アルフォンソとジェローム
第97章
『知り合いの若い修道士が聖金曜日の次の金曜日の晩にローマ近くに到着する予定になっている。おそらく疲れているだろうから、一晩だけ泊まらせてあげてくれ。無理を言って申し訳ないが、私が翌朝早くに彼を迎えにいくまで応対して欲しい。』
一年以上も無沙汰をしていたアルフォンソからの手紙を読んで、エレノアの母は「もしかしたらアルフォンソと朝食くらいは一緒にとって話す時間くらいあるかもしれない」と微かな期待をして修道士を迎える準備をしていました。
彼がヴァティカンでどんなことをしているのか、フィリップは元気でやっているのか、エレノアはどうしているのか、聞きたいことはたくさんありました。会いに来てくれることも稀で、筆無精なアルフォンソに文句や愚痴を言いたいところでしたが、正式に婚姻関係にあるわけでもない自分を見捨てずに生活を保障し続けてくれているだけで、アルフォンソには心から感謝すべきだわかっていたので、少しでも彼の役に立ちたい、と彼の頼みには誠心誠意尽くすつもりでいたのです。
いわゆる「一夜の出来事」で始まったアルフォンソとの関係でしたが、まだエレノアが幼子の頃は、何度かヴァティカンまで連れて行って法王様に会わせてくれたり、良家への養子縁組を結んでくれたり、ヴァティカン入りしたフィリップのことを見守ってくれたり、といつまでも家族は必気遣ってくれるアルフォンソのことは全面的に信頼していました。
手紙で知らされたとおり、春まだ浅く、まだまだ朝晩は冷え込む日に、痩せた身体にぶかぶかの修道衣をまとい、居心地の悪い様子のとても若い修道士がやってくると、エレノアの母はすぐ家の中に招き入れ、暖をとるようにすすめました。フィリップより少し年上くらいの、まだ修道士に成り立てなのか、修道衣にも慣れない落ち着かない様子に母性本能が戻ってきたような気分になり、あれやこれやと我が子のようにお世話をしてあげたくなったのです。
当時のジェロームは、両親を亡くし、一人で力仕事や、場合によっては高位の人間からの裏仕事を請け負って暮らしているような状態でした。ある程度の収入のある商人の家庭に育ったため、読み書きと計算を習い、少年のころから父の仕事を手伝って一緒に商用の旅に同行することもあったので、商売の基礎は学んでいたのですが、早くに父親を失って、その負債を背負うこととなり、やがて母も亡くなって後ろ盾を失い、それからは「金になるなら」と危ない仕事も請け負っていました。
このときはちょうど、そんな仕事の一つからマリアンヌと出会い、怪我を治療してもらって、その傷が回復したころだったのですが、以前の仕事で雇い主から裏切られて以来、身の危険をより敏感に感じるようになっていたのです。
そんなジェロームでしたから、エレノアの母からの暖かい歓待に面食らいながらも、今回の仕事を最後に、こんな裏稼業は今回で辞めて、まっとうな仕事に戻ろうと考えていたのです。
翌朝、思った以上に早くアルフォンソがやってきたので、エレノアの母は朝食の準備がまだ出来ていませんでした。慌てているエレノアの母の様子を見て、アルフォンソ神父は優しく話しかけました。突然の事で迷惑をかけてすまなかったね。フィリップは元気でやっているよ。秘書館長様にとても気に入られて、ひょっとしたら将来は枢機卿様になるかもしれないね。
そんな話をしていたところ、二階の客間から若い修道士が降りてきました。その鋭い目つきを一目見て、アルフォンソは、この男は修道士に変装した何者かに違いないと感じ、修道士に変装していたジェロームも、年配ながら鍛え上げられた肉体と、聖職者には似つかわしくない立派な剣を持つアルフォンソが単なる神父ではないと確信しました。お互い初見で相手をすぐに警戒したのです。
「一刻も早く彼を家から遠ざけなければ」そう反射的に感じたアルフォンソは朝食を食べずに、すぐに出かけるが問題ないか、と若い修道士に声をかけました。
「あら、そんなにお急ぎなのですか? ではせめてこれをお持ちになって。途中で食べてくださいな。」
エレノアの母は、朝食を包むと麻袋に入れて二人に渡しました。
そのまま無言で二人はエレノアの母の館をあとにしたのでした。
修道士に化けていたジェロームは、この館の中で荷物を受け渡すものと考えていたので、「これは、悪い予感が当たったかもしれない」と一層警戒しました。実はこの運搬の仕事を請け負った時、今までの裏仕事の経験から、念のため運搬荷物の中身をこっそり確認していたのです。中身を調べるなど、雇い主に知られたらどういう目に会うかわかりませんが、それより今回の仕事は何か相当危険なものではないかと感じていて、荷物の中身は印璽、それもかなり高価な王侯貴族クラスが用いるレベルのものだと理解していたのです。生活のため受けた仕事とはいえ、とんでもない陰謀が裏にあると直感したジェロームは身の危険を感じ、修道衣の下に、短剣を隠し持っていました。
果たして、待ち合わせた館から出てしばらく無言で歩いた後、立派な剣を持つ神父から、人通りの少ない小道で「持ってきた荷物を確認したい」と言われ、ジェロームの心は決まりました。印璽の入った箱を包んだ麻袋を開ける振りをして、降りかかってきた剣をかわして、麻袋をわざと落とし、短剣を手に身を引いて構えたのです。
年配の神父は、落とした麻袋をつかんで、それ以上襲うことなく、近くの立木の裏に隠してあった馬に飛び乗り、去っていきました。
「潮時だな。」
そうジェロームはつぶやくと、その場で余計にかぶっていた修道衣を脱ぎ捨てました。そして、どこかの港に行って船乗りにでもなろうと歩き出したのです。
荷物の中身を知ってしまった時から、うまく受け渡しができたところで、口封じの為に殺されることになっていたのだろうという疑念は確信に変わっていました。このまま賃金の支払いを求めて雇い主の元に戻るのは自殺行為、身を隠して、雇い主の目の届かないところに逃亡して人生をやり直すしかないと分かっていたのです。
突然襲われたにもかかわらず、ジェロームはあの神父に対して、若干の同情と憐憫の気持ちを感じていました。
-あの神父も、どういう事情か分からないが、多分脅されて、こんな仕事をやらされたのだろうな。とどめを刺さずに去っていくとは、殺しのプロの仕事とは思えない。なぜ一介の神父があんなに立派な剣を持っていたのか知らないが。宝石も象嵌された、かなり価値のあるもののようだった。あんな宝剣のようなものを持ち歩くとは、下っ端な者などではなく、相当な家柄の出身だろうに。何か弱みを握られたのだろうか。まあ、俺には関係ないことだが。
しかし、結局は彼も左遷されるか、下手したら始末されてしまうのだろうな。印璽を奪い取ることはできなかったのだから・・・。-
ジェロームが落とした麻袋の中身は、今朝エレノアの母が用意した朝食の包みでした。
スピンアウト作品『ジェロームの半生』
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