42話 「理解者」
イースアヌス学園の者達が帰ったあとの技巧館内の雰囲気は最悪だった。
それもそうだろう。
ノースアヌス学園で最も実力の立つアイネスとマレランが何もさせて貰えないまま負けたのだ。
それは剣術祭でもう勝つことが出来ないと現実を突きつけられた様なものだった。
沈黙の中で2限目の講義の終わりを告げる音が鳴った。
「皆さん、2限目は終わりなので3限目の準備をしましょう!」
シラが気まずそうながらも元気よくそう言いその場は挨拶も無く、解散となった。
全員の生徒が技巧館を出るのを見送った後、同様に最後まで残っていたシラに対して謝る。
「すみませんでした。俺から断るべきでした」
「アビス先生は何も悪くありません…悪いのはラインラット先生です…」
どこか含みのある言い方だった。
「ラインラット先生と何かあったのですか?」
何も考えずにそのような質問をしてしまった。
もしセンシティブな内容だったらどうしようかと今になって考えたがシラは気にすることなく答えてくれた。
「実は…ラインラット先生は私の婚約者候補なんです。」
「婚約者候補?」
「はい…私はこう見えて家系が貴族階級の中でも中位にあたる位置でして…同様の地位にいるラインラット先生からの婚約の申し出を断れずにいたんです。」
「なぜ断れずに?」
「断ってしまったら両親や相手両親からの圧で教員なんて出来たものでは無いんです。
問題はここからなんです。
ラインラット先生からある提案をされました。
剣術祭でイースアヌス学園にノースアヌス学園が勝つことが出来たら婚約を私の方から破棄しよう と。」
(なるほど…これを断るすなわち婚約を断るという事だからこの提案すらも断ることができなかったのか。
にしても、あのラインラットとかいう男は良い性格している。
イースアヌスにノースアヌスが勝てるかどうかなどは分かりきった結果だ。
俺が来るまでは)
「どうするおつもりですか?」
「どうするもこうするも無いですよ…。
これはもう契約として守らないといけないことです。
私はうちの生徒たちを信じています。
分かっていたんです…私では力不足だということを。
アビス先生が来てくださって正直嬉しかったしもしかしたらって望みも出てきました。
この婚約の契約はあの子達全員が知っています。
だから剣術祭に乗り気じゃなかったんだと思います。
アビス先生…どうか、あの子達に勝たせてあげてくれませんか?」
(生徒たちが勝って喜ぶことを大前提としたついでのような婚約破棄の頼み。
まぁ、当事者にしか分からない辛さがあるのだろう。)
「俺は端から負けるつもりなんてありません。
必ず勝ってみせます」
俺はシラの目を真っ直ぐ見つめてそう言い切る。
シラは目に涙を浮かべて ありがとうございます と言う。
「それと、前夜祭は予定通りシラ先生が?」
「はい…ラインラット先生も出るみたいです。
ですがこれは私の責任だと思います。
なので心配はしなくて大丈夫です!生徒にかっこ悪い姿を見せられませんから!」
ぎこちない笑顔…無理しているのなんて一目瞭然。
だが、彼女なりに覚悟を決めた結果なのだろうから口出しはできない。
「私は4限の準備をしますので失礼しますね」
「はい」
シラは技巧館を後にする。
1人残った俺は溜息を軽くつく。
(俺も4限目の準備をしないとな…)
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2限目以降、講義の内容が全く頭に入ってこなかった。
ただ現在の実力差を測れたら良いなくらいの気持ちでした親善試合で何もさせて貰えないまま負けて、
アビス先生に助けてもらうという始末。
どうしようもないほどダサくて…信頼に足らない結果。
シラ先生のことが大好きだ。
もちろん恋愛的な意味ではなく、尊敬や感謝として。
人との関わりが苦手で常に周りにも自分にも厳しくして周りから嫌われていた俺を救ってくれた人。
そんな大切な先生が、今回の剣術祭次第で好きでもない人と結婚させられてしまうかもしれないという事態に俺は責任や恐怖を感じていた。
剣を握った時とはまた別の恐怖。
先生には幸せになって欲しいのに自分の実力不足で幸せに出来ないかもしれない。
そう考えただけで吐き気を催す位だった。
今日の全ての講義が終わり、俺は技巧館へと向かう。
アビス先生は俺に足りないところを昨日の少しの手合わせだけで見抜いていた。
しかも俺だけでなくアイネスやその他の生徒の課題点や成長する方法を的確に教えていた。
認めざる得ないほどの優秀な指導者。
だからこそ嫌いだ。
自分と比べてしまう。
俺がアビス先生くらい強ければと思ってしまうとアビス先生には不信感を抱いてしまう。
技巧館に入ると既にアビス先生とアイネスがいた。
木刀で手合わせをしていた。
アイネスの動きは洗練されていて完璧な動きだった。
しかし、それでもあのアンナという生徒には手も足も出ずに負けていた。
少しでも着いていけていたなら俺以上だが。
アビス先生から動き始める。
アビス先生の攻め方は見覚えしか無かった。
今日の2限目にも見たアンナと同じ攻め方。
なんならより早く鋭かった。
アイネスはまた防戦一方になってしまっていてアンナと戦った時と同様に隙をつかれて首に木刀を寸止めされる。
「ありがとう…ございました。」
アイネスはどことなく暗い表情をしていた。
「アイネス…君の動きにはやはり力みと抵抗を感じられる。
そのせいで本来の速さを出し切れていない。
何が原因かは分からないがそれを無くさない限りは剣術祭で勝つことは出来ない。」
冷たく淡白にそう言い放つアビス先生。
言い方がキツくはあったが事実であり、それは何もさせて貰えないまま負けたアイネスも自覚はしているだろう。
「決して、技術力で劣っている訳では無い。
君たち2人はイースアヌス学園に限らずこの国で1番の実力者になれる素質を持っている。
もう少し努力の仕方を変えてみろ。」
「…何が…分かるんですか…」
アイネスが小さくそう呟く。
それには怒りや悲しみなどの様々な感情が乗っていた。
俺は小さい頃からアイネスと一緒だ。
だから知っている。
アイネスは誰よりも努力家で1日たりとも剣を握らなかった日は無かった。
アビス先生の言葉はそんなアイネスの日々を否定しているかのようだった。
「アビス先生に…何が分かるんですか!!
私は先生みたいに強くなんてないし!才能もない!
それでも!みんなの期待に応えたくて努力してきたのに…私の日々を否定しないでください…。
先生みたいに辛さの少ない日々を過ごしてきたんじゃ…無いんですよ」
ダメだ…最後の言葉は言ったらいけない。
そう直感した。
アイネスは絞り出すようにそう言葉にしたが。
なぜかは分からないけどアビス先生のことを何も知らないのにそんな言葉を言ってはいけないということだけは分かった。
アビス先生は黙ってしまった。
何かを考えているかの様な。
アイネスはハッとして自分が言ってはいけないことを言ってしまったのだと気がついた。
「す、すみません…先生に向かって…」
アイネスはすぐに謝るがアビス先生はまだ沈黙を続けていた。
そして少しして、出口の方へと歩き出し始める。
「着いてこい。2人ともだ」
そう冷たく言い放ちながら技巧館を出ていく。
俺とアイネスは言われるがまま着いていく。
どこに行くのかと疑問になりながらも黙って着いていくとノースアヌス学園の敷地を出て、途中で馬車を捕まえそれに乗るように言われる。
アビス師匠は操縦者に何かを伝えると俺とアイネスの対面に腕を組んで座り目を瞑る。
「あの…どちらへ向かっているのですか?」
そう聞くがアビス先生からの返事はなかった。
俺とアイネスは戸惑いながらも互いの顔を見て馬車が止まるまで黙ることにした。
数十分ほど走っただろうか。
「降りるぞ」
アビスはそう言いながら代金を払い、馬車を降りていく。
後に続いて降りるとオロビアヌスの最東端の山の麓にいた。
アビスは黙りながらもその山を登り始める。
俺とアイネスは何も言わずについて行く。
普通ならば馬車で進む道なため、人の足で歩くには少々長いし疲れる。
どうして麓で馬車を降りたのかを疑問に思いながらも黙って歩くこと10数分。
オロビアヌスを囲う山の中でもあまり高くない山の頂上に到達した。
高くないとは言ってもオロビアヌスを一望できるほどの高さ。
アビスが足を止めたところで息を切らしながらも顔を上げるとその光景に言葉が出ないほど感動した。
オロビアヌスを奥から沈みかけている日が綺麗に照らしている。
その日はオレンジ色に輝いておりオロビアヌスの綺麗な街並みをより美しいものへと変えていた。
「ここは…?」
アイネスも驚いている様子だった。
こんなところ初めて来た。
なんなら、街から出ることが今まで無かったから山を登ったのですら初めてだった。
「俺も昨日オロビアヌスに来た時に知った場所だ。
綺麗なものを見ると心が癒されるだろう?」
「…はい。」
「あの…アビス先生、先程は…」
「俺には…娘がいる」
「え?」
「今年で23になる。美しく、優しい子だ。
今ではユーランシーの王をやっている。
その子の母親…俺の妻もまたユーランシーの王だった。
名前はアシュリエル・ソフィア女王。
美しく威厳のある人だった。
俺なんかが結婚してよかったのかと思うほどに本当に美しい人だった。
だが、ソフィアは不治の病に掛かり娘が19の時に47歳という若さでこの世を去った。
最後まで美しい方だった。
俺はある国で冤罪をかけられた際にソフィアに助けられたのが出会いだった。
その時から俺はソフィアに一生を尽くすことを心に決めた。
その時はまだ好きという感情では無く守りたい、助けになりたいという思いからだった。
そこからだった…俺はソフィアを守るためならこの命すらも捨てることを覚悟していた。
その思いで毎日本当に死ぬ間近になるまで自分を追い込み、俺の存在価値はソフィアを守ることのみだと言い聞かせた。
そんな生活を1年も続けていたら今のような力が気がついたら手に入っていた。
人は覚悟を決めれば何にだってなれる。
ソフィアがこの世を去る前に俺に言ったんだ。
「貴方はこの国の英雄となる人…でも私が望むのは…あなたとメアリーが幸せになることです。
メアリーをお願いします…アビス。」と。
それが最後の言葉だった。
辛かったさ…目の前で大切な人が目を覚まさなくなることがどれほどの精神的ダメージになるか。」
俺は言葉が出なかった。
アビス先生の強さの裏にはここまでの悲しいことがあったなんて…。
話を聞くだけでも辛く胸が痛くなる。
それはアイネスも同じだった。
涙をスーッと頬をなぞるように流し、アビス先生に向かって謝っていた。
「すみません…すみませんでした…ごめんなさいっ、
何も知らないのに…あんなことを言ってしまって…」
アビス先生は俺とアイネスに近づき頭に手を置く。
「俺からしたらお前たちはまだガキだ。
全く何も出来ない子供だ。
そんな子供が大人に心から頼れない環境があることはとても許せることでは無い。
すぐに受け入れられないのは分かるが…俺を信じてみてほしい。
剣術祭で優勝するために俺が教えられる最大限を教える。
お前たちはシラ先生のことが気がかりなんだろう?
仮に負けてしまっても俺がその件は何とかしよう。
だから、思いっきりやれ…後悔だけは絶対にするな。
あの時ああだったらな なんてする暇はこの先の人生で無いぞ。」
優しく微笑むアビス先生はどことなくシラ先生を思い出させる。
「信じます」
アイネスが強くそう言い切る。
「私は強くなりたい。ずっと…ずっと…シラ先生のことを気にしすぎて力んでしまっていたのかもしれません。
人を傷つけるという行為が怖くて抵抗があったのも事実です。
ですが、それじゃ後悔してしまう。
私は…アビス先生を信頼します」
強く言い切るアイネス。
それは俺も同意見だった。
「俺もです。
正直あまりアビス先生のことはよく思っていませんでした。
俺みたいな弱者の気持ちなんて強者のアビス先生には理解できないとばかり思っていました。
けどそんなこと無かった。
アビス先生は俺たちなんかより苦しんでいたと知って…今を悩んでいる自分がしょうもなく感じました。
必ず…剣術祭で優勝してみせます」
アビスはまた優しく微笑むともう一度俺とアイネスの頭をポンと撫でる。
「帰るぞ。明日からの指導のために早く帰って体を休ませておけ」
そう言いながら歩き始める。
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「ここがオロビアヌスですか…広いですね。
さすがはこの大陸で最大の面積を誇っているだけはありますね。」
「…」
「それにしても…セルシャのその格好はなんなんですか?」
セルシャとハインケルはオロビアヌスの中心地で立っていた。
「姿がバレている。変装しているだけだ」
「まぁ別に文句は言いませんけど…」
セルシャは普段の見た目がバレているため天恵で新たな体を新しく構築して変装していた。
その姿はスタイルの良い美人な女性であり、普段のセルシャをそのまま大人の姿にしたようなものだった。
これだけでも十分バレない姿をしているだろう。
「ですがセルシャの性格だと直ぐにバレそうですけどね。
そもそもどうして変装なんて?
今からオロビアヌス壊しちゃえばいいじゃないですか」
「性格は…どうとでもなるわよ。」
セルシャは普段の何にも関心を抱かないような感情がが乗っていない喋り方と打って変わって、優しい大人の女性のような話し方になる。
「今すぐはダメ。
この国は剣を学ぶ文化がとても発展しているのよ。
それに加えてこの広さ。
土地勘を理解しているオロビアヌスの騎士団兵達に数の量で押してこられたらめんどくさくて加減出来ずにここら一帯を丸々消し飛ばしちゃうかもしれないじゃない」
ハインケルは何言ってんだという表情をしながら
「何言ってるんですかあなた」
と言う。
恐らくだがこれが本当の理由という訳では無いだろうとハインケルは理解していた。
セルシャは嘘が下手くそだ。
感情が薄い分、共感性が低いため良い嘘も悪い嘘もつくことがない。
そのため下手くそなのだと天帝内で共通の認識となっていた。
「そういえば来週に剣術祭があるみたいですね。
あなたそれ見たいだけじゃないんですか?」
「…ある程度は地形なども理解出来た。戻るわよ」
どうやら図星だったらしく言い返すことが出来ずにセルシャは帰ろうとする。
「どうです?今は気分が良いので飲みくらいなら付き合いますよ?セルシャ」
「お前と呑んで得などない。帰る」
いつものセルシャの性格に戻ってしまった。
「さっきの性格の方が良いですよ?」
ハインケルの右腕が消し去る。
「ここだと目立ちすぎてしまうので戻してください?」
ハインケルがそう言うと腕が元通りになる。
ハインケルは溜息をつきながら相変わらずの性格だなと思いながらセルシャの後ろを着いていく。
(それはそうと…セルシャは言わなかったですけど…
相当な実力者が 2人 いますね。
ユーランシーの者でしょうかね。
1人は私では勝てなさそうですね。
もう1人は勝てなくはないですが…少々厄介。
暴れるのを来週まで待ちきれないですねぇ。)
ハインケルはそんなことを考えながら暗い空間へと消えていく。
読んで頂きありがとうございます!




