚ーとか売り出す言葉までそっくりで。前回の葡萄の時だって真似してきて……あんまり美味しいものではなかったみたいですが」
「へえ……え? 葡萄?」
最近耳にする単語に思わず歩み始めていた足を全員が止める。
「え? 何かありました?」
一人きょとんとするピエールだが、さっと顔色を変えた私達を見た彼は空気を読んだようで静かに首を傾げた。
葡萄……。関係ないとは思うけど……。
「アイラ」
「はい。調べます」
王子に向けられた視線にすぐ了承の意を返し、私は定期的にカーネリアンから届けられるベルマカロンの資料を探るべく、お弁当を他の皆に頼んで一足先にガイアスとレイシスをつれて屋敷に戻ることにする。夏に戻ってから忙しくしていたので、資料は読んでいたがぱっと頭に出てこない。
「ピエールありがと! 今度新作をご馳走するわ!」
「え!! ありがとうございます!!」
そんな元気な言葉を聞きながら、私達は屋敷への道を急いだ。
「あった、これですね」
三人で送られてきた資料に目を通していると、すぐにレイシスが目的のものを探し出したようだ。
目を通すと、確かにライバル店の動向が記載されている。一度目を通したが、売り上げ的にも特に問題ないと見過ごしたようだ。
確かにそこには葡萄を使った菓子が新作として出されているとあるが、どうやらうちの真似をしようとしたようではあるが、レシピが出回っていないせいか過去の菓子レシピとの組み合わせで味は少しばかり残念なものだった、とうちの従業員が評価しているらしい。
「葡萄……種が大きく、食べにくい……」
書かれている文章に眉を寄せる。その書類を手に、立ち上がった。
「お嬢様?」
「フォルとおねえさまのところに行くわ。ビティスをどうすればあの『ビティス』になるのか調べないと」
「手伝えるか?」
「薬の作成の話になるから……あ、二人ともカーネリアンに連絡とって、マリアについてベルマカロンでわかる情報貰ってきてくれる?」
「了解」
頷いた二人に手を振り、ばたばたと部屋をあとにする。話したいこともやりたいことも多いのに、どうしてこう上手くいかないものか。
夕方から依頼もあるし、夜にはグラエム先輩も来る。ガイアスとレイシスの二人と話もしたいし、おねえさまも心配だ。
でも、まさかここで知った名前が出てくるなんて。……まさか、彼女が関係ないといいのだけど。
ぐるぐると巡る思考をなんとか整理しながら、フォルを見つけた私は廊下を走り出したのだった。




