第二楽章 魔猪、風に揺られて
雲一つない静寂の空の下、二つの生物が相対している。
片方は旋風の剣を携えた男アルバ、片方は巨大な魔猪。
アルバは旋風の剣を右手で持ち、今でも走り出さんとする低い体勢を取る。
魔猪は息を荒げ、右脚で地面を引っ掻き、威嚇行動を取る。
そして、風が吹き出した瞬間、二体はほぼ同時に走り出した。
スピードは魔猪の方が圧倒的だが、アルバは旋風の剣の風を利用してスピードを押し上げていた。
二体の距離がわずか30メートルに近づいた瞬間、アルバは左足を軸に右足を右斜め前の方向に瞬時に切り返し、走る方向を斜め右に変更した。
そのフェイントは完璧だった。左側への視線誘導、通常よりやや大きい歩幅、そして切り返した瞬間の爆発的なスピード。まるで、フットボールのプレイを見せられているかのような、洗練された行動だった。
それに気づいた魔猪は遅れながら急停止し、進路を変えようとするが、それと同時にアルバも急停止し——
「——『旋風一刃』‼」
一筋の風の刃が、斜め横の位置から魔猪の胴体に直撃した。
アルバは即座に曲がれない猪の特徴を利用し、魔猪との間合いを詰めながら突進を回避し、攻撃を与えることに成功した。
だが、風の刃は魔猪の身体に擦り傷を作っただけの効果しかなかった。
「浅いかッ!」
アルバが舌打ちしてすぐ、魔猪の頭上に影が映る。
「……静寂の火炎!」
アルバの攻撃に間髪入れず、テミスの火炎が魔猪に着弾した。
しかし、火の魔法の中でもかなりの威力をもつ魔法を喰らっても、魔猪の身体は燃え上がることなく、炎はすぐ掻き消えてしまった。
『ブルルルルルッ!』
「こいつ、外皮が相当固いぞ! 炎も効いてない!」
アルバと魔猪は再度対面する。間合いは詰まったが、それでもアルバが不利な状況なのは変わらなかった。
魔猪は再度前足で地面を引っ掻き、アルバ向けて突進した。
アルバは瞬時に魔猪目掛けてスライディングし、魔猪の足元に潜り攻撃を回避しながら、右手に持った旋風の剣を魔猪の腹部に斬り当てた。
しかし、剣は魔猪の腹部を切り裂くことはなく、ただ剣を押し当てただけの結果となった。
「腹部もダメかッ!」
魔猪はアルバがすり抜けた後停止し、再度アルバを眼前に捉えようとする。
——こいつ、まともにやっても勝ち目がないな。なら、弱点を探して攻撃するしかないか……。
「——『破裂する氷塊』‼」
遠くの馬車から、大きい一つの氷塊が魔猪に猛スピードで迫る。
氷塊は魔猪に着弾する直前に細かく分解され、複数の小さい氷となって魔猪の身体にとめどなく降り注いだ。。
先ほどの火炎よりも切傷力のある氷を食らった魔猪は、痛がるような声を上げ、体の各所で出血する。
だが、それでもその身体を深く傷つけること能わず。
「これでもダメ⁉ 本気で魔法放ったんだけどッ!」
「テミス! こいつの頭部目掛けて『破裂する氷塊』を打ち続けろ! 俺はこいつの弱点を探る!」
その叫んだ直後、魔猪は再びアルバに突進する。頭部に生えた双牙はかなり大きく、ぶつかればひとたまりもない。アルバはそれをわざと剣で受け、その勢いを利用して魔猪を受け流し、即座に後方に転がり受け身を取った。
「かなり疲れるんだけど——ねッ!」
攻撃を受け流された魔猪に、先ほどの氷塊が向かってくる。すると、魔猪は即座に氷塊向けて走り出し、氷塊が分解される前に大きな二又の牙を振ることで、氷塊を破壊した。
「噓でしょ⁉」
氷塊の攻略法を見出し、テミスを邪魔者だと認定した魔猪は、標的をアルバからテミスに変更し、馬車を背にする彼目掛けて突進した。
「今度はこっち⁉」
テミスは即座に横方向に全速力で走り、馬車から離れた。
「——『追駆の旋風』——‼」
アルバは旋風の剣を三度振るい、テミスを追う魔猪目掛けて追従する、渦巻く旋風を大量に放った。
そのどれもが魔猪に直撃するが、魔猪はアルバを気にも留めず、逃げるテミスを追いかけていた。
「チッ! もう気は引けないか!」
——考えろ。やつの弱点を……。
アルバは魔猪を凝視する。
——外皮がダメなら、頭部を狙うか、やつの内部を攻撃するしかない。
——だが、頭部はあの双牙が厄介だ。あれと打ち合うとただじゃすまないぞ……。
そうアルバが考えていると、テミスと魔猪がアルバの近くを通り過ぎた。
「もう無理‼ アルバ助けてー!」
『ブルルルルルルルルッ!』
「……ッ!」
テミスと魔猪がアルバの近くを通り過ぎてすぐ、アルバは何か閃いたように顔を上げた。
彼のグレーの瞳には、魔猪の後部が映っている。
「……見えたぜ、勝ち筋がよぉ!」
◇
テミスと魔猪は、未だ走り続けている。テミスはもう体力が尽きそうなのか、いつもより浅めの呼吸を繰り返していた。
「テミス!」
「ぜぇぜぇ………なに⁉」
「馬車の前に戻れ! 戻ったらすぐに『防御魔法』をどれか展開して、数秒持ちこたえろ!」
「……ッ! わかった!」
テミスは馬車まで走り、魔猪もそれに追従する。それに続いて、アルバは魔猪目掛けて風を使って走り出した。
そして、テミスは馬車のすぐそばに着いた瞬間、魔猪に振り返って——
「『魔法壁』‼」
テミスの前方に、透明の巨大な壁が三重に展開される。魔猪は展開された壁に思いっ切り突進したが、砕かれた壁は一枚のみ。
『ブルルルルルルルル!』
鼻息を荒げた魔猪は、双牙を何度も壁に撃ちつける。二枚目の壁も破壊され、テミスはもってあと数秒までのところまで追いやられた。
「もうッ……無理かもッ!」
「いいや! もう終わりだ!」
アルバはすでに魔猪に追いつき、魔猪の後部に位置していた。
そして、アルバは旋風の剣を——
魔猪の尻の穴にぶち込んだのだ。
『ブルルルオオオオオオッ‼』
魔猪は激しく痙攣し、壁への攻撃を中止した。
「アルバぁッ!」
テミスは尻もちをついて、涙ながらに親友の名を叫んだ。
「いくら魔物とはいえ、『排出器官』は持ってるよなぁ⁈」
アルバは魔猪の尻の穴の存在に気づき、そこから魔猪の身体の内部に攻撃できると閃いたのだ。
魔猪の内部に挿入された旋風の剣は、勢いよく斬撃の風を吹き出して魔猪の内部を攻撃する。
『ブルルルルオオオオオオッ‼』
「おい、どんな気分だ⁈ 尻の穴に剣ぶち込まれて、身体の内側かき混ぜられる気分はよぉッ‼」
『————————ッ!』
魔猪は身体の痙攣を止められず、声にもならない悲鳴を上げた。
「うおおお゙お゙お゙お゙お゙お゙らぁ!」
アルバは旋風の剣を、魔猪の内部から無理やり薙ぎ払った。薙ぎ払われた剣に追随して、魔猪の血や腸が大量に外に飛び出した。
「カイヤぁ‼」
その名を叫んだ瞬間、馬車から一人の少女の影が飛び出してきた。だが、カイヤと呼ばれた少女の服装は、普段の服装とは全く異なるものだった。
それは、シスターというより、『冒険者』だった。
コルセット風のトップス。その前面には編み上げが彩られている。スカートは段々フリルとチュールレイヤ―が重なったような形状で、そこから見え隠れする太ももには、ベルトの様なバンドが巻かれている。
綺麗に靡いていた銀髪はヘアバンドで結ばれ、ハーフアップのような髪型が形成される。
両足には、旅立ち前に購入したレースアップの分厚いブーツ。そして、彼女の両腕には、華奢な体には似合わない——
「ガン……トレ……ット?」
それはまるで、近接格闘で敵と戦う冒険者。カイヤはテミスの頭上を通過し、魔猪の正面に着地した。
「はああああああああああっ」
右拳に、マナが込められていく。それが限界まで達したその時、カイヤは双牙に挟まれた魔猪の顔目掛けて——
「はぁ‼」
渾身のストレートを撃ち放った。
『プゴァッ!』
魔猪の顔面は勢いよく潰され、その衝撃は魔猪の脳まで到達した。魔猪は白目を向きながら、頭部を上空に向けさせられた。
——だが、まだだ……。
魔猪は意識を鮮明にさせて、すぐさま頭部を元の位置に戻す。
だが、頭部を戻した時には、次の攻撃が魔猪を待ち構えていた。
カイヤの右足のブーツから刃物が飛び出し、カイヤはその場で一回転する。
それは、『回し蹴り』だ。冒険者姿の少女から繰り出される、身の毛もよだつ魂の人蹴り。
「トドメッ‼」
刃物を伴う蹴りは魔猪の頭部に横から直撃し、魔猪の口と鼻を切り裂いた。
そして、魔猪は意識を失い、そのまま横向きに倒れた。
カイヤの右腕と右足から、魔猪の鮮血が滴っている。その鮮血を浴びることなく、魔猪は灰となって消滅した。
一瞬の油断も許されない強敵との戦闘は、少女のサプライズと共に幕を閉じたのだった。
「……」
「よっしゃ勝った! 二人のおかげだ!」
「いやいや! アルバも、よく尻を狙うって思いついたわね」
アルバとカイヤはハイタッチをして、勝利の喜びを分かち合っていた。
「流石にあれだけ外皮が硬いとな。多少汚い案だったが、賭けてよかったぜ」
「……」
「でも、いつ私が近接格闘をするって気づいたの?」
「ペダンマデラでの買い物中だよ。あからさまなお得意様の靴屋に、明らかに分厚いブーツ。修道服には似合わないだろうから、武器にするんじゃないかって思ったんだ。まぁ……、ガントレット着けて殴るとは思わなかったけど……」
「流石にこれはサプライズ♡」
「……」
勝利を嚙みしめる二人のそばで、テミスは体育座りをして黙っている。
「? テミス、どうした? さっきから黙ってばっかで」
「?」
「……違う。違うよ……」
「? 何が違うんだ?」
「僕が想像してたシスターは、こんなんじゃない‼」
「「⁉」」
「話し方とか、言動とか、そんなものはもうないって分かってる! でも!」
「……」
「もうこれ以上ッ! 最初のカイヤのイメージをッ! 壊さないでくれよぉ‼」
「「……」」
テミスは地面に両腕を撃ちつけて、過去への後悔と現在の悲しみを込めた言葉を、大地に向かって叫んだ。
そして、地平線がどこまでも伸びる丘陵に、思春期の少年の慟哭が響き渡ったのだった。
「……なんか……ごめん……」
旅は、まだ始まったばかり——。
戦闘回でした!
いざ書いてみると楽しいですね。




