仕事をしよう
冒険者組合の外は、緑が眩しかった。オズの魔法使いに出てくるような街のようになっているわけではない。ただ、夏の緑がそこに広がっていた。
私がこの異世界に来た時、あんまりにもコンクリートとビルに囲まれた生活圏だったため、夏を感じることはなかったから、少し、目がたくましい緑の生命力で痛くなった。
それと同時に言いようのない不快感にとらわれた。このVRの世界だけでしか季節の移ろいを感じられないことに対してか、それ以外か。だが私は、私の転移した場所だけがビルとコンクリートの支配する世界であってほしい、と思った。
「ヨウタ、どうかしたのか?」
心配そうな声をにじませて、コウスケ先輩がそう聞いてきた。案外、面倒見がいいところがあるのかもしれない。
「いえ、夏の緑が綺麗だな、と。ここのフィールドは現実の季節とリンクしているのですか?」
「あまりVRには家の方針で触れてこなかったのです」と言えば、コウスケ先輩は少し珍しいものを見る目をした。
なるほど、やはり、ここの世界ではVRに触れてこない人間は少数派らしい。
「ああ、そうだな。ちなみに季節ごとにイベントがあって、今は海のモンスターをサーフィンしながら倒すイベントをやっている」
「へぇ、サーフボードでモンスターをひき殺すのですか?」
「え? あ、いや、そうじゃなくてだな」
「わりとバイオレンスな事考えるんだな」と小声で言ったのが聞こえてますよ、コウスケ先輩。まあ、私もそのような発言を聞いたらそのようなリアクションをするだろう。
「たしかに、そうやってモンスターを倒す人もいるが、少数派だな。わざわざグロイグラフィックを見たくはないだろう。この会社のVRは毎年この夏イベントでモンスターをサーフィン板で轢殺すると、無駄にグロイ演出をしてくるからな」
「あ、すまない。ヨウタはあまりVRの世界に触れてこなかったと言っていたな。それならば知らないか…」と、コウスケ先輩は付け足した。
先ほど小声でつぶやいた発言が聞こえていたかもしれないと思ったのだろうか。
彼のお人好しだという可能性もあるな。
「ええ、なんでそんなことを…」
「知らん。お上の考えることはよくわからない」
元居た世界で彼の言う「お上」である自分には耳が少し痛いな。割とおかしなことをしている自覚はしている。いや、でもあれは必要な事だと思う。
「話がそれてしまったな。俺たちがすることだが…」
そう彼が言ったとき、悲鳴が聞こえた。海の匂いがする方向だ。
「ちょうどいいな、ヨウタ、行こう」
コウスケ先輩はそちらへと駆けだした。
そんな彼を見て、私の口元は弧を描いた。
なんだか面白そうなことが起こる気がする予感が、私の足をせかせたのは言うまでもない。
「唐突だが、ヨウタ、あれは何だと思う?」
コウスケ先輩と私は白い砂浜にいた。つま先に澄んだ色をした海水がかかって少し冷たかった。この世界のVRはかなり発達しているな、と思った。
「ヨウタ、大丈夫か? ショッキングだったか?」
「いえ、そうではなくて、どこかな、と目を凝らしていたのですが、見つけられず…お恥ずかしい」
「そうか。すまんな。説明が足りなかった。ただ、今から言うことは少しショッキングかもしれないから、無理しなくてもいい。
あそこに、赤色が混じった海水があるだろう?」
目を凝らしてよく見てみると、たしかにそこには赤色があった。なんだろう。すごくわくわくする。血液とかだったらいいな。そっちのほうが面白そう。トマトジュースでもいいな。
「見つかりました! コウスケ先輩、あれはなんですか?」
「あれは、この世界にプレイヤーとして来ている人の血液だな」
全身の血液の流れが加速するのを感じた。頭が興奮でくらくらする。まるでサメにでもなったかのようだ。
「これ自体はあまり問題がないが、先ほど聞こえた悲鳴に問題がある」
「なぜですか?」
「あれは、テンプレートの悲鳴だ」
「テンプレートの悲鳴?」
「ああ、そうだ。何種類かテンプレートの悲鳴はあってだな…いや、これは話していると長くなるな。とにかく、今の悲鳴は痛覚を調節し忘れて入った人がSOSサインとして出すものだ。ここのモンスターはどこかしらの四肢を食いちぎってくるから、かなりの痛みが襲ってくる。普段、このVRで戦っているモンスターとはくらべものにならないほどのな」
なるほどこのVRでは痛覚を調節する機能が備わっているのか。そう思い、頬をつねってみた。痛い。痛かった。現実の痛みそのままだった。これは、これはこれはこれはこれはこれはこれは!
「えっ! まずいじゃないですか。少し失礼なことを言うかもしれませんが、悠長に話している暇ないじゃないですか。今すぐ助けに行きましょうよ!」
はやく、はやく入ってその人の表情を見たい。どんな表情をしているんだろう。痛みに歪んだ表情をした人間を見たい!
そう思い、半歩だけ海に進んだ。
「ヨウタは優しいんだな。だが、少し待ってほしい。きみは痛覚の調節をしていないだろう。それを調整してからにしよう。先ほど頬をつねっていたが現実そのままの痛みが襲ってきただろう」
「いえ、大丈夫です。それよりも、早く私は助けに行きたいです。先ほどつねっただけで、私は痛かった。けれど、その人はそれ以上の痛みを感じているんでしょう? 私はそんなの耐えられないです…。それに、仮に四肢が引きちぎられたとしてもリスポーン機能で生き返ることで元通りになりますよね?」
痛みを生で感じたい。四肢を引きちぎられるような痛み…? それは、自らを切り落とされる事よりも痛いのだろうか。ああ、面白い! 以前、少し気になってやらなかったことがここではできる! なんて面白い! 素晴らしいな! VR世界万歳! 異世界万歳!
「いや、その人たちは自分の不注意の結果、そうなっているんだ。ヨウタが自己犠牲をする必要はない」
そう言い、コウスケ先輩はやんわりと私の肩に手を置いた。
ああ、だめそうだ。この人は私に押し切られない。なんだかつまらなくなってきた。
なぜ、こうも私に押し切られてくれないのだろうか。
なんだか、暇になってきたので、とりあえず肩に置かれた手を見てみた。少し震えている。ん? 「少し震えている」?
なるべく自然に視線を上げた。すると、少し目が泳いでいる。そして、口は無理やり平静を装うとしているように、引き結ばれている。
このVRは今までの経験からかなり精密に人の表情や行動を移せるものだということはわかっている。ということは。
コウスケ先輩は、何かに怯えている…?
いや、あくまで仮説だ。そんなに妄信しないでおこう。妄信は毒だ。いつもそれは人に言っている事だろう。
「わかりました」
とりあえず、今はそう頷いておいた。
「じゃあ、頭の左横にあるボタンを押してくれ」
「わかりました…って、うわっ」
いきなり自分の眼前にステータス画面のようなものが出てきた。
「え、なんですか、これ。どうすればいいんですか」
「そこに『オプション』と書いてあるところがあるだろう。そこを『押したい』と思いながら押すことで押すことができる」
言われた通りにやってみると、「ポーン」という音がして、オプション場面の詳細が表示された。「痛覚設定」と書かれたところがある。次はここをいじるのだろうか。
「できました。ありがとうございます!」
「いや、まだ礼を言うのは早いぞ。そこのオプションに『痛覚設定』と書かれたところがあるだろう。そこを先ほどのように押すと、痛覚を調整できる。無痛に選択しておくのがいいだろう」
「わからないことがあったら聞いてくれ」とコウスケ先輩は言った。
「そういえば、この痛覚設定って他の人には見えるんですか? 見えたら、未然にそういう事故が防げると思うのですが」
「無理だな」
「…そうですか」
痛覚オプションをバレないように初期設定に直しておいた。ここで気づいたのだが、これ、強く念じるだけでも押せるんだな。高い技術力だ。
「できました! コウスケ先輩! ありがとうございます」
「そうか。じゃあ向かうぞ」
そう言い、コウスケ先輩はサーフボードを出してきた。
「このサーフボードでそこまで行く。…なあヨウタ、被害者はもうリスポーンしているかもしれないからやっぱ辞めないか?」
そういうコウスケ先輩の声は少し震えていた。
「なんてこと言うんですか…」
私は少し好奇心が強いきらいがあるが、記憶にある限りは、気乗りしない人間に無理強いをするような人間ではない。ところで人間の脳は自分に都合のいい記憶に改変したり、都合の悪い出来事を忘れるらしいな。
と、いうことでこの記憶は忘れるだろう。
「わっ、すみません、これどうやって止めるんですか?」
私はそこらへんに放置されていたサーフボードにこけたふりをして乗り、それを動かした。念じるだけで動くのだから、本当にすごい。
「あっ、それは…」
何かコウスケ先輩が言っているような気がしたが、聞こえない、聞こえない。遠くに来てしまったからそんなものは聞こえないのだ。
「大丈夫ですか?」
先ほど血が見えた場所まで来てみると、まだ血を流していた人は生きていたようだ。女性のアバターで露出面積が多い服装を着ている。だが、右足と左腕を失っている。残念なのは、そんなに断面図がリアルではないことと、血の吹き出し方が非現実的な事だ。
思ったより興奮しないな。やっぱり、興奮してた時に行動しないと、得られる興奮が少なくなっちゃう。
「大丈夫じゃ、ないです」
おや、野太い声だ。中身は中年の男性なのかな。ボイスチェンジ機能を使っていないのはVRに実装されていないからかな。
まあ、私がいた日本ではあまり露出が高い服を着る女性(ゲーム内でも、現実でもだ)はあまり見たことがなかったから、予想はしていた。
「そうですか、すみません、私、配属されたばかりで気だけがはやってここにきてしまったんです。なので、どうすればいいか教えてくれませんか?」
眉根を下げながらそう言ったところで、後ろから肩をたたかれた。
「あ、コウスケ先輩、ここまで来てくれたんですか? すみません、わざわざここまで…」
「まあ、後輩を放っておけないからな」
コウスケ先輩は肩で息をしている。どうやら、かなり急いできたようだ。
それにしても、震えるほど怯えていたのに、ここまでくるだなんて思っていなかった。案外情に厚いのかも知れないしれない。
「ところで、こうなった人に対する処置についてだが…」
「コウスケ先輩? どうしたんですか?」
コウスケ先輩は後ろを向き、手を握りしめた。
「やはりそうか」
そういうコウスケ先輩の顔には一種の諦念のようなものが浮かんでいた。
「すまんな」
そう向きなおってコウスケ先輩は言う。
「なにがですか、コウスケ先輩」
そう言おうとしたが、海水に飲まれ、声はかききえてしまった。
なにごとか、と透き通った海水の中から上を見ると、大きな魚影があった。
スローモーションだった。それは、海面にいるコウスケ先輩に向かって牙をむいた。
このままではいけない。だが、自分ができることはこれといってない。どうしたものか。
そういえば、先ほどコウスケ先輩は何かを握るような動作をしていたな。…握るような動作? そうか!
「武器よ! こい!」
水中で言ったので声は出なかった。だが、武器は出た。ファンタジー世界でよく見る剣だった。
そして、それはサメのような姿をしたモンスターを屠るのには十分な殺傷力をもつものだった。
「くらえっ!」
剣を上にあげ、そのモンスターの腹に突き立てると、赤黒い液体が流れ出てくる。血だ。かなりリアルな粘度で少し興奮した。
それは、何度かビクビクと動くと完全に動かなくなった。手の内に、生命が息絶えた感覚が生々しく残った。
「コウスケ先輩、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
コウスケ先輩に怪我はなかったが、先ほどのネカマはいなくなっていた。リスポーンでもしたのだろうか。
「ところでこのVR、ボイスチェンジ機能ないんですかね?」
海辺の売店近くで(このVRはすごいもので、味も完全再現されている。ブルーハワイ味のかき氷は現実とそう変わらないチープな味がした。ちなみにコウスケ先輩のおごりだ)少し話をすることにした。もしかしたら、面白いことが聞けるかもしれない。まあ、先ほどの経験だけでかなりまあ、先ほどの経験だけでおつりがくるほど面白いと思うのだが、面白いことは多いに越したことはない。
「ああ、そうだな。性犯罪防止のためにそうされているらしい」
「そうなんですか。コウスケ先輩は物知りですね」
「そういえば、ヨウタのアバターは綺麗だな。なんというか、ちょっと女性的な感じがする。俺が知らないだけでバイトでもアバターの見た目をいじれるのか?」
露骨に話題を逸らされた。
「いえ、完全に自前です」
「すまない…」
「いえいえ、大丈夫です」
それ以上のことは言わないことにした。
父親に男の象徴切られたからその認識あながち間違ってないですよ、なんて言おうものなら場の空気が凍る。永久凍土が生成されてしまうだろう。
「そういえば、先輩は海があまり得意ではないのですか?」
露骨な話題逸らしには露骨な話題戻しで対抗しよう。
「ああ、それのことだがな」
少しコウスケ先輩ははにかんだ。そのはにかみは、少し緊張感を孕んだものだった。人をだますのに緊張しているような雰囲気を感じた。
「いや、やはり…」
彼はテーブルに肘をつき、眉間のあたりを右手でもんだ。
ふっと、先ほどのはにかみの雰囲気は霧消した。
「いきなりスピったことを言うが、俺が何回もこの日をループしている、と言ったら信じるか?」
「信じますよ! 私だって少し奇妙な事があってここに来たんですから」
コウスケ先輩は目を見開いた。罠に獲物はかかった。
「実は、私は今から数時間前ほどでしょうか…。それくらいに、こことは少し違う世界でトラックに轢かれ、ここにやってきたんです」
「にわかには信じられず、しばらく困惑しましたが、とりあえず生きていくためには金銭が必要だと思い、このバイトに応募したんです」と言うと、コウスケ先輩は天を仰いだ。
「それでか…。このループの中できみと出会ったのが初めての理由がわかったような気がする」
コウスケ先輩はため息を吐きながらそう言った。
「ところで先輩は何がきっかけでループするんですか?」
「死だな」
「死? 死ぬってことですか?」
おかしいな、VRで死んだ場合は復活するはずだが。
「VRの世界で死ぬとループする」
「ええ、嘘ですよね? だって死んだらリスポーンするって言ってたじゃないですか」
「それがな、どうやら本当に死んでいるらしいんだ」
なんだか面白いことになってきた。口の周りに着いたブルーハワイをなめとるふりをして舌なめずりをしてしまうほどには。
「その根拠はどこにあるんですか?」
「痛覚機能を0にしているにも関わらず痛覚を感じている。それだけならば別にいいのだが、そこからどんどん意識が不明瞭になっていくのが、以前首をしめられて殺されかけた経験に酷似していてな」
苦虫を嚙み潰したような顔でコウスケ先輩はそう告白した。
「それ、現実世界で襲われてるんじゃないですか? 機器を外して一回、過ごしてみてくださいよ」
「それを試してみたんだ。前回な」
「結果はどうだったんですか?」
「機器そのものが外せなかった」
そう絶望した顔で告解するコウスケ先輩が極上の牛肉に見えた。機器が外せないという事は(私はVRにもこの世界にも疎いから断定はできないが)VRに関してかなりの知恵を持った人物、またはそういったことを人に命令できる立場であろう。なぜ、彼はそのような人に狙われているのだろうか。
それに好奇心がとめどなくくすぐられた。いや、くすぐられただなんていう生暖かいものではない。まるで…。いや、下品だな、やめよう。
「コウスケ先輩、私に策があるのですが、乗ってくれませんか? まだまだ頼りない後輩だとは思いますが、私に賭けてみてくださいませんか?」
コウスケ先輩はうなずいた。まったく、こんな出所の知らない人間が差し伸べた手を取るとは、どれほど彼はこのループを繰り返しているのやら。
そうVR機器を外す準備を着々と進めながら思った。




