処刑
第90章
手術の経過も良く、体調は万全とはいえないまでも立ち上がれるくらい回復したジェローム王は、フォスカリの部下に変装して王宮戻りました。
迎えた“左腕の”副官、イブン・アブゥ・カビルに対し、フォスカリは「キプロス王殿のご体調はいかがですか?」と演技をしてから、3人で中庭にある泉の前の密談場所に移動しました。
早速副官のイブン・アブゥ・カビルが早速話を切り出しました。
「殿下、ご指示通り、こうして王宮にお戻りいただくまでに、私がコンスタンチノープルに事情説明と、スルタンの弟の状況を確認し出かける準備を整えました。明日出発することになっております。キプロス王宮内は、私を含め王の側近3名以外は王が船上で負傷し、王宮内で治療をしているということになっております。フォスカリ殿、他国に対してはそのような内容で口裏を合わせていただけないでしょうか?」
「それは構いませんが、事件の翌日に、副官殿の遣いとして我が商館にやってきた人物は、側近のお一人ですか?」
「その節は失礼いたしました。王を救助して頂いたのかどうか念のため確認に行かせました。フォスカリ殿が救護された人間の名を隠しかつ、すぐに王宮への帰還を拒否されたので、王が無事保護されたと確信いたしました。また王宮内の情勢を怪しんでいらっしゃるご様子でいらしたことからも、まだ王の容態が事情を説明できるような状況ではないことも察しましたので。こちらとしましても、どこかにまだイエニチェリの別動隊が潜んでいるかもしれないと疑っている段階でしたので、下手な動きをとることは控えておりました。」
「ということは、イエニチェリの別動隊は始末できたということか。」
「殿下、そもそも別動隊と呼べるほどの人数はおりませんでした。島に潜入していたのは連絡係の2名ほどで、先鋭部隊は船を乗っ取り全員コンスタンチノープルに向かったようです。」
「それは手薄なことだな。ということは、コンスタンチノープルでは私の生死はまだ不明ということになっているのだな。」
「はい、おそらくイエニチェリを動員したからには、スルタンの弟は殿下を始末したと主張しているはずですが、今のところコンスタンチノープルでの動静がわかりません。」
「では,予定通りにすぐ出発してくれ。」
「御意。これにて失礼します。フォスカリ殿、今飲み物を運ばせますので、どうぞそのままで。」
ジェローム王と“左腕”の副官のやりとりを聞いていて、ふとフォスカリは恐ろしい考えが浮かんできました。、-いや、まさか、もしかすると・・・・-
副官が立ち去ってすぐ、フォスカリはジェローム王に問いただしました。
「ジェローム殿、このような事態となる可能性を事前に想定していらっしゃったようですが、一体いつから準備を始めておられたのですか?」
スルタンの弟がキプロスを我が物にしようと狙っている、という噂はしばらく前からフォスカリの耳にも届いていました。自己主張ばかりであまり思慮深くないと思われる弟にスルタンが手を焼いているという噂も。もしや、キプロス王は裏でわざとスルタンの弟をそそのかして無理矢理暗殺を企てるという軽率な行動を取らせるよう誘導していたのではないか。さらに言えば、その計画をスルタンと共謀していたのではないか・・・。
フォスカリの胸の内を察したジェロームは、口端に微かに笑みを浮かべて、こう答えました。
「スルタンにとって価値があることはどういうことかと考えただけの話だ。生き抜く為には、多少の代償を払わねばならない。」
「左腕を失っても、その代わりは用意してあったわけですね。お見事です。」
マリオ・フォスカリは改めてジェロームの手腕に感嘆すると同時に、母国へ警戒連絡をしなければと悟ったのでした。
ヴェネツィア商館に戻ってから早速、フォスカリは2通の手紙を書き上げました。一つは母国への通信。もう一通は、ヴァティカンの秘書館長レオナルドへの宝剣に関する手紙。
その手紙を出して半月ほどたったころ、フォスカリは2通の極秘通信を受け取りました。一つは母国ヴェネツィアの十二人委員会からの正式召喚状で、元首リッカルドがついに危篤状態に陥ったため、次期元首の選出のために至急帰国するようにとの指令、もう一つはコンスタンチノープル駐在のヴェネツィア大使からのもので、キプロスから事情説明に来たイブン・アブゥ・カビルの進言で、スルタンの弟が反逆罪の咎で密かに処刑されたらしい、という情報でした。




