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「お、お茶でも淹れようか」
落ち着かない気分を皆が味わっていただろう中で、ルセナがその空気を変えようとしたのだろうか、少し裏返った声で叫ぶようにいいながら立ち上がる。
どうやらこの部屋にはお茶のセットが用意されていたようで、ルセナは慣れた手つきで棚からカップを選び取ると部屋の隅の扉を開け、そちらへとカップを運び入れた。
おねえさまと目が合った私は、二人揃って手伝うよ、と声をかけルセナと一緒にお茶の準備をする為に立ち上がる。
給湯室だろうか、と足を踏み入れた小さなスペースには、水場はあるが火を起こすところがない。シンクの横に作業台のようなものはあるが、ふと疑問に思いながら近づくと、ルセナが手にしていた薬缶を見て思わず「ああ」と納得の声をあげてしまった。
「あら、珍しい」
おねえさまも頬に手をそえその薬缶を覗きこむ。
薬缶は持ち手の部分に赤い石が嵌められている魔道具だ。持ち手の部分だけは金属で出来ておらず、蓋を嵌めて持ち手を握ると赤い石が作用して中に入れた水に熱が加わるという、確か王都の魔道具科が何年か前に開発したものだった筈。
「ここは緊急時のお客様の避難場所だから、ある程度は揃えてあるんだ。これは、魔力が少ないお客様でもお湯を沸かせるようにって父が用意したもの。火を使うより安全だから」
ルセナがそういいながら薬缶に水をいれ、蓋をして石を中心とした取っ手を握りこむ。
やがて無音だった室内にはシュンシュンと薬缶から湯が沸き立つ音が聞こえ始め、その音を合図に部屋の空気が僅かにやわらかいものとなった。
開け放ったままだった給湯室の扉の位置から部屋を覗きこむと、皆も少し身体を楽にした様子でぽつぽつと会話を始めているようで、そこにはいつの間にか猫の姿に戻ったアルくんもいた。
「ルセナ、他にも魔道具がありますの?」
「うん、それとか、それも。開けてみても大丈夫だよ」
ルセナが指差したのは給湯室の奥にある大きな金属で出来た蓋付の箱と、深みのある色の木で作られた棚だ。
金属で出来た箱は開けて見ると冷蔵庫のようなものだったようで、魔力で冷やすタイプというのは一般家庭でも見られるが、魔道具だけで冷やしているものは確かに珍しいと思わずまじまじと蓋に嵌められた青い石を眺めてしまった。
普通のであると、嵌められた魔法石に普段自分達で魔力を注いで使わないといけないのだが、魔道具はそもそも魔力がない人向けに開発されたものだ。つまり石自体が強い力を生み出しているものが多く、天然モノと人工モノがあるがその仕組みはあまり公開されていない。魔道具に携わる人間が、魔法使い嫌いというのも関係しているのかもしれないが。
冷蔵庫の中身は新鮮な肉や野菜が揃えられていて、侯爵が普段からここに気を配っているのが窺えた。これなら確かにしばらくここに篭っていても大丈夫そうだと話しつつもそれは今縁起が悪いなと頭の隅で考えながらその場を離れ、次は向かい側に設置されていた棚へと向かう。
おねえさまと二人で棚を開けてみると、そこにはいろいろな食器が並べられていて思わず感嘆の声をあげた。
「綺麗」
白い食器たちは美しく並べられており、模様は統一されていて、華美ではないが控えめに描かれた花が可愛らしい。手入れはしっかりされているようで、どれもぴかぴかとこの狭い室内でも輝いている。
ルセナに聞くと、その描かれている花はこのラーク領で一番有名な花だそうで、なんでも旅立つ人たちの無事を祈って贈られる事が多い花らしい。
ふと、そういった風習で使われる花があると精霊に聞いた事があるのを思い出す。魔力が多い花だったと記憶しているが、本当にお守りとしての役目を果たしそうだ。
「あ、えっとね、下のほうに魔道具があるよ」
ルセナが皿を見ていた私達に、その下の扉を示す。開けてみると、そこには薬缶と似たような石が嵌められた調理器具が揃っていた。
「わあ、鍋とか、旅でも使えそうだね」
「あ、そうだね。確か近くの店でもこの調理器具取り扱っていたと思うから、明日出発前に買ったほうがいいかな?」
私のちょっとした呟きに反応したルセナが教えてくれた内容は思わず胸がときめくものだった。魔道具の調理器具を扱ったお店、是非見てみたい! そういえば、今日一日休みをもらえたけれど観光なんて全然できなかった。いや、観光しにきたわけじゃないから当然なのだけれど……ちょっと残念。
しかも今は敵襲だ。これではせっかく身体を休める暇があっても、精神的にはまったく休まらない。
侯爵邸、そして侯爵領を守る騎士達も兵達もきっと優秀だ。無事でいてくれるといいのだけど。
配膳台に必要な器具やカップを並べて載せ、三人で部屋へと戻る。
おねえさまがお茶を淹れてくれ、私とルセナで皆へ渡していくことにして、まずは王子に、と私が王子の前にお茶を置いて立ち上がった時だ。
「……あれ?」
ふと王子に感じた違和感に声を上げる。
「なんだ、アイラ」
きょとんとした王子が椅子に座った状態から私を見上げた時、その胸元から腰の辺りが違和感の原因であると気づいた。だが、その違和感をなぜ感じるのかといわれれば、わからない。
だが、何かもやのようなものが見える気がしたのだ。
「デューク様、そこに何か」
ありますか、と続けようとした言葉は続かなかった。
「アイラ!?」
一気に膨らみあがった『もや』を見て王子の胸元に突然飛び込んだ私にぎょっとして王子が仰け反ったが、気にしていられない私はそのまま手を伸ばし王子の上着をひったくるように掴み上げる。体勢的に王子を押し倒すというあまりよろしくない状況になってしまったが、かまっていられなかった。
捲り上げた服のおかげで、もやが濃い箇所がはっきりとした。腰だ。迷わず王子の腰に手を伸ばし、分厚い生地で作られた腰のポーチをちぎるように引っ張ったとき、蓋が開いて中身が飛び出す。
宙を飛ぶように出てきたそれを掴もうと手を伸ばした時、私は噴出された魔力に吹き飛ばされた。
「きゃああ!?」
「アイラ!」
背中に酷い衝撃を受けた後すぐに引き上げられる。一瞬冷たいと感じた腕が、すぐにびりっとした痛みと熱さに変化し嫌な感覚に襲われた。
背中がひどく痛む。恐らく背にしていた部屋のテーブルに身体をぶつけたのだろうが、私の身体をそこから掬い上げてくれたのはレイシスのようだ。
先ほど腕に感じた熱はどうやらテーブルに置いたお茶をかぶった為に火傷を負ったせいらしく、むき出しの腕が真っ赤に染まっている。だが、それは後回しだ。
「フェアリーガーディアン!」
ルセナが叫ぶ防御の魔法が、私達を包む。部屋のほぼ中心に転がったのは、精霊が閉じ込められていると思わしき石だ。そう、ダイナークから奪った二つの石のうちの一つを、王子が腰のポーチに入れていた。それがおかしなもやの正体だ。
なぜか魔力を吹き上がらせた魔法石はふわりと浮かび、その場をくるくると回り出す。相変わらず溢れんばかりの魔力が周囲にもやのようなものを撒き散らしており、それは決して好意的に解釈することはできない。現に私は吹き飛ばされたのだ。
「なんだこれは!」
「敵が操ってるの!?」
「前回のときはそんな報告はあがっていないぞ!」
王子と私がほぼ叫ぶような会話をしている間にも、レイシスが私を引きずって後ろへ下がらせる。そこにフォルがやってきて私の手首をとった。
「アイラ、火傷を」
「これくらい大丈夫です!」
「だめです、お嬢様! 治療を受けてください!」
敵かもしれないモノが目の前にあるのに!
相変わらずぐるぐると回っている石を警戒しながら唸った私の横で、落ち着いて、と私やレイシスよりよっぽど冷静な声を出したフォルが私の腕にそっと自分の手のひらを乗せる。
「うっ」
「少し、我慢して」
痛みに思わず呻いた私の腕が、フォルに何度か撫でられるとだんだんと冷えていくことに気がついた。フォルの氷魔法だろう。ぐっと手を握り痛みに耐えていると、その痛みすら冷えのせいか麻痺して少し楽になる。
触れられている部分が冷たい筈なのにふわりと暖かい気もする不思議な感覚を味わいながら、視線を一度王子へと向けた。私が吹き飛ばされた時王子もそばにいたが、怪我はしていないらしい。そばにいるおねえさまとルセナを庇うように前に立つ王子は既に剣を抜いていた。
「これは……」
王子が何かを言いかけた時。
びしりと音を立ててヒビが入った石が、回っていたのにその動きを止めた。
警戒に身体に力が入った私達の前で、ヒビが広がっていく。
『精霊の魔力暴走だ!』
ぱっと姿を現したアルくんが叫ぶ。姿現しによって全員に聞こえたその声に、はっとしたルセナやレイシス、ガイアス達がさらに何重にも防御の魔法を生み出したその時。
「きゃああああ!」
ばっきりと何かが割れるような音に続いて、耳を劈くような轟音。あまりの衝撃に室内の床が揺れたように感じるが、それすらわからなくなる程の衝撃が私達を襲う。
もはや耳鳴りしか聞こえないような世界の中目を開けると、僅かに揺れる銀色が見えた。




