115
山に近づけば近づく程深まる雪に、王都で感じる春の芽吹きはここにはない。
山に入る前に一度立ち止まり、周囲を警戒するように見回したレイシスのそばに立つと、一息ついた。
「あとは先生と合流するまで待とう」
空を見上げればまだ日が短いせいか、夕刻に入る前だがかなりの傾きを見せている太陽に、そっともう少し明るく留まっていてと祈る。
出る時は誰も気にした様子はなかった。後は、フリップさんがなんとかしてくれるといいけれど……。
アルくんはすでに精霊の姿になって私のそばで待機している。きょろきょろと周囲を見回していた彼は、ほっと息を吐いて周囲に怪しい影はないよ、と教えてくれた。
「今回の依頼のルソードの芽って、家の裏手に生えてたあのルソードか?」
「うんそう」
ガイアスの問いに頷く。王都周辺では北山でしか確認されていないが、私の地元ではよく見る植物なのだ。
ちなみに大きく伸びてしまうと鎮静剤としての効果はなく、だが成長したルソードは煮物として地元周辺では好まれる食材だ。茎の部分が太く育ち、その茎が煮るとやわらかくて味が染み込みやすく、鎮静剤としての薬の効果は消えるが代わりに栄養をたっぷり含むので好まれる食材である。
「久しぶりですね、俺達だけでこうして山近くにいるのも」
「あー確かに。地元の山とじゃ木の種類が違うけど、なんだか懐かしいな」
「そうだね」
山の方を見上げると、同じように見上げていたアルくんがふとその透き通る羽を揺らし反対に体を向けたのに気づく。
先生が来るよ、と言われて振り返れば、木々の隙間から防寒具に身を包んだアーチボルド先生の姿が見えてそばにいたレイシスの袖をつまむ。
「先生、来たよ」
「わかりました」
私達は目立たないように生い茂る木々に隠れるように立っていたので、レイシスが先生の姿を確認すると、予め先生と約束していた通りそっと魔力で合図を出した。これで、先生は魔力探知をしながら向かってきているので、見つけてもらえる筈。
「悪い、待たせた」
先生はすぐに私達を見つけて合流し、山を見上げると行くかと言って周辺の道を確認しだした。
「もう少し奥までは風歩でいけるな、急ぐか」
言うが早いか先生は足に魔力を移し、すぐさま駆け出す。それに続きながら周囲を警戒しつつ、ちらりとアルくんを確認した。ぱたぱたと羽を動かす彼は、彼より何倍も大きな体で風歩を使う私達の速度にしっかりとついてきている。
程なく生える木の間隔が狭くなり、だいぶ山の中に入ったところで前を走る先生が腕で合図をし、風歩を切る。
「アイラ、この辺りにはありそうか?」
「ちょっと待ってくださいね」
アルくんと手分けして周辺の精霊に尋ねるが、どうやらこの辺りにはないらしく、そもそも精霊の数自体が少ない。まだ冬だと長めの休憩をしているのだろう。
「んー、駄目です、位置を変えましょう」
仕方ないなと頷く先生に連れられて場所を移動しながら探す。日は既にかなり傾き、辺りは薄暗い。
奥へ奥へと進むうちにまだ遠く離れた位置ではあるが柵を見つけて、随分とジェントリー領の北山に近づいてしまったことに気づく。
「どうだ?」
聞かれて立ち止まり、周囲の精霊と会話をしてみると、厄介な事実が発覚した。
「あったみたいです、この辺り。ただ数日前に人間が来て、採れる大きさまで育っているのは採って行ってしまったみたい」
「え、まじか」
ガイアスがきょろきょろとするが、まだ雪が残るこの地はその人間が立ち寄った後にまた新しく雪が降ったのか、その足跡すら残ってはいなくて痕跡はわからない。
「ルソードが夏に生えている位置さえ知っていれば、ほぼ毎年同じような位置に生える植物ですからね。迷わず採りにこれるでしょうし、案外競争率が高くてこの依頼難しいかもしれません」
精霊によれば、まだ小さなルソードは残っているらしいが、ルソードは種をつける雌株とそうでない雄株があり、今ある程度育っているのが雌株しかないらしく、このままだと種が少なくなってしまうから出来れば採らないでくれと頼まれる。
そういわれてしまえばこの下に埋まる芽を採るわけにもいかず、どうするかと空を仰ぎ見る。もうそろそろここも真っ暗になるだろう。
出来れば何事もなければいい、と願ってしまっては、なんの為にここにきたのかわからなかくなってしまうだろうか。敵が現れて、そいつを捕まえることができれば、という考えもあるにはあるのだが。
「とりあえずここにあったなら、近くにもないか探して見ます」
そういってアルくんと一緒に周辺を探し出す。精霊を見かけては声をかけ場所を尋ねるが、そうこうしているうちにジェントリー領の柵の前にたどり着いた私は少しげんなりしてしまった。やっぱり、そこにいかなければ駄目ですか。魔物は周辺にはいないようだけれど。
「先生、あそこです」
柵の向こう側、すぐそばに木が間隔を置いて育っている辺りを指差す。
「アルくんがその下にあるって言ってます」
「あーやっぱりか。まあ、すぐ手前にあっただけマシか? お前らちょっと待ってろよ」
先生がそういうとひらりと柵に手をあてて跳び、私が指差した位置に駆け寄ると雪に手をついた。
「わぁ、すごい」
思わず感嘆の声を上げる。先生が手をついた周辺の雪は溶け出し地面がむき出しになっていく。
熱を加えてるのか。いやそうなると地面の下にも影響を及ぼすだろうから、雪に直接何かをしているのかもしれない。なんにせよ魔力調整が非常に難しそうである。
雪を溶かす練習……なんてことはしていないだろうから、きっと何かの応用なのだろう。私も応用が上手く出来るようにならないとなぁ、と思いつつ、今度は雪が融けて現れた地面の土を風で軽く払う先生を見守る。
敵が来るならこのタイミングか。そう考えて警戒した私の耳に届くアルくんの声が、震えた。
『フォルセ!』
「……え?」
アルくんの視線の先を追って、その銀の髪を見て目を疑う。
「なんで」
「あーーーっ! フォル!」
私の驚いた表情で気づいたガイアスが指をさして叫び、レイシスが慌ててガイアスの口を押さえる。しかし、既に先生もはっとしてそちらを見てしまったし、静かな山の中にはガイアスの声が少しだけ響いた。
「ばかガイアス、敵がいたらどうするんだ!」
小声でレイシスに叱られてしゅんとしたガイアスを気にしつつ、遠目に銀の髪が驚いたのか揺れ、隠れていた顔が露になってフォルだと確信した。
「なんでこんなところに一人で……っ」
先生が柵の向こうで眉を寄せているのを見て、慌ててフォルに駆け寄ろうと走る。敵がいるかもしれないのに彼を一人にしてはいけない。しかし、走り出した私をレイシスが止めた。
ぐっと手を引かれて、お腹の前にレイシスの腕が回り後ろに足が数歩下がり、背がぶつかる。レイシスに抱き寄せられたのだと気づいて、混乱した。見れば、ガイアスまでもが警戒するように私の前に立ち、剣を抜く。
「ちょっ」
なんだ、どうしたのだとフォルを見た時、その表情に身体が凍りついたように固まった。フォルの顔色は、真っ青だった。
青ざめた顔で、同じく血の気のない唇をはくはくと動かし、眉を寄せていやいやとフォルが首を振る。その状況は明らかに異常で、私達の隣にざっと音を立てて戻った先生が周囲を警戒するように睨む。
「どうした!」
先生が叫ぶと、フォルは僅かに何かを口にした。
『アイラ、逃げてって言ってる!』
私達には聞き取れなかった声を、精霊の姿に戻っていたアルくんが正確に伝えてくれた。思わず、「逃げてって」と呟いた私の言葉を聞いたレイシスの腕にぐっと力が入った。
「フォルセ、今そっちに行くから」
先生が眉を寄せたまま、しかし相手を落ち着かせるためか、ゆっくりと声をかける。ふるふると首を振るフォルが、再び逃げろと口を動かした。はやく、と。
「先生」
「ああ、敵か」
ガイアス達の言葉でやっと脳内に血が巡ったのか、そこで漸く何をすべきか思い出した私はすぐに見えないようアルくんに魔力を投げ渡す。
受け取ってすぐに自らの気配を絶ち動いたアルくんは、少し飛んで離れた後全速力で戻り、フォルの右斜め後ろ方向に誰かがいると叫んだ。
「フォルの位置から右後ろ方向の、四つ先の太い針葉樹林下の茂み」
端的に告げれば、全員が殆ど視線だけで一瞬そちらを確認したようだ。だがしかし、距離が遠い。せめてフォルがもう少しこちらに近ければと、じりじりと足を前にずらす。
だが、それに気づいたフォルが表情をぐにゃりと歪めた。
「駄目だ! レイシス、アイラを連れて逃げろ!」




