085 ▲それぞれ。▲
各視点、三人称です。
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水属性魔法の擬態を覚えたエレノラと王太子ボルハの仲睦まじい様子は、王都中の噂になっていた。
王太子妃教育も順調で、将来義母となる王妃との関係も良好。このまま何も問題なく進めば、エレノラは王妃となるだろう。
王妃の最大の仕事と言えば、王を支えること。そして、跡継ぎを産むこと。
(……どうしても、避けられないことがあるわ)
あくまでも擬態は、擬態なのである。触れば、わかってしまう。
王族を謀っていたとすれば、それは重罪。極刑すらありえる。
しかし、エレノラにとって胸元の寂しさは長年の問題だった。
この胸さえなければ、完璧なのに。
そんな考えでいたため、どうしても胸のことは真実を告げられないでいた。
時折見せる暗い顔が気になったのだろうか。エレノラは、ボルハにお忍びデートに誘われた。
変装して城下へ行った当日。
エレノラはボルハを裏切った護衛騎士の手引きによって攫われてしまった。
目覚めたときには、薄汚い小屋で両手と両足を拘束されていた。
「ちょっと、あなた!! どういうつもり!?」
「お前さえいなければ、お嬢様が選ばれていたんだ!」
どうやらこの騎士は、エレノラと争っていた王太子妃候補だった令嬢を慕っているらしい。
ウォルフォード辺境伯令嬢という立場は、もちろん最大限に利用している。しかしそれ以上に潜在的な魔力の高さが関係しており、さらに日々の努力を惜しまず生活してきた。
つまりは、王太子妃として内定したのはエレノラの実力なのである。
騎士が、剣を抜いた。
「ちょっと!? か弱い令嬢に剣を向けるなんてどんな神経をしているのよ!?」
「問題ない。別に、殺すわけじゃないからなっ」
「きゃぁぁっ」
騎士が剣で、エレノラの胸元を斬った。
魔法は、本人の精神力に影響する。これまで命の危機に晒されたことなんてなかったエレノラは、擬態魔法を保っていられなかった。
「ははっ。お嬢様が言っていた通りだ!! 見窄らしい胸元だな! 王族を謀るのは極け」
「きゃぁっ」
エレノラを嘲っていた騎士の顔が、すぐ横まで転がってきた。その顔と目が合ってしまい、その場から動けなくなる。
「隠れているこいつの仲間も逃がすな!」
「……ボルハ、様?」
ふわりと上着をかけられたと思った瞬間、エレノラはボルハに抱きしめられていた。
そして両手両足の拘束が解かれ、そのまま抱き上げられる。
その状態のまま小屋を出た。周囲を窺うと、今いた場所は王都の外れの方だとわかる。
ボルハに丁寧な手つきで運ばれたエレノラは、馬車に乗せられた。ボルハも乗り、隣に座る。
「すまない」
「い、いいえっ。ボルハ様が謝罪するようなことではありませんわ」
「何日か前から、怪しい動きを察知していたんだ。エレノラを利用する形になってしまった」
「い、いいえ。ボルハ様は、こ、こうして私を助けてくださいました。それで十分でございます」
ボルハがエレノラを心配するように、肩を抱き寄せ擦る。
胸のことを言うのなら今しかないと、エレノラは覚悟を決めた。
「あ、あの、ボルハ様。私は重大なことを隠していました」
「もしかして、エレノラの可憐な胸元のことだろうか」
「なっ……な、なぜ、それを」
「王太子は各属性の魔術師を配下に持つんだ。エレノラが王太子妃に内定する前から、情報をもらっていた」
「そ、そうでしたか……」
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
エレノラがずっと悩んで隠してきたことは、最初からボルハにばれていたのだ。
羞恥で顔を真っ赤にしたエレノラの顎を、ボルハがそっと持って上向かせる。
「女性の胸元がどうかなんて、それは些末な問題だ。王太子妃に必要なのは、魔力の高さやその他の能力だから」
「ボルハ様……」
ボルハの顔が近づく。
しかし、あと少しで唇と唇が接触しそうなほどの距離になったとき、ボルハは顔をそらしてエレノラを抱きしめた。
「ああ……。正式な夫婦となるまでは、エレノラの可愛らしい蕾にすら触れていけないなんて」
「ボルハ様……」
「エレノラ。君の可憐な胸元を知る男は、僕だけでいい。神域を侵した不届き者はこの世から消した。これからも、僕以外を欺いてほしい」
「か、かしこまりましたわ」
「ありがとう」
ボルハの笑顔に胸をときめかせたエレノラは、絡み合った手に照れながら城へ戻った。
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長年夢みてきた目標に一歩近づいたドニーは、上機嫌のままリンウッド辺境伯領にいるレタリアの元へ行った。
レタリアはドニーを歓迎し、ギレルモからは睨まれる。それはいつものことで、ドニーの保険としてはまだ足りない。
ドニーはレタリアに、もっとギレルモと親しくするようにと伝える。誰から見ても恋人同士に見えるように、レタリアがギレルモなしでは生きられないように、もっと親しくと。
レタリアは素直で扱いやすい。ちょっと耳元で甘く囁けば、いつでもドニーの思う通りに動いてくれる。
そう。
だから、きっと。
ドニーの計画の保険として機能するはずだ。
リンウッド辺境伯領を出たドニーは、王都にある魔塔へ戻る。手に入れたばかりのサラーゴは、事前に用意していた竜舎へ入れた。後は、ドニーの魔力をサラーゴに馴染ませ、成竜に成長させるだけ。
成竜となり空を駆ければ、サラーゴは魔王の元へドニーを連れて行ってくれるだろう。
上機嫌でスキップをしそうなほど弾んでいる足取りのまま、魔塔の地下へ行く。
(あっは。それにしても、予想を遥かに上回ってくるよね)
エミリアは、ドニーを楽しませてくれる。
リンウッド家を見張るという名目で得たテイマーの知識よりも、遥かに新鮮な情報を与えてくれるのだ。
もっと、もっと、と、好奇心が止まらない。
新鮮な情報を得るためには、エミリアを手元に置く必要がある。手っ取り早いのは、イザヤを人質とすること。
(でもなあ。イザヤ君は何だかんだいって、ちゃんと強いんだよなあ)
二年前の、魔王軍の魔獣討伐。
あの時失った感覚は、勇者のゴライアスがし損じたからだ。イザヤ自身がミスをしたわけじゃない。
外で湧いた魔獣に白い首輪を着け、気配を消した状態で地下まで運ぶのは、なかなか大変なもの。
できれば、少ない手間で大きな成果を得たい。
魔塔の地下の、半透明の白い石に囲まれた場所を見た。そこの床は紫の部分と赤黒い部分がある。
ビタンッと、真っ赤な手形が半透明の白壁に着いた。それはいずれ、赤黒く変色していくだろう。
また壊れてしまった。そろそろ、実験道具の在庫がつきる。
エミリアを手に入れるために何か方法はないか。
そう考えていたとき、以前イザヤから聞いていた情報を思い出した。
適切な人間が、一人いるじゃないかと。
(まあ、罪は何とでもできるし。ちょっとお願いしてみよー)
上機嫌なドニーは、魔塔から出て城へ向かった。
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年の瀬が迫るウォルフォード辺境伯領。
一番近い冒険者ギルドから領地内の森の調査依頼が来た。
しかし今は新年を祝う行事の準備で忙しい。そもそも、冒険者は暴力的な蛮族。そんな相手からの話なんぞ聞く必要はないと、レット・ウォルフォードは冒険者ギルドからの依頼を無視した。
その決断が、後に自分の首を絞めるとも知らずに。
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