008 一人で生きていくために
明け方。
普段通りならば畑を耕す時間になり、わたしは目を覚ましました。
イザヤ様のおかげでぐっすりと眠れたので、改めてお礼を言おうと隣を見ます。
しかし、イザヤ様はいらっしゃいません。
どこへ行かれたのだろうと首を傾げていると、部屋の外からイザヤ様がお戻りになりました。
ベッドから出て、剣を持っていたイザヤ様をお迎えします。
「お帰りなさい、イザヤ様。訓練ですか」
部屋の入口へ行きましたが、イザヤ様は何やら呆けている様子。朝早くからの訓練で疲労が溜まっているのでしょうか。
「イザヤ様。昨夜はお世話になりました。そろそろ隣の部屋に戻ろうと思います。イザヤ様がまだお泊まりになるかは存じませんが、どうぞベッドでお休みになってください」
最後に頭を下げ、バルコニーから戻ろうとしました。
パタパタと、後ろからイザヤ様がわたしを追いかける音がします。
「エミリア。バルコニーを渡るときは危ないから、今日も手を貸すよ」
「ありがとうございます」
イザヤ様と一緒にバルコニーへ行き、イザヤ様のお手を借りて手すりに上ります。そしてぴょんっと隣へ移りました。
「それではイザヤ様。ごきげんよう」
「エミリア。頑張って!」
「はい。ありがとうございます」
部屋に入る前にもう一度頭を下げて、わたしはバルコニーに続く窓を閉めました。
そしてすぐに身支度を調え、下へ向かいます。
本日も、待合室でヨークボ様をお待ちしています。
しかし今日は、昨日とは違います。
ヨークボ様も、他のお客様もいらっしゃらない今が好機。
わたしは呼吸を整えてから、お父様とお母様に自分の意思を伝えます。
「お父様、お母様。お話を聞いて下さい」
「どうしたのかしら」
「わたしは、ウォルフォード家を出て冒」
全てを言い切る前に、お母様に頬を叩かれてしまいました。じぃんと広がる頬の熱で、叩かれたとわかります。
お父様に目を向けると、スッと目をそらされてしまいました。どうやら、助け船は出してもらえなさそうですね。
いえ、わかっていました。お父様は、最低限のことしかわたしとは話さないと。
「エミリア。勘違いしないでもらえるかしら。あなたに選択権はないのよ」
「なぜでしょうか。わたしは、ウォルフォード家の厄介者でしょう? なぜ、家を出ることがいけないのですか」
「なぜも何も、当たり前でしょう? ボルハ殿下の婚約者にエレノラが選ばれたのです。その妹が、家を出る? 馬鹿なことを。ましてや、冒険者なんて下賤の者がなる職業なんてありえませんよ」
もう話は終わったと、お母様は鼻で笑います。
せっかく、イザヤ様にも応援してもらったのに。
わたしは、これ以上自分の言葉を伝えられませんでした。なけなしの勇気は、打ち砕かれてしまったのです。
間接的にイザヤ様をバカにされたと気づいても、反論できませんでした。
お母様のご機嫌を伺うお父様。頬を腫らすわたし。そんなウォルフォード家しかいない待合室に、待ち人が来ました。
見覚えのある女性と、追加のお一人を連れて。
お母様は、ヨークボ様を確認すると無言で待合室を出ます。お父様も、その後に続きます。
もう、ヨークボ様の同伴者が増えても何も言わないのですね。
それを当然のことだと、受け止めなければいけないのですね。
そうですか。それぐらい、わたしが疎ましいですか。
それならわたしも、勝手にします。
わたしの中で、何かがプツンと切れました。
わたしは馬車へ向かいます。
ここでふて腐れたとしても、この場から逃げ出したとしても、ウォルフォード家が黙っていないでしょう。
一人で生きていくためには、まず身内を油断させないといけませんから。
一緒にウォルフォード領内へ戻り、それから行動開始です。
ラゴサを出た馬車の中は、まさしく地獄でした。
一人増えたヨークボ様の恋人様方は、座席の片側を占領しています。わたしは、お母様の隣に座らされました。
ヨークボ様は相変わらず周囲の目なんて気にしないで、恋人様方と睦み合っています。
ですが今日は、窓に目を向けられることが幸いでしょう。
重たい空気も、場違いな艶っぽい空気も、すぐ隣に座るお母様の体温ですらも、あまり感じないでいられました。
半日ほど時間をかけて街道を進んだ馬車は、ようやくウォルフォード家の本邸へ到着しました。
ヨークボ様と恋人様方は、本邸の大きさにはしゃいでいるようです。
さて。
お母様に反抗したわたしは、このまま小屋に戻れば良いのでしょうか。
一応婚約者のヨークボ様がいらっしゃいますから、本邸に入るべきでしょうか。
逡巡していると、お父様とお母様が本邸へ帰っていきます。その後ろに、ヨークボ様と恋人様方が続きました。
わたしはどうすれば。
意見を求めようとしましたが、それこそ愚問ですね。言われていないのなら、小屋に戻れということ。
ようやく一人の時間を作れます。
ほっと息をはき、わたしは小屋へ戻ります。
正面入口から小屋へは、本邸の横を通り過ぎないといけません。
手入れされた庭を見ると、ジェイコブさんを思い出します。
わたしが無力だったせいで、ジェイコブさんを助けることができませんでした。
わたしはグッと手を握り、小屋へ急ぎます。
今頃、両親はヨークボ様方を歓待していることでしょう。女性が一人増えてもヨークボ様との婚約の解消をしなかったのですから。
今が、好機です。
わたしに意識が向いていないときに行動しなければ。
小屋に戻ると、わたしは裏手に作った畑へ行きます。屋根付きのその場所は昼間でも薄暗い場所です。
そこにいるであろう戦友に、別れの挨拶をしないといけません。
「あ、いましたね。今日もありがとうございます」
わたしが畑に近づくと、土の中からにょきっとかわいらしい頭を覗かせました。
鼻先が長く目がとても小さいこの子は、いつの頃からかわたしと畑を守ってくれた戦友です。青黒いこの子がいたからこそ、暴れ回る野菜達と格闘できました。
わたしはその子の近くにしゃがみます。
「わたしは、これから家を出ます。もう一緒に戦うことはできませんが、どうかあなたもお元気で」
まるで別れを惜しむかのように、戦友は首を横に振ります。そんな姿を見て、思わずわたしの涙腺も緩んでしまいました。
目元を指で拭って、戦友の頭を撫でます。
そして今度は名残惜しくならないように、すぐに背を向けました。
小屋へ戻るときも、周囲の地面がぽこぽこと膨らみ、戦友がついてきているとわかります。
本当は、わたしだって別れたくない。けれど、この子は明るい場所だと気絶してしまいます。一緒に連れて行くことはできないのです。
小屋の扉を開くと、すぐに青黒い蝶がわたしの右の頭の上に来ました。
「お留守番ありがとうございました。わたしはこの家を出ます。あなたも一緒に行きますか」
蝶は聞かれたことがわかっているかのように、わたしの頭の周りを飛んで一度回ります。
そして、いつもの定位置に止まりました。
ウォルフォード家からの逃走、開始です。
明日は金曜日です。
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