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アルター・エゴ~勇者の弟、世界を救う旅に出る~  作者: 母なる父
第三歌 悪の目覚め、憤怒の刃
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第三楽章 白百合と赤薔薇 2

 カイヤと対峙して早々、魔人は遠く離れた馬車を視認していた。

 傍らでそれを守る、一人の男を視認していた。


 ——狙うべきか?


 視力の良い魔人はカイヤと言葉を交わす間、馬車を狙うべきか考えていた。

 その時には迷いがあった。目の前の少女がどの程度のものなのか知りたかったのもあるが、第一に馬車と男を狙うのが正解だと思えなかったからだ。

 そして、マルカスが彼女の右拳を食らった瞬間、彼は理解せさられた。

 この女には絶対に勝てない、と。

 迷いは既に消えていた。魔人は即座に行動を定め、馬車目掛けて走り出したのだった。

 身長180と少しの、黒髪褐色の男。

 彼を殺すのが、最善だと信じて。



「あいつら、大丈夫かのぉ?」


 双馬の頭を順番に撫でながら、オルクレスは暇を持て余していた。

 馬車の警護を任されたとはいえ、敵がいなければ身が引き締まるわけもない。馬車の御者はテミスの聴覚保護の魔法によって無音の空間と化した荷台に避難している。事が終わるまで、彼は静かな荷台の中でゆっくり過ごしているだろう。

 メストリアから持ってきた鎌は大地に寝そべり、役目を放棄していた。


「……ん?」


 ゾワ、と背中に微かな悪寒が走る。

 馬から村へと視線を向けると、村門からとてつもない速度で人が走ってきていた。


「誰じゃあいつ」


 眉をひそめて目を凝らすと、それは魔人族の男だった。


「魔人族⁉」


 魔人は空気を蹴るが如く、急速に距離を縮めてきていた。

 オルクレスは寝そべる鎌をすかさず拾い、両手で掴むと同時に——

 魔人が振りかざす曲剣を、寸での所で受け止めた。


「うお!」


 魔人はすかさず蹴りを入れる。オルクレスは鎌の柄で蹴りを受け止めるが、数メートルだけ後退してしまう。

 再び曲剣を相手どるため、鎌を構えるオルクレス。


「はぁ!」

 

 曲剣と鎌は再び衝突し、防御は成功する。しかし、薙がれた曲剣の重さに耐えられず、オルクレスは鎌を手放してしまった。


「あ」


 鎌が再び大地に寝そべり、オルクレスは無防備になる。このまま魔人が剣を振り下ろせば、確実に斬られるだろう。


「まず」


 すかさずオルクレスは逃走するが、魔人が追いつけない筈もない。


「逃がすか!」


 時間稼ぎにもならないチェイスは、馬車の後面から遠くの位置で終了し——

 気づけば、オルクレスは足を止めていた。



 ——諦めたか!


 瞬間、魔人の脳を優越感が満たす。これで一人殺せる。女から逃げた自分は間違ってなかった。女は追ってくるだろうが、後は逃げるだけでタスクは果たせる。


「死ね!」


 抵抗など無意味だ。何かするまでもなく、自身の曲剣が男を絶命たらしめる。

 そう確信した魔人は、オルクレスの頭部目掛けて曲剣を振り下ろした。

 剣は頭蓋を砕き、止めどない血しぶきを上げる。葉巻の灰が落ちるように倒れ伏して、オルクレスは死に迎えられた。







 そのはずだった。


「————なッ⁉」


 振り下ろされた曲剣は、頭部に当たる直前で止まっていた。


 ——牽制しただけ? 


 それはない。魔人は明確な殺意を以て、目の前の男に曲剣を振り下ろした。

 だというのに、剣はオルクレスに触れられていない。彼に傷はついていない。


「何故だ⁉」


 もう一度曲剣を振り下ろすが、オルクレスの直前で止まってしまった。


「これ以上ッ、剣が振れない⁉」


 どれだけ力を込めても、曲剣は彼の肉体から数ミリ離れた位置までしか動かなかった。


「……何故だっ⁉」


 もう一度、もう一度と曲剣を振り下ろしても、結果は変わらない。


「どうしてッどうしてッどうしてッ!」


 角度を変えオルクレスの体を薙ぐようにしても、拳で殴ろうととしても、蹴とばそうとしても、同じ結果がやってくる。直前まで触れられていたはずなのに、何故。


「——ッ何なんだ、これは⁉ 魔法なのか⁉」


 無意味を繰り返した果てに疑問を見出す、何とも哀れな魔人。


「何故だ何故だ何故だ‼ 一体どんな魔法なら、こんなことができる⁉ お前は一体——ッ!」


 その時、魔人は男の顔を見上げた。


 ……は?


 その顔は、夜に佇む氷の様に冷たかった。



 右に傾けた顔の表情は、無。

 褐色の肌に快活さは失われ、薄濁りの黒い瞳は意味もなく開いている。

 口は微動だにせず、えくぼの一つもできやしない。


「ひッ!」


 何も語らず、何も変えずに、氷は魔人を見下ろしていた。


 ——何だその顔はッ! お前は……何をしているんだ?


 男の顔が示す感情。推し量るに、それは——


 ——まさか……、憐れんでいるのか? 人間ごときが、この俺をッ、憐れんでいるのか⁉」


 憐れみ。それがこの男の感情なのだと、男は勝手に理解した。


 魔人の心に恐怖が生じる。理解から逸脱した事実を突き付けられ、汗は止まらず、呼吸は乱れ、足が震える。体中に彫られた刺青が、彼がバケモノだと錯覚させる。この説明のつかない事象が、恐ろしくてたまらない。


 ——やめろ。


 男は何も変えてくれない。


 ——やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ!


 氷は溶けてくれない。


 ——見るな、見るな。……見るな見るな見るな見るな見るな見るな! 


 ——その眼でッ、その眼で————見るなァ‼


 震える足を精一杯動かして、逃げ出そうとしたその瞬間——


「——おらァ‼」


 魔人の背中に、岩石の如き頑強な衝撃が走った。

 それは、先ほど逃げ延びたはずの、カイヤの左拳だった。


「ごぁ————‼」

 

 痛みが全身を巡る。男は状況を理解しようとするも、時間は待ってくれなかった。

 振り向こうとした矢先、カイヤの右膝が拳と同じ場所に激突した。


「ッ————」


 背骨が砕け神経が千切れた魔人は、声を上げることなく倒れ伏した。



「ふぅ間に合った!」

「大丈夫⁉ 怪我無い⁉」


「何とかの。ほら見ろ」


 オルクレスは体をぐるぐる回した後、両手のピースと笑顔をカイヤに向けた。


「おっけい!」


 傷一つない彼に満足して、カイヤは村へと走っていった。



次回はアルバの戦闘です。

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