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ジェロームの”左腕”

第88章

 「残念なことに、やはり左腕を切除する必要がありそうです。」

 救護して三日三晩、昏睡の近い状態にあったジェロームが意識を取り戻し、少量のかゆを口にできたと侍従から報告を受け一安心していたマリオ・フォスカリでしたが、今朝診察した医師の見立てに、動揺も見せずただ「ご本人への説得は私が行おう」と答えました。


 朝食後、ジェローム王の休んでいる部屋を訪ねると、彼はやや覇気を取り戻した目をしており、「ああ、フォスカリ殿か」といつもの調子で微かに微笑みかけました。

 「命の恩人に心から感謝する。あなたのことだ、船上で何が起こったかについては、おおよそ予測はついているだろう。あれから何日が経過したか教えてくれないか。」

 「5日ほど。一度、王宮から副官の使いと称する者が尋ねてきましたが、こちらの質問をはぐらかしましたし、あなた様がまだ絶対安静が必要な容態でしたので、お帰りいただきました。」

 「なるほど、で、私の手術はいつ行う予定なのかな?」

 「お気づきでしたか。」

 「自分の左腕の状態くらい、嫌でもわかる。壊疽してきたら、毒が全身に回らないうちに切断しないと。」

 「我々にお任せいただけるのですか? 王宮にもかかりつけの医師がいらっしゃるでしょう?」

 「信頼できる侍医は、コンスタンチノープル行きの船に同船させてしまったからな。そなたを信用しているから、一番の外科医を手配してくれると信じている。」

 「わかりました。体力が戻り次第できるだけ早いほうがよろしいかと。」

 「わかった、私は明日でも構わない。」

 「かしこまりました、すぐ手配いたします。手術後半月ほどは、ここで安静して頂く必要があるかと。」

 「そうか、それならば、世話をかけてしまって申し訳ないが、ひとつ頼みを聞いて欲しいのだが。私の左腕の手術の前に、王宮から私の左腕をここに呼んでいただきたいのだか」

 「あなたの左腕?」

 「ああ、すまない。私の副官のことだ。昔、優秀な彼のことを私が『右腕』と呼んだら、まだまだそこまでの存在になっていない、と謙遜するので『では左腕だな』と言った冗談から、彼の呼称となったのだ。」

 「なるほど・・・」

 「私と一緒に海の飛び込んだ衛兵がいただろう?彼は軽症でまだこちらに滞在していると先ほど医師から伺った。彼は命がけで私を守ろうとした衛兵の一人だ。彼を王宮に向かわせてくれれば良い。」

 「では、数日前に来たあの使いは?」

 「偵察だろう。私の生存の可否も、居場所も分からないのは、イエニチェリも副官も同じ状況だろうから。」


 その日の昼前には、早速“左腕”の副官がヴェネツィア商館に駆けつけてきました。街中にスルタンの弟の手の者が紛れているリスクもあったので、商人に変装しての登場でしたが、顔を知っているマリオ・フォスカリは何も言わず、すぐにジェロームが滞在する部屋に案内し、二人きりにするために、部下に部屋から離れるように命じました。


 翌日、無事手術が成功したとの医師の報告を受けて初めて、フォスカリは本国の十二人委員会宛ての状況報告の通信文を書き上げました。

 そこには副官との会談を終えたジェローム王からの「私のスルタンへ手紙がコンスタンチノープルに届くまでの間、生死は不明な状態にしておいてほしい」という要請も書かれてありました。そして、そこの通信文の最後は次のような文章で締められていました。


 ・・・不在中の王宮が機能不全にならなかったのは、ひとえにキプロス王がこのような事態になる事も予測し、副官と綿密な事前協議をしていたことが功を奏したのは明白です。今回のイエニチェリの襲撃で、キプロス王は左腕を失いましたが、彼が親しみを込めて“私の左腕”と呼ぶ副官が、キプロス王に忠実で大変優秀な人物であることが証明され、彼の存在があれば、キプロス王も今までと変わらぬ善政、我々との関係を維持できると考えております。


 本国とキプロスを結ぶ高速ガレー船が入港したので、ガレー船の船長にフォスカリが書き上げたばかりの通信文を託そうとしたところ、逆に「ご自宅からのお手紙を預かっております」と渡されたのが、彼の代理として本国の実家の家政を差配している甥からの、ある貸借契約書に関する問い合わせの手紙でした。

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