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今年もその枝にたくさんのつぼみをつけた木を見上げながら、ほっとしてその幹に触れる。
いつもアルくんに本当に木のそばについていなくていいのか、と問えば、彼はにっこりと笑って頷くだけなのであるが、確かに桜は特に問題もなく春を迎えたようだ。
この桜の木の蕾を見ると、もうすぐ一年たつのだと思わせる。
「アイラー、そろそろ暗くなるぞ」
ガイアスに言われて、幹から手を放す。桜の木に十分な魔力はあることを確認したし、アルくんの言うとおり順調なのだろう。きっと今年も綺麗な花を咲かせてくれる。
ガイアスとレイシスに公園に寄って行きたいと伝えた時嫌な顔一つしなかったことに感謝してそこを離れ、一つ心配事を解消した私は笑顔で屋敷へと戻る事ができた。父が私の話をいろいろ聞いてくれたのも大きいだろう。妙にさっぱりとしていつもの部屋に行くと、目が合った王子が「お、間に合ったか」と立ち上がった。
「え?」
「戻ったばかりで悪いが、依頼だ」
ぺらりと見せられた依頼書を手に取る。私が持つそれを両脇からガイアスとレイシスも覗き込んで……思わず三人とも似たような表情をしただろう。
ぽっかりと開いてしまった口を一度閉じて、一つ息を吐いて顔を上げる。
「……デューク様、これを今からですか?」
「そうらしいな」
答えを聞いて再び視線を依頼用紙に落とす。依頼は簡単だ。この屋敷周辺にある石を持って学園内公園の噴水奥にある小さな小屋に持って来いとある。小屋なんてあったっけ。
というか、石って。
「……この依頼、怪しくはないんですか?」
この屋敷の周辺と指定されているし、そもそも内容が石の運搬。魔力石でもなんでもなく、この屋敷の周りに転がっているただの石。
どんな依頼でもやりたくないというつもりはないが、不審なものは疑わないといけない。しかもなんで夜にやれと書かれているんだ。
うーん、と唸った王子であるが、彼は何か知っていたらしい。「行けばわかる」と言われて、不思議に思いながらも促され準備する為に一度部屋に戻る。さすがに夜になると、何か上着を羽織ったほうがいいだろう。
「いいかー」
どこか王子以外の全員が口にしないまでも疑問を抱えたまま、首を捻りつつそれぞれ手に石を取って王子に続いた。
確かにこの依頼なら学園外に出ないし、王子も参加に問題ない。夜であることを気をつけて無理をしなければいいが、依頼自体は謎だらけだ。
自分の手にした石を見ても、本当にただの石なのである。
どんな内容で使うのかまったくわからないが、念の為屋敷の一箇所からではなく、全員がばらばらの位置から石を数個ずつ集め、城へ続く広い道を横切って公園へと向かう。
今日二回目だが、噴水のそばまで来ても小屋のある場所なんてわからない。しかし王子は迷う事無く公園を突っ切り、少し木々が生い茂る道なき道を通ると、僅かに明かりが漏れた小屋を確かに発見した。
「……怪しくありませんこと?」
おねえさまが少し眉を寄せて小屋を見つめる。
人がいるのだろうとは思うが、灯る明かりが弱すぎる。暗闇の中に浮かぶぼんやりした明かりは、恐らく蝋燭一本くらいではなかろうか。時刻的にもう真っ暗であるし、今日は月明かりも弱いのに。
「……ここ、入るの?」
思わずぞくりとした背に、震え上がった身体を抱え込むように押さえて中を疑う。
なんてことだ、まだ春先だというのに肝試しでもするつもりか。暑くないしむしろ夜は寒いこの季節に肝試し。私、そっち系統は非常に苦手なんですが!
すると、ふわりと温かさを手に感じてみてみると、レイシスが私の手をとり握りしめてくれていた。
大丈夫です、と囁かれて、安堵したような、感じるガイアスの視線に面映いような。なんか最近レイシスが違う気がする。ただ手を握られただけなのに。
「行くか」
王子に促され、ごくりと息を飲み込んで、背に腹は変えられないとレイシスの手をぎゅっと握り足を前に運ぶ。
一番扉の前に立ったのはガイアスだ。いつでも剣を抜けるように片手は剣にそえて、そっと木で出来た扉を叩く。
どく、と大きな音が聞こえて、全身に心臓が移動してるんじゃないかという気分になる。扉をはさんで両脇に並んだ私達は、じっと扉を見つめた。
湿気を含んでいるのか湿って篭ったような音を立てた扉の向こうから、少し時間を置いて「はい」と低い男の声が聞こえる。
ちらり、とガイアスが王子を見て、「いいのか」と小さく囁く。
頷く王子を見て、全員が緊張した空気の中ガイアスがそっとその扉に手をかけ、ぎぎ、と軋んだ音を立てる扉を僅かに開くがそこに人の気配はない。
人が通れる程にガイアスが扉を開き、中を覗く。狭い部屋なのに人の気配が感じなくて、七人で入ったら狭そうだ、と思いながらびくびくと足を踏み入れる。
私が踏んだ床がぎっと音を鳴らし、その音に心臓を跳ねさせた時……。
「いら……しゃい……」
「ひいい!?」
「きゃああ!?」
急に壁と思った後ろから声が聞こえて跳ね上がり、思わずレイシスにしがみつく。
「ってそこにいたのか」
王子の落ち着いた声が聞こえて、どっきどっきと煩い心臓を押さえながらレイシスの服に押し付けていた顔をゆっくりと上げると、そこにいたのは全身黒……というか黒いローブを来た男。
ちなみに私より女の子らしい悲鳴をあげたおねえさまは王子にしがみついていたらしく、ばっちりにやけた王子の顔を見てしまって僅かに落ち着いた。何してんの!
驚いた表情をしているもののなんとか悲鳴をあげずにいたフォルとルセナ、ガイアスの無事を確認し、最後に抱きついたレイシスを見上げてちょっと慌てて離れて、姿勢を正す。
ここにいるということは、この悲鳴をあげてしまった相手がたぶん依頼主。
慌てて「すみません」と謝罪すれば、ローブの男はゆるりと首を振った。……視線が合わないが。
「紹介する、彼が」
「待って……殿下……」
のっそりと立ち上がり頭を下げるローブの男……改め依頼者……? っていうか、体育座りしてたんですか、そんな隅っこで……怖いです。
「デューク?」
おねえさまがいまだに落ち着かないらしい心臓の辺りに手を当てながら王子を見ると、王子は視線を泳がせて「言うなって言われたからな」とこぼす。
「石……」
急ににょっと前に出てきた男性に、悪いと思うもののどうしても「ひゃ!」と声を上げて私とおねえさまが仰け反った。
目が、目が合わない! 顔の大半がローブで隠れているが、そもそもずっと俯いているし視線が合わないし声が地を這うように低い! 気配もない! 誰か明かりつけてくれ!
「これでいいですか?」
どうやら落ち着いたらしいフォルが石を入れていた小さな布袋を取り出すと、依頼者の男性はその石を受け取り、私とおねえさまの間をすり抜けて部屋の奥へと向かう。
蝋燭じゃ心許ない明かりの中で、なぜか余分な動きなく何かガチャガチャと用意すると、ぼろぼろの木のテーブルの上にやたらと乗っかっていたビンや試験管のようなものを寄せてローブから白い腕を出した男性はそこに銀のトレーを置くと、石を並べた。
無言で手を差し出され、全員がそろりと持っていた布袋の石を差し出す。
それをがらがらと机に袋を逆さまにして広げた先輩はそれを丁寧に並べ、ふうと息を吐くと手に大きな三角フラスコのようなものを持った。
「あの……?」
妙な沈黙が降り、レイシスが不思議そうに声をかけると、ひゅっと室内の温度が下がった気がした。
思わずぶるりと震えた身体を、隣にいるレイシスが囲う。おねえさまにも王子が寄り添い、ガイアスはあたりを警戒したように見渡す。
その時。
「キエエエッ!」
おかしな雄叫びを上げて、目の前の依頼者の男性がフラスコを逆さまにし、私達が拾ってきた石が並べられた銀のトレーに向かってばしゃりとその中身をぶちまけた。
暗すぎて液体の色などわからなかったが、何か濁った色の液体が石に染み込むと、なぜか鮮やかに、そして美しく輝きだす。
室内が明るくなる。
石のいくつかがトレーの中でかけられた液体に溶け出し、そこからきらきらとした光が立ち上る。恐らく魔力。
すごい、とそれを見つめる。
魔力なのだから魔法なのだろうと思うのに、その不思議な光景にぎゅっとレイシスの手を握ってそれを見つめると、周囲の皆も息を飲んでそれに注目しているのがわかった。
まるでゆるやかに昇る花火の用に輝いたその光は、やがて宙に文字を描いた。そこには。
「僕が、ラビリス・シャクナーです。よろしくね……?」
赤青緑、金色に銀色と鮮やかな光が、生み出した文字。そこに書かれていた名前に覚えがある。きらきらと輝く文字の最後には、なんだかにっこり笑顔の顔文字のようなものまでついている。
「えっと……」
誰ともなく呟く言葉。
「……彼が特殊科三年、錬金術科の先輩だ」
王子が若干呆れと苦笑を含んだ声でそういうと、ローブの男性は初めてにやり、いやにこりと笑うと、照れくさそうに顔を俯けて呟いた。
「来年度から……特殊科の臨時教師となります……よろ、しく」
と。




