お憑き合い、はじめました
夏子は断頭台へ向かうマリー・アントワネットのように、足音を立てないベルサイユ風のすり足で、ゆっくり、時間をかけて体重計の方へ歩いていく。
ごくり、唾を飲んだ。二時間前に飲んだオリーブオイルの、あの粘々した感触がまだ口の中に残っている。
大丈夫よ、自分を信じるの、あたしはやれば出来る子なんだから、と夏子は自分に言い聞かせる。
オリーブオイルダイエットを始めて今日で一週間。食前にオリーブオイルをコップ一杯飲むだけで痩せられるというけれど、本当に、本当につらかった(泣)。元々あぶらっこい物は嫌いだったし、オリーブオイルを飲んだ後は肌がテカテカしてメイクのノリが悪くなっているような気がするし、もう最悪だった。
まずは右足を体重計に乗せる。それから左足。
ジャカジャカジャカ、デジタル表示された体重計の数字が細かく入れ替わる。
ここで夏子は目を閉じる。天使、そう、今のあたしは背中に羽のある天使なのよ。ああ、このイメージいいかも。体が軽くなった気がする。
今にも天に昇りそうな、穏やかな表情を浮かべると目を開け、
ジャン! 体重計の数字を見た。
――そして、
「ふざけんなあああああ!」
キレた。
夏子はまず体重計を持ち上げるとおもいっっっきり床に叩き付けた。ぐわしゃーんとお風呂場で大きな音が鳴り響いた。お風呂場から出ると目に付くものを片っ端から掴んでポイポイ投げ散らかした。本棚の本も残らず床にぶちまけた。暴れ疲れるとベッドに倒れこんでワンワン泣いた。
どうしよう、どうしよう……。来月8月に憧れの先輩と海へ行く約束をしているのに。それまでにダイエットして身体を絞らないといけないのに。
夏子の脳裏にある光景が浮かんだ。灼熱の太陽、青い海、白い砂浜、そしてデブった自分の身体に冷たい視線を送る先輩の姿……。
ぎゃーーーーー! なんとかしないと!
すぐさま夏子はスマホで流行りのダイエット方法を検索してみた(先ほどの狂乱の中でかろうじてスマホだけが生き残っていたのだ)。
約束の日まですでに2週間を切っていた。この2週間ですぐに痩せれそうなダイエットを探さないと。
――全日本ダイエット協会、30歳主婦のお手軽ダイエット、鬼ママ軍曹の一週間ダイエット強行軍、おすすめダイエットナビ、デッドオアダイエットetc、etc……。
ダメだ、全部やったことあるか、ちょっときつそう、みたいなのしかない……。
友達で何かいいダイエット方法がないか、メールで相談もしてみた。しばらくして友達の一人からメールの返信があった。
【これなんてどう? http://www********* 霊による肥満改善って? 幽霊でダイエットするってこと? (*≧▽≦)σゥケル-!】
幽霊……ダイエット?
すぐさま彼女はHPをチェック。なになに? ダイエットをしても痩せずにどんどん太る原因は相性の悪い守護霊にダイエットを邪魔をされていたり、その霊による無意識のストレスの場合もある、と。相性のよい守護霊に交換することで、モニターは無意識下での心的ストレスから解放されて、体調改善、不自然な肥満からも解消されるという。
効果は一週間目辺りから出るらしいのだが、それよりも霊を憑ける以外は何もしなくていいというのが夏子の気に入った。
これくらい楽だったら、他のダイエットとも平行してやれるじゃない♪
夏子はすぐに予約の電話を入れた。
都内の高層ビルに事務所を構える霊能力者は黒いスーツをカジュアルに着こなした若い女性だった。ほそりとしているくせに胸が服越しからでも分かるくらいに大きい。瓜実顔で、目は下品にならない程度のキツネ目、意思の強そうな少し太めの眉、鼻は高くないけれど高級料亭に置かれてる象牙の置物みたいな綺麗な形をしている。おっとりとした、少し古風な感じの美人である。
夏子はこの美人霊能力者に嫉妬した。
くっそー。何この美人、鼻の形めちゃキレイ。それにすっぴん風ナチュラルメイクっていうのかしら、何なのよ、その、朝の15分でサクッとやりましたけどイケてるでしょ的な、できる女アピール? あたしなんて元彼の初デートの時、1時間かけてフルメイクしたのに、彼氏から「メイク濃すぎ」「パンダみたい」「顔、パンパン」とか言われて……。
と、ここで夏子は心の中でかぶり振った。
ダメダメ、嫉妬は美容の大敵なのよ、ここはニコニコ、ニコニコ、なのよ。
美人霊能力者も親しみやすい、安心感を覚えるような笑顔を浮かべて、
「はじめまして。エステティックサロン『Lovely ghost lighter』の玉藻と言います」
口調に少し西の方のなまりがあるな、と夏子は思った。
「当店では一風変わった手法を用いてお客様の心に癒しと満足を与え、心身共により美しく健康な状態になって頂きます」
「一風変わった、っていうのが『霊』なわけ?」
玉藻の経歴は少しユニークだった。京都出身の彼女は20歳で美容系の専門学校を卒業した後、数多くの有名サロン(そのいくつかは夏子も名前を知っていた)を渡り歩き、もの凄いスピードでエステティックの実力をつけていった。2年の間に彼女は各地のエステティックコンテストで優勝し、雑誌にも単独で掲載される程の有名エステシャンとなったが、突然、22歳の時に彼女は一度エステの仕事から離れた。それから5年の間、彼女は青森の恐山で降霊術を、京都で陰陽術を、ローマカトリック教会で交霊術をじっくり学び、今から一年前に都内でこの心霊エステの店を開いたというのである。
「あるお客様を施術している時に気がついたのです」
と玉藻は言った。
「そのお客様はとっても美しい方でした。その方は私を気に入って下さり、施術の度に少しずつお話をするようになったのです。その方は悲恋を繰り返していらっしゃって、自分はそういう星に生まれついたのだ、と嘆いていらっしゃいました。私はその時、ふと、その方の背後にいる霊が見えたのです。そこで私は……」
短気な夏子は、
「ああ、もうそういうのいいからちゃっちゃと始めちゃってくれる?」
玉藻は顔を赤らめて、
「あ、すいません。私ったら」
話を突然打ち切られたにもかかわらず、彼女は嫌な素振りも見せず、上品な笑顔を崩さない。夏子はその顔を見て、またイライラした。
美人の余裕ってやつかしら? 腹立つ!
儀式をするからと案内された部屋は白壁の清潔な部屋で、霊=怖いイメージを持っていた夏子は幾分拍子抜けしてしまった。
「人と人との間にも相性というものがあるように、人と霊にも相性というものがあります。相性の悪い霊だと体に不調が起こったり、肥満の原因になったりもします。これからお客様には、相性がよいと思われる穏やかで大人しい守護霊をお憑けします。守護霊は無害ではありますが、もし何か体調に異変がありましたらすぐに元の守護霊に戻しますのでご安心ください」
そう言って玉藻は御幣(神社とかにある白い紙のついた棒ね)を夏子の頭にかざした。
儀式が終わり、半信半疑で事務所を出た夏子だったが、元々視線に敏感なせいもあってすぐに今まで感じたことの無い『目に見えない何か』の視線に気がついた。
家に帰るとバタンと勝手に扉が閉まって夏子はびくぅとなる。
ここで夏子は、
『履き慣れた靴から新しい靴に履き替えると履き心地に違和感を感じることがあるでしょう。霊もそれと同じで最初の数日は視線を感じたり、変なことが起こっているように感じるかもしれません。でもご安心を、すぐに収まりますよ』
という玉藻の言葉を思い出した。
こりゃ本格的だわ。ふーん、数日の我慢、ね。でも、ま、幽霊がこうしてちょっかい出してくれたほうが、なんか、そういう幽霊いるんだ、的なストレスで痩せられるかもだし、これはこれでいいかもね。
と、
最初はそう楽天的に考えていた夏子だったが、朝に激しく揺さぶられて眼が覚める、家を出ようとすると勝手に扉や窓が閉まる、部屋がきれいに片付いている、といった怪現象が立て続けに起こるようになると、誰か知らない奴に自分のものを勝手に弄られているような不快な気分が込み上げてきて、そう思うとなんだか我慢できなくなってきた。時折感じる視線も監視されてるみたいで嫌だった。
夏子は一人部屋に閉じこもると、
「こそこそしやがって、出てきなさいよ!」
すると突然スマホの着メロが鳴り始めた(ちなみに着メロはJUJUの『守ってあげたい』である)。スマホを手に取る。非通知で電話がかかってきている。おそるおそる電話に出ると、
「やあ、こうやって話をするのは初めてだね。こんにちは」
以外にも若い男の声だ。鼻に響かせた甘くて柔らかい声をしている。『霊』というと、薄気味悪い、うじうじした声だろうと思い込んでいた夏子は、霊のイケメンボイスに一瞬気後れしたものの、
「あんたがあたしに憑いてる霊ね!」
と 必要以上に大きな声で怒鳴った。
「ごめんよ、でも僕も見てられなくてさ」
「何がよ!」
「だって、君さ、目覚まし鳴ってて遅刻しそうなのに平気で寝てたりしてるし、戸締りもせずに家を出ようとするし、服だって脱ぎっぱなしで、部屋も散らかし放題のゴミだらけ。僕、そういうの気になる性格でさ」
夏子は自分のだらしないところを指摘されて顔を赤くした。
「お風呂とかトイレとか覗いてたりなんてしないわよね?」
「の、覗くもんか」
「本当?」
「ああ、命賭ける!」
「命って、あんた死んでんじゃないの?」
「う……」
夏子は笑った。どうやら悪い奴ではなさそうだ。
「なんであんた死んだわけ」
「笑うなよ」
「なになになに?」
「失恋して、なんか、その、勢いで学校の屋上からダイブしたんだ」
「うっそ! 今時、失恋で自殺する奴なんているの」
「もう! だから言いたくなかったんだ」
「振られたってどんな感じに?」
「『ただの人間には興味ないの!』て」
「なにそれ? もしかしてそんなわけのわからないこと言われただけで自殺したの?」
「うん。今ではちょっと後悔してる。だからこうして霊をしてる訳だけど」
夏子はこのイケボ霊の顔に興味を持った。失恋で死ぬような男の顔がどんなのか彼女は少し意地悪い気持ちで見たくなったのだ。
「顔は見れるの?」
「写真に写り込むことがあるかな」
「わ、見たい見たい」
「え、でもキャーとかいうなよ。街中を歩いていると時たま写りこむことがあって女の子に悲鳴上げられるんだ。これって結構傷つくんだぜ」
「ちょっとだけよ♪」
そう言って夏子はスマホで自分自身を撮り、画面に写った霊の姿を見ると大きな悲鳴を上げた。
……………
…………
………
……夏が終わり、久しぶりに再会できることを楽しみにしていた夏子の親友たちは待ち合わせ場所に現れた美少女が最初、夏子本人であることに全く気がつかなかった。
夏子は変わった。体型を理由に振られた前の彼氏の影響で、肥満恐怖と極端な痩せ願望にとり憑かれてしまった夏子は、ほとんど食事を取らずに、おかしなダイエットばかりを繰り返していた。ガリガリに痩せた彼女は、肌荒れを隠す厚化粧と相まって、まるで骸骨のようだった。
しかし今では年頃の女の子らしい丸みを取り戻し、化粧も落ち着き、愛らしい笑みを浮かべていて、親友たちも思わず嫉妬しそうになるような幸せオーラを全開に溢れさせていた。
親友たちは夏子の変貌ぶりも気になったがそれよりも、
「ねえ、夏子、先輩振ったって本当。あんた先輩にべた惚れだったじゃない」
「彼氏が出来たからね」
「それってやっぱ、本当なんだ。マジどっきりじゃなくて? いや、ちょっと写真見せてよ」
「いいわよ」
スマホの画像を見た親友たちは人目憚らずキャーと声を上げた。そこには女の子が思わず黄色い悲鳴をあげてしまうような、甘いマスクの美青年が写っていた。
親友たちは気づかない。
夏子の『彼氏』が背後にいることに。
「(全く、弱ったなあ……)」
霊は1ヶ月前のことを思い出す。
「あたしと付き合ってよ」
と夏子。
「や、ごめ、僕、部屋の汚い女性はちょっと無……」
「なーんでよ、やだやだやだやだ、付き合ってよおおおお」
夏子は駄々っ子みたいに泣いて床でじたばたする。困った霊は、
「いや、まあ、付き合うもなにも、特別な力で無理やり君にとり憑いていて、別れたくても別れられないっていうか……」
「え、じゃあ、ずっと一緒?」
「多分……」
「やったー。じゃあ、あんた、あたしの彼氏ね。決定。早速友達に彼氏できたってメールしよっと♪」
「え、えー!」
……それ以来、イケメン霊は夏子と共生している。共生、と言えば聞こえがいいが、実際のところは夏子が霊に寄生していて、部屋の掃除も洗濯も料理も全て霊にやらせていた。
「(これじゃ、どっちがとり憑かれてるかわかったもんじゃないぜ)」