義父との関係
第9章
ジャンカルロの帰宅後すぐ、ソフィーはフランソワの来訪を伝えたのでした。
「なんだって?また父上がいらしたのか? どんなご用で?」
「それが、とくに何もおっしゃらないのよ。あなたへの伝言を承りますと申し上げても、何もないというの。でもなんだか、何かを打ち明けたそうな雰囲気を感じたわ。じっと私の目を覗き込んだりするのだもの。とても真剣な表情で。そろそろマリアエレナに、お母様を解放してあげなさいというべきかしら? もう3ヶ月近くになるでしょ。マリアエレナはすっかり元気になっているし。」
「父と母の仲は、私たちが結婚する前から微妙な状態になっていたんだ。でもお心を正されたのかもしれない。母には直接言い出せなくて、君に仲介を頼もうとしていたんじゃないかな。父上には、私から会いにいって、お気持ちを確かめてみよう。」
「私も、マリアエレナにそれとなく仄めかしておきますわ。ちょうど明日、アランを連れてここに来ることになっておりますので。」
「では私も明日の午後にでも父上のところに伺ってみよう。」
その頃、マリアエレナは、カルロスに愛され、アランも生まれ、ソフィーともジャンカルロとも親しく付き合い、エレノアとエドモンにも守られて、親しい人間と本当に幸せな日々を過ごしていました。だからこそ、たったひとつの心配ごとが気になって仕方がなかったのです。それはフィリップのこと。今は兄弟として、彼への深い愛情はずっと続いていたのです。彼が苦しんでいたり、悩んでいたりするときは本能的に気がつくのは、双子ゆえの本能かもしれません。ジャンカルロの婚礼が決まってからは、親族のなかで唯一、法王側に残ってしまったフィリップが心配でならなかったマリアエレナは、二人が別れて以来はじめて、フィリップに手紙を書き、それからへ二人はひそかに手紙のやりとりを続けていました。あの3人の会合のあと、夫カルロスからは、必要最低限の事情を聞かせてもらっていましたが、そのあとのフィリップの手紙から、さらにその後の詳しい経緯を知ることができました。もしかして、このとき一番事情に詳しかったのはマリアエレナだったかもしれません。
カルロスは、これ以上マリアエレナが巻き込まれないように、あまり多くを語らなかったのですが、カルロスはマリアエレナに、理由は言わずにマリアエレナの後見だった皇帝の姪を通じて、できるだけ早く内密に皇帝と私的にお会いする機会をいただけないか、依頼するように、と言いました。
マリアエレナがすぐ依頼すると、ジャンカルロと皇帝の姪の娘ソフィーが住む離宮が会見の場に指定され、表向きはあくまで母が結婚した娘を訪問するという親族間の集まりのような演出をすることとなりました。要するに、マリアエレナがソフィーのところ来るのは、その事情説明のためだったのです。
そんな計画が立てられていた頃、フランソワの真意を確認するために、朝早くジャンカルロはフランソワの城へと向かおうとしたところ、突然皇帝からの急の呼び出しを受け、宮殿に出仕してから向かったので、フランソワの城に着いたときは、すでにフランソワは、逆にジャンカルロの城に向けて出発してしまったところでした。下僕は、行き先を主人から告げられておらず、「今日中にお戻りの予定です」とだけジャンカルロに告げました。このまま待っていようか、今日のところは戻ろうかと思案していたところ、見覚えのある婦人が部屋に入ってきて、愛想よく話しかけてきたのです。
「ジャンカルロ、お久しぶりですね。ご結婚のお祝いを申し上げるのが、こんなに遅くなってしまって。でもきっとお許しくださいますわね。」
声をかけたのはマリアンヌ。とまどうジャンカルロ。
「あなたがいらっしゃった理由は、見当がついております。お父様との関係でしょう?ご安心くださいな。私は、もうお払い箱ですの。お父上から、それなり補償はいただくことになりましたので、叔母のいるヴェネツイアに戻り、静かに暮らしたいと存じます。あなたに不快な思いをさせてしまった張本人ですから、何を申し上げても、わずらわしいだけと存じますが、あなたに最後に安心していただきたくて、思わず話しかけてしまいました。」
「そうですか。」
思いのほか簡単に、しかも望んだ方向に状況が進んでいることがわかって気をよくしたジャンカルロは、ついマリアンヌに優しい態度をとってしまいます。
「父が帰ってくるまでの間、話し相手になっていただけませんか?」
一方、フランソワは、よもやジャンカルロが自分を訪ねるとは思わず、彼が不在と思われる午後にやってきました。ちょうどそのとき、ソフィーはマリアエレナとの昼食のおわりに、まさしく最近のフランソワの行動を話していたときでした。
「フランソワ様がいらっしゃいました」
との召使の口上に、その場にいたマリアエレナは
「私、隣の部屋で控えておりますわ。もしあなたのお話が本当だとすると、私がその場にいては、父は気まずくなって、また切り出せなくなってしまうでしょう。」
といい、すぐ隣室に下がりました。ただ、会話が聞こえるように戸は少し開けて。
ただ、隣の部屋から、フランソワを歓待するソフィーの様子をうかがっていたマリアエレナが耳にした会話は、彼女の予想と全く違うものだったのです。
要するに、ジャンカルロとその妻、さらにマリアエレナがその日知ったことは、事実も推測も含め、究極的には同じことでした。フランソワが、愛人と別れる決意をしたこと。許されないことだが、彼は今ソフィーに心を奪われていること。確かにソフィーはジャンカルロの妻だが、フランソワ自身が、ジャンカルロとは血のつながりがないと信じていること。しかし今は、親族たちのために、エレノアと一緒に暮らすつもりであること。
シャンカルロは父の帰りを待たず、フランソワもジャンカルロと会わないように、それぞれの城に戻りました。ジャンカルロ、ソフィー、マリアエレナの3人は、この日知ったことは、当分の間、3人だけの秘密にしておくことで合意して。
「ソフィー、こんなときにごめんなさい。実は今日あなたにお会いした目的は別なの。これはよいお話よ。あなたのお母様が、ここへあなたの様子を見に伺いたいのですって。私がこの間あなたのお母様にお会いしたときに、あなたがよくうちに遊びにきてくださることをお話したら、うらやましい、うらやましいって。で、皇帝にお願いしたら、カルロスとエドモンが一緒ならいいだろう、って許してくださったそうよ。あまり大げさな訪問にしたくないから、小さな身内だけの集まりということで。」
「まあ、本当に!」
「ああ、そのことなら、ちょうどぼくも今朝、皇帝から連絡を受けたよ。万事粗相のないように十分留意するようにと。まだわからないが、ご都合がつけば、皇帝陛下ご自身が、おしのびでご臨席されるかもしれないよ。」
「そうなったら素晴らしいわ! マリアエレナ、もちろん、あなたも来てくださるわね。」
その晩、カルロスのところに戻ったマリアエレナは、夫に今日の出来事の半分しか報告しませんでした。夫に隠し事をするのははじめてでしたが、ジャンカルロとソフィーと約束してしまったからです。
「でもフィリップは別だわ。私と同じように、彼にとっても父と母と兄弟の問題であり、彼には知らせるべきだし、ジャンカルロもソフィーも反対しないでしょう。」
隠し事による不安感に耐えられなくなった彼女は、フィリップへの手紙に、このことを書いてしまったのです。
その同じ晩、フランソワはマリアンヌにいままでに買ってやった衣装と宝飾品の所有権を明記した署名入りの書類、および500ドゥカット金貨を手渡しました。
「ヴェネツイアに帰るのだから、お金はヴェネツイアの通貨で支払ってください」
というのが、マリアンヌのつけた唯一の条件でした。それは当時ヨーロッパ中で最も信頼性と、何より流通性の高い金貨であったからでしたが。翌日、ヴェネツイアへと向かったマリアンヌですが、到着の荷も解かぬうちに、東方帰りのある商人から何かを購入し、わずか一週間ヴェネツイアに滞在しただけで、すぐまた出発したのです。しかし、今度は連れと一緒に。