023 初めての断末魔
冒険者ギルドを出たわたしは、イザヤ様からギルド長様の事情を伺いました。
なんでもギルド長様は妻帯者だそうで、あのへそくりは奥様に内緒で貯めていたそうです。
夫婦といえども、全ての財産を把握し合っているわけではないと学びました。
ラゴサからルコへ行くためには、方法が三つあります。
一つ目は、人の手が入っていない自然なままの道を歩いて行くもの。一日中歩けませんし、頑張ったとしても半日は無理でしょう。
従って、この方法は最低でも九日ほどかかってしまいます。
二つ目は、街道を歩く方法。これはララゴ、王都へ向かい、そこからリャドリという街を経てルコへ行く道のりです。
半日頑張って歩いたとしても、十六日かかります。
最後の三つ目は、街道を乗合馬車で進むもの。これは細かく分けると二つの方法があります。
夜になったら野営をしたり街で一泊したりし、移動していくもの。御者の方と馬を変え、ルコへ着くまでずっと走り続けるというもの。
強行乗車のようなものです。前者の方法と比べると料金が少し高くなるものの、後者の方は十日も短くなります。
かかる日数は、ざっくり計算すると六日です。
ローブもあり顔を隠すことができるようになりました。
乗合馬車にも、冒険者証を見せることで少し割引になります。
ですがイザヤ様との話し合いの末、物理的な距離が近い自然の道をそのまま進む方法に決定しました。
ラゴサで冒険者用の道具――結界石や閃光弾などを購入したイザヤ様と、ルコへ向かいました。
わたしはウォルフォード家を追放された身ですので、追われることはありません。急ぐ理由がなかったので、ゆっくりと進みます。
ルコの街の入口が見えてきたのは、ラゴサを出発してから十二日ほど経った頃です。
充分な数を用意されたようですが、最終日に結界石が切れてしまいました。一回ずつの使い捨てだそうで、また購入しなければいけません。
門兵の方が見えてきた頃、イザヤ様が立ち止まりました。
「エミリア。止まって」
「どうされましたか」
「魔獣がいる」
イザヤ様が示したのは、ルコを囲む壁よりも東側。どちらかといえばウォルフォード辺境領に近い方です。
門兵の方が二人とも気にされていない、海の方です。ルコの街中に港はありますが、あの辺りは崖になっていると地理の授業で習いました。
わたしは目を凝らして見てみますが、その姿を確認できません。
イザヤ様は、一点をじっと見つめています。
わたしもイザヤ様が見る方を見続けました。
すると、しゃきっと何かが崖の奧から出てきます。
先端が尖っていて、二股に分かれているようですね。巨大な、蟹型の魔獣です。
「サグランだ! あいつは大きな鋏で攻撃するんだ。ルコの街に入られたら、被害が大きくなる。エミリアは、ここから動かないで」
そう言うと、イザヤ様は姿勢を低くしてサグランに駆け寄っていきます。剣を取り近づきますが、その剣を鞘に入れてすぐにこちらへ戻ってきます。
何やら、イザヤ様の様子がおかしいです。
何かあったのかと奧に目を向けると、四対の歩脚を持ったサグランがふらついているように見えました。
「エミリア!!」
戻るなりわたしを強く抱きしめたイザヤ様。
塞がれていた耳にも、「ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛」という地響きのような声が届きました。
苦しそうに聞こえるこの声が、断末魔でしょうか。
「っ、イザヤ様!?」
断末魔かもしれない。そう思った瞬間、ラゴサでギルド長様から聞いたお話を思い出しました。
魔獣は一撃で仕留められなかった場合、断末魔を出します。そしてその声を聞いたら五感のどれかが失われると。
イザヤ様はわたしの耳を守るために無防備です。イザヤ様に抗議しますが、力強く守られたままでビクともしません。
「イザヤ様!!」
イザヤ様の腕の力がなくなったのと同時に、断末魔も収まりました。
イザヤ様が膝をついたので、慌てて支えます。
「イザヤ様、わたしの声は聞こえますか!? わたしの顔は見えますか!?」
何度か瞬きをしたイザヤ様は、ふにゃりとした笑みを見せてくださいます。
「……良かった。視覚も聴覚も、触覚も無事みたいだ」
「で、では、嗅覚と味覚が!?」
「まあ、味覚に関しては魔王軍の魔獣と戦っているときになくなってたから。エミリアは? 何か失ってしまった感覚はある?」
「イザヤ様が守ってくださったので、わたしはどの感覚も失っていないと思います。味覚は、今の段階ではわかりませんが」
「それなら、とりあえず良かった」
イザヤ様が、優しい笑顔を見せてくださいます。その笑顔を見ると、何もできなかった自分が恥ずかしくなりました。
「申し訳ありません、イザヤ様。イザヤ様の感覚を失わせてしまいました」
「エミリアが謝る理由がないよ。エミリアはまだ冒険者になりたてだし、魔獣のこともこれから知っていけばいいわけだし」
「ですが……」
「サグランは水属性だけど、もうテイムはできないだろうね」
イザヤ様が振り返ります。
そこには、すでに事切れたサグランが倒れていました。
門兵の方二名以外にも、ルコの街から何人も人が出てきているようです。動かなくなって消えかかっているサグランを、必要以上に攻撃しています。
テイマーとしては心が痛む光景です。しかしこれが、冒険者にとっての日常なのでしょう。
「……イザヤ様。ルコから、次々とたくさんの人が逃げ出して来ているような気がするのですが」
「本当だね。何かあったのかもしれない。行ってみよう」
走りだしたイザヤ様に置いていかれないように必死に足を動かして、ルコの街へ入ります。
本日、もう一つ更新します。




