133 封印解除
以前来たときと同様に、神殿の中はまるで時が止まっているかのような静寂がありました。
石柱で支えられている天井は、何度見ても高い位置にあるように見えます。
何本も石柱が並ぶ中を進み、ぱっくりと割れたままの青黒い岩の下にある階段を降りました。
一度来たことがありますし、視界は良好なのでどんどん進みます。
ですが、イザヤ様は見え方が違うようです。
あのイザヤ様が、何度も階段から足を踏み外しそうになっていました。ですがイザヤ様なので、その素晴らしき身体能力で転倒していないようです。
「エミリア。どうしてそんなに迷いがないの?」
「わたしにとっては視界が良好なのですが……この場所も、魔の森にあった建物のように、わたしには見えているのかもしれません」
「でも、今回は先に進めるみたい」
「そうですね。全く同じではないようです。足下が危ないので、イザヤ様の手を引きますね」
「うん。お願い」
イザヤ様の、分厚く硬い手がわたしの手に重ねられました。
わたしはそれほど小さな手ではないと思っていましたが、男女の差でしょうか。それとも、イザヤ様の手が大きいのでしょうか。
わたしがイザヤ様の手を引いているのに、包まれるような安心感があります。
イザヤ様と一緒に階段を降り、白濁した結晶の中に魔王様がいらっしゃいました。
「イザヤ様。こちらに、魔王様がいらっしゃいます。見えますか」
「うーん……? 何かあるんだね?」
目を凝らしているようですが、イザヤ様には確認できないようです。
やはりわたしの血が影響しているのでしょうか。
そんな風に思っていると、右の手首に装着されていた青黒い腕輪が突然熱を持ちました。
慌てて確認すると、腕を上げた先――魔王様と共鳴しているような気がします。
イザヤ様の手を離して白濁した結晶に近づくと、頭の中に声が響いてきました。
<娘。我が娘よ。我の近くへ>
この感覚は、<念話>でしょうか。
イザヤ様としたときとは違う感覚です。イザヤ様は、こんな感じでわたしの声が聞こえていたのでしょうか。
<娘。我が娘よ。我の近くへ>
「かしこまりました」
白濁した結晶の中の魔王様は、目を閉じたままです。ですがこうして意思を伝えてくださるということは、意識はずっとあったのでしょうか。
白濁した結晶のすぐ前まで行きました。
<娘。我が娘よ。右手を、我の心臓へ>
「かしこまりました」
魔王様のお言葉通りに行動します。
白濁した結晶越しに、魔王様の胸元へわたしの右手をあてました。
その、瞬間。
わたしの頭の中に、膨大な情報が流れてきました。
遠い遠い、遙か昔。アラバス王国ではない国のお話。
愛を司る女神様がいらっしゃいました。
愛を生み、愛を告げ、愛が実る。
愛がすべての物事を解決すると考えていた女神様は、その考えを広めるために幾柱もの神様と情を交わしました。
火の神様。
力の神様。
地の神様。
風の神様。
水の神様。
魔王様や魔獣方にも、その愛の手を伸ばします。
そして最後に、人の子と情を交わしました。
女神様は、その体に一つの命を宿します。
しかし残念ながら、その女児の出産時、女神様は亡くなってしまいました。
神様の血を引いているとして、産まれたばかりの女児は神様が引き取ろうとします。
そこに、女児の父である人の子が言いました。
「神様方と比べたら、人の命は儚く、短いものです。どうかその短い人生を、娘と一緒に過ごさせてはくれませぬか」
「良かろう。そなたが天寿を全うするとき、神の娘を迎えに来ようぞ」
「はは。ありがたき幸せ」
こうして、神の娘様は地上で生活することになりました。
しかし、神の娘様が神様の元へ帰ることはなかったのです。
人の子は、畏れ多くも神の娘様を隠してしまいました。神様の目を欺き、神の娘様は死んだと嘘をついたのです。
神の娘様を手中に収めた人の子は、国を興しました。
隆盛を極めたその国は、さらなる力を求めます。
畏れを知らない人の子は、魔獣を生み出す力を得てしまいました。
そう。神の娘様の力を、二つ解明してしまったのです。
魔獣を生み出す力と、魔獣を使役する力を。
神の娘様は、人の子よりも長く生きました。
しかし神の娘様は産まれたときからずっと同じ場所にいたため、他の場所で生きるという選択肢はありません。
そんな神の娘様に、心優しき殿方が手を差し伸べました。
この殿方は信じるに値する相手だとわかると、神の娘様は様々な力を発揮するようになります。
しかし神の娘様と国を出た殿方は、その力を強要しませんでした。
出身の国から離れた場所で殿方と心を通わせた神の娘様は、やがて自分の力をいくつか引き継いだ娘を出産したのです。
「……リア! エミリア! しっかりして!」
「……? イザヤ様?」
「右手を伸ばしたと思ったら、急に反応がなくなるんだもん。心配したよ」
「それは、申し訳ありません」
何度かイザヤ様に肩を揺すられるまで、わたしはどうやらぼんやりとしていたようです。
その中で見た、神の娘様。恐らくこのお方が、遠い先祖ということになるのでしょう。
わたしと、レタリア様の。
そして、魔王様の血も入っているということになります。
魔王様はどうなったのでしょうか。
封印されていた白濁とした結晶の方を見ると、そこに魔王様はいませんでした。
<娘。我の娘よ>
背後から呼ばれ、驚きながらも振り返ります。
<娘。我の娘よ。そなたの力で久方振りの自由を得た。感謝する>
魔王様が、薄くなっていきます。
まるで王都で見た巨大な竜巻のときの逆で、その存在が世界に拡散されてしまうようです。
「魔王様! まだもう少し、お待ちください! どうか人の子のため、魔王様の知識を授けてはくれませんか」
<我の力は、すでにそなたに託している。その力を使うが良い>
「その力とは!?」
話の詳細がまったく掴めません。
どうにか情報を得ようとしますが、魔王様は穏やかな顔をされ、右斜め上を見ます。
<ああ……。旧友が迎えに来たようだ>
「魔王様!!」
消えゆく魔王様を必死に呼び止めましたが、魔王様はそのまま消えてしまいました。
魔王様という存在が、現世から完全になくなってしまったのでしょう。
まるで清浄な空気が入った風船を割ったかのように、まったく違う空気感になりました。
「あ。ここ、こんな洞窟だったんだ」
イザヤ様が驚いたように呟きます。
恐らく、魔王様がいなくなってしまったために空気も変わったのでしょう。
認識阻害のようなものがあったのかもしれません。
「エミリア。魔王と何を話していたの」
「……今後のために重要なことは、特に何も」
「そっか。とりあえず、アラバス王国に戻ろうか」
イザヤ様に背中を押され、魔王様が封印されていた神殿から出ました。
魔王様が外に出ないように見張っていたのでしょうか。それとも、違う理由でしょうか。
神殿の入口にいた二体の巨人様が動かなくなっていました。心なしか穏やかな顔に見えるのは、わたしの気のせいでしょうか。
魔王様は最後、友人が来たと仰っていました。それはもしかしたら、以前ここで見た、白く癖のない長い髪を持つ方かもしれません。
もしそうならば、主と思われる方の友人を、あの巨人様方は守っていたのでしょう。
そうであると良いなと思います。
わたしはラーゴをアロイカフスから出して、イザヤ様と一緒にアラバス王国へ戻りました。




