032 <治癒>は、万能ではないようです
ルコに次元の裂け目が出現してから二十日が過ぎました。
九月は駆け足で過ぎていき、十月ですら終わろうとしています。
ルコ復興の見通しが立ちました。もう冒険者が手伝わなくても良いようです。
それは、ずっと無償で働き続けたイザヤ様も解放されるということ。イザヤ様の働きは多くの方々に支持され、最後の五日は他の冒険者の方々から宴会に誘われるぐらいでした。
しかし、イザヤ様は真面目な方です。わたしがいるからと、その席を断ってしまいました。
一昨日頃になると、冒険者の方々が優しく見守るようなお顔になっていたのはなぜなのでしょうか。頑張れよ、とイザヤ様を励まされているように見えました。イザヤ様は、何を応援されているのでしょうか。
きっと、男性同士にしかわからないものがあるのでしょう。
わたし達は明日、ルコを出発します。
その前にルコの地形が生み出す落日の余映を楽しんでおいでと、コノル様に送り出されました。
特等席を予約してあるから、と言われましたが、イザヤ様と向かうのは港へ続く一本道のように見える坂の上。
特等席、とは道に腰掛ける椅子があるのでしょうか。
「エミーちゃん! こっち」
日が沈み始めた頃、目的の場所へ到着しました。わたしを呼ぶのは、コノル様のご子息ソトム様。コノル様と野菜系魔獣を狩ってくださっている、剣士の方です。
あれから何度か野菜狩りをお手伝いいたしましたが、イザヤ様はソトム様をあまり好まないようでした。
ソトム様は道沿いに建てられた、三階建ての家の屋上からわたし達を呼んでいます。
イザヤ様に手を引かれ、外階段から屋上へ行きました。
「わぁ……」
少し高い場所だからか、港から真っ直ぐ伸びるような一本道がよく見えます。この道が赤く染まると想像すると、ワクワクしてきました。
イザヤ様を奧の方へ押したソトム様は、わたしにだけ聞こえるように言います。
「小さいときから見ている景色だけど、この先、ルコの名物にしたいんだよね。英雄と伝説のテイマーが恋に落ちた、落日の余映ですって」
「え、えっと……その、わたしとイザヤ様は別に、そのような関係ではないですよ?」
「そうなの? それならボクにもチャンスある?」
ソトム様が、声を潜めるように背をかがめました。
そしていつの間にか、イザヤ様がわたしとソトム様の間に立っています。
動きが見えませんでした。イザヤ様の敏捷性、恐るべし。
「おー、怖いね。邪魔物は退散しまーす」
ヒラヒラと手を振り外階段を下りていったソトム様。イザヤ様は鋭い目つきを向けていましたが、ふっと和らげました。
「エミリア。ソトムさんに何を言われたの」
「い、いいえっ……そ、その、これからルコの名物にしたいから感想を聞かせてと」
「確かにね。ここから見る夕焼けは、心に残ると思う」
イザヤ様が手すりに手をかけ、港の方を向きます。
話している間に日は傾き、港からまっすぐに赤い道が延びてきていました。
港に近いほど色が濃く、紅に染っていく様子は息を呑む光景です。
――英雄と伝説のテイマーが恋に落ちた――
ソトム様から言われた言葉を思い出してしまうと、イザヤ様のお顔を真っ直ぐに見られません。
しかし、もしあの言葉が聞こえていたらどうしようとイザヤ様の様子を観察します。
……あれ、何もない、ようですね?
イザヤ様はまっすぐに海の方を向いています。
まるで、ソトム様のお話なんて聞いていなかったような反応です。
いえ、聞こえていたとしても選択権はイザヤ様にあり、わたしがどうこう言えるものではないのですが。
イザヤ様の反応を気にしていましたが、わたしはイザヤ様とどうなりたいのでしょうか。
恋、したいのでしょうか。
ちらりちらりと見ていたせいで、イザヤ様が落日の余映からわたしへ視線を移しました。
「エミリア? さっきからどうしたの。夕焼け、綺麗だよ」
「そ、そうですね! とても、綺麗だと思います」
「何か悩み事?」
「い、いえっ……」
首を傾げるイザヤ様が、半分赤く照らされています。それは落日の余映と合わせると、とても心を奪われるものです。
わたしの挙動が不審なので、イザヤ様は心配するようにわたしを見ています。
そんなイザヤ様をわたしも見て、視線が絡み合います。
「いけ! そこだ!」「イザヤ、男を見せるんだ!」
イザヤ様とどれくらい見つめ合っていたでしょうか。
落日の余映が薄れてきて、夜が近づいていました。
外階段の奧から声がします。そちらへ目をむけると、外階段にいくつかの頭部が見えました。
わたしの視線に気づいたイザヤ様も、そちらを見ます。
「やばい、ばれたっ!」「英雄様が怒ったぞー。逃げろっ」
バタバタと慌ただしく、何人もの人が下りていく音がしました。
イザヤ様と親交を深めた方々は、イザヤ様のお名前から英雄様であるとわかったのですね。
「えーと……」
「エミリア。夕焼けの時間は終わったみたいだ。宿へ帰ろうか」
「は、はい」
イザヤ様が外階段を下り始めます。すると下の方から、またバタバタと誰かが走り去っていく音がしました。
イザヤ様に手を貸していただきながら階段を下り、宿へ向かいます。
五日ほど前から泊まっている宿は、ルコ復興の先駆けか一部屋しか開いておらず、イザヤ様と同室です。
そのためイザヤ様と一緒に部屋に入るのですが、先程までの雰囲気に当てられているのか、二人だけという状況に少し緊張します。
イザヤ様が長椅子に座りました。わたしはあえて、その隣に座ります。
「エミリア? やっぱり何か悩み事があるみたいだね」
「あの、イザヤ様」
「ん、何かな?」
覚悟を決めてぐっと近づくと、イザヤ様はわたしの気迫に驚いたのか、少し下がります。
「わたしはイザヤ様に助けられてばかりです。なので、少しでもご恩を返したいと思い、ルーガをテイムしたときから考えていたことがあります」
「な、何を?」
「<治癒>で、イザヤ様の失われた感覚を取り戻せないかと!」
わたしがしたいことを告げると、イザヤ様はホッと安心したように息をこぼしました。
下がり気味だった体勢を整え、わたしと向き合います。
「エミリアの気持ちは嬉しいけど、たぶんできないと思う。同じパーティーだったオーリーさんにお願いしてみたけど、駄目だったし」
「聖女様のお力でも……い、一度だけ試してみてはダメでしょうか」
「それでエミリアの気が済むなら」
「ありがとうございます」
イザヤ様が失われた感覚は、味覚と嗅覚。
舌を触るわけにはいきませんので、わたしはイザヤ様の鼻にルーガが入った青の指輪を接触させ、わたしも触ります。
そして、<治癒>を唱えました。
「……どうでしょうか。何か変化はありましたか」
イザヤ様は立ち上がって部屋の窓を開けます。潮の香りが入ってきました。
「いや、変わらない。駄目みたいだ」
「そうですか……感覚を失ってしまうのは、病気というわけではないのですね……」
「エミリアが落ちこむことないよ。見えるし、聞こえるし、何かを触れば感触もわかる。これで充分だよ」
笑って話されるイザヤ様が、無理しているようにも見えました。
わたしは、なんて無力なのでしょうか。何度も助けられているのに、何もできないなんて。
わたしは、改めて決意します。
せめて冒険者として、イザヤ様の足を引っ張らないように経験を積み、ステータスを上げていこうと。




