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「いった!」

 ぽい、と捨てるように放られて、思わず呻く。真っ暗だ。慌てて同じくこの闇に放り込まれた筈のフォルを、荒い息遣いを頼りに手探りで探し、触れたぬくもりを大急ぎで抱き込む。

 ぱっと急に光が灯り、闇になれた目が思わず霞む。が、その明かりは少し大きめだがランプシェード一個分の大したことがない明かりで、すぐに目が慣れ不気味な黒い衣装の大男の胸板を映し出す。

 男は私達に近寄ると、私のポーチを奪い取って中をかき回した。だが何も取る事はなくそのまま私に投げ返してくる。

「解毒剤だ」

 続いて無造作に投げられた小瓶を慌てて抱え込むように掴む。揺れる透明の液体を確認し、警戒して見上げる。

 表情がわからない男は僅かにこちらに視線を投げかけたようだが、すぐに背を向けた。

「本物の解毒剤だ、早く飲ませろ。殺そうと思ってつれてきたわけではない。お前がやらなければこちらでやる」

 腕の中で、荒い息をしたフォルが呻く。顔色を失っていくフォルを見ていられず、連れ去られてる真っ最中もフォルに解毒と魔力を分け与える魔法をかけ続けたが、確かに邪魔はされなかった。

 やるしかないかとフォルの頭を私の左腕にのせ、一度小瓶のふちをぺろりと舐めて痺れたりしないか確かめた後、フォルの口元に解毒剤を持っていき含ませる。粘度のないさらさらとした液体がフォルの口の中に流れ、僅かに口端から零れたが、喉が動きほぼ飲みきったとわかるところで小瓶を床に置くと、男が背を向けたまま歩き出す。

「待って! どこに……」

「明日の朝また来る。それまで休め」

「え、ちょっ」

 私が言い終える前にさっさと離れた男は、ギギ、とやたら重そうな音を立てて開いた扉をすぐにガチャン! と大きな音を立てて閉めてしまう。その後もしばらく金属がぶつかる音が響いていたから、恐らく鍵をかけられただろう。

 腕の中のフォルを見る。目は閉じているが、荒い呼吸を繰り返し大きく上下していた胸は落ち着き、ほっとして少しだけ待っていてと声をかけて床へ寝かせた。

 すぐに防寒具を脱ぎフォルの身体にかけて、あの男が置いていったランプシェードを手に立ち上がる。

 まず扉に近寄って取っ手に触れてみるが、魔力が通らない。当然ガチャガチャと音を立てるだけで回らず、扉そのものも冷たい金属の手触りに、まるでわざわざ魔法使いを閉じ込める為に用意された部屋のようだと感じて身震いし、次は部屋を見回す。

 狭い。それに窓がなくて、変わりに空の絵の絵画が一つだけ飾られてある。扉を見て牢屋のようだと思ったこの部屋は意外と整えられており、明らかに一人用ではあるがベッドにテーブル、椅子も二脚ある。

 出口の他にも扉を見つけて開けば、小さいながらトイレもシャワールームも、洗面台まであった。まるで宿の客室だ。

「フォル、動ける?」

 とりあえずベッドにフォルを寝かせようと首の後ろに腕を入れて身体を起こし、立ち上がるのを手伝ってベッドへと運ぶ。

 シーツはぴんと張ってあるし埃っぽくはない。お世辞にも貴族が使うベッドと呼ぶには大きさも材質も足りないが、一般的なベッドよりは上質なのではないだろうか。私が地元で使っていたよりふわふわの布団だな、とそんなことを考える。なんだこの部屋。

 生活感はない。だからまさしく宿屋の部屋と言った様子だが、そうだとすると窓がない壁も、重厚な金属で出来ている魔力が通らない扉も異質だ。

 ランプシェードの明かりが明滅し、そちらを覗き込むと火石は大き目であるのに魔法油が非常に少ない事に気づく。わざとか、わざとなのか? これじゃすぐに明かりが消えるじゃないか!

 慌てて何かないかと部屋の引き出しという引き出しを引っ張って見れば、非常用なのかキャンドルがいくつか出てきた。それをかき集めてベッド横にテーブルを引きずって運び、椅子も運んだところでふっと部屋が暗くなる。

「アイラ」

 不安そうなフォルの声が聞こえる。だがしかし先ほどの掠れた声よりは余程マシになった声音にほっとしつつ、テーブルの上のキャンドルを探す。

 月明かりすら届かない窓のないこの部屋では、頼りだったランプシェードの明かりが消えてしまえばもはや光源は何もなく、どこまでも黒い。

 慌てて手探りでキャンドルの綿糸を探し出し、炎の魔法を小さく唱える。

 ぽっと灯る僅かな明かりが、やけに安心感をもたらしてくれる。……マッチ売りはこんな気分だろうかとおかしな事を考えながらランプシェードの火石をどけ、蝋を垂らしてキャンドルをそこに立てた。

「アイラ」

 再び呼ばれて、今度は明かりを頼りにフォルの手が私へと伸ばされ、座ろうと思っていた椅子ではなくベッドの縁に引き上げられた。

「大丈夫?」

「うん、心配かけてごめん。アイラ、怪我はない?」

 力強い腕に引かれながら、回復してよかったと思いつつ尋ねれば逆に聞き返された。頷きつつ、あちこちフォルに触れる。二の腕の傷はもう治したけど他には、と探ってみたが大丈夫そうだ。フォルは大人しくされるがままに身体をベッドに預けて目を閉じている。

「傷、ちゃんと治ってるよね」

「うん、アイラよく運ばれながら回復魔法かけれたね、舌噛まなかった?」

「大丈夫よ、自慢じゃないけど攫われるの二回目」

「……ガイアスとレイシスの苦労が目に浮かぶ」

 ふはっ、と息を漏らすように笑ったフォルだったが、無理した笑みは持続しなくて再び沈黙が重く部屋を支配する。

「ごめん」

 しばらくしたとき、ぽつりとフォルの口から零れたのは謝罪だった。

 キャンドルを見つめていた私が視線を後ろで仰向けに寝ていたフォルに戻すと、フォルに再びぐいと手を引かれて僅かに悲鳴をあげながらベッドに飛び込んだ。

 ぐっと抱き寄せられたかと思ったら、背にフォルが顔を押し付けてくる。

 もごもごと再び「ごめん」と謝罪が聞こえて、一瞬沸騰しかけた頭をなんとか落ち着かせた。

「外に一人で出てしまったんだ。……本当は、アイラ達がデラクエルの当主に会いに行ったんじゃないってわかってた。デラクエルの当主は今日、僕の父と仕事がある筈だから。明日って聞いてたんだ」

「う……」

 思わずあっさりばれた嘘に気まずくておかしなうめき声が出た。

「教師に呼ばれたんだ。兵科の教師かな……あまり見る人じゃなかったけど、図書館に行こうとしたらその教師に呼ばれて……アイラたちは任務に行った、君は何しているんだ、はやくしろって言われて。おかしいと思ったけれど、教師に連れて行かれた部屋で黒服の男に脅されて」

 フォルの話に驚いて、思わず身じろぎした。私が動くと私を抱えていた腕の力が僅かに弱まり、背を向けていたフォルの方を向く為に身体を狭いベッドの上で反転させる。

 枕に顔を半分埋めたフォルの銀の瞳が、こちらを真っ直ぐ見ていた。目が合うとまたフォルの腕の力が強くなる。

「脅された。仲間は捕まえてある、殺されたくなければこのまま山に向かえって。そんな馬鹿なと思ったけど、アイラたちがいないのは確かだしそのままその場で教師に何かの魔法をかけられたせいで人質にとられて動かざるをえなかった。……山に向かったら無事だった君たちを見て騙されたと気づいたけど、すぐに毒にやられてしまった」

 ごめん、ごめんと再び零すフォルが、頭を俯けて表情を隠してしまう。目の前で揺れる銀糸を見ながら、考える。

 フォルを攫うならその場でよかった筈だ。わざわざフォルを山まで歩かせたのはなぜだ?

 ……というかなぜフォルを? なぜ私も? ばれたのか? フォルが闇使いで、私がエルフィであると。

 考えては見ても、それを口に出してフォルに尋ねることはできずに唇を噛む。この部屋には妙な魔力もなく人影もないが、闇とかエルフィとか口にしてもしルブラの人間に聞かれたらという警戒が、言葉を喉の奥に張り付かせた。

 そういえば、途中までついてきていたアルくんの姿がない。男の動きは確かに速かったが、精霊が追いつけない程だっただろうか。

「アイラ、魔力はどれくらいある?」

「ごめん、殆ど使い切ってる状態かも」

「……僕のせいだね、ごめん。僕もほとんど毒にやられたな。天井をぶち破るのは無理か」

「随分な脱走案ね」

 確かに窓がないここが地下である可能性を考えれば、上が出口であるだろうが……魔力が殆どない今それは無理だろう。フォルは毒で殆ど消されてしまっただろうし、私もそんなフォルに魔力を分け与えてしまった。


「アイラ」

 すぐそばで身体を丸めていたフォルが、僅かに首を動かして上げた。

「たぶん、君が攫われたのは僕に言う事を聞かせる為の人質だ。きっと僕が黒だとばれたんだ」

「……それは確か?」

「そうでなければ僕が山に連れ出された意味がない。きっと観察されていた。僕があの時アイラを呼ばなければ」

「ちょっと待ってフォル、どういうこと?」

「アイラ、僕」

 急にフォルが身体を起こした。……と思ったらそのまま身体を倒し、気づいたらフォルの顔が上にあって髪がさらさらと零れてくる。

 え? なんだ? と思ったところで、頬が濡れた。

 銀色の宝石が濡れて揺らめいて、そこから溢れてくる雫が零れて私の頬を濡らす。

 思わず血の気の引いたフォルの頬に手を伸ばそうとしたが、その腕がフォルの手に掴まれていて動かせない事に気づいた。

 ……ん?


「うぇえ!? ふぉ、フォルこの体勢はちょーっとまずいんじゃないかなぁ!?」

 素っ頓狂な声を出しながら慌ててもがいてみるが、私に覆いかぶさったフォルは動かない。それどころか、顔が少し近づいたようだ。うわぁフォルすごいね、私腕立て伏せって苦手だよ! ってそんな場合じゃない、なんだこの状況っ!

「アイラ」

 初めて会ったときより低くなっただろうか。それでも綺麗な鈴のような透き通る声音は、私の耳のそばで鳴る。

「闇使いは闇のエルフィを求めてる。絶対だ……アイラは闇のエルフィではないかと疑われたんだ」

 僕の、と続けられる情報を必死に理解しようとするが、心臓がばくばくとして、顔が熱くなって、どうすればいいかわからなくなる。

 ふと、頭にレイシスの顔が過ぎった。そうだ、レイシスとガイアスは……心配してる、だろうな。

「ねえフォル、あの……」

 なんだか申し訳ない気分になって止めようとしたとき、フォルの唇がそのまま喉元に落ちてきた。

 何か尖ったものが、触れた。そしてすぐに柔らかく濡れたものが首を滑る。

「フォル……?」

 今何か、重大な事に気づいた気がする。

 まさか。

「フォル、闇使いって、もしかして」

「……怖い? 怖いよね。ねえアイラ、明日僕を見捨てて逃げると約束して。黒なんて、闇使いなんて、血を食らう化け物だ。近寄っちゃいけないんだ」

 明らかにいつもと違う、泣き喚く子供みたいな様子でフォルが紡ぐ言葉は、込められた意味がまるで正反対にしか聞こえない。

 だけど、わかった。闇使いが、王家にその血筋を把握されていたのは。


「吸血族……」

 びく、とフォルの身体が揺れて、そのまま私の上にのってきた。重くて、暖かいフォルの身体は私達と変わらない。

 化け物だなんて。

 吸血鬼なら前世でも漫画から小説、ゲームなど多岐に渡って存在が展開されている程物語の登場キャラの特徴としては有名だ。だが、この世界では伝え聞く「吸血族」と呼ばれるものが、どのような種族なのかまったく知らない。

 フォルの行動から、首に歯をつきたてるのは間違いなさそうだ……と考えた私はふっと口から笑いが漏れた。今その吸血族が上にいるのに、私、全然怖がってないじゃないか。

 大げさに跳ねる私の上にある大きな体から腕を引き抜き、今度はあっさり抜けた私の腕をそのまま彼の背に回す。

「こんなびくびくしている吸血族は怖くないかな」

 がばっと身体を起こしたフォルが、信じられないものを見るような目で私を見下ろす。失礼だな、というか、種族なら私だって特殊なのだ。フォルを否定していたら、私だって見えないお友達を話す痛い子になるぞ。

「あ、でも痛いのは怖いな。痛いの?」

「いや、吸血族の牙は魔力の作用で痛みがないって聞いた事あるけれど、どうだろう、僕は咬まれたことはないから」

「あーそれはそうだよねえ」

 自分じゃ咬まないか、と考えていると、フォルが今度は混乱した表情で「え、なんで? なんで?」と言うので笑ってしまった。だってもっと怖い表情で言うならわかるけど、こんなひたすら困った表情されて「僕は化け物なんだ」と言われても。

「で、血を飲まないと苦しいとかある? 今必要?」

「そんな! 全然大丈夫だよ! その、吸血族は貰った血を魔力に変換するくらいで別に普段は全然なくても、たまに欲しくなるだけで……!」

 慌てたフォルがとうとうぶんぶんと首を振りながら私の上から降りてベッドに座り込んでしまったので、よいしょと私も体を起こしてフォルと向かい合うように座る。

 魔力に変換、魔力に変換……。

「え! フォル、今魔力回復できるの?」

「ええ!? いやだよ、僕はアイラを咬みたくないから!」

 ぶんぶん。また首を振るフォルに、そうだよねぇいくら魔力回復するためとは言え飲みたくないかと納得すると、フォルはまたしても首がもげるんじゃないかと思うくらい横に振る。

「違う、まずそうだとかそんなんじゃなくて、むしろすごくおいしそ……じゃない、いや、僕は!」

「ああうん、ちょっと待って。敵さん、フォルを闇使いだと思って攫ったとしたら、私から血を貰って魔力回復して逃げ出すかもしれないのにこの状況、おかしくない?」

「ええっ! ……あれ? ああ、うん、そうだね……あれ?」

 今度は二人で首を捻る。


 その時ふわりと光る淡い明かりを見つけて、よし、と思わずにやりと笑う。

「フォル、大人しくしてられないし出来ることしよう」

 笑う私に、まだ混乱した表情のフォルはその表情のまま頷いた。

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