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「つまりこの取引は、左側の借方が仕入でね、月末に纏めて払うから買掛金なのよ。だからこっちがこの表に書き込んで……」
「ああ! わかりました姉上!」
外は真っ白に雪が降り積もっていて、今年初の銀世界をしっかり堪能したある日の午後。
いつもはサシャと二人で私とは別に勉強をしている弟、カーネリアンが、珍しく私と同じテーブルについてノートや本、帳簿、メモした紙などを大量に広げている。
「姉上の経営学は父上よりわかりやすいかもしれません」
「私が得意なのはお金の動きの把握だけだよ。実際の経営はお父様の足元にも及ばないわ」
前世の高校で商業科に通っていた私としては、簿記に似たこの辺りは得意分野だ。早く就職して自分で治療費を稼ごうとした前世の知識がここで役に立つとは。もっとも、私の世界の簿記とはもちろん内容は違うが。さすがに消費税等ないし、勘定科目が激減だ。そうなると取引を紙に書き上げるとしても随分と様変わりする。
跡継ぎであるカーネリアンはもっと難しい経営学を学んでいるだろうが、私は魔法の練習があるのでその辺りは手を付けていない。だから、どのような動きが社会にどんな影響を与えて……だの難しい事はまったくわからないのだが、カーネリアンはかなり優秀な成績だと父が言っていた。前世でそんな子供がぽんぽんその辺りにいたらすごい事だが、全体的に前世の世界より発達の方向が違うこの世界、人体自体の作りも違うのかもしれない。そもそも魔力の流れなんぞがあるのだから……と考えるとキリがないので思考を目の前の本の内容に戻す。
私が今見ているのはベルマカロンができてからの取引や利益の様子を、父の部下の人が書き記してくれていた所謂財務諸表だ。書類自体は筆跡はばらばらなものの、全て父の名がサインされている。
父はすごいと思う。きっと今までもすごい苦労をしてきたのだろう。その父が領主を目指したきっかけはなんだろうと考えて、ゆるく首を振った。今はカーネリアンへの引継ぎに集中しよう。
しばらくカーネリアンと利益について話していた時、扉がノックされサシャが現れた。手に持っているものを見て微笑む。
「また新作? サシャ」
「はい、アイラお姉さま!」
机に置かれたそれは、雪だるまと雪ウサギのミニチュアだった。
去年辺りに雪が降った日にサシャに作ってあげたのを思い出して自然と微笑む。可愛らしい見た目だが、それは雪で出来ているのではない。
「食べてみてくださいませ、お姉さま」
少しばかり緊張した面持ちのサシャを見つつ、そっとそれに付属のビーズの飾りがついたピックを差し込むとふにゃりと柔らかい弾力が手に伝わる。
口に入れるともっちりとそしてすぐに一瞬だけひやりとする。予想外の甘みと酸味が広がって、これは……マシュマロ? アイス?
「……おいしい」
一口、口にしたカーネリアンが口元を緩めて言う。その言葉にサシャがとても嬉しそうに笑顔を浮かべ頬に手をあて、はっと私の様子を伺うように見た。
「おいしいよ、サシャ。すごいね、初めての食感。この酸味はなに?」
一口サイズのそれはマシュマロのようだが、少し違う気もする。口にいれるとふわっと広がったあとすぐに消えてしまうのだ。本当に、雪のように。
「南の農村から手に入れた新種の果物ですわ、酸味はあるのですけれどさっぱりしていて、ぜひお菓子にと。それにお砂糖などを加えて……」
サシャの説明を聞きながらメモを取っていると、目の前でカーネリアンも同じようにしていたので嬉しくなる。
「二人に任せたら大丈夫そうね」
「え?」
私の言葉にサシャが不思議そうに首を傾げたが、カーネリアンははっと顔を上げた。耳が少し赤い。
「カーネリアン。私、サシャとあなたにベルマカロンを任せたいと思うのだけど」
「姉上!」
カーネリアンがぱっと立ち上がる。その顔は嬉しそうに微笑んでいて、やったぁと手を上げて不思議そうにしたままのサシャの手を取って喜ぶ、その姿は久しぶりに見たカーネリアンの歳相応の姿に思えた。
こんなときに、ちくりと胸に刺さる何かに私は気がつかない振りをする。
「さぁ、そうと決まれば忙しいわ。サシャ。このお菓子とても素晴らしいわ。一押し商品にしようと思うのだけど、見た目は冬ね。もしかしたら冬と夏では形を変えて売り出したほうがいいかもしれない。他の形も出来るかしら? 冬はどうしても冷たいものの売れ行きも厳しいと思うし」
「いや、姉上。確かに口に入れてすぐは少し冷たく感じるけど、とけてしまって胃に落ちる頃には冷えていない。暖かいお茶にも合うと思うんだ。お腹もそんなに膨れないしいっそ食後の菓子としてそのまま冬のお菓子で売りにだしてもいいんじゃないかな」
「でしたら、夏はこれより大きくしたらいいかもしれません。大きいと少し冷感が長いんです。今出したのは冷感を少なくするために中は空洞にしていて……」
始まった話し合いに時間を忘れ、気付くとお茶の時間で稽古から戻ってきたガイアスとレイシスも加わり皆でお菓子をつまんで、笑う。和やかな時間の中、どうしても私はここに足りない笑顔を探し少しだけ目を閉じたのだった。
父にもサシャの新作を試食してもらい、絶賛を受けたその日の夜。
いつも通りこっそりと部屋を抜け出し、私はあの庭の木の下にいた。本当は雪が足跡を残してしまうから、冬に夜庭を抜け出すのはいけないとは思っていたのだけど、深々と降り積もる雪の花が舞い散る桜を思わせて、つい窓を開けて飛び出してしまったのだ。
きっと朝までにこの雪は、私の秘密を消してくれる。
そっと雪化粧された木に寄り添って目を閉じる。寝巻きに上着を羽織っただけだから少し冷えるが、心は温かい気がした。
「にいさま。サシャもカーネリアンも、ガイアスもレイシスもすごいんですよ」
ここにサフィルにいさまはいないのだけど、私が一番にいさまを近くに感じるのはこの場所だった。いつもここに来て、にいさまに報告するようにこの木に語る。この木の精霊はいつも微笑んでそれを聞いてくれるけれど、冬の夜の今ここにはいない。
「……にいさま」
ふ、と息を吐いて額を木に押し付けた、その時。
「うぐ!?」
「悪いな、静かにしてくんな、嬢ちゃん」
気付かなかった。雪明りで辺りは明るいのに、背後に人が張り付くまでその存在にまったく気がつかなかった。こんな油断したことなんて、なかったのに……!
「おっと暴れるなよ。暴れたら痛めつけてもいいって言われてるからな」
そう言いながら、後ろの男は低い声でくくっと笑うと私の口に布を噛ませ手をひねり上げる。ぐ、と篭った声が出るが、布と雪が音を吸収してしまったようで辺りはしんとしている。
やられた。油断した。どうしよう、とその言葉ばかりが頭の中でぐるぐると回る。この時期は、精霊がほとんど休んでいるっていうのに何で油断して出てきてしまったんだと責めても、遅い。
「この雪だ、助けはないと思えよ?」
笑う男に、まるで米俵のように担がれて視界がぐらんと揺れる。目に映る大きな黒い男の足と、真っ白な雪。空から降り積もる桜を思わせた雪が、足跡を隠していく。担がれてるせいで不安定な上に、お腹が圧迫されて痛み、口に噛まされている布のせいで苦しい。
やばい。
「んんー!」
「殺されたいのか? まぁさすがにここで血流されたんじゃ困るから黙ってろよ。魔法使えないだろ、その手錠魔力の流れを断つそうだ。黙ってるほうが身の為だぜ」
言われた言葉で漸く、後ろにひねられた手に冷たい硬質な何かが嵌められている事に気がついたが、担がれているせいで確認できない。確かに魔力を集中させようとしても出来ないことに気がついて愕然とした。
魔力を断つ手錠……? 魔道具を持ち出されたのか。私は、魔道具について詳しくはない。勉強に、魔法の修行に、ベルマカロンの事。忙しくしていた私は縁のない魔道具については、勉強で軽く学んだ以外の知識を持ち合わせていないのだ。そもそも魔道具とは、魔力が少ない人間が使うものだ。そして、一般には出回らない、高価なもの。
この男は「痛めつけてもいいって言われてる」とさっき言ったのだから、恐らく誰かに頼まれているんだろう。こんな高価な道具も与える事ができる誰か。つまり、お金目的の誘拐ではないのではないか?
体勢的に頭に血が上っていそうだと思ったのに、さーっと顔から血の気が引いた気がした。
お気に入りや評価ありがとうございます。思ったよりたくさんの方に急に来ていただけているようで驚き喜んでおります。
今後ですが、もうすぐ第一章を終えタグで告知しているとおり漸くちらちらと話に出ている学園へと進みます。もう少しばかり学園前にお付き合いください。




