結婚式
第92章
身内だけのささやかな結婚式にしたい、というジュリエットの望み通りに、ロバートとジュリエットの結婚式は、かつてエレノアとその母が暮らした司教館近くの、こぢんまりとした小さな教会で執り行われることとなりました。ささやかな、とはいっても司祭は法王が行うことにより、秘書館長レオナルドの政治的な配慮で、参列者の中には神聖ローマ帝国皇帝、サンマルコ共和国元首も招待されたのです。
実際はそれぞれ名代が出席ということになるとはレオナルドももちろん予測済みではありましたが、もしリッカルドが存命中であれば、本人は出席したかったでしょう。
ジュリエットがかつてヴェネツィア共和国元首の養女としてキプロス王の元に嫁いだという過去は身内だけの極秘事項であったため、レオナルドはあくまで花婿であるロバートの主賓である神聖ローマ帝国皇帝代理とバランスと格式を合わせるために、招待したのですが。
フィリップは結婚式の1ヶ月前にジャンカルロとカルロスにあてて手紙を書き、司祭として自分が結婚式を執り行うこと、そしてジュリエット自身から打ち明けられたことを知らせたのです。エレノアの遺言に書かれていた秘密、それをずっと自分が知らないままだったことへの後悔も書き綴られていましたが、ジュリエットに司祭をお願いされたことで私は救われたのだ、とも書かれていました。
『もっと若い時に事実を知ったら、きっと自分が許せなかっただろう。しかしジュリエットは素性を明かさずに自らヴァティカンにやってきて、私の召使いとして尽くしてくれた。
いまはただ、父親として彼女の望みをかなえてあげたい。』
いつも通り、妻ソフィーに聞かせながらフィリップの手紙を読んでいたジャンカルロは、読み終わった後、しばらく黙り込んでしまいました。
ソフィーはジャンカルロが考えに耽っている様子に、何かも話しかけられずにいるとジャンカルロは深いため息をつき、『ああ、これで私も、私の失敗も救われたかもしれない』とつぶやきました。
「あなた、あの頃、ひどく後悔なさっていましたわね。あのエレノア様からの遺言書を、ご自分で直接カルロス殿に手渡さなかったことを。」
「マリアンヌから遺言書を、あの大切な母の最後の言葉を、自分自身で直接カルロス殿に届けなかったせいで、亡き宰相殿の部下、フォーフェンバッハの手に渡ってしまった。ジュリエットの存在を政治的に利用されたらまずいと焦っていたが、皇帝陛下からの密命で、宰相の印璽偽造の捜索をしていたとき、宰相の息子であったロバート殿から、たまたま母の遺言状を返された。あれには驚いたな。ただそこでロバート殿からフォーフェンバッハがかつて宰相の正妻、ロバート殿の母上であるドロテア様を殺害したという悪事を明かされ、復讐に協力してほしいと頼まれたのには、正直とても困惑したよ。」
「そのフォーフェンバッハの手によってフィリップ殿が幽閉され、洗脳されてしまったというのも恐ろしい運命のいたずらでしたわね。」
「あの頃は、本当に問題だらけで、辛い時期だったな。ロバート殿はまだとても若く、感情のままに走ってしまいそうだったが、心根のまっすぐな信頼できる人物だったのは幸いだった。」
「フィリップ殿がヴァティカンに戻られても私たちを信用してくれなくなっていて・・・困っていたときにマリアンヌ様が誤解を解いてくださったのですよね。」
「ああ、そうだった。病弱だった少年ロバートを根気よく治療して立派な青年にしたのもマリアンヌだし、修道院で育ったジュリエットの親代わりとして愛情をもって教育して導いたのもマリアンヌだ。はじめは父の愛人の性悪女だと思っていたが、マリア殿の出産に立ち会ったときに、母も彼女を認めて心を許していたのだった。あのリッカルドが信頼している女性だけのことはあるな。それにしてもそのロバートとジュリエットが結婚とは、運命とはわからないものだな。」
「あなただって、この結婚を手助けした大きな功績があるじゃありませんか?」
「私も二人の幸せのために何かしてあげられたことがっただろうか? フィリップのようにドロテア様に指輪をロバートに届けてあげたこともないし、ジュリエットのそばにいてあげたこともない・・・。」
「ロバート殿に、フォーフェンバッハへの復讐を思いとどまらせたことよ。『自分が幸せになることが相手への最大の復讐だ』って。あの言葉がなかったらきっとロバート殿は自らフォーフェンバッハに手を下し、お父上である宰相殿との関係が悪化し、何の後ろ盾もなく家を追い出されてしまっていたでしょう。ましてや、今のような皇帝陛下の側近の一人となるような出世をされるなど、夢物語になっていたでしょうに。」
「ロバート殿が思慮深い青年に成長してくれて本当に良かった。天国にいる母もドロテア様も心から喜んでいるだろう。それにしても、あれだけ必死にジュリエットの出生の秘密をフィリップから隠そうとしていた私やカルロスの姿を天国から見て、どう思っていたのかな。」
「ふふ。さぞや心配で、やきもきしていたことでしょうね。」
式の前日、ジュリエットと二人だけで話ができるようにと、ソフィーが配慮してくれたので、そのときマリアンヌは、リッカルドを看取ったときのこと、ジェロームが無事であること等を話し、そしてマリアから託された結婚祝のレティセラの飾り襟を渡しました。
「これを明日の婚礼衣装につけましょう。これであなたを産んだマリア様も式に参列できるわ。」
「はい。でも私を育ててくださった本当のお母様はマリアンヌ様と、私は思っております。マリアンヌ様、今まで私を慈しみ、導いてくださって、本当にありがとうございました。」
改まってジュリエットからそう言われて、マリアンヌは初めて、ああ、ジュリエットの存在が私の人生を支えてきてくれたのだと悟ったのでした。
「ジュリエット、私からのお祝いも受け取ってくれるかしら? もともとこれは、あなたが受け継ぐべきものだったのよ。」
それはかつて、マリアンヌの母がエレノアから、幼いマリアエレナの治療のお礼にいただいた、珊瑚のネックレスでした。
そしてマリアンヌは幼いマリアエレナを治療したときのこと、そしてマリアがジュリエットを出産したときにも、このネックレスを安産にお守りにしたことを、ジュリエットに初めて話したのです。
「このネックレスには、みんなの思いが詰まっているわ。あなたのおばあ様のエレノア様、叔母にあたるマリアエレナ様、あなたを産んだマリア様、そして私。みんながあなたの幸せを願っているのよ。」
「こんな・・・こんな素晴らしい贈り物はありません。」
「この珊瑚のネックレスをかけて、ジェロームから贈られたピンを頭に飾り、ロバートから贈られた指輪をつけて、フィリップの祝福を受けてね。ふふ、なんかみんなよってたかって、あなたを幸せにしようとしているみたいね。」
「ありがとうございます。本当に幸せ過ぎて・・・。ロバートもフィリップ猊下から届けていただいたドロテア様の指輪を着けて式に出るそうです。」
「実はね、ジュリエットから婚約の報告を聞いた後、亡きエレノア様の夢を三日続けて見たの。とても居心地のよい四阿で、楽しくお話しているのよ。内容は良く覚えてないのだけれど、もうお一人、上品そうなご婦人と三人で指輪の話をしていた気がするわ。何かとても穏やかで満たされた気分だったわ。あれはきっとドロテア様だったのね。」
結婚式当日、秋晴れの朝、心から二人の門出を祝福する親戚縁者に囲まれたジュリエットの姿に、マリアンヌは涙が抑えられませんでした。
「マリアンヌも歳をとったな。涙腺が緩んできたんじゃないのか?」
久しぶりに会ったカルロスからのからかいに言い返せないほど、マリアンヌは心の底から嬉しかったのです。
花嫁の母親という立場としては,ソフィーがその役割であったので、マリアンヌは目立たぬようにしていたのですが、体調が悪く参列できない生みの母マリアに式の様子を報告できるようにと、少し離れたところから、新郎新婦の様子を眺めていました。そして心の中でそっと『エレノア様、今度こそ本当に約束を果たすことができました。』とつぶやいていたのです。




