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005 英雄様のお名前


 バルコニーの手すりから飛んだわたしを、英雄様はしっかりと受け止めてくれました。そしてわたしを抱きかかえたまま、すぐにご自身が泊まる部屋へ引きこみます。


「エミリア!! どこに行った!」


 開けられたままの窓から、隣の部屋の音が聞こえてきます。ヨークボ様は、クローゼットを開けたり部屋の中を捜し回ったりしているようです。

 クローゼットに隠れていたら、最悪な結果になっていましたね。

 今さらながら、見つかっていたときの恐怖でぶるっと震えてしまいました。


「エミリア。大丈夫。さすがに、この部屋までは入ってこないと思うから」


 英雄様が、わたしの背中を優しく撫でるようにトントンと叩いてくれます。そのリズムが心地良くて、思わず英雄様の胸に顔を埋めてしまい……そうに、なりました。


「も、申し訳ありませんっ」

「エミリア!」


 バッと離れて立ち上がったとき、まだ体が震えていたのでしょうか。足を滑らせてしまいました。

 そんなわたしを、英雄様はさっと立って支えてくださいます。


「ありが」

「エミリア!? どこにいる!?」


 お礼を言おうとしたとき、隣のバルコニーにヨークボ様が出てきたような気配がしました。

 わたしは思わず、両手で自分の口を塞ぎます。

 そのおかげか、ヨークボ様はバルコニーから部屋へ戻ったようです。


 良かった、ばれなかった。

 そう、安心したのも束の間。

 わたしは近すぎる英雄様の顔を見て声を上げそうになってしまいました。

 両手で口を押さえていて良かったです。どうにか声を出さずに済みました。


「ごめん、もう少しそのままで」


 英雄様の指示に、コクコクと頷きます。

 英雄様は窓を閉めると、わたしの元へ戻ってきました。


「ごめん。結婚前の貴族令嬢が異性と二人きりになってはいけないと教えられたんだけど、今だけ許してもらえないかな」

「許すだなんて。あのとき英雄様がお声をかけてくださらなかったら、わたしはどうなっていたことか……。英雄様は、わたしの命の恩人です。助けてくださり、ありがとうございました」

「偶然エミリアの……っと。えーと、ウォルフォード嬢の隣の部屋を取れて良かった」


 散々呼んでいたのに、急に呼び直す所が少しおかしい。いえ、おかしいというのは少し語弊があるかもしれません。

 先程まで緊迫した雰囲気だったのに、和やかな気持ちになります。


「ふふ。エミリアで良いですわ。ヨークボ様に呼ばれるのは嫌でしたが、英雄様に呼ばれるのは嫌ではありません」

「ありがとう。それなら、おれのことはイザヤと呼んでほしい」

「イザヤ様、ですね。かしこまりました」

「いや、様だなんてそんな畏まっていなくても良いんだけどな」

「いえ、そういうわけにもいきません。イザヤ様は、アラバス王国の英雄様ですから」


 にっこりと笑顔を見せると、イザヤ様はどこか照れたように少し距離を取ります。


「今はまだ戻れないよね。部屋にあるものだけど、お茶でも飲む?」

「えぇ、いただきますわ」


 お茶に誘われたので、二人で窓際から離れました。簡易的なキッチンにはティーポットなどが置いてあります。

 あれ、これってどうやって入れるんだろう。

 そんな一人言を呟いているイザヤ様の隣に行きます。


「今は誰も見ていませんから、温度などは気にしなくて問題ないですよ。何だったら、お水だけでも充分です」

「いや、そういうわけにも……」


 わたしを持て成そうとしてくださるイザヤ様を見て、心が和らぐような気持ちになります。

 ヨークボ様から守ってくださり、危機が去って、安心していたと思っていました。

 ですが、今のイザヤ様を見てようやく本当に落ち着けたようです。冷静になってから簡易的なキッチンを見ると、火起こしの道具がありません。


「イザヤ様。わたしは火の魔法を使えないのですが、イザヤ様は火起こしはできますか」

「いや……おれも、魔力なしの焦げ茶髪だから無理かな」

「イザヤ様の髪と瞳は、大樹のような色合いで力強いと思います。自分を卑下することはありません」

「エミリアにそう言ってもらえると嬉しい。ごめん、お茶を用意できないや」

「いいえ。そのお気持ちだけで嬉しかったです」


 イザヤ様がティーポットを、カップをわたしが持ち、テーブルの前に移動します。

 せめてこれぐらいは、と注いでくれたお水。ただの水のはずなのに、口にしたら美味しく感じました。

 誰かに注いでもらうものを飲むのは、十年ぶりかもしれません。


 うっかり飲み干してしまってからカップを置くと、イザヤ様が何か聞きたそうなお顔をされていました。


「イザヤ様? いかがされましたか」

「いや……エミリアは、あの人とどんな関係なのかなって」

「婚約者、らしいですね」

「そんな、他人事みたいに言うね」

「帰りの馬車に乗る前に、両親から告げられたもので」

「でも確か、あの人って他の女の人と一緒にいなかった?」

「よく見ていらっしゃいますね」

「あっ、えっと、別にエミリアを見ていたわけじゃなくてっ」

「イザヤ様は英雄様ですから、視野が広いのでしょう。わたしからお伝えするのはどうかと思いますが、国を救ってくださりありがとうございました」


 お礼を言うと、イザヤ様は少し暗い顔をされました。


「……国を救ったと言うけど、まだ魔王を倒したわけじゃない。一時的な平和に過ぎないんだ。それに、魔王軍の魔獣は討伐できたけど、それ以外の魔獣もまだまだ出てくる」

「魔物、ではなく魔獣というのですね。勉強になりました」

「エミリアみたいなお嬢様は、縁が無いと思うけどね」

「いいえ。そんなことはありません」


 断言したわたしに驚いたみたいで、イザヤ様はそのまま話を聞く姿勢を取って下さいます。


「わたしはウォルフォード家の令嬢ですが、わたしの夢は家を出て、一人だけで暮らしていくことなのです」

「へえ、すごいね」

「すごい、でしょうか? 世間知らずだと思いませんか」

「別に、そんなことは思わないかな。生活が保障されていない場所へ行くのは、とても勇気がいるから」

「あ、ありがとうございます。イザヤ様は、何をされているのですか」


 初めて他人に話したわたしの夢を、肯定してもらえた。それが少し気恥ずかしくて、話題を変えてしまいます。


 イザヤ様は冒険者を生業としているらしく、その中の剣士をしているのだそう。ベッドの横に、普段使っているらしい剣が置かれていました。

 よほど使い込んでいるらしく、柄の部分はイザヤ様の手の形になっていると錯覚するほどです。


 勇者様一行のリーダーは、そのままずばりの勇者様。大剣使いなのだそう。イザヤ様と二人で、双翼の戦士と呼ばれるのだとか。

 術式を扱う魔術師様は魔塔でずっと研究をしていた方のようで、その方の魔法で何度も助けられたそうです。

 残りのお一方は聖女様のようで、戦闘時の回復役を担っていたと伺いました。


 イザヤ様とお話をしていると、時間がすぐに経過してしまいます。

 そろそろ夜も更けてきてヨークボ様も自分が泊まる部屋へ戻った頃でしょう。

 イザヤ様に手を借りながら、わたしは自室へ戻りました。


 偶然隣の部屋に泊まっていたイザヤ様には、感謝してもしきれません。

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