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「ストーップ! そこまでだアイラ」
ひょい、と前に出された手のひらに驚いて、高めた魔力が散っていく。昼間見たグラエム先輩の様子や、ローザリア様の事を振り払うように集中していたせいか落ち着いてくるとどっと身体が疲れを訴えた。最近は考えなければいけない事が多すぎる気がする。
「ガイアス……びっくりした」
「練習しすぎ。魔力の消費が激しすぎるから今日はこれ以上大魔法禁止」
言われた言葉はもっともだと、仕方なく両手を下ろす。久々に稽古場にこれたので、数発だが水以外の大魔法に分類される魔法に挑戦していたのだけど。
成功はするものの威力に納得がいかずつい夢中になりすぎたかな、と自らの手のひらに視線を落とし、魔力の流れを確かめる。確かにちょっと多めに使ったかもしれない。
「ほら、これでも飲んどけ」
ぽいっと渡されたのは、軽めの魔力回復薬だ。先生に頼めば貰える安価なもので、旅の間使っていたような高級なものより量も少ない。
飲み干して、僅かな魔力の回復を感じながらもこれだけあれば十分だとガイアスにお礼を言う。あとは身体を休めておけば問題ないだろう。
「レミリアが寂しがってたぞ。朝アイラに頼まれたカレーの仕込み終わったけど戻らないって」
「あ、そうだ、新レシピ頼んでたんだった」
すっかり忘れていたことを申し訳なく思いながら稽古場を後にする。レイシスは用事があると言っていたけれど……と顔を上げた時、私を見ていたガイアスと目が合った。
「アイラ、お前さ」
「うん?」
「もしかして……」
「あっ」
ガイアスが何かを言いかけたのとほぼ同時に、小さな声が聞こえて顔を上げた先で、私は思わず目を見開いた。
「あれ? あれって」
夕焼けに染まる赤茶色の髪を揺らしておろおろとしているのは間違いなくアニーだ。騎士科の稽古場のそばに彼女一人でいるなんてどうして、と駆け寄れば、隣にいたガイアスが私より一歩前に出た。
「ああ、アニーじゃん。どうしたんだ?」
「えと、すみません私……ラチナにガイアス様はこちらだと聞いて」
慌てたように話し出すアニーの言葉に少し驚く。アニーはガイアスに用事があるみたいだけれど……とガイアスを見上げれば、ガイアスも少し驚いたような表情をしていた。
「何かあった?」
「いえ、またお時間がある時に……昨日のお礼をと思っただけですから」
「お礼? ああ、寮に送っただけだし、気にしなくても」
そういいながらも、ガイアスが嬉しそうに笑う。
昨日……のことは、最近は騎士科と医療科で分かれて行動することが多いため私にはわからないが、どうやらガイアスがアニーを寮に送り届けるという場面があったらしいと推測する。
これは……もしかして私邪魔かも?
いくら私でも、明らかに夕焼け以外で染まるアニーの頬を見れば「もしかして」と思うわけでして。
ええー! でも、えええ!? し、知らなかった!!
少しだけ離れよう、私邪魔っぽいし。そんな事を考えながら一歩足を下げた時、ガイアスがすぐに私を振り返った。
「こら、どこに行く」
「あ、アイラ! あの、私はガイアス様にお礼を言いに来ただけだから」
「でも」
言いかけた私を、「駄目だ」とガイアスがさらにとめる。いやいやでもガイアス気づいて! アニー絶対ガイアスだけに用事があったはず!
「今日はレイシスがいないから絶対駄目。アニー悪い、俺アイラの護衛だから」
「もちろんです!」
こくこくと頭を振ってみせるアニーにガイアスは近づくと、何かを耳元で囁いてくるりと私に向き直る。
「行くぞアイラ。アニーもほら、途中だし寮まで送るから」
「は、はい!」
真っ赤なアニーを見て、大きく息を吐き出す。なんか非常に申し訳ない。
なんてこった。ガイアスが私が思ってた以上に大人だったようだ。
三人での帰り道は、思ったより気まずい感じにならず、ガイアスが話を盛り上げてくれたせいでわいわいと過ごせた。
アニーを寮に送って、また明日医療科の授業でね、と笑顔で別れガイアスと歩き出してから、ふと気になって顔を上げる。
「ガイアス、さっき何か言いかけてなかった?」
アニーに会う直前、ガイアスは何かを言いかけていた筈、と顔を上げれば、あー、と一度悩むような声をあげたガイアスが私を振り返る。
「うん、なんでもない」
「……え、それはさすがに気になるよ」
「っていうか、忘れた。また思い出したら言うわ」
からりと笑って言うガイアスを訝しんで見るも、こう言い出したら言わないだろうことは察しがついて口を噤む。少し思い当たることはないかと考えてみたが、あの時ガイアスが言おうとしたことに見当がつかず、諦めて軽いため息を吐く。
「そういえば、まだ改良してるのか? カレーとやら」
「うん。出店諦めてないからね?」
「なるほど、さすが商人の娘だねえ。まあ、確かに美味いもんな、あれ」
楽しみにしてる、と笑うガイアスを見上げていると、ふっとガイアスが真剣な表情になる。
「デュークが夜話したいって言ってた。たぶんそれのこと」
ガイアスが指差したのは、腰のホルダーにくくりつけてある私のグリモワだ。
とうとう、か。
きゅっと唇を引き結ぶと、ガイアスが眉を下げて私を覗き込む。
「俺とレイシスも同席していいって言ってたから、安心しろ」
「……うん」
きっと王様が私をどうするか決めたのだろう。
魔石のエルフィは……ルブラが言ったとおり、この国において脅威だ。重要施設は防御石に守られているし、攻撃も石頼みの手法が主な兵団もある。
魔石のエルフィが、それを打ち破る能力があるのなら、だが。なんにせよ、未知数だ。
ぎゅっと手を握ると、ふわりと頭にガイアスの手が触れた。ほっとしつつも、ふとアニーの顔を思い出す。
……私にとって兄弟でも、アニーにとっては違うよね。
レイシスも少し違うけれど似たような事を言っていたな、と思い出しながら、曖昧に微笑んで私は屋敷へと足を進めた。
「結論から言う。アイラ、お前は今まで通りでいい」
「……え?」
王子の言葉をすんなり理解できず、思わず間抜けな声が出た。
ガイアスはからりと「なんだ、よかったじゃないか」と笑うが、レイシスも訝しげに王子を見つめている。
「別に、俺が何か言って甘くなったわけじゃない。アイラ、お前、魔石のエルフィだとしてもそのグリモワ以外の他の精霊の姿、ほとんど見えないんだろ?」
「まあ、そうですね……気にしてみているんですけど、植物の精霊との違いがよくわからないです」
「その状態でお前を監視下に置く必要はないと判断した。……といっても、どうせ俺達が一緒にいるしな。問題ないだろう」
「……それでいいのですか?」
眉を顰めたレイシスが王子を見る。それは決して私を監視したほうがいいのではという意味ではなく、どちらかと言うと「何か裏があるのでは」と疑っているような様子だ。
特にそれを気にした様子もなく、王子は私を見ると人差し指を一本立てて見せる。
「アイラ、俺の能力はなんだ?」
「え?」
能力、といわれて頭に過ぎるのは光の力だ。そういえば王子は光のエルフィで……あ。
「もしかして精霊……」
「そうだ。今回お前の存在を知って、王が精霊に直接聞いた情報によって今回の判断となった。お前を危険視する声はない。あくまで今の段階は……だが、心配するな」
「ああ……そういえば」
光の精霊に思い当たったらしいガイアスとレイシスが、なるほどと頷く。王子がエルフィであると前に説明していたようだから納得がいったのだろう。
ふと、光の精霊と王家の人たちはどんな関係なのだろうと気になったが、それを聞いても恐らく王子は困るだけだろうな、と目を伏せる。私だって聞かれても困る内容だし。
ただ、王が光の精霊に相談し言葉を信じるところを見ると、光が神の力といわれているのもあながち間違っていない気がしてくる。
「……よかったです」
ほっとしたような声を出したのは、レイシスだった。その声で漸く私もやもやとした不安が晴れていく。
そうか。今まで通りの生活、していいんだ。
気にしないようにしていたが、やっぱり不安だったのかじわりと視界が滲んで揺れると、心配そうな表情をしたレイシスと目が合う。
「大丈夫だよ、レイシス」
笑って見せれば、レイシスの指先が私の目元を拭う。それに落ち着かない気持ちで顔を上げると、ふっと笑った王子が姿勢を正した。
「ただアイラ、何かあれば報告はしてくれ。お前は狙われやすそうだ」
「はい」
王子に頷いて、笑顔を見せる。不安や心配は多いが、こうしてひとつずつ解決していければいい。視界に見覚えのある精霊の姿を捉えながら、私は再度頷いた。




