16.フォル
「戻ったのか」
ベルティーニ家の屋敷を出て友人であるフリップが用意してくれたグロリア伯爵家の箱馬車に乗ってしばらく。
静かに止まった馬車に外の気配を探り、よく知った者だったのを確認して扉を開ければそこにいたのは数日振りにみる『俺』の従者だった。
「遅くなりまして申し訳ございません。ロラン・ファルダス、只今戻りました」
「いや、無事で何よりだ。先に報告を頼みたい」
「はい」
内側から扉が先に開き、伯爵家の寄越してくれた護衛に囲まれていたロランが一瞬驚いたようだったがすぐに頭を下げ、乗り込むと扉を閉める。周囲を警戒しているのだろう、窓に視線を向けると、馬車が動き出したのを確認して、ロランは向かい側に座ると右手をふわりと上げた。
魔力がゆるやかに動くのを感じてすぐ、がたごとと煩かった音がすべて遮断され、室内は無音となる。
いつみても、風の魔法はすばらしい。魔法の相性はその人が生まれもった才能に寄るというが、風の魔法を得意とする人間というのは美しく繊細な動きをする者が多いと思う。
ロランが風の魔法を使うとき、操るために振り上げる手の動きに魅入られる。そしてひとたび戦闘に入ると、まるで鋭利な刃物をその手に持っているように素早い動きに変わり、風は敵を翻弄する。
火の魔法は荒々しく、大地の魔法は動きは少ないが使うこと自体に少しばかり腕力など物理的な力を使う。それぞれの特徴はまさにその力を使うために必要なモノだ。
そういえば。
つい先程までいた『ベルティーニ家』に仕える『デラクエル家』の三男も風使いの戦士だった。
すばらしく美しい所作で風を繊細に操り、俺に向けられた刺客も弱い者ではなかったはずなのだが一瞬で大打撃を与えていた。咄嗟に相手も防御術を張ったようだがそれでも、曲がりなりにもプロの殺し屋がその後の動きをたった一発で制限されたのだ。彼の魔法の威力の高さがそれでわかるというもの。
そう、決してあれは、その辺りの子供が出せる威力ではない。
そして、彼の双子の兄……デラクエル家の次男も、飛びぬけた強さだった。彼にいたっては無意識に魔力を自身の体力向上に使っている。あれが、正確に自身の強化の為に魔力を練り使ったのであれば将来王の近衛兵も驚く強さになるだろう。
「さすがデラクエルか」
「……"フォルセ"様?」
すっかり外とは隔離された防音の密室を作り上げたロランが、俺の呟きに緊張の眼差しを向ける。
「ああ、先にこちらで掴んだ情報を話そうか。前に気にしていただろう。たまたまベルティーニの家に助けて貰ったのだが、やはり、デラクエルの長男サフィル・デラクエルは亡くなっていた」
「……そう、ですか」
昨日の彼らの様子、夜にアイラに尋ねた時の反応から確信した情報を言えば、少しだけ伏せたロランは、しかしすぐにその瞳に力を取り戻してこちらを見る。……友人が亡くなっているという噂はある程度自分で調べただろうし覚悟はしていたのだろう。
「……失礼致しました。ご報告申し上げます」
俺が先程「先に報告を」と言ったのを思い出したのだろう、ロランはすぐに俺と別れてからの報告を始める。
「追手はあの方から差し向けられた者と思われます。彼らの使う武器には……」
開始された報告に相槌を打ちながら、やはり、と目を細める。領地にいては危険だとは思ったが、まったく迷惑な事だ。
まぁ、奴等のおかげで『デラクエル家』の実力と『ベルティーニの姫』を見ることができたのだからよしとする。
「それで……申し訳ありません、二人程、」
「ああ、いい。こちらに来たが大事にはなっていない。デラクエルの双子が一緒にいた」
刺客を逃がした、と言いたかったのだろうと遮って問題ない事を伝える。
「……そうでしたか」
「面白いものが見れた。やはりデラクエル兄弟……それにベルティーニの姫の学園入りを邪魔しているのは子爵だな。おまけにベルティーニを脅迫して金を搾り取ろうとしている場面も見た。馬鹿な男だ、ベルティーニが全て資料を残しデラクエルを通してこちらに流しているとも知らずに」
俺の発言にただ頭を下げて俯いたまま答えるロランはしかし悔しそうに手を握り締めている。友人を『殺された』怒りは収まらないのだろう。
マグヴェル子爵……若くして父親が突然死したことで当主となったあの男には黒い噂しかない。
父を殺したというものから始まり、領地の有名な商人達に恐喝しているだとか、不要な道整備の為に民の税金を上げているだとか、奴隷制度がなくなって久しいのに地下に数人を奴隷とし隠しているだとか。
王都に現れればギャンブルと女に金をつぎ込み、借金も作っていると聞くがその暮らしぶりは年々派手になっている。恐らく噂の大半は事実なのだろうと皆思っているが、これが事実であるからまた恐ろしい。
ヤツにとって不運なのは、公爵家と縁深い暗部組織……デラクエルの大事な長男を害したのと、彼らが至上として仕えるベルティーニ家を金づるとして認識してしまったことか。
「ベルティーニか」
呟いて、ふわりとした桜色の髪の少女が脳裏に浮かぶのを目を閉じて捕らえる。
透き通るような白い肌、形のよい桃色の唇に、朝日が煌く森を思い起こさせる美しい緑の瞳。全体的に儚げな少女であるのに、随分と意志の強そうな瞳と声が印象的だった。
華奢で折れそうな身体から繰り出される魔法は、戦闘特化しているデラクエルの兄弟と恐らく同じくらい……いや、強いかもしれない。不思議な少女。
追ってから逃れる為影武者を連れたロランと急遽別れ、一人逃れたが父に言われたグロリア伯爵の領地までは遠く、そして友人から迎えを出したと連絡は来ていたもののすぐ合流に至らず、さすがに耐え難い空腹に襲われてどうしようかと彷徨った時に見えた町に警戒心も薄れて飛び込んだ。
すぐに甘い匂いが漂っている事に気付いて吸い込まれるようにその店に入った時は、気付かなかった。
店頭に立つ自分と同じ年頃の少女を見てしばらく気をとられてしまったが、少しして彼女の前に並ぶケースに収められた宝石のように美しい、王都で義母が店舗のものを買い占めようとしていた菓子を見て、漸くあの有名なベルティーニ系列の店だと気付いた。
ここはベルティーニ家が近いはずだ。ベルティーニの者に会う事ができれば、デラクエルもいるだろうし無事にグロリア伯爵家の迎えと合流できるかもしれない。漸くほっとしたところで、すでに限界まで来ていた空腹に耐え切れず、しかしふとこういった店では直接金貨などのやり取りをするのだと思い出して焦る。貴族は欲しいものは大抵後払いだ。まして自分は子供、金貨を持ち歩く習慣はない。
少し考えて、仕方ないと昔母に貰ったブローチを取り出した。俺を守る為の守護魔法がかけられたそれは大事なものだが、同時になくしたとしても必ずどこにあるか把握できるもの。少女には悪いが、後で金を用意したところでこっそり取り替えさせてもらおう、と差し出したそれは、すぐに少女本人の手によって返された。……守護魔法を探知できるほどの魔力保有者だとは思わなかった。
少し自分より冷たい手に腕を引かれ無理矢理手元に戻されたブローチ。しかし同時に、がくんと身体が揺れたせいで被っていたフードが後ろに落ちた。しまった、と思って驚愕の表情をした少女を見たが……どうやら少女は俺が誰かまではわからなかったらしい。まじまじと人の目を物怖じせずに見つめたり、人の顔を見て眉を顰めたりと百面相を始めた。
まぁ、王都から離れた田舎の町で俺の顔を知る機会はないかと思い直しそれを黙ってみていて、ふと気付く。少女の服は、ベルティーニの扱う衣服の中でも上等なモノだ。ただの店員ではないのだろうかと思案して、一つの可能性にたどり着く。
確か、ベルティーニの姫は美しい桜色の髪だとロランから聞いた事があった、と。ロランの友人であるデラクエルの者が自慢げに話していたのだと言っていた。
ほぼ確信した時、彼女から家に誘われた。ずいぶんと自分は運がいい、と思ったところで、先に渡された菓子を遠慮せずに頂く。空腹は魔法使いにとって避けたいものだ。体力がなければ魔力は練る事ができない。
今更ながら警戒せずに町に入ってしまったことを思い出して、もしもの為にと思って口にしたそれの美味しさに、内心驚いた。義母が固執したわけだ、これは美味い。
人を待っていると彼女は言っていたが、恐らく護衛のデラクエルの者だろうなと待っていた時に現れた予想通り警戒心むき出しの二人が同じくらいの年齢なのにまたしても驚きながらも、そこで初めて彼女に挨拶されたのを見て……気付いてない振りをしようと思ったのに、少しつっかえてしまった。
綺麗に礼をとる彼女を見て、なぜか襲われた激しい動悸を隠すのに少し、苦戦した。
なぜ追っ手にいち早く気付いたのか、とか、ベルマカロンの影の社長などという噂は本当なのか、とか聞きたいことは山ほどあるが、聞けずに別れてしまったあの少女。だが。
「ロラン、近いうちにまた地図が変わるだろうな」
「はい」
無音の室内から外の景色に視線を移しつつ、昨日の夜に思いを馳せて、また会う事ができるだろうと確信を持って俺は勝手に口角が上がるのを感じつつ目を閉じた。




