002 初めての友達
この回まで、六歳とは思えない文体ですが、読みやすさを重視しています。ご了承ください。
帰りたくない、でも帰らないと生きられない。
帰ったとしても怒られる。罰として食事を抜かれるかもしれない。
そう思ってしまうと足取りは重く、子供の足でも行ける教会からの道をゆっくりと進む。
本宅が見えてきて、さらに足は重くなる。正面入口から行くと、もれなく守衛さんから報告されてしまう。朝みたいに守衛さんの目を盗んでも、この雨の中じゃ素早く動けない。
うー……。
どうにかばれずに帰る方法はないかと思っていたら、雨の中を青黒い何かが横切った。
思わず目で追う。
ひらひら、ずん。ひら、ずんずん。
激しい雨の中、その青黒い蝶は必死に飛んでいた。羽が濡れて重たいのだと思う。飛ぶ時間よりも、地面に近づいている方が長い。
わたしは、その蝶に近づく。
「あっ、まって」
人の気配が嫌なのか、蝶は焦ったように飛ぶ速さを変える。
でも、散々雨に濡れてしまった羽だ。わたしから逃げる前に、ぺしょっと地面に落ちてしまった。
わたしは急いで駆け寄り、蝶を傷つけないように掬い上げる。
「どうしよう……このままだと、この子しんじゃうよね」
きょろきょろと周囲を見回してみても、わたし以外は人がいなかった。
これは、この子が元気になるまでわたしが見てあげなければ。
病弱な娘として扱われていて、友達がいないからじゃないからね? 弱っている子は助けるのが人の子というもの。
なんて、それらしい理由をつけて、これ以上蝶が濡れないように手で覆う。
正面入口からますます入りづらくなっちゃったけど、たぶん、どうにかなる。
お母さま曰く、わたしの家は歴史ある家だから、本宅がある敷地も広い。端まで行けば、わたしぐらいの大きさだったら入れる所もあるかもしれない。
そう思って歩いていると、使ったことのない入口が見えた。
正面入口と比べると簡単な造りだけど、塀に埋め込まれたような扉の上には小さな屋根もある。
わたしは蝶を片手で胸に抱えるようにして、その扉を開けた。
運が良い。鍵はかけられていなかった。でも、大丈夫なのかな? 悪い人に入られちゃうよ?
誰かに入るところを見られるかもしれないと思って、さっと入ってすぐに扉を閉めた。
すると、花が飾られている棚のような場所が続いて、また扉を発見する。
その扉に手をかけてみたけど、今度は鍵がかかっていた。
残念。
そうだよね。人目につかないような入口の扉から入れたら、泥棒さんとか悪い人とか入りたい放題になっちゃうもん。
でも、どうしようかな。
ここが閉まっているということは、正面入口に回らないといけない。
悩んでみたけど、動くしかないか。
そう思っていたら、扉の鍵が開く音がした。
「おや? エミリアお嬢様。どうされました?」
「ジェイコブさん!」
立派なお髭が特徴の、庭師のジェイコブさんが優しそうな笑顔を見せてくれる。
小屋で暮らすわたしを、何度も助けてくれる良い人だ。
「ジェイコブさん、ここからはいってもいいですか?」
「ええ、良いですよ。この扉は、エミリアお嬢様のお家にも近いですし」
キィと錆びた音がする扉を開けてくれた。
ジェイコブさんは、わたしの味方をしてくれる唯一の人だ。
いつも何もできなくて申し訳ないと言われるけど、ジェイコブさんがいなくなってしまう方が嫌だ。
だから、わたしの小屋に誰も来ていないときによく話し相手になってもらっている。
わたしが何かを抱えて持っていることはお見通しだと思う。
だけどジェイコブさんは、聞かないでいてくれた。
「ジェイコブさん、きょうはもうかえるんですか?」
「ええ。先程娘の家から、孫が産まれたと連絡が来ました」
「えぇっ。ごめんなさい。それならいそぎますよね。ひきとめてしまいました」
「いいえ、よろしいですよ。早馬が来たわけではなく、すでに産まれた後なので。ゆっくり行っても問題ありません」
「それでも、いそいだほうがいいですよね。いってらっしゃい、ジェイコブさん。つぎのおしごとのとき、おまごさんのことききたいです」
ジェイコブさんはわかりました、と言って、扉から出て行った。ガチャリ、と音がしたから、ジェイコブさんはここの鍵を持っているのだとわかる。
「ごめんね、すぐいくから」
胸元で、青黒い蝶がパタ、と力なく動く。
ジェイコブさんが言っていた通り、わたしの小屋まではすぐの所だった。正面入口から行くと少し遠い、見慣れた小屋がすぐ目の前にある。
だから、わたしは油断したのだと思う。味方じゃない人に見つからずに小屋に戻れると思って。
青黒い蝶を乾かすために布で優しく包み、羽の水分がなくなったら元気になった。
わたしの髪飾りのように、右の頭の上がこの子の定位置になったのは嬉しい。
ジェイコブさんがお仕事のとき、この子を紹介してみようかな。
そんな風に思っていたのに、ジェイコブさんは二度と姿を見せることはなかった。
なぜそうなってしまったのか知ったのは、六才の祝福があった日から七日後。
エレノラが、一通の手紙を持って小屋までやってきた。
「よくこんな場所で生活できるわね? ケホッケホッ。ホコリ臭いわ」
突然来るなり文句を言うエレノラに向かって、青黒い蝶が怒ったように突撃していった。
でも、回復したとはいえ、蝶は小さい。簡単に振り払われちゃって、床に叩きつけられる。
慌てて掬い上げると、エレノラは片方の口の端を上げて笑う。
「こんな羽虫しか友だちがいないあんたが参加しても、意味ないと思うけど」
ピッと手紙を投げられる。
蝶をエレノラの手が届かない場所に運び、手紙を拾って開けた。
内容は、ウォルフォード家が主催するパーティーの案内状。
「そうそう。あの小汚くて太った庭師だけど、もう来ないわよ」
「えっ! ジェイコブさんになにかあったの!?」
「さぁ?」
エレノラが、また片方の口の端を上げて笑う。
わたしはエレノラと違って、淑女教育なんて受けていないけど、わかる。
口の端を上げて笑っているとき、エレノラが相手をばかにしているときだ。
この場合はたぶん、ジェイコブさんのことをばかにしている。
「ジェイコブさんに、なにをしたの!!」
「ちょっと! 汚い手で私にさわらないでよ!」
ドンッと押され、尻餅をつく。
わたしに伝えることは伝えたのか、エレノラはさっさと小屋を出て行った。
「ジェイコブさん……」
青黒い蝶が、まるでわたしを心配するように鼻の上に来る。
目の前でパタパタと羽を揺らす様子を見ていると、慰めてくれているような気がした。
「ありがとう……」
作ったものでも笑顔を見せると、蝶は定位置であるわたしの頭の右に行った。
エレノラから渡された手紙をもう一度よく確認すると、その内容はエレノラの婚約者を捜す目的があるらしい。
エレノラの口ぶりからすると、もしかしたらわたしの相手も選ぶのかも。
六才の祝福の日。わたしの存在が知られてしまったから、いっそ開き直ったのかもしれない。
案内状には、最低限の知識やマナーをつけるために勉強させると書いてある。
「……やってやるわ。むりょくなままじゃ、なにもできない。だれも、すくえない」
目標は、一人でも生きていける力をつけてウォルフォード家を出る。
そのためには、味方が誰もいなくたって悲しまない。
前を見て進むしかないんだ。
次回より、年相応の文体になります。
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