ロバートの覚悟
第77章
エリザベッタの審問から二週間くらい過ぎた頃、レオナルドがジュリエットを執務室に呼び出しました。
「アガタ、やっとエリザベッタが白状したよ。ローマ郊外で潜伏していた窃盗団の一味も捕縛できた。仕立屋の職人だった男が、宝物庫での窃盗はエリザベッタが発案だと言っていると問いただすと、エリザベッタが猛然と反論して、すべてを暴露した。無事すべての宝物は換金されず回収でき、幸いに破損もないようだ。もうちょっと遅かったら転売されて、金属は溶かされ解体されて、なくなってしまっただろう。」
ジュリエットに対する陰口や噂話はおさまるどころかますます酷くなっている状況でしたが、レオナルドはあえて彼女に仕事を頼みました。
「とりあえず、この宝物をすべて正しい場所に収納しておいてくれ。来週からは修繕に出しておいた品々も工房から続々と届くはずだ。それらも目録に書き足しておいて欲しい。手伝いが必要ならマルタを呼ぶが・・・」
かぶりを振るアガタに、レオナルドは
「では、一人で頼んだぞ。鍵はいつも通り、昼には私の執務室まで戻しにくるように。」
といって、宝物庫の鍵と、盗まれた宝物を渡されました。その中には、あの真珠のヘアピンも含まれていました。
改めてレオナルドが秘書館長として自分を信用して、以前と同じように宝物庫の整理を任せるという態度を示してくださったことに、ジュリエットは感謝しました。レオナルドも自分が毅然とした態度をとることで、噂話も下火になるだろうと考えていたのです。
それから週に1回、毎週金曜日の午前中にジュリエットは一人で宝物庫に通い、修繕が済んだ宝物を目録に記録し、収納棚に納めるという作業を続けました。そしてジュリエットに毎週金曜日の作業が終わると、ロバートと一緒にローマ市内まで外出し一緒に昼食をとり、マリアンヌの店で薬を補充してきてよい、というお許しが出たのです。塞ぎ込みがちなジュリエットを少しでも元気づけたいという心遣いだったのです。
もちろんロバートは気を遣って、その日は軽装な出で立ちでジュリエットにあまり目立たぬように同行してくれました。最初は口数の少なかったジュリエットでしたが、だんだんとマリアンヌのことやキプロスでの思い出話などを楽しくおしゃべりするようになっていったのです。
ロバートは、ジュリエットとの仲を深めながら、ずっとある情報が届くのを待っていました。そして一緒の外出が2ヶ月目に入ったある金曜日、暖めていた計画を実行することにしました。
「ジュリエット、次の金曜日は少しだけ帰る時間が遅くなる許可をとっておいてくれないだろうか? 実は義母のマレーネ様に、誕生日のプレゼントとして何かアクセサリーをお贈りしたいのだ。父が亡くなってから始めてのお誕生日で、私もこちらに来てしまっているし、きっと寂しい思いをされているだろうから。私は女性が好むようなデザインがよくわからないので、手伝ってほしい。」
「わかりました。私も修道院育ちなので、センスがあるかどうか分かりませんが、ヘアピンでしたら1つ持っております。注文の際に参考になるかどうかわかりませんが、持ってまいります。」
次の金曜日、ロバートはジュリエットを宝物庫まで迎えにきてくれました。あの木箱を抱えて出てきたジュリエットは、ヴァティカン宮を出るやいなや、実はキプロス王ジェロームから贈られた誕生日のプレゼントだと素直にロバートに話しました。
「思えば、このヘアピンが届いたことが発端で、運命が動き出した気がいたします。そもそもジェローム様は、私がキプロス出国後、ヴァティカンで修道女見習いとなることなど予想されていらっしゃいませんから、日常的に身につける機会の多いヘアピンをお贈りくださったのでしょう。しかし今の私には、その機会はございませんので、法王猊下にずうずうしくも宝物庫で保管させていただけないかとお願いしたのでございます。あまりに高価なものですし、それにあのころからヴァティカン内で盗難事件が起き始めていましたので。猊下から、特別に預かる条件として宝物庫の整理と目録作りを命じられました。そして、今回の一連の事件につながったのでございます。」
昼食後に薬の補充を手早く済ませた後、ロバートに連れられてジュリエットは、職人街にある貴金属宝飾店の奥にある工房に案内されました。
「ほう、真珠のヘアピンですか。ぜひ拝見させていただきたいですな」
初老の職人親方に言われ、ジュリエット箱を開け、サテンの袋からヘアピンを取り出しました。
「これは立派な真珠が使われておりますね。金の細工も見事だ。この白い部分はエナメルが使われておりますね。かなり熟練した職人の手によるものだと分かります。これを贈られた方はなかなか審美眼がございますね。ぜひ大切になさってください。」
「ありがとうございます。」
「ロバート様、あのようなデザインものをご希望で?」
「そうだな。この工房でも真珠を使ったアクセサリーは作れるものか?」
「もちろんでございます。よろしければ奥でお話をお伺いいたします。ちょっと時間がかかりそうですから、お連れ様はお店で自由ご覧になっていてください。お試しになりたいものがあれば、あの助手にお声かけを」
ロバートと親方が奥で相談している間、ジュリエットは目を輝かせてブローチや指輪など、いくつか見せてもらったり着けてもらったりして、ロバートの相談は終わるのを待っていたのでした。
いつもより遅くにヴァティカンに戻ると、ロバートのもとに待っていた手紙が届いていました。それはジャンカルロからロバートあての、詫び状だったのです。
それにロバートはすぐ返事を出しました。
「あなたのお詫び気持ちを受け入れるために、ひとつ条件がございます。今こそ私の本当の復讐に協力していただいたいのです。」
と書かれた返信を。
同じく外出で帰りが遅くなった日の晩、ジュリエットはフィリップから、還俗をすすめられたのでした。フィリップも毎週繰り返される二人のデートのような行動に、お互い惹かれ合っているのは、もはや疑う余地なしと判断したのです。ここのままでは、やがてアガタにロバートとのことで噂がたち、また陰口をたたかれるだろうと考えたのでした。
「あなたはまだ若い。神に一生を捧げなくとも、もっと世の中を見た方がよいのではないか? あなたの心の中に、思っている人がいるのではないか? あなたが一生ともにしたいと思える相手と巡り会ったなら、その方を幸せにして差し上げるのもまた、神の愛に報いることになるのだよ。」
うつむいたまま、ジュリエットは書きました。
【猊下、私にはもともと修道院育ちで、父も母もおりません。俗世間に戻りましても、正式な結婚など望むべくもなく・・・。あの方を愛おしく思っております、ずっとおそばにいたいと。でも、私はその方にふさわしい身の上ではないのでございます。】
「そうか、やはり想い合っていたのだね。ただね、アガタ、このままでまた噂話のたねにでもされてしまう。そうなったら傷つくのはあなただ。あなたが悲しむ姿は、もう見たくないのだよ。
ああ、私が、あなたの父代わりになってあげられたなら。こんな素晴らしい娘を持っていたら、さぞや自慢だったことだろうに。」
【私もあなた様の娘になりとうございます。】
法王猊下に対する、ともすれば大変失礼極まりない一言を書いて、ジュリエットは差し出しまいました。でもそれは、彼女の心からの叫びだったのです。
それからは、ジュリエットはできるだけ目立たないように外出し、できるだけ早く帰ることを心がけました。少しでもロバートと一緒にいたい気持ちと、これ以上猊下にご心配をおかけしたくないという気持ちとで揺れ動いていたのですが、ロバートに会えば楽しい時間を過ごせることが嬉しく、彼の態度から確かに愛情を感じ取ることができたので、自分からは会う機会を諦めることはどうしてもできませんでした。
やがて宝物庫の修繕した宝物の目録作りもほぼ終了し、アガタへの陰口や誹謗中傷もほとんおさまってきたとレオナルドが判断し、ついに来週で金曜日の外出も最後と決まってしまいました。
「無事、目録も完成することができた。アガタ、あなたには本当に感謝している。いろいろと嫌な思いもさせてしまったが、あなたをとがめる声も納まってきたし、もとの生活に戻れるね。」
直接そう言われて、ジュリエットは受け入れるしかありません。
その最後の外出前、ジュリエットはロバートから「最後の金曜日は、あのヘアピンをまた持ってきて欲しい」という伝言を受けとったのです。
理由がわからないまま、ジュリエットは再びあの木箱を宝物庫から持ち出しました。
「今日は薬を補充しに店に立ち寄る時間があまりないのだが、大丈夫だろうか?」
「はい。先週多めに補充しましたので、今日は大丈夫かと。」
「それは助かった。また一緒に来て欲しいところがあるのだが、いいか?」
きっと、マレーネ様へのプレゼントが出来上がって、受け取りに同行するのだろうと思っていたジュリエットでしたが、ロバートはジュリエットの手をひいて、髪結いの店に連れていきました。ロバートは 「支度が終わったら、パンテオンで待っている」と告げると、すぐ店を出て行ってしまいました。
ジュリエットが驚いているうちに、髪を美しく整えられ、そこにあのヘアピンを飾ってもらい、そしてそこに用意されていた上質なドレスに着替えさせられたのです。
最後の記念のつもりだろうか、それとも? でも今の私の立場は・・・不安と期待と諦めの気持ちで混乱したままジュリエットは木箱を抱えてパンテオンに入ると、ちょうど天窓から差し込まれた光の下にロバートが待っていました。
美しく着飾ったジュリエットが近づくと、ロバートは愛おしげに見つめてから
「ジュリエット、私はあなたのどんな過去でも、すべて受け入れる覚悟ができたんだ。それほどあなたを愛している。」
と言ってから膝をつき
「ジュリエット、私と結婚して欲しい」
と、金の指輪を差し出してプロポーズしたのでした。
その指輪はまるで、ジェロームからのヘアピンとセットになったような、真珠のついた美しい細工の指輪でした。
湧き上がる喜びを抑えて、ジュリエットは絞り出すような声で尋ねました。
「ロバート様、両親のいない私には、あなた様と結婚など・・・それに確か、皇帝陛下からのご婚約のお話がおありだったはず。」
「安心してください。あなたが祝福される環境を私が作ります。そしてあの婚約は解消します。」
「お断りになっては、あなたのお立場が」
「ふふ、私から断るのではないのですよ。私のほうがふられた、いや逃げられたのかな。」
「え?」




