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ミモザが咲く頃に

作者: Ikeバナ

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

夢を見た。


花が咲きほこる庭園に1人、佇んでいた。


先並ぶ花々はどれも美しかった。


目の前には、私が1番好きな花があった。


『ねぇ、美萌咲。貴方の名前は、お花のミモザからとっているのよ。ミモザみたいに明るい花で、頼られるような人になってね』


誰の声だろう。


誰の言葉だろう。


女の人…


でも、母はこんなこと言う人じゃなかった。


私のことを、愛して…なかった。


「─!」


そこで目が覚めた。


朝日が昇って、木々に滴る雫を照らしていた。


時間は…まだ大丈夫。


私は身支度や家事を終えて、家を出た。


学校までは徒歩15分。


学校は女子校で、私は浮いてるなーとも思うけど割と静かだ。


学校まで歩いていると、なんだか静けさが心地よく感じる。


何よりも、いい運動な気分…


たまに運がいいと、この時間は…


「あら、白銀さん」


「!片岡先生…!」


「おはよう」


にこやかに挨拶してくれたのは、片岡先生。


私が、恋している先生だ。


片岡先生は挨拶するといつも足早に去っていく。


行先は同じ。


でもわざわざスピードを合わせたりはしない。


困らせるってわかってるから。


片岡先生に恋したのは、入学式の後…



『はぁ、こんなところ…私には向いてないや』


ふと、温室の前で声を漏らした。


私の母は、私や父を置いて出ていってしまった。


父はそれでも、私を愛してくれていたはずだ。


しかし、父は海外への転勤が決まった。


私はついていけばよかったのだろうか。


でも、父は私に無理をさせたくなかったのだろう。


祖母の家に預けられた。


だが、つい先日、祖母は亡くなった。


老衰と聞いた。天寿は全うしたのだろうか。


遺産も多くあったし、不自由なく暮らせる額が渡された。


父は、私のことを心配して葬儀をしてからも日本にいてくれた。


だけど、すぐに戻ってしまった。


辛かった。家族とはどれほど儚いものだろうと思った。


学校なんて、もう辞めようかな。


働きに出た方が幸せかもしれない。


ここは、私の居場所じゃ─


『お嬢さん』


『!』


『温室に入りたいのかな?』


話しかけてきたのは、細身の男性…


先程紹介があった学年主任の…


『えっと…片岡先生…?』


『うん。片岡です。温室なら開いてるからご自由に』


『え?でも…』


『いいから』


そう勧められて、私は温室に入った。


中は花の香りでいっぱいだった。


その中でも目を引いたのは、入口のすぐそばにあった…


『…ミモザ…?』


『よくわかったね。でもまだ育っている最中で、高さも大きさもそこまでなくてね』


綺麗な色をしている。


目を引くような鮮やかな黄色。


夢の中で見たミモザもそうだった。


『…えっと、お嬢さん、お名前は?』


『白銀です』


『白銀さん…確か、お名前が美萌咲さんだったね』



下の名前…覚えている…?


『よくご存知で』


『書類を見てて、すごく不思議な名前の子がいるなと思っただけだよ』


笑顔が眩しい。


きっと、年齢は若い訳では無いだろう。


でも温室のおかげか、彼は若々しく見えた気がした。


明るい笑顔と口調に、私は思わず微笑んだ。


『あの、ありがとう…ございます。片岡先生』


『いーえ。お礼を言われることはしてないよ。白銀さん』


胸がドクンという音を鳴らした気がした。


なんだろう、脈が早くなってる。


体が火照る。


彼の香り…鼻に通る。


爽やかな香りが、花に混じって美しいハーモニーを奏でているようだった。


これが、恋なのだろうか。


私は、先生に恋してしまったのだろうか。


考えれば考えるほど、心臓はドクンドクンと音を立てる。


もう、相手に聞こえてしまっているんじゃないかと。


私は火照る顔に手を当てた。


これが幸福と言うのだろうか。



思い出しただけで体が熱を帯びる。


片岡先生は、私の初恋の相手…なのかな。


だからか、普段も片岡先生を見つめてしまう。


見とれてしまって、それを気づかれることもあった。


家族に愛を感じられない私にとっては、この人への愛こそが誠の愛だ。


教師と生徒…


恋愛関係になってはいけないのに。


諦めることは、できない。


「白銀」


「!」


「おはよう」


ぼーっと考え事をしている私は、いつの間にか校門に着いていたらしい。


立派な校門の前に立っているのは…


担任の中村先生だった。


「中村先生、おはようございます」


「あぁ、考え事?」


「ちょっと…色々あって」


「昨夜は雨が降ったみたいだし、また低気圧も近づいてるっぽい。さすが梅雨」


「え?」


「とにかく体休めて?疲れが溜まってるみたいだから」


言いたいことだけ言って笑顔で送り出す。


中村先生って、そんな人。


でも、この人が担任でよかったかもしれない。


いつも心配はしてくれるけど、深入りはしないから。




ブーブー…ブーブー…


自分のスマホが、バイブ音を鳴らす。


相手は…


姉の桜からの電話だった。


珍しい、しかもこんな朝に。


僕はさ職員室を出て、隣の印刷室に行った。


「もしもし」


「健、元気?」


「それなりに。どうした?」


「どうしたも何も、今日何日かわかる?」


「何日って…」


日付を見る。


左手首のスマートウォッチを見ると、

6月4日…


「!菫の命日…」


「やっぱ忘れてたんだ」


最近忙しすぎて、日にち感覚さえなかった。


姉さんは呆れてるようだ。


「ごめん」


「謝ることじゃないから。それに忙しいんでしょ?」


「まぁね」


「ならいいのよ。それよりも、姪っ子は見つかった?」


「いや…」


「はぁ…何よりも、母さんは先が長くない。一刻も早く、姪っ子を見つけて」


姉さんは強い口調で言った。


僕も強く頷いた。


「ちなみに姪っ子の名前は?」


「わかってないの。菫って、どんな名前つけるんだか…」


「苗字は?」


「確か“あの人”、再婚したんだっけ?相手の名前は…木下とかだった気がする」


木下…


「絶対に見つける。それで、僕らも…」


「はいはい。じゃ、またかけるから」


「うん」


ツーツー…


苗字は木下…


顔は…もう覚えてないな。


なんせ、菫が亡くなって、もう13年経つ。


そんな前の葬式に来てた姪っ子は、酷く泣いていた。


“あの人”の顔も、死んでたっけ。


「…必ず、見つける」


僕は手に力を込めた。


菫のためにも、必ず。



今日の授業は退屈だ…


片岡先生の授業ないし…


数Ⅰは小宮先生が担当で憂鬱…


毎日数A受けて、片岡先生の顔を拝みたいよ…


「じゃあ今日はここまでね」


小宮先生が笑うと、そこでチャイムがなった。


ようやく終わった…


どっと疲れた気がして…


「美萌咲ー!」


私が項垂れていると、後ろから明るい声が聞こえた。


「叶?どうしたの?」


「さっき職員室行ったらね、すっごい現場見たの!!」


「なになに…」


「先生も気になるよ」


私たちが話していると、教卓に立っていた小宮先生が近づいてきた。


「え!じゃあ驚かないでくださいよー?」


叶はすごいにやにやしてる。


何言い出すんだこの子…


「十六夜先生と、片岡先生がラブラブのイチャイチャだったの!」


「…へ?」


「あの2人仲良いよね」


「いや、あの、小宮先生?どういう…」


パニックで物事が処理できない。


小宮先生なんでそんなにこにこしてんの…?


「先生もさ、数学科として会議とかするんだけど…あの2人すっごいイチャイチャするから気まずいんだよね」


「いやおもろ!」


「叶笑えないから!」


「なになに、白銀さん、片岡先生のこと好きなの?」


「!?」


思わず赤面した。


な、何言ってんだこの人…


私そんなわかりやすい?


「美萌咲バレバレだよ」


「だ、だって…」


「ふふ、そんな白銀さんに…とっておきを教えてあげる」


「とっておき…?」


私は小宮先生にとあることを教えて貰った。


私は、それをすぐに実行することにした。


─片岡先生を振り向かせるために。



俺は教師失格なのかな。


なんて思う。


一人の女性を口説くために、邪魔な男は全て蹴散らしてきた。


けど、今の俺はそんなことできやしない。


諦めの悪い男と、何も勘づかない鈍感な女の子の2人は俺を困らせる。


そんなとき、目の前に利用できそうな駒があった。


使わなければいけないと思った。


彼女は、絶対俺のものにしたいから…


「小宮先生!」


「!あぁ、十六夜先生」


職員室の机に座っていると、横から彼女が来る。


俺が何年も片思いしている相手…十六夜先生。


「1組の数Ⅰの進度どうですか?」


「んーっとね…」


僕が今日まで行った範囲を伝えると、彼女は目を丸くさせた。


「え!早っ!」


「授業量の差ですよ。そちらは月曜日にあるから」


「そう…ですよね…くっ!このままじゃ、範囲が…」


喜怒哀楽の激しい子だ。


だから、愛してしまうのかもしれない。


「ねぇ、十六夜さん。今夜食事はどうかな?」


「今夜ですか?」


「うん」


職員室に片岡さんはいない。


今しか、誘うチャンスは無い。


「ごめんなさい。今夜は、片岡先生に誘われてまして…」


「んー、そっか。でも、くれぐれも気をつけてね」


「え?」


「生徒が、良からぬことに気づいてるみたい」


「!?」


俺はそれだけ言って、席を立った。


十六夜先生はぽかんとしている。


「じゃあ俺は、ひと足早く食堂に行きます」


「え、あ…は、はい?」


この人は本当に…でも、俺はいつか振られるんだろうな。


この人の眼中にはないから。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


私は、小宮先生に言われたことを実行することにした。


内容とは…いわゆるカマかけだ。



『十六夜先生に手紙を渡して欲しいな』


『手紙…?』


『“北野先生、お元気にされてるって片岡先生が言ってました”って。直接言うのは勇気がいるからってね。匿名で』


『でも、それって難しいんじゃ…』


『書いてくれればいいよ。明日先生に渡してよ。先生が十六夜先生の机に置いておくから』



叶も賛成してたけど、北野先生って誰だろう。


手紙も書いたし、筆跡も多分バレない…かな。


「おはよう。白銀さん」


「!小宮先生!」


「あれ、書いた?」


「はい。これです」


私はカバンから例の手紙を出した。


まさか今日の日直が小宮先生だったとは。


そんな偶然…あるんだ。


「確かに受けとったよ。じゃああとは任せて」


私はコクンっと頷いた。


小宮先生は微笑んでいた。


これで、良いよね。


片岡先生は、一体どんな反応をするんだろう。


十六夜先生と片岡先生が…もし付き合っていたら…


私は一日中ソワソワしていたと思う。


けど、部活だけは…集中しなきゃ。


私はトランペットのチューニングをした。


だけど、なんか調子出ないな。


「…あ、美萌咲さんお疲れ様」


「!十六夜先生!」


まさか渦中の十六夜先生がここに…


思わずびっくりした。


十六夜先生はキョトンとしているけど。


「先輩方と叶さんは?」


「叶は習い事です。あとは…」


「はいはい、いつものやつね〜」


先輩たちはサボりがちだ。


花色学園の吹奏楽部はゆるゆるとやりすぎている。


こんな伝統ある学園で、部活の活気がないってかなり終わっているけれど。


「ねぇ、片岡先生見てない?」


「!え?み、見てないです」


「そっか。用があったんだけど、ずーっと噛み合わなくてなかなか会えてなくてさ」


あの手紙の件だろうか。


片岡先生に聞こうとしているのかな。


「わ、私も…そうだな。あ!片岡先生って金管楽器の経験者なんですよね?」


「そうだよ。ユーフォニアムの」


「じ、じゃあコツとか聞いてみたいかも!探しに行こっかな!」


「ふふ、じゃあ見つけたらここに連れてきてくれる?」


「は、はい!」


私は張り切って探した。


PC室も、職員室も見た。


いないなぁ…


どこに行ったんだろう…


まさか高等部の棟にはもういない?


先生って確か、中等部の数学もちょっと教えてるとかなんとか…


でも中等部まで行ったらさすがに…


「白銀さん…?」


「!」


振り返ると、そこには運動着姿の片岡先生がいた。


滅多に見ない姿に思わずときめいてしまった。


「あ、いや、その!お時間ありますか?」


「今からなら…あるよ?」


「良かった。じゃあ、トランペット教えてください…!」


「…僕が?」


「先生!ユーフォニアムやってたんですよね?金管楽器のタンギングのコツとか…」


私はなんかタジタジしてしまった。


片岡先生だってなんか困って…る?


「うーん…わかった。すぐ行くよ」


片岡先生…やっぱり優しいな。


横顔も、綺麗…


眼鏡をかけていてもわかる端正な顔立ちも…


「あ、あと十六夜先生も用があるって」


「?彼女が?」


「はい」


「…?わかった…けど」


2人で音楽室に向かう。


入ると、十六夜先生が掃除をしていた。


「あ!きた!片岡先生」


「僕に用事…って何?」


聞いちゃうのかな…


ついに…聞いちゃうのかな…


「北野先生のこと、何か知ってますか?」


「え?」



随分慎重だな…


十六夜先生と、北野先生?って人の関わりって…


片岡先生も知ってるのかな…


「…今ここでする話じゃないだろ」


片岡先生…悲しそう?


北野先生って一体…


「ここで今すぐ教えてください。なんで、北野先生の近況をご存知で?」


「き、近況…?彼とは会ってもいないし、連絡すらとれないと言ったじゃん」


「…じゃあ…あの手紙はなんで…誰が…」


「手紙?」


まずい…


でも、なんか仲違いしそう?


片岡先生が振り向いてくれるチャンスに…


「すみません、北野先生って?」


「君には関係ないよ」



そんな冷たい声を、初めて聞いた。


いつもの柔らかい声色の…彼は?


北野先生のことは…触れてはいけないの?


「で、十六夜。北野くんのことが書いてある手紙って何?」


呼び捨て…


それに、北野くん…さっきと呼び方が違う。


「空きコマの時間に、気がついたら机の上に手紙が置かれていたんです」


「朝は?」


「なかったです」


「ふーん。そんなことできるのは…今日日直の人しかいないんじゃない?」


小宮先生ってこと、気づいて…!?


もしバレたら…私も…


「小宮先生が、なんでそんなことを…?」


「君を口説くためじゃないかな?」


「く…!?」


「前も言いましたよね?小宮先生はそんなことする人じゃないです」


小宮先生って、十六夜先生のことが好きなの?


じゃあ、片岡先生は?


え、十六夜先生と片岡先生の関係は…?


「…これはお姉さんを…いや、僕を陥れるための罠か」


「罠?」


「なんで…」


「白銀」


冷たい目…


それに、初めて呼び捨てで呼ばれた。


優しく呼んでくれるその白銀の響きが好きだった。


でも、これじゃあまるで…


私はズキンと心が痛んだ。


嫌いになった訳じゃない。


ショックなのかもしれない。


「お嬢さんはこのことに首を突っ込まない方がいい。僕と、あの子の問題だから」


「…片岡先生。とにかく、小宮先生にも聞きますから」


「聞いても無駄だよ。彼は、そういうことをする人だ」


「小宮先生の何がそんなに嫌いなんですか?」


「?嫌いじゃない。ただ、気に食わないな。君がそこまでして彼を庇う理由は無い」


2人は、何を知っていて…


何を争っているんだ…


そもそも、私が蒔いた種だ。


なのに…なんで…!


「片岡先生。とにかく、もう…北野先生を…」


「わかってる。北野くんのことは、必ず僕が何とかする。もう、やることが多い…」


「片岡先生…あの!」


「悪いけど、白銀。今日は教えられないや。僕、今とても気分が悪い」


「…え?」


「彼女を唆した男と、彼女を傷つけた男の名前を聞いたからね」


ボソッと、彼はただ呟くように言った。


私は、全身の力が抜けそうになった。


唆した…?傷つけた…?


「…」


「十六夜…先生…」


「ごめん、美萌咲さん。貴方にもいつかちゃんと説明しなきゃいけないわね。巻き込んでしまったから」


悲しそうな顔。


私は、どれほどの過ちを犯したのだろうか。


彼らの絆と呼べるようなものを一瞬にして…壊してしまった。


「…ごめんなさい」


「なんで貴方が謝るの?貴方は、何も悪くない」


「でも!」


「何も言わないで。…さ!部活、続きをやりましょう?」


十六夜先生は、無理に笑おうとした。


私は気づいてた、きっと片岡先生にも十六夜先生にも触れてはいけないものがあるって。


いや、誰しも持ってるけど。


あの2人が拘っていたこと、それに…


北野先生って…何者なんだろう。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


気分が悪い。


吐きそうだ。


全ての鬱憤が僕に集まっているようで。


僕は重い足取りで職員室の自席に座った。


そして、所謂1学年教員の机のお誕生日席に座る。


斜め前の中村先生もいるようだ。


「…中村くん」


「どうしました、片岡さん」


「十六夜、何か言っていたか?」


「何も…なぜ十六夜が?」


それは疑問だろう。


彼女の話題を中村くんに振ることはまず無い。


「北野くんの話題を出してきた。おそらく犯人は…」


「俺ってことですね」


僕は思わずふりかえった。


先程までいなかったはずの奴が、職員室の入口にいるからだ。


「!小宮くん…!」


「なぜ、小宮くんが?犯人とは…?」


「十六夜さんは気に入ってくれていたかな?」


「そんなわけあるか!また、何か唆そうとして…!」


「違いますよ。俺はただ、あの人を…自分しか見られないようにしたいだけですから」


「…お前!」


「落ち着いて!片岡さん!」


思わず感情が昂って、小宮くんの胸ぐらを掴んだ。


幸いと言うべきか、職員室には僕ら3人しかいない。


そして、中村くんは僕を止めようとしている。


「十六夜に何か吹き込む気か!」


「?いや、彼女を長年思い続けてきた俺に、そんなことをさせるんですか?もっと面白いことをします」


「はぁ?」


「…俺にとって、貴方という存在は邪魔なので」


「どういうこと?」


「中村さんも知っておられるのでは?」


「っ…!」


「知らないのは…あの子本人だけ。もう10年も待ち続けた、俺の身にもなってください」


小宮くんはただ平然と…


平然と話し続けている。


頭おかしいとも思う。


「なんで、彼女に自分の想いを伝えもせず、ただ俺が彼女に指1本触れないようにするんですか?」


「…僕に、彼女を射止める資格は無い。だが、小宮くんが彼女をものにすることは…」


「“教師としてありえない”と?」


「…!君は…!」


その言葉は…!


“彼女”にしか…!


「片岡さん!!」


「中村くん!離し…!」


「貴方と十六夜さんはただの同僚。それは、あの子が今ここで教師をしていることで続いてる関係。だけど、元を辿れば俺たちはあの子にとって…」


「そんなのハナからわかってる!」


「…ちなみに、北野さんの話、生徒に聞かれていましたか?」


「白銀が聞いていた。でも、彼女の問いには何も答えなかった」


「あれ、言わなかったんですね」


「…なんのつもりだ?言うはずがないだろう」


「十六夜百合が、かつて俺らの教え子であった…という事実をですか?」



十六夜に言われたことを忘れているのか?


絶対に言うなとあれほど口止めされたのに…!


「誰も聞いていませんから。今はね。それにあの子のことだ。責任を感じて、白銀さんに説明するのでは?」


「…わかってる。僕が1番」


きっと十六夜は、巻き込んでしまった白銀に色々な説明をするだろう。


白銀には、少々重い話な気もするが…


「それよりも、良かったですね」


「何が?」


「相沢くんが、十六夜さんと同い歳で」


「…僕はいつも気が気じゃない。彼だって、十六夜と距離が近すぎる」


相沢香…


うちの英語科の教員。


あいつは変に見た目が整っている上に、十六夜と同い歳なせいで必要以上に関わろうとする。


僕はいつも見張っているが…


「でも、同い年なおかげで三浦さんがうちに来ることは…なかったわけです」


「!」


「三浦…懐かしい名前だ…」


「中村くん、彼女がどれだけ厄介か理解しているだろう?」


「ですが、これでも元担任ですから」


三浦…


十六夜の同級生の名。


彼女の育ての母はフィリピン人で、常に英語を話すような人であったと聞いている。


そりゃあ英語力も身につくが…


「三浦さんが相沢くんに敵うとは思わないでしょ?実際そうだったわけですし」


「それは、相沢が留学経験があって、国際教養に特化した難関私立大学にいたことを言っているのか?」


「えぇ。だから、三浦さんはここに就職できなかったでしょ?おかげで片岡さんの重荷が増えることはありませんでしたね」


「…あぁ」


三浦は、本当に…厄介ではあった。


相沢がもしうちに就職希望を出していなかったら、今頃…


「十六夜さんも、それはそれは喜ばしいことでしょう」


「…それよりも、話を逸らすな。今後、十六夜に必要以上に関わるな」


「ふ…。はーい。片岡さんはもっと、危機感持ってくださいね」


「は?」


「…三浦雅美のような生徒がいたとき、貴方はどうなるんでしょうか」


「お前…まさか」


「同じことは繰り返さないでくださいね。

片岡先生」


三浦と…同じような生徒…


それは、教師である僕に好意を持つ生徒を指すのか。


厄介…だな。


「…わかってる。じゃあ、僕は体育館でも見てくる」


「!片岡さん!」


「中村さん」


「!小宮くん、君は…」


「…前にも、10年前にもお話しましたね。十六夜さんの…お話」


「…彼女が、君と片岡さんに影響していることは、聞いていればわかる。だけど、俺は元担任として、十六夜も、三浦も大切にしてる。その上で、十六夜をこれ以上困らせたくない」


「わかってますよ。だから、俺に協力して下さい」


「…え?」


「貴方にも、守りたい何かはあるんでしょ?」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


小宮くんは、優秀な先生だ。


次期教務主任と名高い彼はエリート街道まっしぐらだろうな。


だけど、俺はそんな彼に危惧している点がいくつかある。


その中の一つが、十六夜百合への接し方だ。


彼女が在学している頃から目に余るほどの何かがあった。


『小宮くん、十六夜と何かあった?』


『?なぜですか?』


『彼女は俺に何でも話す。けど、小宮くんのことをどれだけ聞いても、答えようとしないよ』


『あぁ、それは─』


“俺に好かれてるって自覚でもあるんじゃないですか?”



「貴方にも、守りたい何かはあるんでしょ?」


あのとき、何も言えなかった。


小宮くんが十六夜を…好きってことか?


十六夜はそれを自覚…?


いや、あの子鈍いしな。


特に、他人の感情には人一倍鈍い子だった。


だからこそ、周りの痛みも憂いも全部受け止めようとしていた。


それが、あの子の担任を3年間やった俺の感想だった。


俺が、あの子のためにできることはなんだろう。


そう考えることは沢山あった。


だけどあの子はいつも俺に心配はかけないようにしていた。


だから、俺ができること…それは…


「俺が、自ら協力しようとするとき。それは、もちろん守りたいときだ」


「えぇ、よく知っています」


「…十六夜の味方になるのなら、貴方に協力するのは…違う」


「…え?」


「俺が守るのは、教え子であって同僚である十六夜。貴方は、十六夜の味方でも、俺の味方でも、片岡さんの味方でもない」


俺がそう言うと、小宮くんは左の口角を上げた。


不気味にも思えるその表情に後退りした。


「えぇ。想定内です。でも、中村さん。彼女が最終的に選ぶのは、俺ですよ」


「どっからその自信が来るんだ?」


「あの子は、片岡さんのことを心から尊敬してるからです」


「?」


何を言っているんだろうか。


尊敬…してないとは言わないが、十六夜が?


それに、あの子が1番に尊敬しているのは…


北野くんだ。


「尊敬しているから、味方にならない?つまり?」


「言わなきゃわかんないようですね。あの子は、本当に信頼していて本当に尊敬している人に悩みも何も打ち明けません。悩み以外にも、自分の弱味となりそうなこともね」


「!」


「中村さんになら、心当たりあるでしょ?」


そこで、十六夜との会話がフラッシュバックする。


確かに彼女は言った。


“中村先生だから、言えないんです。私のせいで、貴方に心配なんて感情を抱えさせたくないから”


「…だから、十六夜は貴方を庇うのか?」


「俺は、あの子と接点はなかったので。全て片岡さんに盗られてきましたよ」


「…片岡さんは、十六夜をどうしたいんだろうか」


「好きだから、自分のものにしたいんだけど…十六夜さんには伝わらないから困ってる…てところです」


片岡さんならありえる、と納得した自分がいる。


十六夜は…片岡さんのことを尊敬しているから、弱音を吐かないし弱味を見せない。


だから、今回の1件は小宮くんに味方すると。


…なるほど。


「小宮くん、でも君はわかってない」


「はい?」


「俺は元担任だ。あの子のことをわかってるつもり。だから、あの子も俺のことをわかっている」


「…何を言ってるんだかさっぱりですが」


「もう一度言います。俺は十六夜の味方だ。貴方と片岡さんどちらかの味方をする気は無い。そして、十六夜は片岡さんにつく」


「もう一度お話した方が良いですか?」


「いいや、その心配はない。そもそもあの子は、誰のことも信頼しない」


「何を…?」


「心を許さない子だ。あの子にだって色々ある。何よりも、証拠がある」


「そんなのがあるんですか?」


「北野くんの1件。一番最初に誰に連絡したかご存知で?」


「…いや」


「片岡さんですよ」


「…え?」


「弱みを見せない彼女がわざわざ電話した相手は、片岡さんでしたから」


思わぬことに、小宮くんは少々驚いていた。


彼が戸惑っているところは、なかなか見られない。


「今回のことも、相当困るはず。だけど、渦中の人間は貴方と片岡さん。頼る先のないあの子は、相談しない…か、貴方と片岡さんに最も近い人物に相談します」


「…それは?」


「俺だ」


「!」


「無論、彼女に相談されれば俺の意見を言わせてもらう。あんたらは、少々十六夜の気持ちを考えていなさすぎるから」


「…中村さん」


力なくつぶやく小宮くんの肩を叩いた。


そして、時計を見ると17時半だった。


「さて、俺は帰りますよ。妻と娘が待っているので」


「…えぇ。さようなら」


俺が迷うことはない。


十六夜が、こうしてここにいる限りは。




十六夜先生…意気消沈してるな…


「美萌咲さん、あの…早めに部活終わりにしますか?」


「えっと、そうします」


気まずい。


すごく気まずい。


聞いていいのかな。説明するとか何とか言ってたけど…


「…気になるよね」


「え?」


「さっきの話」


やっぱり…


なんか、力ない声に、私まで泣きそうになった。


「…教えて下さい。十六夜先生」


「うん。あのね…」


ガチャッ


そのとき扉が開いた。


防音のために分厚く作られた扉をスっと開けたのは…


片岡先生だった。


「!?」


「…片岡先生」


「話したの?」


「これから話すところです」


「…僕が話す」


片岡先生もなんだか元気がないような…


「ごめん、白銀」


「え?」


「傷つけたよね。冷たいことばかり言ったから」


いつもの…優しい声色…


ちょっと悲しい顔してるから…


拗ねてるみたいで…かわい…


いや、そんな失礼すぎる。


本人に言えないし、傷ついたって言うべき?


いや…でも…


「なんて、聞くまでもないよな。ごめん。話聞いてくれるか?」


「ぇあ?え、はい」


話…


北野先生の話?


「まず、こっからの話は、誰にも言わないと約束してくれ。特に、生徒には」


「…はい。絶対に約束します」


「ありがとう。まず、十六夜先生とは…どんな関係だと思う?」


「え!?」


いきなりそれか…!


秘密にしろってことは…


やっぱり、付き合ってるの…?


「つ、つきあっ…」


「ううん」


「え?」


「十六夜即答やめて?」


「なんだと思う?」


十六夜先生の視線が怖い。


圧がすごい。


と、とにかく付き合ってはないんだ。


なんか、安心した。


「じ、じゃあここに就職する前から知り合っていたとか?」


「あぁ、近いね。正解は教師と生徒という関係」


「へぇ…っえ!?」


「しかもここの卒業生だから。私は貴方たちの先輩よ」


「え!!?」


知らなかった。


初耳だ。


え、でも隠す必要ある?


十六夜先生にメリットある?


「なんで隠してたかって言うと、十六夜先生って…面倒くさがりだから」


「えっ」


「なんか色々聞かれんのだるいから、隠してもらってたの」


十六夜先生ってこんな人なの?


え?もっとおしとやかな人じゃないの?


びっくりしてなんか絶句した。


「それで、まぁ…僕と十六夜の関係は置いといて…後…」


「北野先生の話ですよ」


「あぁー!そう、北野くん!彼は、昔…十六夜が生徒だったときにうちの理科の先生だった人ね」


「その人と十六夜先生に何か深い関係が?」


「私が行った大学、北野先生の出身校でね。色々助けて貰って、卒業後も助けて貰ってたの。彼は博士とるって、大学院に行ったし」


「じゃあ卒業後も交流が?」


「うん。まぁ、色々あって疎遠になったんだけどね」


「疎遠…?」


「それがきっかけで十六夜が傷ついた。だから、十六夜を傷つけた男なわけ」


片岡先生は、どこか憤りを滲ませていた。


でも、どこか自虐的でもあった。


その言葉の中には自分が守れなかったっていう意もある気がした。


「改めて、ごめん。巻き込んで…」


「いや!全然…むしろ、かなりデリケートなこと聞いてごめんなさい」


「…君は悪くない」


いや、元はと言えば私が悪いのに。


なんで、正直に言えないんだろう。


なんで、私は…


今になってまだ片岡先生のこと諦めない気?


私安心してるんだ。


十六夜先生と、片岡先生が付き合ってないって知って…


私にもチャンスがあるんだって知って…


「もう帰ろっか。美萌咲さん」


「っ…」


私は、涙が止まらなかった。


自分でどうしたいんだろうと、生理がつかなかった。


そして、ポケットからハンカチを取りだした。


「?」


「すみません…本当に…私…あのっ…!」


「美萌咲さん、涙を─」


「白銀」


「?っはい…」


「お前、そのハンカチ…どこで?」


「えっ、これは…父が、転勤するときに渡してくれたもので」


このハンカチには、美しい菫の刺繍がされていて、かなり気に入っている。


もうだいぶ古いけれど…


「父…?」


「はい…えっと…」


さっきまでの話の流れとなにか関係が?


いや、たかがハンカチだし…


でも、片岡先生はなんだか青ざめていた。


「…!父親の…名前は?」


「え?白銀…透です」


「な、なんて!?」


「!?」


片岡先生は身を乗り出した。


私の両手を掴んで…


一体…どうして…


きっとさっきまでの私なら喜んだだろう。


愛する人が、自分の手を取ることに。


でも、喜べなかった。


彼が、泣きそうな顔をしているから。


「透さん…透さんの娘…!?」


「え、ちょ、あの…!」


「片岡先生、落ち着いて」


「十六夜…違う、だって…君は…木下ではなかったのか?」


「!」


木下って…


私の母の苗字…


私の旧姓でもある…


「前の苗字です。母の苗字ですので。離婚して、父の姓の白銀に」


「なんで…えっ…君は…」


「片岡先生、話の本筋が見えません。白銀さんがなんなんですか?」


「君の母の名は?」


「木下藍です」


「前の母は?」


「…前?」


「えっ」


片岡先生は力なく手を離した。


驚いて…いる?


「先生、いい加減に教えてください!何がしたいんですか?」


「…ぼくの妹」


「ん?」


「片岡菫…またの名を、白銀菫が君の母だ」


「…え?」


「君は、僕が…探し求めていた姪っ子だ」


「…え?ん?」


「…会いたかった。白銀…いや…美萌咲」


ギュッ


その瞬間、強い力で抱きしめられた。


先生である、私の愛する人に。


でも、先生と生徒以外に関係があるのなら…?


それが…伯父と姪であっても、愛を語れるのだろうか。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


ハンカチを見て気づいた。


あれは菫が大切にしていたものだ。


遺品はある程度こちらに送られていた。


その中には、菫が刺繍した数々のハンカチも含まれていた。


しかし、菫が特に気に入っていたハンカチが送られていなかった。


大方“あの人”…透さんがあえて送らなかったんだろう。


あれを菫のように大切にしているのだろう。


菫が気に入っていたハンカチは3枚ある。


ひとつは、菫が刺繍されたハンカチ。


名前にもなっている菫の花は、菫が気に入っている花のひとつだった。


さらに、あのハンカチは特に刺繍が細かかったことを覚えている。


ふたつめは、黄色のガーベラのハンカチ。


鮮やかではあるが、優しい気持ちと明るさをくれる黄色のガーベラのハンカチは、透さんと付き合っているであろう期間に縫われていた。


きっと、透さんを想って縫っていたことだろう。


最後は…ミモザ。


ミモザのハンカチは、大きく派手に縫われていた。


菫が珍しい方法で縫っていたことを記憶している。


あの子は好きな花が色々あった。


姉の桜のように、凛としていてかつ可愛いから秋桜が好きと言っていたり…


僕のように聡明で、知恵高き人を体現しているからサルビアが好きと言っていたり…


いや、1番は…


ミモザだろう。


うちの庭にもミモザが植えられていたな。


全部菫が植えて育てたものだった。


ミモザを見ていると元気なるとか何とか言ってた。


…そうか。


だから、愛娘に美萌咲とつけたのか。


書類で見たときは、こんな名前つけるなんて親はどうかしてるとも思った。


本当に、どうかしてたよ。


─あんな男と駆け落ちする妹は、どうかしてたよな。


『菫!話を聞いて!』


『透さんとの結婚を許さないなら聞かない!』


『待ちなさい!』


『母さん、やめときなよ』


『桜…あんた味方する気?』


『違う。あいつは昔から、自分が決めたら他人にどう言われても聞かないよ。もう、諦めた方が早い』


『っ…この親不孝者!』


『母さん、落ち着いて』


『健っ!あんたは…あんたは…あんな子にならないで!』


『えっ』


『あんたはうちを継ぐの。教師なんか辞めて!』


『母さ…』


『私が継ぐ。それでいいでしょ?』


『桜…』


『健には教師って仕事がある。私はただの秘書。いつでも辞められるから』


『姉さん…』


『菫のことは、もう…放っておきましょう』


あの日から、僕たち家族は止まっているような気がした。


4歳年が離れている妹が、大学生同士で駆け落ちして…


しかも妊娠しているとか…


どこまでふざけるんだ。


菫…いや、透さんが…


…2人を責めるのはやめるんだった。


そう…思っていた。


─だけど、菫が結婚すると言い放って4年が経とうとしていたとき、ある一報を聞きつけた。


『ただいま…』


パリーン!


『ふざけるな!!』


罵詈雑言と、ガラスの割れる音…


リビングから…?


母さん…一体何を…


『っ…』


ガチャッ


『!透さん…?』


リビングの扉を開けると、ガラスのコップを投げつけられて血まみれの透さんが立っていた。


その目の前には…怒り狂った母さんと、それを止めようとする姉さん…


『何があった?菫は?』


『…健…菫は…』


『…亡くなりました』


『…え?』


透さんの声は生きている人の声とは思えなかった。


きっと、すごく悲しんでいる。


けど、僕は悲しみよりも…絶望が先に来た。


あの子が…死ぬ?


僕たちよりも…先に?


『…原因は…?』


『…っ癌です』


『…は?』


『菫が産んだ子供はどうした!』


『娘は、私の母に預けてきています。それよりも…こちらを…』


透さんは弱々しく血だらけの手で、3通の手紙を僕らに差し出した。


封筒には菫の字で、「健兄さんへ」と書かれていた。


僕は、封筒を開けた。


そこには…


 兄さんへ

久しぶりです。菫です。突然の手紙、どのように手に渡ったでしょうか。本来なら、私が片岡家に行き、直接渡すか、郵送して貴方たちの手へと渡らせたいものです。ですが、最悪の事態であれば、私が死んでから、透さんの手によって渡るでしょう。もし、そうなってしまっていたらごめんなさい。

さて、兄さん。なぜ私がこの手紙を出したのかと言うと、透さんとの出会いを話したかったからです。きっと、もう話せないから。透さんとは、大学のサークルで出会いました。2つ上の透さんはすごくたくましくて、世間知らずな私をいつも守ってくれていたのです。私は、透さんに惹かれ何度も告白しました。しかし、透さんは何度も何度も私を振るのです。とても酷い人です。けれど、もう数え切れない告白をしたなぁと自覚し始めた日、私の告白は彼の心へと届きました。あれほど嬉し涙を流した日はないでしょう。きっと兄さんのことだから、私に引いているのでしょう?それでもいいのです。だから、透さんの子を身篭ったときは、凄く嬉しかった。愛し合える日々は、宝物でした。もちろん、母さんには反対されると思いました。だから、勘当された時は悲しみもしませんでした。透さんは何度も片岡家に行こうとしてくれていたけど、私が止めたんです。納得されなくても、私はそれで良かったから。家族とわかりあえないことは、悲しいです。でも、私には新しい家庭を持つ覚悟がありました。貴方も、きっとそんな人に巡り会えます。いや、もしかしたらこの手紙を書いている間に貴方は結婚しているかもしれませんね。やっぱり、勘当されるんじゃなかったかな。兄さんや姉さんの結婚の知らせは、聞きたかったから。

前に、兄さんのようだからサルビアが好きだという話をしたこと、覚えていますか?

サルビアには尊敬、知恵、などの花言葉がありますが、それ以外にもあります。

それは、家族愛です。私は知恵のある兄を尊敬していて、何よりも家族として愛情深く思っています。貴方の今後の活躍、妹ながら見守っていようと思います。

ありがとう、兄さん。

不出来な妹でごめんなさい。

            白銀 菫


本当に、不出来な妹だよ。


僕より、先に逝ってしまうなんて。


なんて…馬鹿なことをするんだ。


『…ぅ…すみれぇ…!』


『菫…』


『…お義母さん、あの…』


『貴方の…母になった覚えはありません。透さん』


『っ…はい』


『葬式は?』


『準備は進めております、2日後の予定です』


『ふんっ…』


『…ごめんね…とおる…さんっ…本当に…』


『桜さん…あの、僕は…』


葬式のことは、よく覚えていない。


ただ、泣きじゃくる姪っ子の姿だけよく覚えていた。


でも、近づく人は少なかった。


唯一普通に話していたのは、透さんの母親だった。


なんせ、菫の葬式に来ていたのはほとんど片岡の者だった。


白銀の者は透さんとその娘、透さんの母親だけだった。


久しぶりに見る菫は、相変わらず綺麗だった。


母さんに似た顔立ちは、棺の中で笑っているように見えた。


菫の最期を看取ったのは、透さん父娘だけだったらしい。


最期、どんな話をしていたのだろうか。


僕は泣くことさえできなかった。


無力な兄が、どれほどみっともないか。


僕は、噛み締めてきた。



花色に来て、14年が経った4月。


もう妹の声と顔を忘れかけた、そんな日…


姉から1本の電話が入る。


もう僕は実家を出ていたから、家族と会話なんてしていなかった。


そこで伝えられたのは─


母の入院だった。


すぐに死ぬってわけじゃない。


そこに安心はしたが、余命は半年と宣告された。


母が死んだら、片岡家はどうなるんだろう?


幸い、姉は結婚している。


姓は片岡。姉が継ぐ準備もある程度はできてるだろう。


だが、家族だからだろう…


また、菫のときのような絶望感に浸るようになった。


まだ、死んだ訳でもないのに。


僕は頻繁に見舞いに行くようになった。


母は喜んでいた。


昔よりも、性格は柔らかくなっていて、なんだか安心もした。


けど、また菫のときのような思いをするとなると、気分は沈んだ。


母はまだ死んだわけじゃないと笑う。


僕も同じこと思ってるからと笑い合う。


幸福とは、これを言うのだろう。


そして、母は僕と姉の前でこんなことを言った。


菫の死を未だに後悔していること。


死ぬ前に孫を見たいこと。


母さんは菫の死は、父が死んだときよりも印象的だったと話した。


父は交通事故で亡くなった。


それも、子供を庇ったとか何とかで。


だから、どこか自慢になると話していた。


けれど、菫は知らないうちに死んでいた。


それが何よりも辛く、勘当の恐ろしさを知ったとか言っていた。


…菫も勘当されなければとか何とか言ってたなと思いつつ、話を聞いた。


そして、孫の話を聞いた。


桜に子供はいない。


無論僕は結婚さえしていない。


つまりは…


菫の子供しかいない。


その子に会わせれば、母の気持ちも変わるかもしれない。


死ぬ前に後悔は減らしてあげたい。


僕と姉はそんなことを話した。


とにかく、菫の子を探そうと僕らは情報を集めた。


そして、集まった情報は、姉からのもの。


菫の死から1年経たずして、再婚したこと。


再婚相手の姓である木下になったこと。


そして、逆算して年齢は16歳ほどであること。


だが、住まいに検討をつけて行くが、木下が住んでいるなんて話は聞かなかった。


さらに言えば、透さんの居所もわからなかった。


あの人さえ見つけられれば、とも思ったが甘くなかった。


しかし、目の前にいるな。


菫のハンカチを持ったこの子が。


白銀美萌咲。


菫の…一人娘が。


「く、苦しい…です。片岡先生…」


「!ごめん。舞い上がってしまった。とにかく、明日の放課後空いてるか?」


「えっ」


「片岡先生!生徒ですよ相手!」


「その前に僕の姪だ!」


「上にバレたらめんどくさいですから!」


「うっ」


それは一理ある。


なんなんだこの学校!とさえ思うが。


一応…女子校だしな。


「はぁ、もうわかりました。上には内緒にするんで、極秘でやればいいんじゃないですか?」


「え?」


「昨日言ってた、お母様のお話でしょ?大方覚えてます」


「あ、そうだ。君には話したんだ」


「上には内緒にするから、2人も気を抜かずに」


「え、でも…部活…」


「明日は休んで、たまには先輩を見習って」


見習うべきはそこじゃないんだが。


…確かに、美萌咲には何度も菫の面影を感じた。


初めは確か…


温室の前でたむろしていた美萌咲を見つけたとき…


そして次は…


授業中、視線を感じるなと思って見たとき…


なんで気づかなかったんだろう。


確かにん?と思ったタイミングはあった。


白銀という苗字は、あの忌まわしき透さんの苗字。


珍しいは珍しいけど、まさかなと思った。


第一、今は木下なわけで…


勝手に納得しちゃってたんだな。僕は。


「じゃあ明日、この病院に来て」


僕はスマホで病院の名前と住所が書いてあるサイトを出した。


「何時頃ですか?」


「僕が終わるのが18時だから…18時半にはいて欲しい。あ、場所わからないなら一緒に行くけど…」


「えぁっ!?えっと…んー!大丈夫です!駅からも歩いて行ける距離だし!」


「?そっか。じゃあまた明日ね」


「は、はーい!帰ります!先生!」


なんか、最後の方様子おかしかったな…


明日、母に会わせてあげれば…それで…


僕は、ひとつの目的を達成できるだろう。


「ふふ」


「なに?十六夜」


「先生、幸せそうだったから」


「君も来るか?あ、いやその…」


僕も変だな。


突発的に言ってしまったから…


「私は大丈夫ですよ。先生のご家族ですから」



そう…だよね。


僕もいい加減夢見るのはやめようか。


彼女に縋るのも…ね。


だけど、美萌咲を見つけられたのは幸運だった。


あと探さなければいけないのは…


北野くん。


「絶対見つけるからね、北野くん」


「!えぇ、先生…ありがとうございます」


十六夜を傷つけた代償は大きい。


そして、十六夜は僕が守る。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「ごめん!今日部活行かないで帰る!またね!叶!心菜も!」


「?どうしたの?美萌咲」


「さぁ?」


どうしよう…


どうしよう…


どうしよう…


それよりも、いきなり…え?


母さんは、本当の母さんじゃなかったの?


父さんはなんで黙っているの?


でも、なんか腑に落ちたところもある。


おばあちゃんによく言われたこと。


“お母さんによく似ているね”と。


私は母と似ている点なんて見つけられなかった。


もちろん父にすごく似ているかと言われるとそういうわけじゃなかったし。


両親と私で並べばお父さん似だねと言われることしか無かった。


でも、おばあちゃんだけはそう言い続けてくれた。


知っていたから、そう言ってくれたのかな。


私のお母さん…本当にお母さん…


どんな人だったんだろう。


もっと片岡先生に聞くべきだった。


てか!それよりも!


服!どうしよう!


下手な服では行けないし…


先生に私服見られるんだよ?私!


もっと危機感持って!


そんなことを考えていたら家に着いた。


どうしようやばいやばい…


本当に!服…!


襟付きのトップスにスカート…かな。


いや、さすがに女の子らしすぎる?


もっと清楚な感じで…


あ、そういえば、おばあちゃんの部屋に、いくつかおばあちゃんのものではないような服があったような…


ごめん、漁っちゃうね。


おばあちゃんの部屋のクローゼットには、まだ片付けきれてないおばあちゃんのコートなどがかかっている。


だけど、3割ぐらいは…若い女の人のワンピース…?かな?


ちょっとお高そう…


タグを見ると有名ブランドの名前が書いてある。


これ、絶対おばあちゃんのではないから…


私の、本当のお母さんのもの?


でも、なんでここに?


前のお家にはなかったはず。


おばあちゃんの家に置いとくなんて…


私に勘づかれないように…?


父さんはそこまでして隠したかったのかな。


いや、そんなことよりも…


綺麗に保管されていたから、着れそうだな…


それにしても、本当に綺麗な服…


私はその中でも、薄紫色のキレイめなワンピースを手に取った。


上着は薄めのカーディガンで…


うん、いい感じかな。


お母さん?借りていきます。


…父さんに、ちゃんと聞きたい。


でも国際電話は…お金がかかるし…


どうすれば…


って、もう出なきゃ!


約束の時間より早く着いていたいし…


私は慌てて電車に乗り、病院に向かった。


そして、18時半頃…


「…美萌咲」


「!」


ドキッとした。


まだ慣れないな…


下の名前で呼ばれるの…


「ごめん、待たせて」


「い、いえ!」


「?そのワンピース…」


「んぇ?あの…」


「ふ、菫が好きそうだなと思っちゃった」


あ…


見たことの無い笑顔だった。


先生はいつも口角をほんのりあげて微笑んでいたイメージだった。


なのに今のは歯を見せてハハッと笑っていた気がした。


「じ、実はこれ…祖母の部屋に大切に保管されていたもので…おそらく…お母さんのものかと…」


「そっか。よく似合ってるよ…可愛い」


「ふぇっ!?」


ダメだ今日…


本当に…私は…


おかしくなりそうだ…


「面会の片岡です」


「片岡様ですね。はい、いつものお部屋にどうぞ」


いつも来てるのかな。


片岡先生は、1階の1番奥の部屋に行った。


ここって、所謂お金持ちしか入れないような部屋じゃ…


コンコン


「入るよ」


ガチャッ


「!母さん、健来たよ。それから…!」


「!あの、初めまして。菫さんの娘…?の美萌咲と申します」


私はとりあえず頭を下げた。


まだ、本当に娘かどうかはわからない。


でも、この人たちの目は…


さっきから片岡先生からも嫌という程聞く…


“似てる”の目だ。


「…あはは、一瞬菫かと思った。美萌咲ちゃん…初めまして。菫と健の姉である桜だよ」


「桜…伯母様…」


「そして、ここで寝ているのが…私たちと貴方のお母さんのお母さんよ」


この人が…


なんだろう、すごく綺麗な人だ。


きっと、かなりご年配のはずなのに…


わぁと声を上げてしまうほどだった。


「…はじめまして、お祖母様…美萌咲です」


「…あなたが…菫の娘?」


「はい。そう聞いております」


「…孫に…会えて…良かった」



大粒の涙をポロポロと流す姿は、どこか美しくも感じた。


いや、見たことあるのかもしれない。


─昔の記憶。


黒い服を着ている人たち…


女の人…棺に向かって泣いてる…


あ、この人が…


お祖母様。


お母さんの棺を見て…泣いていたんだ。


私自身泣きじゃくってて、ほとんど覚えてなかったのに…


そのときから、綺麗って思ってたのかな。


「…美萌咲と言ったね」


「はい」


「ふ、あの子がつけそうな名前だ」


「…確か、父方の祖母から聞きました。名付け親はお母さんだよ…と。今思えば、そのままの意味だったのかなと」


「そのまま…?」


「あ、その!菫さんがお母さんであることを知ったのは昨日だったんです。それまでは、父の再婚相手の人を母親だと思ってて…」


「…なるほど。透さんが考えそうなことだ。私がしてきたことを…考えれば…当然だ」


「え?」


「私は彼にガラスを投げたことがある。それと同等なこともしたさ。彼は一度も泣かなかったよ。怒りもしなかった。きっと、私が彼にしたことをお前さんにもすると思ったんだろうよ」


「…なるほど…」


父さん…


そんなことを…


「私は…女手1つで、長年この子達を育ててきた。あんたの母親もね。そして、うちの企業を継がせることだけを考えてたんだ」


「企業?」


「夫が起業した会社でね。かなりの不動産とかを持っていたから、私が継いだのさ。最初は踏んだり蹴ったりだったけど、優秀な部下に恵まれてここまでやってこれた。だから、旦那と私が死に物狂いで強くしたこの会社を潰す訳にはいかなかった。そしたらね…菫が、継ぐ言ってくれたんだよ」


「!」


「菫は、経営学を学ぶために大学に行った。ほんっとに優秀だった。菫に言われる前には、長男に継がせることも考えたんだがね。菫の熱意に負けたよ」


長男坊…


片岡先生のことか。


「だけど、あの子はあんたを身篭ってきた。大学で、あんたの父さんと出会ったみたいでね。私は…そりゃあもう怒り狂った。我が子の幸せよりも、会社のことが一番だったからね」


「…お気持ち、なんとなくですが…察せられます」


「…結局、会社を継いだのは…ここにいる桜だった。それ以来、菫には会えなくなったよ。私が勘当したからね」


なんだか、お母さんの気持ちが…わかってしまう。


もちろん、お祖母様の会社を大切にしようとする気持ちもわからなくない。


まだ16歳にもなってないけど。


それでも、お母さんは…幸せになりたかったんだ。


父さんと出会って、幸せに…なりたかったんだ。


お母さんの幸福って…


父さんと私と…家族と幸せになることなんだ。


「…あの子の幸せ…幸せだったかい?あの子」


「えっ」


「ふふ、今あの子の幸せを考えていたんだろう?」


「…よく…わかりましたね」


「あんたは孫だ。それぐらいわかる。あんたの記憶の中の菫は…幸せなのか?」


記憶の中に、お母さんはいない。


でも、気づいた。


夢に出てくるあの女の人…


ミモザの花言葉を語っていたあの人…!


「…私、お母さんのこと…本当に覚えていなくて…」


「…うん…」


「ただ、夢の中で会ったんです。お母さんと」


「なんて…言ってた?」


「ミモザみたいに明るい花で、頼られるような人になってね…と」


その言葉を言うと、お祖母様の顔には再び大粒の涙がこぼれていた。


「っ…ぅ…ふっ…あの子…小さい頃言ってたのよ。美しく咲くお花、ミモザのような子供を育てたいって…」


「!」


「貴方、菫の元に…産まれてきてくれて…ありがとう」


「…お、おばあさ…ま…」


私も涙がこらえきれなかった。


桜伯母様も、そして片岡先生も…


皆で、泣いた。


面会時間が終わって、私は片岡先生の車に乗った。


「…あの、先生…」


「せめて学校じゃない場所は…先生と呼ばないでくれ。君は、僕の姪だから」


「!えっと…健伯父様…!」


私が勇気を振り絞ってそう言うと、彼は笑った。


泣いた目は赤いのに、彼はくしゃっと笑った。


「美萌咲、透さんとは?」


「海外にいるから、全然…」


「そっか。透さんは…菫のこと覚えていてくれてるのかな」


「…覚えていると思いますよ。父さんは、ガーベラのハンカチを使っていたので」


「…え?」


私は、昔からの記憶を辿った。


昨日の菫のハンカチ。


あれとガーベラは、同じ人が作ったという話を父さんがしていたことを思い出す。


「…きっと、お母さんが作ったであろうガーベラのハンカチを、父さん大事にしてたんです」


「…そっか。ねぇ、ミモザの花のハンカチは?」


「ミモザ?え?」


見たことがない。


刺繍されたハンカチはその二種類で…


「…あ、でも…!」


私は呼び起こされる記憶に触れた。


棺。


目の前で眠る女性。


私に問う声。


私は手に握っていたビショビショのハンカチを入れた。


バイバイと手を振った─


「…棺」


「え?」


「葬式のときに、棺に入れたかもしれません…!」


「…そうか。ふ、菫は幸せだろうな。ちゃんと墓参り行かなきゃ」


「そうですよ!てか、私は行った記憶ないんですけど…」


「今度行こう。僕でよければ連れていくよ」


この人は、私の愛する人。


なのに突然、私の伯父になった。


この恋心は秘めておこう。


来る時が来るまでは─


まるでミモザのように。

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